金色のHEARTACHE

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 同級生の星井が……星井美希が髪を切ってきたときのクラスの動揺といったら、 並大抵のものではなかった。  その朝、星井のいつもと同じ「おっはよーなの」という声に返されたのは おおよそひとクラス分の「ええええっ!?」というどよめきだった。おおよそ、 と言ったのは、僕を含めてひと声も出せなかった奴らがいたからだ。  いつもと同じに始業ギリギリでやってきたので彼女に質問をする時間はまったく なく、10秒後に始業のチャイムと一緒にホームルームを始めようと入ってきた 担任が一瞬の絶句のあと、「おぉ、すっきりしたな、星井」と言い、「えへへ 先生、似合う?」と答えたのが唯一のプライベートトークだった。ホームルームの あとの休み時間はもちろん女子による囲み取材で、星井の左斜め後ろの席にいる 僕は気弱でバカ正直な自分の習慣にこっそり感謝しつつ、次の現国の予習を するフリをしながら星井の声に耳を大きくしていた。 ──美希、いったいどうしたの?その髪! ──うん、ちょっとイメチェン。どうかな。 ──かわいいよ、すっごく!……でも、ほんとにそれだけ? ──なんで? ──ほら、美希こないだも休んでたじゃん。まさか、失恋、とか? ──きゃははは!ないない、ないよぉ!  星井の声はいつものように光り輝くみたいに明るくて、本人が言ってるとおり 漫画やドラマで見たみたいな『失恋して髪を切った』とかじゃないのは本当 だろうと思えた。この日の星井は一日中女子に囲まれていて、僕だけじゃなく 男子は一人として彼女とまともに話すチャンスをもらえなかった。  星井美希は、今やもう結構有名なアイドル歌手だ。春にデビューしてから ずっと同期のアイドルたちから頭ひとつ抜き出していて、歌やドラマやCMで たくさんのファンを集めた。僕やクラスメートたちは言うに及ばずってやつで みんな我先にファンクラブに入ったし、夏休みのコンサートにはでかい旗を クラスで作って会場に行った。星井はどんどん有名になっていってもちゃんと 学校に来ていたし(中学は義務教育だから、さすがのアイドルも授業には出な ければならないのだそうだ)、授業中はいつも眠そうで先生たちも容赦なく チョークを投げたりしていて、教室にいるときの星井はアイドルになる前の 星井と全然変わらなかった。  それが、その星井が、急に変わった。  いつもなら授業中はもちろん休み時間だって眠そうで、昼休みの半分は目を 閉じている奴だったのに、今日は仲良しの何人かとどこかへ遊びに行った。その 授業にしたって自分から手を挙げて、黒板の前で問題を解いたりしていた。もともと テストの点も悪くない星井が、鉛筆ころがし以外でも勉強ができると証明した 形になったわけだ。  5時間目の英語は出席番号順で星井が教科書を朗読する番で、2ページびっしり 書いてある英語詩を見事に読みこなして先生に誉められ、実は来月から始まる 舞台のセリフにここんとこが丸々あるの、みんなもせんせーも観に来てねっ、と ちゃっかり宣伝までしてのけた。  授業が終わると一緒に帰ろうと誘う友達を断って、図書室で調べたいことが あるからと一人で意気揚々と教室を出て行った。 ──どうしたんだろ、美希。すっごいジュージツしてる感じ。 ──でも、あそこまで変わるとちょっとリカイシガタイーって思うけど。 ──うーん。実はほんとに失恋だったり? ──この前なんとかいう人と雑誌載ってたよね、アレ?それで仕事に打ち込んでるの? ──えー美希かわいそー。  口々に勝手なことを言いながら帰ってゆく女子を見送り、僕はため息をついて 立ち上がった。その雑誌に載ってたのは同じ事務所の、しかも同じ女の子のアイドルだ。  話題の中心人物がいなくなってぱらぱらと人の減ってゆく教室を出て、僕は 屋上に向かった。コミュニケーションホールが新校舎にできてからは、屋上は ほぼ僕の独占地帯になっていた。  カバンから読みかけの本を出して、いつもの段差に腰を下ろした。読書という より、星井のことを考えたかった。  本を開くことさえせず、ぼんやりと宙を見上げてため息をついた。 「はあ」 「あふぅ」 「えっ」  すると、それに応えるみたいに声が聞こえた。驚いてあたりを見回すと……。 「星井?」 「アタリなの」  貯水タンクの隣の管理小屋、その屋根の上から彼女が顔を出していた。 「え、なにしてんだよ。図書室行くってさっき」 「えへー。ウソでしたー」 「なんだよそれ」  こっち来なよ、と誘われて、裏のはしごを使った。屋上のそのまた屋上で 腹ばいに寝そべる星井は靴と靴下を脱いでいて、制服のスカートから伸びる 素足にどきりとした。 「他にここに来る奴なんていないって思ってたから、びっくりした」 「ミキもー。知らない子だったら黙って寝てよって思ったんだけどね。なに してたの?」 「時間つぶし。親が帰るまで1時間くらい暇なんだ」  もともと人混みは得意じゃないし、友達と遊ぶには半端な時間ができた時は ここか図書室で本を読んでいるんだ、と説明した。 「あれ、ミキが図書室行くって言ったから、みんな来ちゃって混んでるって 思った?ごめんね」 「いや、まあ天気よかったしこっちに来るつもりだったけど。それより星井は、 いいの?」 「いいもなにも、まいて逃げて来たんだもん」 「ええ?」 「もー、みんな取材攻勢キビしすぎるよー。雑誌の人とかよりスルドく突っ込んで くるしさ」  図書室うんぬんは口実で、教室を出たあと猛ダッシュで後続の友達をぶっちぎり、 ここまで逃げたのだそうだ。レッスンより疲れたよーお腹すいたよー、文句を言う 星井に苦笑しながら、ふと思い立ってポケットを探った。 「のど飴あった。食べる?」 「スースーするやつ?」 「しないやつだけど、ライム味だからちょっとすっぱいかも」 「食べる。ありがと」  くるりと包み紙をむいて、ぱくりと口に投げ込んで、にこりと僕に笑う顔。  いや、飴に、かな。 「星井は、人気者だからさ」 「ん?」 「みんな、星井のこと興味あって、その星井が急にイメチェンして、しかも 授業とかでもいつもと全然ちがってさ。だからどうしたのかって思って追いかける んだよ」 「えへへ、ミキ、前と変わった?変わって見えた?」  僕の言葉のどこかが気に入ったみたいで、嬉しそうにそう聞き返してきた。だって 今日は一度も寝なかったじゃん、と言ったらますます笑い顔が大きくなる。 「でもねー、ミキ一日で疲れちゃった」  その笑顔を急降下させてそう続ける。 「今までラクして生きてきたけど、やっぱり急に変わるのは大変なの」 「変わる……?」 「ほら、ミキいまアイドルしてるでしょ。やっぱ、どうせやるならイチバンって 思ったんだ」  星井は芸能人になってから、いろいろな出会いがあったと言った。その出会いを 大切にするには、アイドルとしての成功で恩返しするのがいいと考えたのだそうだ。 「週末に『今から変わる』って宣言して昨日カミ切ってきて、アイドルも学校もチョー 頑張ろうって決めて。えっとね、頑張るのは楽しいし全然いいんだよ、でもね」 「今日みたいに、友達とか?」 「んー……うん。そかな」  ホントはそれもカンシャしなきゃなんだけどね、と、いたずらがばれたみたいな 顔で笑う。  その笑顔を見ていたらたまらなくなり、つい言っていた。 「……変わらなくたって、いいのに」 「え?」 「……僕はさ」  僕は星井に、へとへとになるようなファンサービスをして欲しいわけじゃなかった。 「今の席になってから、星井の斜め後ろから、星井を見てるのが楽しかった。いつも 授業中でも堂々と寝てて、それでもテストでは僕よりいい点取る星井がすごいなって ずっと思ってた」  相当ユルい学校で髪の色変えてる奴はいっぱいいたけど、星井くらい気合いの 入った金髪はさすがにいなかった。もちろん当初は先生たちの目の敵で、特に 担任や生徒指導は星井がなにかしでかすに違いないっていう目をしていたのが 許せなかった。 「体育の授業だって平均よりよっぽどいい成績だし、それでもお高くとまったり しないでみんなと楽しくふざけてる星井のこと、すごいって思ってた」  アイドルになるって決まったときもお父さんお母さんと、担当の事務所の人が みんなで学校に来て、かなり長い時間先生たちと話していた。 「その上、アイドルだなんて。星井は、もう充分頑張ってるじゃないか。だから これ以上変わるなんて、必要ないって思うんだ」  自分の選んだ道とは言え、辛い苦しい思いまでして、必死になる彼女を見るのは 耐えられなかった。  僕はただ、好きなことをやって楽しそうにしている星井を見ていたかったのだ。  そこまで一気にしゃべって、息をついだ。 「ふうん」  星井は黙って聞いていてくれて、そのあと僕に向き直って、目を弓なりに細めた。 「ありがと。ミキね、そう言ってくれて嬉しいな。でも」  ……『でも』。 「でもミキね、見たいって思っちゃったんだ。アイドルのトップってどんな なのかな、って」  星井は、どんどん有名なアイドルになってきている。歌やドラマでテレビに も出ているし、この前はなんとかいう賞を受賞していた。  でももちろん、まだまだ上がいる。 「プロデューサーとね、いっぱい話し合ったんだ。ミキならできるって言って くれたし、プロデューサーもそこまで連れて行ってくれるって約束してくれたの」 「プロデューサー……デビューするとき学校に来た人?」 「うん。だからね」  その、プロデューサーの顔を思い浮かべているのだろう、星井のその顔はとても 楽しそうで、とても嬉しそうで。 「だからミキね、もっともっと頑張りたいなって思うんだ」  とても、とても幸せそうだった。 「そうなんだ……ああ、そうか」  そうか。本当に、失恋じゃなかったんだ。 「そうなら、さ。そうなら僕は星井のこと、応援するよ。星井がいつの日にか、 トップアイドルになれるように」  僕は、その笑顔に負けないくらい明るい笑顔を浮かべ、そんな風に星井を励ました。 「えへへ、ありがとなのっ」  星井は嬉しそうに笑って、そろそろ事務所行くね、と言った。収録?と聞くと、 今晩の生放送で新曲を発表するのだと答えて、サビのところを聞かせてくれた。 「……あのさ」 「ん、なに?」  素足のままで靴を履いて、靴下はどうするのかと思ったら鞄に突っ込んで、 屋上から降りようとする星井に声をかけた。 「あの……今の歌、CD出たら買うよ。タイトル、なんていうの?」 「まいどありー、なのっ。『思い出をありがとう』だよ」  元気に降りてゆく星井に手を振って、僕はまた屋上に腰を下ろした。星井が 振り返らないでよかった、と思いながらポケットをまさぐり、ハンカチを取り出した。  ぼんやり下を見ていたら、茶色いショートカットが校門へまっしぐらに 駆けて行くのが見えた。少し離れた路上に車が停まっていて、星井の顔は そちらを向いていて。それ以上は視界がぼやけてよくわからなくなり、手探りで ハンカチを丁寧に折りたたんだ。  記憶の中の長い金色の髪を思い出しながら、僕はハンカチを目に押し当てた。 おわり

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