Merry Christmas

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「メリー・クリスマスか…」  12月23日の午後、会社の用事で外へ出た音無小鳥は、雑踏の中をぼんやりと考え事を しながら歩いていた。今日は一般的には祝日のはずだが、アイドルをたくさんかかえた 事務所には、この暮れの忙しい時期に、休みなどあろうはずもない。  先週の日曜日、小鳥は友人と一緒に買い物に行った。買い物はお昼過ぎで終わり、さて、 お茶でも飲みに行こうかという時、友人がビルの看板を指さし、「私、あそこで占ってほしい」 と言い出したため、勢いで小鳥も一緒に占ってもらうはめになってしまった。あとから わかったのだが、そこは割合有名な店らしく、小鳥たちが行ったときも、前に何人か並んで 順番を待っていた。  友人もシングルだったため、「二人とも恋愛運をお願いします!」と先に言われてしまった。 女性の占い師は、友人に、これこれこういうことをすれば運気がアップします、とか、家から 見てこちらの方角に気になる人が現われます、というような話をした後、今度は小鳥を見て、 「あなたには気になる人がいますね」と言った。 「えっ」  小鳥は自分の心の中を見透かされたような気持ちになって、「は、はい…」とだけ答えた。 占い師は、小鳥にも方角やラッキーカラーのアドバイスをした後で、「クリスマスイブの日、 あなたあてに『メリー・クリスマス』と最初に言ってくれた人が、あなたの人生を左右する 人になるかも知れません」と助言した。  その運命のクリスマスイブは、もう明日に迫っている。小鳥は、いったい誰がその魔法の 言葉を自分に最初に言ってくれるのか、考えるだけでどきどきした。 「プロデューサーさんならうれしいんだけどな…」小鳥は誰にも聞こえないような、小さな ひとりごとをこぼした。  プロデューサーとは、最近よく遅い晩ご飯を一緒に食べたり、飲みにも行ったりして、急に 距離が近づいた感じがしていた。呼び方も、以前は『音無さん』だったのに、いつの間にか 『小鳥さん』に変わっていた。彼女のことを『小鳥さん』と名前だけで呼ぶ男性は彼しか いなかったし、小鳥はそれをいいサインだと思っていた。  もちろん、たかが占いだし、全部を信じているわけでもなかったが、宝くじの発表を待って いるような、そんな高ぶりが彼女の中にあった。 「それじゃ、お先に失礼します」その日の6時過ぎ、私服に着替えた小鳥が、デスクワークを していたプロデューサーに声をかけた。もう事務所に残っているのは彼一人だ。 「お疲れさまでした。今日は早いですね」 「ええ、ちょっとこれから友だちと晩ご飯…というか、飲みに行くんですけど」小鳥はあはは、 とばつが悪そうに笑った。 「へえ、友だちと…」 「はい、高校時代の友だちなんです。…えーと、ちなみに女の人ですよ」聞かれてもいないのに、 小鳥はそうつけ足して笑った。 「そうなんですか」プロデューサーは心なしか表情をやわらげた。 「いってらっしゃい、小鳥さん。飲み過ぎに注意して下さい」 「はい、行ってきます。ほどほどにしておきますね」小鳥はにこやかに答えたが、二人で飲みに 行く時も、9時や10時ではおさまらず、午前様になることもたびたびだったので、まあこれは おたがい、社交辞令のようなものだったのだろう。  帰る間際に彼と話のできた小鳥は、まるでスキップでもしているような軽い足取りで 待ち合わせの場所へ向かった。彼女は確かに少し浮かれていた。さっき見たプロデューサーの 仕事のたまり具合から見ると、恐らく今日も会社に泊まるはず。それに朝いちばんに事務所へ 着くのは大体いつも自分だ。それなら、きっと、 「おはようございます、プロデューサーさん。あ、今日はクリスマスイブでしたね。 メリー・クリスマス」 「おはようございます、小鳥さん。メリー・クリスマス」 とまあ、こういうことになるに違いない。予言を自分で実行してしまうような、ずるい感じも ちょっぴりあるし、占いが本当になるという確信もなかったが、そのことが、自分に少しでも 自信や勇気をくれるのなら心強いと思った。  はたしてプロデューサーの助言も空しく、小鳥は二ヶ月ぶりに会った友人とたくさん飲んで 騒いでしまい、自分の部屋まで戻ってきたのは、かなり遅い時間だった。そのままベッドに もぐりこんだ彼女だが、自分に課した使命を忘れず、翌朝はいつもより早く起きた。ちょっと ふつか酔い気味だったものの、普段通りシャワーを浴びて、支度を整えた。 「あれ?」  でかけようとした小鳥は、サイフが見当たらないことに気がついた。 「あ、そういえば…」  ゆうべ飲み会が終わって支払いになった時、お手洗いに行こうとして、サイフごと友人に ポーチをあずけたのをぼんやりと憶えていた。居酒屋からの帰りは、酔いをさまそうと 不用心にも歩いてきたので、サイフのないのに気づかなかったのだ。 「しかたない、あとで連絡しよう…」そう思った小鳥は、携帯とスケジュール帳までポーチに 入れたままだったことを思い出した。 「はあ…ドジだなあ、私…」友人に電話しようにも、電話番号が預けた携帯の中に入って いるのでは、どうしようもない。小鳥は友人が気づいて、会社に電話してきてくれるだろうと 思い、それを待つことにした。  部屋を出た小鳥は、知り合いに会って「メリー・クリスマス」と言われる危険性を考慮し、 なるべくひとけのないところを選んで歩いた。幸い誰にも見つかることなく事務所に着いた 小鳥は、いつものように合い鍵でドアを開けた。中に人の気配はなかった。 『あれ、プロデューサーさんは…』  ボードを見ると、ゆうべ遅くに収録現場でトラブルがあったので、そちらに向かい、 今日は終日事務所には戻れないだろう、という旨のことが書いてあった。  小鳥はがっかりしてしまった。せっかく早起きしてまで、一番に彼に会おうとしたのに。 開けっ放しになっていたドアを閉めようとした時、いつも朝早くから来ているお掃除の おばさんが通りかかり、「あら、おはようございます」と小鳥に声をかけた。 「おはようございます」そう小鳥がにっこりして答えると、おばさんは「メリー・クリスマス」 と笑いながら言って、階段を上がっていった。  小鳥は、「はあ…まあ、占いだもの、あんまり深く考えないことにしよう…」と思ったが、 妙な考えも一緒に浮かんできてしまった。 「でも、ひょっとしたら、実はあのおばさんがプロデューサーさんの親戚で、『身内に いつまでたっても片づかないのが一人いるんだけど、よかったらあなたお見合いしてみない?』 なんて言われたりして!…やっぱりそんなことあるわけないわよね…」小鳥は気を取り直し、 着替えて仕事をしようと、支度を始めた。  その日の夕方になって、ようやく友人から会社に電話がかかってきた。 「ごめんごめん、朝起きたときには気がついてたんだけど、ちょっとそのまま忘れててさ…」  イブの今夜、何年も付き合っている彼氏とデートの予定だと友人から聞かされていた小鳥は、 「あ、そう」と不機嫌な声で答えた。 「ないと困るでしょ?あとで駅まで来てくれたら渡せるんだけど」 「うん、わかったわ」小鳥は友人と時間を決めた。 「あ、そうそう、そういえば何回か携帯鳴ってたわよ」 「え、誰だろう…ちょっと着信見てくれる?」 「えっと、着信ていうか、ゆうべ寝た後でかかってきた電話に、アタシ一回でちゃったんだ。 ゴメン」 「え、そうだったの?」 「うん、帰ったらもう12時まわってたし、すぐ寝たんだけど、着メロが聞こえてきたから、 寝ぼけてつい出ちゃったのよ。そしたら知らない男の人の声が聞こえてきてびっくり。 当たり前だけど」 「仕事の急用じゃなかったらいいんだけど…どんな用事か言ってなかった?」小鳥はちょっと 心配したように訊いた。友人はくすくす笑ってから続けた。 「それがね、こっちが『もしもし』って言う前に、いきなり『小鳥さん、メリー・クリスマス!』 …だって!」

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