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「はい。これならもう、飛ばされることはないわ」 そんな千早の声を聞きながら、空を見上げていた。 雲ひとつ無い、美しい夕焼け。忙しくて、ずっと見ていなかった景色。 そこに溶けていく青は、ずっと彼の手の中にある筈だった青。 0.138の比重は、天然ゴム製の洋梨形を押し上げていくヘリウム。 彼とは誰だ。あの子か、俺か。球体は、赤に溶けゆく。 じゃあね、と声が聞こえる。ばいばいと声が響く。 さよならの挨拶に意識を戻せば、隣には彼女の姿があった。 「ただいま戻りました、プロデューサー」 「ああ」 珍しいなと思う。歌うことが全てだと言っていたこの娘が。そう思ってすぐに、考えを改める。これはこの娘の成長だろう。ならばそれは、喜ぶべきことだ。 千早は成長していく。その姿はあの風船のようで、ふと空を見上げた。真っ赤な空、夕暮れ。あった筈の青は、どこへ行ったのだろう。 「どうかしましたか?」 そんな質問に、苦笑が漏れた。いや、と返す。 「なんとなく、あの風船が千早に見えた」 「私、あんな体型じゃありません」 苦笑が笑みに変わるのを実感し、そうじゃないよと否定する。拗ねるような表情も、きっと成長の現れだ。 「昇っていく風船と、あの子の手の中にある風船とを見比べて思った。千早なら、あっちだ」 空を指差す。そこにはもう、あの風船はないけれど。それでも千早と空を見上げる。 「飛ばない風船より、どんどん昇っていく風船の方が私らしい、ですか」 「ああ」 視線を千早に送れば、まだ空を見上げたままの顔がある。何かを考えるような表情に、声を掛けるのは躊躇われた。 聞こえてくる笑い声や叫び声、全てを振り切って物思いに耽る少女。なかなか絵になると、そう感じる。 「確かに、プロデューサーの言う通りかもしれません」 「そうか」 「はい」 すぐ隣を、笑い声がふたつ駆けていく。手には風船、緑と赤。手を離せば飛んでいってしまう、0.138。 「私は、もっと昇っていきたいと思いますから」 相槌を打つ。視線は再び空へ。 「これまで、本当に多くの人たちに歌を聴いてもらいました。でも、もっと先があると思います」 「だから、俺の言う通りだと?」 そうですね、という返事。 「私はきっと、どこまでも飛び続けたいんだと思います」 「なら俺は、いつかお前を見送らないといけないな」 そんな言葉が吐いて出る。女々しいなと自嘲の笑みが漏れ、しかしそれは、確かに本心だ。 「きっと俺は、千早についていけなくなる。あの風船みたいに、届かなくなる」 それは、言ってはならない事だったと思う。それは甘えで、もしかしたら彼女の成長を妨げる一言。しまったと思うが、もう遅い。 千早の雰囲気を気に掛けるが、別段変化はないようだった。代わりに呼気が漏れる。 千早の笑顔がそこにあって、笑うなよと制すれば、すみませんと笑み混じりに返される。 彼女が続ける。 「プロデューサー、勘違いしてますよ」 「何がだ」 「風船は、風船だけでは飛べないんですよ?」 年相応の笑みと共に、紡がれる千早の言葉。 「風船の中にヘリウムがあるから、遠くへ飛べるんです」 「・・・え?」 いいですか、と千早は人差し指を掲げる。 「もし私が風船なら、プロデューサーはヘリウムです。プロデューサーが、私を遠くへ飛ばしてくれるんです」 一瞬、言葉を紡ぐことができなかった。 呆然としたと思う。目を見開いたかも知れない。 掬い上げられた気がした。この、自分よりもひとまわり小さな少女に。 考えれば、こじ付けのようだ。千早が俺に同情してくれたのかとも思う。 だがそうでない証拠に、満面の笑みを浮かべた少女が居る。本当に、救われた気分だ。 嬉しさを感じて、気恥ずかしくなったので俯く。 この話は、もう終わりだ。 「・・・つまり俺はヘリウムのように軽い男だと」 「え?あ、そういうことでは」 途端に慌てだした千早に追い討ちを掛ける。 「ああ、俺、こんなにも千早に一途なのに。そんな男だと思われていたなんて・・・」 「い、いえ、だからそういうことではなくてですね、その、えっと」 必死に解説を試みる千早の声を聞きながら、忍び笑いを浮かべる。幸せな気分を抱きながら、事務所を目指した。 この娘が風船で、俺がヘリウム。その表現は間違っていないのだと、そう思えるように。だから明日も、明後日も、その後も、この娘を飛ばし続けようと思う。

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