A Song For Life

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765プロの事務所にはアコースティックギターが一本だけ置いてある。 メーカーなんて全然わからない、安物なのか稀少な物なのかの判別さえつかない古ぼけたギター。 時々、双海姉妹や春香が適当にかき鳴らしたりして律子に呆れられたり怒られたりしている。 そんなギターだがしっかりと定期的なメンテナンスはされていて、 それはつまり社内にギターが弾ける人物が居るという事の証明に他ならないのだが、誰もその人物を探そうとはしない。 あるいは知っている人は知っているのかも知れないが、本人が言わないのなら別にそれで良いという事なのかもしれない。 * * 「只今戻りました」 誰も居ない事務所に声をかけながら手探りで電気を点ける。 歌番組の収録が終わり、スタジオから戻ってきた如月千早とその担当プロデューサーである。 スタジオからそのまま直帰でも構わないようにスケジュールを組んでいたが、少しだけ予定を変えてここへ戻ってきた。 あることをするために。 彼がごく当たり前のようにギターを持って手近な椅子に座れば、千早はその正面に位置を取る。 幾度となく繰り返されたように。 話は暫く前に遡る。 * * 千早は事務所のソファで目を覚ました。 いつもの通り自宅に帰るのを少しでも遅らせようと事務所で時間をつぶしていたが、いつの間にか眠っていたらしい。 電気はついたままで書置きも無い。大方、小鳥さんが買出しにでも出かけたのだろう。 起こしてくれなかった薄情さを責めるべきか、居眠りをするアイドル一人残して出かけた無用心さを責めるべきか。 完全には目覚めきらない頭でそんな事を考えている時、それに気づいた。 ギターの音が聞こえる。適当な音の羅列ではなく確かな旋律として。 これは何の曲だったろうか。随分前に時代劇で使われていたような覚えがある。 果たして弾いているのは誰だろうか。誘われるようにして音の出所へと歩みを進める。 元々小さな事務所だ。すぐにそこへとたどり着いた。立て付けのあまりよろしくないドアを開ける。 「プロデューサー……?」 「ありゃ、バレちゃったか」 全く予想もしていなかった人物の登場に少し思考が止まる。 「ギター、弾けたんですね」 「まあ、それなりにな」 言葉を交わす事で徐々に頭が働き始める。それと同時に、浮かんできた疑問と僅かな憤りをぶつけてみる。 「どうして言ってくれなかったんですか」 「いやだって、その道のプロとさんざ仕事してる人間前にして俺弾けるんですって言うのは中々照れくさいじゃないか」 どこまで本気か解らないが一応の理由に納得はしたものの、今まで秘密にされていた事に対する不満は残る。 どうにかして溜飲を下げようかと思案し、程なくして一つの考えが浮かんだ。 「わかりました。今ここで何か一曲弾いてください。それでこの件は不問にしてあげます」 「承知。何かリクエストは?」 「私の知らない曲をお願いします」 この一件以来、いつからか二人だけの時には小さな演奏会をするようになっていた。 歌詞の無いインストゥルメンタルの時もあれば、千早が歌う時もあり、ごく稀にプロデューサー本人が歌う時もあった。 * * ギターを手に取りチューニングを始める。 通常は5弦のA音から合わせる事が多いが、彼の場合はまず3弦G音を最初に合わせ、その後、3→2→1、4→5→6弦と中心から端に向けて合わせていく。詳しい説明は省くが、僅かな音程のズレを全体に分散させるという事だった。 以前、何故そうするのかとその理由を聞いてみた事があったが、その時は 「好きなギタリストがこの方法でやっててな、それからずっと真似してるんだ」 そう苦笑まじりに言っていた。 チューニングも終わり、幾つかのコードを鳴らして具合を確かめる。 僅かに長く目を閉じて、軽い深呼吸。 始まりは柔らかなアルオペジオから。 徐々にコードストロークが強くなる。 もう一度冒頭のアルペジオ。 高音弦を使った切なさの混じるフレーズ。 澄んだ音色のハーモニクスをアクセントにして。 ピックを使わずに指で奏でられる弦の響きは何処までも優しい。 そして、2分半程の短い曲が終わる。 演奏が終わった後も二人は何も喋らなかった。一言でも発してしまえば、音の余韻が消えてしまいそうに思えた。 ようやく、千早が 「なんという曲ですか」 とだけ口にする。 「……A Song For Life」 A Song For Life。人生の歌。 しばらくその言葉の意味を自分の中で反芻する。 ふと、一つの疑問が言葉となって出る。あるいは不安かもしれない。 「……いつか歌える時が来るでしょうか。私の人生と言えるような歌が」 「んー……無責任に出来るとは言えないからなぁ……ああでも」 「でも?」 「今まで生きてきた時間だけじゃなく、これから生きていく時間も含めて人生じゃないかなって。なんとなく今そう思った」 これから。 自分はまだ10代で時間はある筈なのに。そんな当たり前のことを思い出す。 ずっと余裕の無いままに、今まで考える事の無かった遠い未来に思いを馳せる。 1年後。 5年後。 10年後。 さらにその先まで。 やがて、千早は一つの願いを口にする。 「……私にギターを教えて下さい。曲も詩も自分で作る事が出来るように」 ────私が、私の歌を歌えるように──── Music By Eric Johnson From『Seven Worlds』
765プロの事務所にはアコースティックギターが一本だけ置いてある。 メーカーなんて全然わからない、安物なのか稀少な物なのかの判別さえつかない古ぼけたギター。 時々、双海姉妹や春香が適当にかき鳴らしたりして律子に呆れられたり怒られたりしている。 そんなギターだがしっかりと定期的なメンテナンスはされていて、 それはつまり社内にギターが弾ける人物が居るという事の証明に他ならないのだが、誰もその人物を探そうとはしない。 あるいは知っている人は知っているのかも知れないが、本人が言わないのなら別にそれで良いという事なのかもしれない。 * * 「只今戻りました」 誰も居ない事務所に声をかけながら手探りで電気を点ける。 歌番組の収録が終わり、スタジオから戻ってきた如月千早とその担当プロデューサーである。 スタジオからそのまま直帰でも構わないようにスケジュールを組んでいたが、少しだけ予定を変えてここへ戻ってきた。 あることをするために。 彼がごく当たり前のようにギターを持って手近な椅子に座れば、千早はその正面に位置を取る。 幾度となく繰り返されたように。 話は暫く前に遡る。 * * 千早は事務所のソファで目を覚ました。 いつもの通り自宅に帰るのを少しでも遅らせようと事務所で時間をつぶしていたが、いつの間にか眠っていたらしい。 電気はついたままで書置きも無い。大方、小鳥さんが買出しにでも出かけたのだろう。 起こしてくれなかった薄情さを責めるべきか、居眠りをするアイドル一人残して出かけた無用心さを責めるべきか。 完全には目覚めきらない頭でそんな事を考えている時、それに気づいた。 ギターの音が聞こえる。適当な音の羅列ではなく確かな旋律として。 これは何の曲だったろうか。随分前に時代劇で使われていたような覚えがある。 果たして弾いているのは誰だろうか。誘われるようにして音の出所へと歩みを進める。 元々小さな事務所だ。すぐにそこへとたどり着いた。立て付けのあまりよろしくないドアを開ける。 「プロデューサー……?」 「ありゃ、バレちゃったか」 全く予想もしていなかった人物の登場に少し思考が止まる。 「ギター、弾けたんですね」 「まあ、それなりにな」 言葉を交わす事で徐々に頭が働き始める。それと同時に、浮かんできた疑問と僅かな憤りをぶつけてみる。 「どうして言ってくれなかったんですか」 「いやだって、その道のプロとさんざ仕事してる人間前にして俺弾けるんですって言うのは中々照れくさいじゃないか」 どこまで本気か解らないが一応の理由に納得はしたものの、今まで秘密にされていた事に対する不満は残る。 どうにかして溜飲を下げようかと思案し、程なくして一つの考えが浮かんだ。 「わかりました。今ここで何か一曲弾いてください。それでこの件は不問にしてあげます」 「承知。何かリクエストは?」 「私の知らない曲をお願いします」 この一件以来、いつからか二人だけの時には小さな演奏会をするようになっていた。 歌詞の無いインストゥルメンタルの時もあれば、千早が歌う時もあり、ごく稀にプロデューサー本人が歌う時もあった。 * * ギターを手に取りチューニングを始める。 通常は5弦のA音から合わせる事が多いが、彼の場合はまず3弦G音を最初に合わせ、その後、3→2→1、4→5→6弦と中心から端に向けて合わせていく。詳しい説明は省くが、僅かな音程のズレを全体に分散させるという事だった。 以前、何故そうするのかとその理由を聞いてみた事があったが、その時は 「好きなギタリストがこの方法でやっててな、それからずっと真似してるんだ」 そう苦笑まじりに言っていた。 チューニングも終わり、幾つかのコードを鳴らして具合を確かめる。 僅かに長く目を閉じて、軽い深呼吸。 始まりは柔らかなアルペジオから。 徐々にコードストロークが強くなる。 もう一度冒頭のアルペジオ。 高音弦を使った切なさの混じるフレーズ。 澄んだ音色のハーモニクスをアクセントにして。 ピックを使わずに指で奏でられる弦の響きは何処までも優しい。 そして、2分半程の短い曲が終わる。 演奏が終わった後も二人は何も喋らなかった。一言でも発してしまえば、音の余韻が消えてしまいそうに思えた。 ようやく、千早が 「なんという曲ですか」 とだけ口にする。 「……A Song For Life」 A Song For Life。人生の歌。 しばらくその言葉の意味を自分の中で反芻する。 ふと、一つの疑問が言葉となって出る。あるいは不安かもしれない。 「……いつか歌える時が来るでしょうか。私の人生と言えるような歌が」 「んー……無責任に出来るとは言えないからなぁ……ああでも」 「でも?」 「今まで生きてきた時間だけじゃなく、これから生きていく時間も含めて人生じゃないかなって。なんとなく今そう思った」 これから。 自分はまだ10代で時間はある筈なのに。そんな当たり前のことを思い出す。 ずっと余裕の無いままに、今まで考える事の無かった遠い未来に思いを馳せる。 1年後。 5年後。 10年後。 さらにその先まで。 やがて、千早は一つの願いを口にする。 「……私にギターを教えて下さい。曲も詩も自分で作る事が出来るように」 ────私が、私の歌を歌えるように──── Music By Eric Johnson From『Seven Worlds』

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