無題7-290

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 事務所に戻ると、美希がソファの上で寝ていた。  ごろんと背を向けてくぅくぅ寝息を立てているその姿は、髪の毛のボリュームも相まってともすれば金色の毛虫にも見えて少し不気味である。  少しだけ膝を曲げて、背を丸めて、シャツがめくれて素肌が見える。 「風邪引くよ」  手近なところに毛布が見当たらなかったので、着ていた上着を代わりにかぶせた。  どうせ暖房も入れるし、そろそろ少しずつ温かくなってきたおかげで普通に行動している分には問題ない。  ただ彼女みたく背中がちろりと見えていると寒いのではないだろうか、との配慮である。  あと、万が一担当アイドルに風邪引かれると私が困る。下げなくて済むなら、あまり頭は下げたくない。 「しっかしまぁ元気に寝てること」  もこもこ金髪に隠れる寝顔は、良い夢でも見ているのか満面の笑みだった。  時折口元がもごもごと動いて、何か食べているのか喋っているのか。はにぃ、と動いた気がした。はちみつだろうか。 「ほっぺたもちもち。肌すべすべ。うらやましー」  無性に腹立たしくなって頬を突く。  ぷにぷにつるつる。弾力抜群で肌触りも良好なそのほっぺは、癖になりそう。  自分が若い頃はどうだったかしらねぇ、と思いながら、無意識のうちに空いている手を自分の頬に添えていた。  かさ、っとした感触に、私は泣きそうになった。 「人が必死で駆けずりまわって仕事探してるってのに、この子はもう……」  腹立ちがエネルギーへと変換され、頬を突く速度が上がる。  ぷに、から、ぷにぷに、へ。  ぷにぷに、から、ぷにぷにぷにぷに、へ。  寝苦しそうに少しずつ顔を顰めた美希は、連打速度が高橋名人もかくや、といったところまで上がった所で、鬱陶しそうに私の手を払ってのそのそと起き上がった。  ぱさり、とかけていた上着が床に落ちた。美希はそれを気にすることもなく、眠たげに眼を擦りながら、 「……おにぎりとハニーがいないの」 「おにぎりとはちみつとはまた斬新な組み合わせね」  しかも『いない』って。アレらはいつから食い物からランクをあげたのだろう。 「あふぅ……。もうひと眠り……」 「起きたなら話したいことがあるから、寝ないでもらえると嬉しいんだけど」 「んー、なぁに?」  床に落ちた上着を叩いて埃を払い、デスクに放り投げて、鞄から書類を取り出す。 「ミキ、スーツはもう少し丁寧に扱うべきだって思うな」 「いーのよ、やすもんなんだから。それよりお話、お話」 「おもしろい話?」 「お仕事の話」 「おやすみなさいなの」  背を向けごろん、と横になった金髪の尻尾を思い切り引っ張る。  美希は、この世のものとは思えない程甲高い悲鳴を上げて飛び起きた。 「痛い痛い痛い!」 「ほぉら、ちゃんと座んないともっと痛くなるわよー」 「ヤ! 座るから、座るから放して!」  涙声の嘆願に応じて尻尾から手を放した。  何本か抜けた髪の毛は掃除の手間になるから手のひらで丸める。あとでゴミ箱に捨てるとしよう。  美希は、うぅー、と唸りながら涙目で私を睨みつけた。 「……アイドルに手を挙げるなんて、プロデューサー失格だと思うな」 「毛繕いよ。あるいはコミュニケーション。何も問題は無いわ」 「へりくつぅー……」 「律子も呼ぼうか?」 「お仕事って、なに?」  名前を出しただけで態度が改まった。神様仏様律子様である。 「またちっちゃな雑誌のグラビア?」 「そー」 「ミキ、早くテレビとかCMとかに出たいの」 「まだまだ駆け出しなんだから、ちっさいことからコツコツと。はい、読んでおいてね」 「うぅ、文字ばっかりで頭痛くなりそう……」  差し出した書類に、いやいや目を通す美希を見ながら、私はふと思う。  よくもまぁ、こんな文句ばっかり言う子をプロデュースしているものだ、と。  私と同時期に入社した彼は、菊地真、萩原雪歩、如月千早という三人を見事トップアイドルへと導いた。  アイドルを引退した後プロデューサーへと転身した秋月律子は、竜宮小町というアイドルユニットを編成し、今やテレビに舞台にライブに雑誌に引っ張りだこである。  私たちが入社するまで一手にプロダクションを支えていた先輩は言わずもがな、最近高槻やよいという少女をどこかからスカウトしてきて、既にランクCに手が届きそうだという。  それに対して、私は。  眉毛をハの字にしながら、眠たげに書面を動く美希の瞳を見つめる。  猫の様に気紛れな瞳。眠ったり笑ったり怒ったり泣いたりくるくると表情を変えるその綺麗な目。 「……そういえば、それに魅かれたんだっけ」 「何か言った?」 「何でもないわよ」  不思議そうに小首を傾げる美希に、苦笑を返した。  第一印象は最悪だった。  なんか甘えたこと言っているし、お世辞にもやる気があるとは言えないし、こちらを敬う気は微塵も見られないし。  最近の若いもんは、なんて年寄り気取ってぶちぶち文句を言いながら、それでも何とか距離を縮めようと必死に話題を振っていた時。  彼女が言った。 『ミキね、もっとキラキラ輝きたいの』  そういった時の彼女の眼が、いつもの眠たげで気だるげなものではなく、どんな煌びやかな宝石よりも美しく輝いているのを見て。  社長風に言って、ピン! ときた。 ――簡潔に言えば、惚れた、のだ。彼女のその瞳に。 「……お腹空いたの」 「おにぎりあるよ。お昼の残りだけど。食べる?」 「本当!? 食べる!」  鞄からちょっと形の悪い、少し硬くなったおにぎりを取り出す。  嬉しそうに包みを開けて被りついた美希は、次の瞬間渋い表情になった。 「……これ、何が入ってるの?」 「栄養剤とかサプリメントとか」 「……ざんしんだね」  それでももぐもぐと食べる辺り、おにぎり好きは筋金入りだ。  机の上に放り出された書類を片付けながら、思う。  未だに甘ったれたこと言ってるしやる気にムラがあるし時々そこの人とか呼ばれるけれど。  いらいらしたり喧嘩したりすることもあるけれど。  ピン! ときた感覚を、私は信じる。  この子は、絶対、トップアイドルになる。 「……ねぇ、美希」 「なぁに?」 「頑張りましょうね」  美希は最後の一口をもぐもぐごっくんと飲み込んだ後、 「頑張るのはミキじゃなくってプロデューサーなの。ミキは天才だから頑張らなくてもすぐにトップに行けるし」 「てめぇこのやろう」  生意気言う美希の尻尾を引っ張りながら、思う。  早くこの子が、才能を存分に発揮できるように。  早くこの子が、キラキラ輝けるように。  頑張ろう。  頑張らなきゃ。  ……頑張ろう、ね?

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