花は降り降り

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鼻をすする音に過剰に反応してしまうのを、真は自覚していた。 黒と白のコントラストはけして気持ちが華やぐものではないし、静々と会場を後にする人々に頭を下げるのもとうに飽きてしまっていた。 両親の目を盗むように後ろを振り返ると、ぼんやりと空を眺めている祖母が一人、椅子に座っている。 親に何度も促されたけれど、結局、彼女にかける言葉はまだ見つかっていない。 大往生でした。 親族、弔問客に向かって挨拶をする父の目は潤んでいたと真は記憶している。彼の涙を見たのはこれで二度目だった。 真が引退を決め、両親にその旨を伝えた日、最後の最後までアイドル活動に釈然としない態度を取っていた父は「よく頑張った」と涙ながらに褒めてくれたのだ。 つられて家族全員で大泣きしたのは恥ずかしくもあり、真にとって忘れられない思い出となっている。 弔問客も一段落し、葬儀屋と話し合っている両親から一人離れ、真は会場の外へ出た。 秋口にめっきり冷え込んだのが悪かったらしい。 父よりも遅く帰宅した真は、おしゃべり好きの母が聞き慣れない言葉を口にしながら電話口で体を小さくしていたのを強く覚えている。 父は寝室に引っ込んでいるのか姿が見えず、何度も頭を下げて受話器を下ろした母の顔は今まで、見たことのないものだった。 通夜の時には気づかなかったけれど、鮮やかな紅葉を垂らした木々が会場を周りを囲んでいた。 昨日の早朝から日野の山中まで車を飛ばしたのだけれど、出来ればピクニックとかでここに来たかったと真は思う。 火葬場もセットになっている会場施設の他に建物と呼べるようなものは何もなくて、立ち並ぶ煙突から煙が上がるたびに真は体を震わせる。 あの煙が何を燃やしているのかなんて、くだらない想像を首を振って隅に追いやった。 会場入り口から顔を覗かせた母が手招きしているのを見て、真は久しぶりに履いたスカートに違和感を覚えながら会場へと戻った。 受付左手に伸びる廊下を進むとすぐ、告別式の会場が見える。 外の紅葉にも負けないくらい色鮮やかな花の祭壇は、真の知り合いのデザイナーがデザインしてくれたもの。 白木の祭壇が見えないくらいに花に囲まれたそれは弔問客からの受けもよく、 「綺麗で良かったねえ」と涙ながらに祖父に話しかけるご友人が印象的だった。 間もなく、最期のお別れが始まるという。 昨日も死装束を着た祖父に末期の水を取ったりと、"お別れ"なら何度も済ませた。 葬儀スタッフが抱えたお盆いっぱいに摘まれた花を手に取り、親戚に促されて祖父のお棺の前へと歩み出る。 口内に綿でも含ませているのだろう、思ったよりもふっくらとした表情の祖父の上に花を降らせる。 菊に百合、蘭、カトレア、かすみ草。花に埋まっていく彼を、真は涙も流さずに見つめていた。 故人の手前、「しっかりしたお子さんね」と、前向きに受け取ってくれるのはありがたいけれど、正直、真はこの老人のことをあまり知らないのだ。 父の職業以外はごくごく一般的な家庭に生まれたはずだと自覚する真はただ一点、父方の祖父母とあまり面識がないのを事あるごとに不思議がっていた。 父に聞いても、上手くはぐらかされるばかり。母方の祖父母とは毎年、嫌というほど顔を合わせていた分、気になっていた。 最近になって真は知ったのだけれど、父親と祖父は仲が良くなかったらしい。 プロのドライバーなんて危険と隣合わせの仕事はおいそれと許してくれる筈もなく、強情な父のこと、勘当同然に母と一緒になったという。 当時の苦労をさも世間話のように聞かせる母を見ては、真は口に出さないながらも彼ら二人の強さと愛情を感じた。 では、親子の愛情はどうだったのか。祖父は父のことをどう思っていたのか。 喧嘩別れしたと言っても、もう十分すぎるくらい年月が経っているのも事実。 まだ年端も行かない小さな男の子が年若い父親に抱えられながら、祖父の顔の横に蘭の花を置いたのが最後で、 その間も父は神妙な顔で祖父の顔を見つめていた。 告別式を終え、焼き場へと移動するために叔父の車へ乗り込む。 父親はしきりに自分が運転すると言っていたが、すぐ歩いても行ける距離で事故に巻き込まれたくないと、 母が苦笑交じりに諌めることで場は収まった。 結局、父はスタッフが運転する車に祖母と一緒に車に乗り、真は母と一緒に叔父の車に乗った。 「お婆様とはもう話した?」 「ううん」 位牌を手にしたまま、真は頭を振る。 ただでさえ面識もあまりないのに、この場で明るく振る舞うこと自体、真には非常識に思えた。 気丈に振舞っている、という見方も出来るけれど、今、父や母のように悲しんでいるかというとそうでもなくて。 嘘をついているようで嫌だった。 「元人気アイドルにも難しいのね」 「それとこれとは話が違うよ」 「そうね」 以前、母が話してくれた中で、父と一緒になる時に両親から頭を下げられたという話を真を思い出した。 馬鹿げた夢を見ている息子を許してほしい、と。 結婚にやんわりと反対していた母の両親まで巻き込んだという騒動の顛末は母の一声だったと言う。 愛しているから。 その一言に父の両親は頭を上げ、反対していた母の両親も遂には折れた。 真の家系は女が強いと言われていたがなるほど、この母こそがその強さの証なのだと真は合点する。 『でも、真はお父さん似よね。押しに弱いし』 『うるさいなあ』 そんなやり取りまで思い出して、幾分か軽くなった気持ちを外に吐き出す。 もう車は火葬場に着き、前を走っていた車から祖母と父が出てくる。 先に出ていた霊柩車からお棺が運び出され、やけに無骨に造られた銀色のドアの先へと祖父だけが行ってしまう。 もうこれで、戻ってくるのは祖父だったもの。 扉が閉まるまで、祖母はしっかりと前を見据えて祖父を送り出していた。 火葬は大体、一時間強で終わる、と父から説明された。 その間、手持ち無沙汰とはまさにこのことで、真っ黒い集団はうろうろと待合用のロビーで時間を過ごす。 「知ってるか、真。戻ってくる時な、骨は大体、バラバラになってんだけど。あれって焼いてる最中、釜の中でかき混ぜるんだとさ」 なんでいきなりこんなことを言い出したのか分からないが、苦い顔の真に父は楽しそうだった。 先ほどまでベソをかいていたくせに、とは言わなかったけれど、いつもの父に戻っていて真は内心、安心した。 告別式から立ちっぱなしが多かったのでいい加減、座りたかったので壁に沿って置かれているソファへと移動する。 母は親戚と話に夢中で、徐々にではあるけれど日常が戻りつつあることを真は感じていた。 明日、学校に行ったらどうしよっかな。 葬儀だからとタンスから引っ張り出した黒のワンピースはこの季節には少し肌寒く、脚を擦り合わせる。 寒いか、と上着を脱ごうとする父を止め、また訪れた無言の時間。 壁の一面がガラス張りになっているホールの外は先ほど見た、山々の紅葉で染められている。 やや濁りのあるガラスなのか、少しぼやけることで鮮やかな美しさとはまた違う、交じり合った色味が何かを思い起こさせる。 まるでそう、涙でぼやけた景色のよう。 少しもどかしそうに、父から話し始めた。 「お父さん。お爺ちゃんと仲悪いの知ってるよな」 「うん」 「結局な、お互い強がっちゃって。お爺ちゃんと仲直り出来なかった」 「うん」 言葉が続かないのか、俯き、しきりに首を振る父。こんな父の姿はついぞ、見たことがない。 けれど、真の心中は驚くほど、静かだった。 お父さん、やっぱりお爺ちゃんのこと、好きだったんだ。 それだけで真の中でストンと、何かが終わった音がしてくれた。おそらくは始まるために、もう終わらせなきゃいけないこと。 真はソファから立ち上がると、父の前へと立つ。 こちらを見上げてくる父の顔はしょぼくれてて情けない、おじいちゃんの子供の顔だった。 そっと父親を抱きしめ、「父さん、大好き」と囁く。 しばらくして、胸の中で震える父の嗚咽が聞こえてくる。 いつから眺めていたのか、遠くで母も泣いていた。 「いくつんなっても泣き虫だねえ、しんちゃんは」 先ほどまで部屋の隅にいた祖母が真の前までやって来ていた。 「真ちゃんかい?」と、微笑む顔はとても若々しくてチャーミングだ。 きっと、お爺ちゃんもこの笑顔が好きだったんだろうなと、真は嬉しくなる。 はいっ、とホールには元気な声が響いた。

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