無題16

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 第一回IU優勝のタイトルを手に単身渡米して三年、撤退と言われない程度の結果を残し 成人式を日本で迎える為帰国した千早を待っていたのはかつてのパートナーは既に事務所 を退職しているという事実だった。  事務所に彼の退職の理由を尋ねてみても「一身上の都合」以上の返答は得られず、彼の 元の住まいは既に引き払われたあと。これではもうひとつの帰国の目的が果たせない。 (私はきっちり三年で結果を見せた。あなたの心配が杞憂であったことを証明して見せた。 なのにあなたはいったい何をしているのですか?プロデューサー…)  そう、今の千早には日本の成人式に参加するという世間様向けの目的の他にもうひとつ 目的があった。それは三年前のパートナーに自身の間違いを認めさせ、彼を伴い再び渡米 すること。  今の自分ならアメリカでの活動基盤もあるし、日常会話程度の英語力も身につけた。 ビジネス上での風習も覚えたし、あまり上品とはいえない言葉についても知らなければ命 (や貞操)の危機に直結しかねない言葉だけは(覚えたくもなかったが)覚えた。  向こうで手に入る品物をベースにした生活スキルだって身につけた。  学歴だけはどうしようもないが歌歌いとして生きていくのだからなくたってどうにでも なる。もし必要になればそのときには検定制度などを活用すれば良いだけの話だ。  つまり、あの夜に彼が挙げた「海外進出に反対する理由」はすべてクリアした のだ。今度こそ彼と共に本当の海外挑戦が始まるはずだったのだ。  しかし、肝心のパートナーは一言の相談もなく既に退職。千早の心中は正直穏やかでは なかった。  帰国から一週間後。成人式に駆けつけてくれた音無小鳥から(元)プロデューサーが今 何をしてるか教えてもらった千早は彼の母校であるという大学の講堂、でいいのだろうか ?雛壇付の多目的施設の入り口に立っていた、晴れ着のままで。  すさまじく目立っているのだが、千早本人にそんなことにまで気を配っていられるほど の余裕はなかった。  ここにプロデューサーがいる。顔を見たらまず一発ひっぱたいてやろう。言い訳を聞く のはそれからだ。私が必死で、一人で頑張って結果を出してる間にあの人は勝手に仕事を やめて、何の連絡もよこさずにいたのだ。むしろそれぐらいで許してあげる私の寛大さに 感謝するべきだ。そんなことを考えつつ、気合をひとつ入れて千早は施設の玄関をくぐる    玄関をくぐった千早を迎えたのはステージの熱気だった。いや、正確には違うものなの だが千早はそう錯覚した。建物の中の舞台で行われていた稽古はそれほどに熱を帯びたも のだったのだ。そして、その舞台の下。舞台全体が見渡せるところでパイプ椅子から身を 乗り出し声を上げているあの後姿は… 「プロデューサー!!」  千早は思わず声を上げていた。本来芸に生きるものとしてはやってはいけないことなの だが、わかっていても自分を抑えられなかった。  しかし、彼は振り返らなかった。それどころか千早の声にぴくりとも反応しなかった。 いかに舞台に集中していたとしてもありえない。現に舞台の上の役者さんたちの動きは 止まってる、裏方さんたちも何事かと手を止めている 「こら!通し稽古の最中に集中をきるな!!お前ら本番まで後何回も通しなんかできない んだぞ!それとももう自分の指導など必要ないところまで今度の演目極めたか!?」  パイプ椅子に座りなおした彼だけが何事もないように稽古を続けろと激を飛ばしている のだ。もはや、私の声には反応する価値すらないということなのだろうか?千早の心に暗 い雲がかかり始める。 (もう、帰ろう…)  諦めと共に千早は踵を返し、講堂を去ろうとする。その時 「千早、千早か?」  たった今諦めたばかりの、一番聞きたかった声が聞こえた。反射的に千早は振り返る。 そこにいたのは、確かにかつてのパートナーだった。三年間、逢いたくて仕方がなかった 人だった。髪の毛は白くなってしまい、30代とは思えないほど顔にも深い皺が刻まれて いたが、間違いなくそこにいたのは三年前の千早のプロデューサーだった。 「プロデューサー…どうなさったんですか?その姿は」  思わずたずねる千早に彼は「いろいろあったんだ」と、曖昧な笑みを浮かべながら答え なおも食い下がろうとする千早に「稽古の後、落ち着いて話そう。後、僕はもうプロデュ ーサじゃないよ」と告げ、再び舞台の下へと戻っていった。  舞台稽古はそれから二時間後に終わり、千早と(元)プロデューサーは大学近くの喫茶 店にいた。本来場違いなはずの千早の服装も大学近くという店の立地と成人式当日の午後 という条件のおかげで極端に目を引くことはなかった。ここ三年の活動が海外限定だった のも幸いしたのかもしれない。 「で、『世界の歌姫』がなんで今ここにいるんだい?僕の記憶では日本の舞台では狭すぎ ると単身渡米したはずなんだが」 「意地の悪い言い方はやめてください。私も今年で成人ですから成人式くらいは生まれた 国で迎えたかった。それだけです」  湯気の立つコーヒーが運ばれてくると、千早はそのまま口をつける。対するプロデュー サーといえば見ているだけで胸焼けがしそうなほど砂糖をぶち込み、「つかわないならも らうぞ?」と千早の答えを聞きもしないで二人分のクリームをまとめてぶち込む。そこま でしてなお少し苦そうな顔をしながらもはやコーヒーと呼べない代物に口をつける彼を見 てそこまでするくらいなら最初からカフェオレを頼むなり、他のものを頼むなりすれば良 いのにと千早はおもう。 「それよりもプロデューサーのほうこそどうなさったのですか?帰国してみれば事務所は 辞められてるし、大学の演劇部の指導なんて…なぜですか!?」 「なんて、という言い方はよくない。彼らは学業の合間とはいえ真剣に舞台に取り組んで るんだ。もちろん僕もね。それに千早自身も言ってるように僕はもう765の人間じゃない、 プロデューサーではないんだよ、僕はもう、ね」  どうやらあれでも砂糖が足りなかったらしい彼はさらにスプーン山盛り一杯の砂糖をコ ーヒー(だったもの)に投入しながら答える。 「私にとっては今でもあなたはプロデューサーです。それに勝手に辞められては困ります。 私はあなたの挙げた『私が海外に出るには早すぎる理由』を克服してきたんです。そして 結果も出してきました。私はあなたを迎えに日本に帰ってきたんです」  千早はまっすぐに彼を見つめ、宣言する。異議は認めない、だって私は結果を出して力 を証明して見せたのだから。強い意志を込め彼をみつめる。 「過剰な評価痛み入るけど、僕には君のプロデュースはもうできない。いや、もうプロデ ュース自体が出来ない。千早と別れてからの三年、僕も僕なりにプロデューサーとして頑 張ってきた。その結果が三年連続でのIU予選落ち、それも早い段階での、ね。業界内での 評判も最悪。『如月千早に寄生していたコバンザメ』『新人破壊屋』これが辞める直前の 僕の業界内での評価だよ。国内でも海外でも僕を連れているメリットはどこにもない」 「そんなの、もう一度結果さえ出せば!それに事務所を辞める必要だってないじゃないで すか!」 「高木社長はこんな僕でも765にいても良いって言ってくれたよ、確かにね。でもアイドル は任せられない。社史編纂として、だけどね。僕はそんなのはごめんだし、僕に潰された アイドルの子のなかにも候補生としてもう一度勉強しなおしてる子だっている。彼女達に とって僕は疫病神でしかない。顔も見たくない存在だろう?彼女達のためにも僕は765にい るべきじゃないんだ」  静かにそう告げる彼に千早は理解できないと首を振る。 「僕はね、少しでも芸の世界にふれて生きていきたいんだ。だから、765を辞めた。千早に はこの気持ちは理解してもらえるとおもってるんだけどな」 「気持ちは理解できても、行動が納得できません。なぜ、私じゃいけないんですか?なぜ 私が帰ってくるまで待っててくれなかったんですか!?」  感極まって泣きながら叫ぶ千早の前に彼は使い込まれたハンカチを差し出す。そしてそ のまま伝票を持って席を立った。 「久しぶりに顔が見れてうれしかった。わざわざ訪ねてくれてありがとうな。元気で、体 壊さない程度に頑張れ。僕はここから応援してるよ」  店を出ようとする彼を引きとめようとあわてて立ち上がろうとする千早だがなれない晴 れ着でおもうように動けない。慌てれば慌てるほどに動作は遅れ、そうこうしている内に 彼は夕暮れの町の喧騒へと消えていく。残された千早はただ、彼の残したハンカチを握り 締める以外になすすべはなかった。  こうしてあまり幸福とはいえない再会を果たした二人が、再び立場をかえIUの舞台で敵 味方として合間見えることになるのだが、それはまた、別のお話。

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