ゆとり指南

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 新しい年も明けまして、2月も半ばとなりました。こちら765プロでもアイドルの みなが仕事に学業に精を出す今日このごろ。 「美希さん美希さん、私にゆとりを教えてくださいっ!」 「えーっと……どーゆーイミかな?」  昼下がりの事務所で、なにやら決意の瞳でそう請うのは高槻やよい、訳が わからず首をかしげているのが星井美希。いずれもただいま絶賛売出し中の アイドルの女の子であります。 「あっごめんなさい、わたし、昨日の番組収録ですっごく怒られちゃって」 「へえ?やよいが怒られるなんて珍しいね」  なんでもトークバラエティで張り切りすぎてしまい、他のゲストに迷惑を かけてしまったとの由。ちょうど戻ってきたプロデューサーも苦笑しながら 解説します。 「テーマが節約術だったんだよな。俺もやよいの得意分野で目立てるって 期待してたんだが、期待以上でな」 「お笑い芸人さんがいっぱいゲストで来てたのに、わたしその人たちのお話 取っちゃったみたいで」  若手芸人の貧乏話というのは言わば様式美であります。やれ小麦粉だけで 1週間生き抜いた、アパートを追い出されて青テントから営業に出かけた、 その夜の食事にありつくためだけにナンパの腕が上がったなどなど、悲惨な話を 笑いに変えて繰り広げる話芸の見せ所と言えましょう。 「あ、わかった。やよいの話のほうがレベルが高かった?」 「ピンポン。お笑いの話はどうしてもネタ重視だろ、笑いは取るんだがその すぐ後にやよいがためになる話をするもんだから」 「ミキはやよいのおトク情報、好きだよ?」 「そこはいいんだよ。でも情報番組じゃなくバラエティなんだから、バカな話や 失敗したネタで笑いも入れなきゃならないだろ」  収録した番組的には情報の面では充実した濃い作品になりましたが、観客を 笑わせるために呼ばれたゲストが不完全燃焼で終わったしまったのだそうです。 「それでわたし、ディレクターさんに『もっとゆとりをもって、まわりの空気を 読んでくれなきゃ』って言われちゃったんです」 「笑い混じりだったし、ニュアンス的にも怒られた感じじゃなかったんだけど、 いつまでもワガママが通用する世界じゃないしな」 「だからゆとりを勉強したい、っていうコト?」 「はいっ。美希さんっていつもおちついてて、わたしだったら収録前には絶対 はわわーってなっちゃうのに控え室で仮眠とってたり、わたしもいっぱいがんばって 美希さんみたいになりたいなーって思ったんです!スタッフさんたちからも ゆとりがあるとかゆとりがあるいてるとか言われてて、ほんとすごいなーって!」 「えーっと……後半ほめられてないっぽいの」 「美希さん、わたし真剣なんです!どうしても美希さんのゆとりを身に着けないと、 わたしお仕事干されちゃうんですっ!」 「そ、それはオーバーだよ」 「そうなったら家にお金入れられなくなっちゃうし弟たちも小学校やめて働いて もらわなきゃなりません!それもこれもわたしにゆとりがないからなんです、 ごめんね長介、うわあああああん」 「……やよいにナニふきこんだのハニー」 「何も言ってないよ。それにハニーと言うな」 「ともかく、今のやよいを見てたらなるほどゆとりのひとつもあった方がいい っていうのは、さしものミキにもわかったの。いいよやよい、ミキがしっかり ばっきり、ゆとりのゴクイを教えてあげるから!」 「ほんとですか美希さん!ありがとうございます!わたし、死んじゃうくらいの 気持ちでがんばりますっ!」 「……まず最初に肩のチカラ抜くとこから始めよっか、やよい」  とまあそんなわけで、やよいのゆとり修行が始まりました。 「みんなはミキがただ単にサボってるだけって思ってるみたいだけど、あれは 実はそうじゃないの」 「俺もただサボってるだけだと思ってた」 「ちっちっち、ハニーもまだまだだね。みんなが思ってるようなゆとりは 『駄ゆとり』といってフーリューのかけらもないんだよ」 「風流ときたか」 「うっかりすれば人さまに失礼になるものを、タイミングと空気を読みながら 可愛げのあるしぐさに変えて、しかもこちらは体を休めて精神を集中させる という、それがミキのゆとりのシンコッチョーなんだよ」 「ふええ、美希さんすごいです!」 「正当化ここに極まれりだなオイ」  プロデューサーは渋い顔をしてみましたが思い返してみるとなるほど、 美希のあくびや昼寝は制作陣や共演者に悪くとられたことがありません。以前も 大女優との共演時にやらかしたものの、青くなるスタッフを尻目に『うふふ、 美希ちゃんってかわいいわね』などと許容の言葉を頂戴し、結果的に番組の質 まで上がったという逸話すら持っているのです。 「ふむ、まあ確かにやよいは収録に臨んで力が入りすぎる部分もあるな。今までは まず自分の全力を出すのが最優先だったが、コミュニケーションの絡む仕事が 出てくると落ち着いて周囲を見定める余裕も欲しいとは考えてしまう」 「ゲーノー人なんだから自分が頑張るのなんか当たり前って思うけど、他の タレントの人がいたらその人にもたっくさん目立ってもらわなきゃでしょ。 今はこの人がしゃべる番、今は自分がイケイケなとき、みたいな」 「適材適所ってことだな」 「みんなが楽しい方が番組も楽しいですよね」 「他の人の持ち場の間こそ、ゆとりの持ちどころなんだよ。リラックスする ことで自分の出番を見極めたり、番組の流れを感じとってテキカクな話題を 振る準備したり」 「なるほど、緊張してたらそんな余裕ないもんな」 「もっと慣れてくると律子のお説教の最中に話を聞かないというスゴ技も」 「それはダメだろ」  そんなこんなで何日かが経ち、美希がやよいの師匠となって修行のほうも だんだんと形になってまいります。今日は実地訓練ということで、番組収録の ためにテレビ局にやってきました。  リハーサルの方はつつがなく終了いたしまして控え室に戻った一行、美希が 口火を切りました。今こそゆとりを持つときだ、と言うのです。 「じゃ、ミキがちょっとやってみるね。題して『本番収録前のゆとり』」 「はいっ」 「本当に本番収録前だし、やよいの身になりやすいかもな」 「歌でもお芝居でも、本番だからってキンチョーすることはないんだよ。それまで やってきたレッスンやリハーサルを、そのまま出せればそれでいいんだもん」 「なるほど、そうですね」 「そう考えるとだいぶ気が楽になるでしょ、ミキはいっつもそうしてるん だよ。たとえば……」  そう言うとソファに深く腰かけ、お茶のペットボトルを持って目を閉じます。 「もうすぐ収録、準備もオッケー、あとはスタッフの人が呼びに来るのを待つだけ ……こうやって空調の効いた控え室で、ゆっくりお茶でも飲みながら、これからの ステージのこと考えてると、楽しみで、楽しみで……あふぅ、ならないの」  それは見事な、しかもたいそう可愛らしいあくび。固唾を呑んで見守っていた プロデューサーたちも一瞬、軽い眠気に誘われたほどです。 「なるほどこれか。だが美希、言っとくが寝るなよ」 「いーじゃん、ハニーのケチ」 「ハニーと言うなと」 「ね?やよいもやってみなよ」  そう促され、やよいも美希に並んで腰かけました。 「は、はいっ!えっと、本番前であとはスタッフの人が呼びに来るのを待つだけ、 こうやって空調の効いた控え室で……って、スタジオが寒かったらどうしよ、 電気代ももったいないしやっぱりスイッチ切って」 「横道にそれてるよ、やよい」 「はわっ!……お、お茶ですねそうでしたね、……でもこのお茶ってテレビ局が 用意してくれるペットボトルですよね、わたしいつも飲まないで家に持って 帰ってるんですけど」 「飲んで!今日は飲んで!」 「わ、わかりましたぁ……んく、んく、ふぅ、おいしいですー。あ、なるほど、 なんだかほっとした気持ちです」 「うんうん、本筋に戻ってきたよ」 「あっでもキャップとパッケージは分別しておかないと」 「そういうのは収録後でいいの!」 「ふぇ?じゃ、じゃあ次はえっと」 「ここ一番のキモだぞ、やよい!」 「やよい、これからの収録のこと考えるんだよ」 「はっ、はいっ!そうですよね、わたしは今日のためにレッスンもいっぱい がんばりましたし、いまのリハーサルもNG出さずにできました」 「でしょ?やよいが心配することなんか、なーんにもないんだよ」 「あとは本番で、練習の成果を思う存分出すだけです。スタッフの人が呼びに 来てくれるまで、こうやって空調の効いた控え室で」 「うんうん」 「ゆっくりお茶を飲みながら、これからの収録のこと考えると……楽しみで、 楽しみで……」 「あと一息だよ、やよい」 「楽しみで……うっうー!なんだかめらめらーってしてきました!今日は すっごくいい番組になりそうですっ!」 「っ、えええ~?」  ま逆のテンションになってしまったやよいに驚く間に、聞こえてきたのは ノックの音。 「高槻さーん、巻き入りました、10分で本番です」 「あっはい、いま行きますっ!」  ADの声に、ばね仕掛けのように立ち上がりました。 「えっちょっ」 「や、やよい?」 「美希さんありがとうございます、わたしすっごくリフレッシュできました! これなら本番も、ばばーんってうまくできそうですっ!」  言葉を失う二人に言うだけ言うと、満面の笑みで右手を高く差し上げます。 「うっうー、ハイ・ターッチ!」 ぱん、と軽やかに掌を打ち合わせ、両腕を大きく振って最敬礼。 「じゃあプロデューサー、美希さん、わたし力いっぱい頑張ってきますねっ!」 「あっはいなの」 「お、おう、思う存分やって来い」  心のゆとりなどどこへやら。  風をも切らん勢いで部屋を飛び出してゆきました。呆気にとられた二人は 完全に置き去り状態であります。  少したって、ぽつりと美希がつぶやきました。 「……ハニー、やよいにゆとりの道はやっぱりキビシーってミキ思う」 「俺も思ったわ。あとハニーって言うな」 「タチに合わないっていうか、スジが悪いっていうか、ね。やよいはあんなふうに 全身にチカラ入りまくりなのがいいんじゃないかな。こないだみたいに失敗も あるのかもだけど、ミキ的にはそれもやよいらしいんじゃないかって思うよ」 「ああ、そうかもな」  人の個性なんてものは、一朝一夕でほいほい変わるものではありません。 美希には美希の、やよいにはやよいの十数年の成長が、彼女たちの彼女たち らしさを形作っているのです。大先輩の鼻先であくびをかますのもそう、芸人 渾身のネタにも負けず実生活に役立つ知恵を披露するのもそう。 「前のだって怒られたんじゃないって言ってたよね?やよいはああいう子、って みんなわかってるんでしょ?ほんとは」  美希が尋ねると、プロデューサーはばつの悪そうな顔になりました。 「やっぱりー」 「すまん。そうは言っても緊張をほぐすスキルは持ってて損はしないんで、 美希に、ちょっとだけ力を借りようと思ったんだ」 「むー、ヒドーイ」 「ごめんな。美希じゃないとできないことだったからさ」 「そんなふうに言われたら怒れないよ。ハニーってやっぱりズルイの」  そんなことを言いながらプロデューサーにしなだれかかります。負い目の あるプロデューサーもさすがに無下にはできません。どっかりソファに腰を 下ろし、二人で控え室のモニタを見つめました。 「お、収録始まるな」 「それでね、ミキちょっと思ったんだけど」 「なんだ?」 「ハニー……やよいについてなくていいの?」  美希の言葉に応ずるごとく、部屋の扉に矢のようなノックの音。その上さらに、 先ほどのADと思しき慌て声がかぶさります。 「あ、あのっ、まだ中にいらっしゃいますかっ?さっきから『プロデューサーが 来ない』と、高槻さんが困っていらしてっ」 「……あ、やっべ」  それはそうでしょう、やよいのプロデュースに同道してきたわけですから、 ステージ脇で細かい指示を出さねば具合がよくありません。 「あはぁ」  青くなるプロデューサーに、嬉しそうに微笑む美希が言いました。 「なあんだ、ハニーの方がスジがいいの」 おそまつ

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