北風と太陽


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「こんばんは、やよい様。いつも伊織お嬢様がお世話になっております」
「あっ。伊織ちゃんちのヒツジさん。こんばんはー!」
「いかにも。私めは伊織お嬢様の従順たる羊にして、執事の新堂でございます。
 伊織お嬢様をお迎えにあがったのですが、未だ熱心に残られているようですな」
「えっと、そうなんです。……新堂さんって、じゅうじゅんな執事さんなんですか?」
「はい。伊織お嬢様のためならば、たとえ火の中水の中でございますよ」
「あっあのっ! じつは伊織ちゃん、プロデューサーと大ゲンカしちゃったんです。
 それで火の中水の中より大変になっちゃって。新堂さん、なんとかできますか?」
「なんと。それは一大事ですな。やよい様、私をそちらへ案内していただけますか」

「プロデューサー! プロデューサー! 立てますか? 大丈夫ですか?」
「痛たたたたっ。……うううやよい、俺はもうダメだ。弁慶の泣き所を左右ともやられた」
「なんというひどい有様。それで、伊織お嬢様はどちらに?」
「おそらくロッカールームだと思います。帰り支度をしてくるって言ってましたから。
 新堂さん、すいません。俺が失言したばっかりに、伊織の機嫌は最悪です」
「伊織お嬢様は、ときに厳しくも優しいおかた。誠意をみせれば、必ずや許してくれましょう。
 逆鱗にふれた理由がわかれば、我々の手でなんとかできるやもしれませぬぞ」
「プロデューサー。伊織ちゃんと仲直りしましょう。私も新堂さんと一緒に、仲直りのお手伝いします!」
「そりゃ助かるよ。何しろカンカンでさ。俺の弁解には耳もかしてもらえないんだ。
 なあやよい。今から俺に代わって、ひとつ伊織に伝えてきてはもらえないかな?」

「あ、いたいた。伊織ちゃーん」
「なによやよい。私もう帰るんだけど。新堂、今日はまっすぐ家に帰りましょ」
「プロデューサーがね、『これから皆で晩ご飯食べにいかないか』って」
「ふんっ、行かないわ! 今更ゴキゲン取りなんてされても、遅いんだから」
「それがよろしゅうございますよ、伊織お嬢様。
 夜遅くまで出歩いて、翌日のお仕事に差し支えがあってはなりませんからな」
「プロデューサーがね、『さっきのお詫びに、屋台のおいしいラーメン屋さんに連れていくぞ』って」
「だったら、やよいだけ連れてってもらえばいいじゃない。……そんなところ、私は行きたくないわっ」
「それは賢明な判断でございますよ、伊織お嬢様。
 野外の風に長々とあてられるような場所で、お風邪でも召されたら大事ですからな」
「伊織ちゃんも知ってる屋台だよ。ランニングの途中で、おいしそうなギョーザの匂いがしてきたところ」
「ああ、あれね。……なっなによ、今さらそんな美味しいものを出されても、つられないんだから!」
「おっしゃる通りでございますよ、伊織お嬢様。ラーメンでしたら、本場の品が一番でございます。
 安っぽい屋台の、かたい椅子の上で、貧相なラーメンをすすっても、ちっとも面白くはありませんぞ」
「あの、あのね。伊織ちゃん」
「もうっ。今度はなによっ」
「私ずっとね、あのラーメン屋さんで、3人でラーメン食べてみたいなーって思ってたの。
 プロデューサー、先に行ってるって。席も取っててくれるって。だから、あの、あの……」
「やよい!」
「はわっ!?」
「……あのお馬鹿なプロデューサーは、ちゃんと、新堂の席まで取ってくれてるんでしょうね!」

「ああ、おいしかった。太っ腹な誰かさんにご馳走してもらうと、ラーメンのおいしさも一層増すわね」
「本当によく食ったな……やっぱり、そんなに食うから衣装がきつくなってチャックが――ごふっ!?」
「お、おいしかったね伊織ちゃん!」
「じ、じつに絶品でしたな、伊織お嬢様!」
「ええ! またみんなでラーメン食べにきましょ。もちろん次もプロデューサーの奢りでね♪」


脇腹を押さえて悶絶するPと、強すぎた肘鉄に何度も頭を下げる新堂さんを置いて
すっかり満腹になった伊織は、やよいを連れてさっさと車に乗り込みました

北風を追いやって後部座席へと流れ込んできたのは、この上なくやわらかな陽だまりの空気でした