あわてんぼうのサンタクロース

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あわてんぼうのサンタクロース」(2012/01/13 (金) 00:35:20) の最新版変更点

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 12月も後半にさしかかったある夜のことです。  エントランスのドアが開いた時、私はちょうどロッカールームから戻って 来たところでした。事務室は非常口を除くと出入り口が一つしかなくて、制服を 着替えて退勤するときも自分の持ち場を通り抜けなければなりません。  誰かと思ってそちらを見ると、亜美ちゃん真美ちゃんのプロデューサーさんが 立っていました。 「あれ、小鳥さん。お疲れ様です、いまお帰りですか」 「あ、プロデューサーさんお帰りなさい。早かったんですね」  プロデューサーさんは今日、担当している二人を連れてデパートのミニライブに 行っていました。壁のホワイトボードには『双子姫をエスコートしてから戻ります』 と書いてあったのを憶えています。几帳面な性質らしく、他の同僚が体言止めで 殴り書きをするような場所にも柔らかな筆跡の、ですます調が目立っていました。 「ラッキーでしたよ、二人のお母さんが来てくれていたんです。買い物のついでに 娘の晴れ姿を見ようと思ったのだと」 「へえ、亜美ちゃんと真美ちゃん、嬉しかったでしょうね」 「そのままデパートのレストランで夕食のおねだりに成功してましたよ。 お父さんは遅いそうで」 「さすが」 「俺も見送り免除で助かりました」 「連絡いただければ待ってたのに。ちょっと待ってくださいね、コーヒーいれて きます」  私もラッキーでした、とは口には出さず、せめてプロデューサーさんを ねぎらってあげられればと言ってみましたが、彼は恐縮して手を振りました。 「え?いいですよ、小鳥さん帰るとこだったんでしょう?ほら、このあとの 用事とか……」 「お気になさらないでください、帰ったところでデートの当てもありませんし、 おほほ」 「……小鳥さん」  恐縮する彼に捨て身のディフェンスで給茶室に向かおうとすると、少しの 間を空けてプロデューサーさんが私を呼び止めました。 「はい?」 「あの、急いで帰らなくてもいいのなら、その」  なにか思案するふうに視線を泳がせ、口ごもりました。しばらくして心を 決めたのでしょう、ふたたび私の顔を見ました。 「コーヒーより、生ビールとか……いかがですか?」  二人が向かったのは事務所の直下、1階で暖簾を掲げている居酒屋さんです。 今日のお昼は他のお店でよかった、とちょっとほっとしながらカウンターに 並んで、腰を落ち着けるより先に出てきた中ジョッキの縁を合わせました。 「乾杯、今日も無事にお仕事が終わったことに」 「乾杯、明日もまた楽しい仕事が山ほど待っていることに」  どうやらプロデューサーさんは、予想以上に頑張ってきたみたいです。 「……お疲れですか?プロデューサーさん」 「ああ、すみません。駆け出しアイドルでもさすがに年末は仕事が多いですね、 はは」  プロデューサーさんは、芸能界の業界経験はあまりありません。異世界人 とまでは言いませんが、社長がスカウトするまで彼は服飾商社のバイヤーさん だったのです。  765プロが関わっていた映画の衣装担当の一人として参画していたのを、業界でも おなじみの『高木がピンときた』で引き抜いたのはまだほんの数ヶ月前でした。 「去年まではね、この時期は一瞬暇になる時期なんです。年末の品揃えが終わって、 来年の夏の新作情報も出揃って」 「ああ」 「体のサイクルが芸能界モードになってないようです。修業不足ですね、はは」  日本のファッション情報はだいたい半年前に決まっているのだ、と以前聞いた のを思い出しました。彼が来た頃、アイドルの子たちと一緒にファッション業界の 話をたくさん聞いたときに出ていた話題です。 「まだスタートしたばかりですもんね。私もこのお仕事はじめたとき、それまで お休みだった時期が忙しいのにびっくりしましたよ」 「サービス業ですから当然なんですが。俺はともかく二人が頑張ってくれる んでありがたいですよ」 「プロデューサーさんだって頑張ってるじゃありませんか。内緒で残業してる の、知ってますよ?」 「えっ」 「タイムカード打刻してからお仕事、してますよね」 「……マジですか。バレてましたか」 「マジです。バレバレです」  なんてこったい、とカウンターにくずおれる彼の背中を叩き、笑いながら 励ましてあげます。こういうやり方に慣れてしまうと『表向きの退勤時間』に 法則性が生まれる、ということをプロデューサーさんは知らなかったようです。 これまでにもこういう人はいましたし、どうせ打刻どおりに残業代が出るわけ ではありません。こうして私がツッコミを入れて、みんな開き直って本当の 勤務時間を書き込むようになるのです。 「でも、お体には気をつけてくださいね?私たちのような事務スタッフと違って プロデューサーさんは替えが利かないんですから」 「そうですかねえ」 「そうですよ。さ、辛気くさい話はおしまいにして飲みましょう、騒ぎましょうっ」  この様子ならたくさん飲ませてあげてもいいでしょう。私は自分のビールを 一気に空け、プロデューサーさんの顔と、そしてだいぶ残量のある彼のジョッキを わざわざ見比べた上で、おにーさん中生ふたつー、と注文を入れました。苦笑 しながらジョッキをあおってくれる彼の様子に、私もだんだん楽しくなって きました。 「……小鳥さんって」  プロデューサーさんが突然話題を変えたのは、店内のBGMが『津軽海峡冬景色』 から『サンタが街にやってきた』に変わった時でした。奥の座敷で大学生らしき 団体客が選曲の妙に歓声を上げるのが聞こえます。 「いつまでサンタクロースを信じてました?」 「え?サンタですか。んー、いつ頃だったかな」 「いや、俺イナカ育ちなもんで、けっこう信じてたんですよ。ひょっとしたら 亜美真美くらいまでヨユー」 「へえ、いいご家庭だったんですね」  サンタクロースを信じ続けるには様々な条件が必要です。純真な心、あたたかな 家庭環境、それから、イベントのノリに付き合ってくれるご両親も。 「親がまた上手かったんですよ。こっちに知恵がついてくるとフィンランド からサンタの絵葉書が届くサービスあるでしょ?あれ使ってごまかしたりして」 「はあ、クラスメートにからかわれて露見したクチ?」 「親父が言うにはこうです。『サンタさんはいたずら好きでな。誰かのパパに 化けて、わざとその子に見つかったりするんだ。そういう子はサンタさんが実は パパなんだ、って思い込んじゃうだろ?』」 「あはは」 「『お前ももう大きいんだから、ウソか本当かちゃんと自分で見分けられる ようになれよ』、と。まあつまりこれがウソだったわけなんですが」  ただ、話のトーンに恨みがましさはありません。ご家族に愛されて育ったの だなあと思います。自分の父親の声色を交え、落語家さんさながらの話芸を 披露するプロデューサーさんに私は笑さわれどおしです。 「亜美真美に話したときもそんな感じでしたよ。『兄ちゃんかわいーねー』だと」 「昔とは情報の集まり方も段違いですからね」  お話が一段落して、私もひと息つけました。プロデューサーさんに話しかけます。 「でもわたしは、こんな風にも思うんですよ。ファンタジーの登場人物の名前 じゃなく、『サンタクロース』っていう肩書きを持ってる人は現実にいるって」 「肩書き、ですか」 「世界中の子供たちのお父さんやお母さん。クラスメートや仕事仲間や恋人たち。 クリスマスにプレゼントを持って来てくれる人には、みんな『サンタクロース 代理人』っていう肩書きがつくんです」  私の説明が気に入ったのでしょうか、プロデューサーさんは興味深げに耳を 傾けています。その顔の前に、私は人差し指を差し向けました。 「プロデューサーさん、あなたも、ですよ」 「え?俺が?」 「はい。サンタクロースさんです」  意外そうな表情に答えて、満面の笑みを返します。 「クリスマス特番にコンサート、イベントゲストに握手会。『可愛いアイドル・ 双海亜美』っていうプレゼントをファンや、ファン候補のみんなに贈ることが できる、立派なサンタさんです」 「はは、なるほど。そう来ましたか」  少し考え、プロデューサーさんは嬉しそうに笑いました。 「クリスマスまではまだ少しありますよ、気が早くはありませんか?」 「この業界ではもうお正月番組だって撮ってますし、歌にもあるじゃありませんか。 クリスマス前にやってくるあわてんぼうのサンタクロースは、きっとプロデューサー さんたちみたいな人なんです」 「こりゃ大変だ。急いで鐘を鳴らさなきゃいけませんね」 「煙突を覗く時は落っこちないように注意してくださいね」 「肝に銘じます」 「ふふ」  それからもしばらく、プロデューサーさんは色々な話をしてくれました。彼の 得意のファッション業界のお話は天井知らずでしたし、そもそもお話が上手で つい引き込まれてしまいます。 「……ですって。俺の立場はいったいどこに行ったんだっていう」 「あははは、プロデューサーさん、も、もう勘弁してください、わたしお腹がっ」  お酒で勢いがついたのか、いつにも増して強力な笑い話に涙まで出てきました。 ここまではしたない姿をさらすなら、もう一つくらい余分に恥をかいてもいいかな、 とふと頭をよぎります。 「すいません小鳥さん。つい調子に乗ってしまいました」 「こんなに面白いプロデューサーさんのこと、亜美ちゃん真美ちゃんも大好き なんでしょうね」 「まあ言うこと聞いてくれてますよ。笑われる話ばっかりする俺を哀れに思って くれてるんでしょう」 「そんな。あの二人に好かれるのは並大抵ではないですよ。か、彼女さんも 鼻が高いでしょうね」 「……えっ」  少し口ごもってしまいました。プロデューサーさんは驚いたような顔を向けます。 「そんな人いませんよ、俺」 「ええー?」  今度はいい感じでからかうような視線を作れました。ただ、恋人はいないと 聞いて嬉しくなったのが自分でわかります。 「またまたあ」 「ほんとですって。前職は仕事時間が滅茶苦茶でプライベートの時間なんて なかったですし、今は今で修行中の身です」 「真面目なんですね。誰かを好きになったりもしないのかしら」  後半は独り言でした。私はプロデューサーさんと並んで座れるだけでこんなに はしゃいでしまっているのに、この人は誰かを恋しいと感じたことはないので しょうか。 「いや……でも、俺なんかじゃ」 「え?」  耳を疑う返答に、思わず振り向きます。プロデューサーさんは、しまったという 表情をしています。 「……ああ、すいません。なんでもないんです」 「んんー?そんなことないでしょう?」  放っておけばいいのに。放っておければよかったのに。すっかり慣性のついた 私の口が、勝手に話を続けます。 「つまり、好きな人は、いる、と」 「……」  私の顔は、寂しくなっていないでしょうか。ちゃんと、人をからかうような 顔で、面白い話を聞き逃さない猛禽類の視線で、プロデューサーさんを見ている でしょうか。よもや、言い出すこともなかったほのかな恋が一瞬で破れた女の顔に なったりしていないでしょうか。  プロデューサーさんはしばらく私の目を見つめ返して、そしてようやく口を 開きました。 「……はい。俺には、好きな人が、います」 「そうですか」 「でも、俺はまだ未熟者です。自分もまだまだ、担当アイドルもこれから、 こんな俺では誰かに釣り合うはずはない」 「そうでしょうか」 「サンタクロース代理人なんか片腹痛い。俺なぞトナカイの角の垢でも煎じて 飲めばいいんです」  私から視線を外し、その瞳は両手で抱え込んだジョッキの中身に注がれています。  そんな彼を見て、私は少し悲しくなってしまいました。  さっき、思わぬタイミングで帰ってきたプロデューサーさんが。  同僚になって初めて、お酒を誘ってくれたプロデューサーさんが。  亜美ちゃん真美ちゃんを指導して日々一生懸命な姿を見ているうちに、いつの 間にか大好きになってしまったプロデューサーさんの、自分自身を卑下する姿が 私にはとても残念だったのです。たとえ他に誰か好きな人がいても、私にとって 大切なプロデューサーさんが自分を悪く言うのが、私には耐えられなかったのです。 「そんなことありません!」  だからでしょうか、そんな彼の顔を覗き込んで、私は言っていました。 「未熟なはずないです。プロデューサーさんはいつも一生懸命で、どんなお仕事 にも真面目に取り組んで、夜も遅くまでプロデュース方針検討して、亜美ちゃん 真美ちゃんのレッスンや、営業や、イベントに走り回って。そんな頑張ってる プロデューサーさんが未熟なはずありません!」 「……こ、小鳥さん?」 「プロデューサーさんは立派なサンタクロースです!ダンスがうまくいかなくて 落ち込んでた真美ちゃんに、休日潰して自主トレに付き合ったのも聞いてます。 風邪で具合が悪かった亜美ちゃんを収録の合間中ずっとお世話してあげてたのも 知ってます。亜美ちゃんと真美ちゃんのためならどんなことだって、迷わず 頑張るプロデューサーさんを私はずっと見ていました!そんなプロデューサー さんは、どんな相手にだって胸を張って肩を並べることができるに決まってます!」  少し飲みすぎたお酒と今の彼の発言のショックで、私はすっかりハイテンション になっていました。プロデューサーさんが目を丸くしてこちらを見ているのは わかるのですが、長広舌がとどまることはありませんでした。 「だから、元気出してくださいプロデューサーさん。私も、亜美ちゃん真美ちゃんも、 ちゃんとあなたのことを見ています」  でも、さすがに興奮しすぎです。感情の手綱をどうにか取り戻し、プロデューサー さんに笑いかけました。 「いつか勇気が持てる日を祈っていますね。こんなに素敵なプロデューサーさんの 想いが、相手の方に通じない筈なんてありませんから」 「小鳥さん……」 「あはは、ちょっと飲みすぎちゃいましたね。そろそろ帰りましょうか」  事前に申し合わせたとおり割り勘のお会計を済ませる間、プロデューサーさんは おとなしくなってしまいました。私の醜態に引いてしまったんでしょうか。 隠しごとを暴いてしまったのを怒っているのでしょうか。私が話しかければ 応じてくれますが、そうでない時は何か考え込むような表情になっています。 「少し遅くなってしまいましたね。小鳥さんタクシー使ってください、俺は 帰れますから」 「え?でも」  なにか言い返そうとする前に、プロデューサーさんはさっと手を挙げてタクシー を止めました。  自動で開くドアを支えながら、そこでプロデューサーさんはこう言いました。 「小鳥さん、ありがとうございます」 「えっ?」 「今日はたくさん教えられた気がします。確かに俺は若輩者ですが、だからと 萎縮するのもよくないですね」  私の目をまっすぐ見つめる視線には力がこもり、さっきの弱気は姿を消して いました。 「考えてみればそんな心残りをしていては仕事にも差し障ります。きちんと 整理をつけるべきだ、と小鳥さんは言いたかったのですね」 「は、はあ」 「あと少しだけ時間をください」  プロデューサーさんは手元の端末で、スケジュールを確認しています。 「来週の土曜日、正月特番の録りのあと流れ解散なんですよね、ほら、小鳥さんも 立ち合う」 「ああ」  765プロのアイドルが何人も、代るがわる出演する長時間のバラエティーです。 特にこんな時期は、私もスタッフの頭数に入ることがしばしばです。 「そのあと、少しお時間をいただけますか?あっでも、もし不都合でしたら……」 「あ、平気ですよ、もちろん」 「……よかった、では打ち上げと行きましょう。俺もそのときまでに覚悟、 決めてきますから」 「ええ、楽しみにしていますね」  乗らないのか、と言いたげな運転手さんの威圧感に、二人の会話は途中から 早足になってしまいました。私はといえばプロデューサーさんと新しい約束が できたことや、それに何しろ彼が元気を取り戻してくれたことに、顔がほころぶのを こらえるのに一生懸命でした。 「では失礼します。おやすみなさい、プロデューサーさん」 「ええ、また明日。直行なので、会えないかも知れませんが」  いつものような挨拶を交わし、タクシーの窓から駅へ向かう彼を見送ります。 途中で何度か振り返り、頭を下げてくれる彼に笑顔で応えながら、帰ってゆく 彼が人ごみに見えなくなるのをずっと追っていました。  別れ間際のプロデューサーさんの笑顔。私の言葉が、少しでも彼の元気に 繋がったのが嬉しくて、ついつい頬が緩みます。明日もこれからも、彼が充実して 仕事に打ち込んでくれることが、事務所でその笑顔に出会えることが、ささやか ながら私の喜びなのです。  信号が変わって車が動き始め、私はバッグから手帳を取り出しました。大切な 約束です、忘れないようにしなければ。 「土曜日の収録明け、ええと………『P』、っと」  一文字のアルファベットに、私を見つめた頼もしい表情が重なります。 「覚悟とか言っちゃって。気合い入ってたなあ、プロデューサーさん」  そこで、ふと疑問が湧きました。プロデューサーさんはなにを、あんなに 思い詰めていたのでしょう。少し考えて、彼の想い人のことを思い出しました。  ひょっとしてプロデューサーさんは、彼が恋している誰かに胸の内を告げる 決心をしたのではないでしょうか。  だとしたら、喜ばしいことです。あのサンタクロース代理人さんは、きっと 素敵なプレゼントを届けることになるのでしょう。それが誰かはわかりませんが、 今度の土曜日には明らかになるでしょう。  私はプロデューサーさんの楽しいお話を思い出しつつ、手帳に記したPの文字を 見つめるのでした。 ……。 「あれ?」  ふと気づきました。来週の土曜日……この日って。  ――あわてんぼうのサンタクロース、『もいちど来るよ』と帰ってく。  12月24日……クリスマス・イブ。  降って湧いたように、とある想像が脳を一瞬で占領しました。  まさか、いえそんな、でも、そういえば、いやいや、まさかまさか。 「……えぇえ~?」  自宅へ向かうタクシーの中で私は、どんどん熱を高める頬を押さえながら おかしなうなり声を上げ続けることになったのでした。 おわり

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