ボクノメガミ後編


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 翌日の日曜日、僕は二つ隣の駅のデパートに来ていた。
「屋上って言ってたけど……あ、これだ」
 3本の路線が交差するターミナル駅の駅ビル、改札を抜けて地下1階をしばらくうろうろして、
目当てのポスターを見つけた。
 『水瀬伊織・新曲発表コンサート』。別のポスターに上貼りされた単色刷りにはこのデパートの屋上
で開催されること、無料であることと、開始時間が判りやすく示されているだけだった。まだ数時間先
の話だけど、とりあえず屋上へ向かうことにした。

 大きなデパートとはいえ、今どき屋上コンサートなんて珍しい。伊織も含めた無名の新人歌手が、
お母さんのお供で連れてこられた子供たちの暇潰しをする程度のイベントだし、新人なら誰でも
通るといったものでもなくなりつつある。僕も小さい頃連れてこられたことがあったけれど、
アイドルが一生懸命歌ってる目の前の客席で、同じくらいの年の男の子と鬼ごっこをして遊んで
いたくらいしか憶えていない。自分が応援しているアイドルが今からそのイベントをするとなって
ようやく、あの時のアイドルの人には悪いことをしたと思った。
 屋上は設営作業の真っ最中で、たくさんの人がステージや客席を組み立てたり、いろいろな
機械をあちこちにセットしていた。先日会ったプロデューサーまでワイシャツ姿で作業に加わって
いる。人手が足りないのだろうか。
「あのっ」
「ん?おお、来てくれたのか」
 近づいて声をかけるとすぐに気付いてくれた。伊織から聞いていたのだろう。
「ありがとうな。なにしろ急な企画だったからファンクラブにも満足に連絡が行ってないんだ」
「いえ。あの、伊織ちゃんは」
「さっき通しリハが終わったところで、休憩中だ。そこいらにいたと思ったが……ああ、あそこだ」
 伊織の居場所を訊ねると、首を巡らして教えてくれた。ストローの突き出たドリンクホルダーを
両手で持ち、設営の終わった客席の片隅に座って舞台を眺めている。
 真剣な表情はちょっと声をかけづらい雰囲気を出している。これがプロというものか、などとよく
判らないながら感心していると、向こうがこちらに気付いた。固い顔つきを解き、軽く笑ってこちらに
歩いて来る。
「おはよっ。来たわね、ありがと」
「お、おはよう」
 昼過ぎだというのにおはようときた。芸能人は夜中でもおはようございますと言うのだ、となにかの
雑誌で読んだのを思い出した。
「けっこう大きなステージなんだね」
「私にはまだまだ小さいわよ。ま、新曲のおひろめにはちょうどいいんじゃない?」
 勝気な笑顔でそう言うが、もともとは別のタレントのイベントだったのだ。伊織よりはキャリアも
知名度もある、三浦あずさの。
「でも、すごいんだね。ライブとかでピンチヒッターがあるなんて僕、知らなかった」
「無料のイベントだからよ?普通のライブならチケット払い戻しだわ。まったく、あずさの方向オンチにも
困ったものよね」
 昨日の別れ際、新曲を渡されたその晩に緊急事態が発生した、と聞いた。伊織の先輩タレントである
あずささんが、地方の仕事から帰って来られなくなったのだ。
「え?でも天候が悪くて飛行機が羽田に降りられなかっただけなんだよね?」
「それにしたって福岡まで行くことないでしょうに。これがあずさの得意技なのよ」
 札幌を飛び立った飛行機が上空の悪天候のため、東京に降りることができなかったのだ。成田や
大阪に着陸することができなかった機は福岡空港まで行ってしまい、しかもとんぼ帰りの便には
空席がなかった。
 新幹線とかレンタカーとか、手を尽くせば帰って来られなくはなかった。しかし、どっちみち打ち合わせ
やリハーサルの時間がほとんどなくなるしタレントも疲労する、この上万一のことが重なると業界的
ダメージが大きい、などといった理由で、無料イベントであることを頼りに別のタレントをブッキングする
ことになったのだという。何人かの候補の中から、自分がやると言い出したのは伊織本人だったそうだ。
「あずさったらすごいのよ。今でも時々事務所の場所判らなくなるし、初めてのスタジオなんかだと
予定通りに着いたことないんだから。ま、今回は私の新曲を世に出す絶好のチャンスだったし、私に
とってもファンにとっても幸運だったわね」
 そんな言い方をしているが、ラッキーなわけがない。昨日は気づかなかったが、伊織の顔は疲れの
色を見せていた。新曲の歌やダンスを憶えるために無理をしたのだろう、今もあくびを噛み殺すしぐさに
気づいてしまった。
 ――寝てないの?
 とっさに、言いかけた言葉を抑え込んだ。伊織はきっと……あずささんの穴を埋めようとやる気に
なっている伊織はきっと、気遣うような言葉を聞きたくないのではないか、と思った。
「楽しみだね、伊織ちゃんのファンがここを埋め尽くすようなことになるのかあ」
「ふふん、見てなさいよ、数時間後にはすごいことになってるから」

 そんな話をしていたとき、プロデューサーが誰かと話をしているのが視界の端に入った。
「えー、あずささん来れないのー?」
「申し訳ありません、悪天候で移動の飛行機が着かなくなりまして」
 大学生だろうか、若い男の人の集団だった。話からするとあずささんのファンで、このイベントを
楽しみに連れ立ってここに来たのだろう。
「仕方ねーよ、あずささんだもん」
「どうなったんすか?飛行機が福岡に降りた?あははは、さすがだー」
「よかったっすね、国内で」
 あずささんの人となりはファンにもよく知られているようだ。
「それでですね、本日はピンチヒッターとして我が765プロ期待の新人・水瀬伊織が新曲発表会を
行なうこととなりました。三浦あずさとも仲の良い実力派です。お差し支えないようでしたら是非ご覧に
なっていってください」
 プロデューサーの言葉は、しかし彼らには届かなかった。
「……ミナセイオリ?誰よ」
「わかんね。お前知ってる?」
「あ、思い出した、こないだのラジオでゲストに来てた子。確か中学生とか」
「コドモかよ!」
 彼らの姿は僕の位置からギリギリ見える角度で、伊織はセットの影になっている。まさか当人が
ここで聞いてるなんて思ってもいないだろう。
「知らないガキ見せられてもなー」
「なんにせよあずささんいないんなら意味ねーじゃん」
「すんません、俺たち帰ります。あずささんに頑張ってくださいって」
「……あ、はい、申し訳ございませんでした、ご足労ありがとうございます」
 横目で伊織の顔色を窺う。
 今のあずささんファンの人たちは、行儀のいい方だと思う。無料とは言え楽しみにしてきたイベントで
主役にすっぽかされて気分のいい人はいないだろう。プロデューサーに文句を言ったっていいくらいだ。
 伊織もそれはわかっているから、先日の僕に対してのように彼らに食って掛かったりしなかった
のだろう。ただ立ったまま、じっと彼らの話を聞いているだけだった。
 舞台の影から、直接見えないはずの今の人たちをじっと見据えて。その瞳の中に、強く輝く炎を
たたえて。
 その炎は、彼らの無礼に対する怒りだろうか。自分の知名度へのくやしさだろうか。理解されない
哀しみだろうか。
 そのどれでもなく、そのどれでもある輝きだ、と感じた。
 芸能人という職業を選んだ以上、みんなが知っている存在にならなければ意味がない。それくらい
僕にだってわかる。伊織はそうなるステップを歩いている真っ最中で、先輩と直接比べられては
今のような評価も仕方ない。でも、そのままでいるわけには行かないのだ。あずささんや、あずささん
よりもっともっと有名なアイドルたちを乗り越えてゆかなければならないのだ。
彼女はだから、あずささんのピンチヒッターを買って出た。このくらいのアウェイを跳ね返せなければ、
上へ伸びては行けない。
伊織の表情はその決意であり、自分をまだ知らない人への宣戦布告であり……。

 ――ボクが――

 あずささんへの挑戦であり、これから向かう頂点を見据える意志なのだ。

 ――ボクが、チカラに――

 僕は……。
 僕は伊織に、何をしてやれるだろう。
 ただのファンである、ただの中学生のこの僕は、いま僕の目の前で戦おうとしている彼女に、何が
できるのだろう。
 電話で友達を呼ぶ?何人来てくれるというんだ?
 今からネットにライブ情報を書き込む?信憑性は?
 街に出て、大声で告知して回る?それこそ警察が飛んでくるだろう。
 自分の無力さに歯噛みしていると、お客さんの去ったプロデューサーのところに、若いスタッフが
荷物を抱えて駆け寄るのが見えた。

「プロデューサー!刷り上がりました、追加の2千枚」
「ありがとう、急がせてすまない。動けるスタッフを集めてくれるか?多いほうがいい」
 了解、と返事して舞台裏に走ってゆくスタッフの人と入れ替わりに、伊織がプロデューサーに
歩み寄った。僕も慌てて後を追う。
「プロデューサー、できたの?」
「ああ、特急にしちゃ上出来だな」
 さっきの包みを開けて伊織に見せたのは、階下で僕が見たライブのポスターだった。
「今から人を集めて、駅前で配って告知させるよ」
「警察につかまって無駄足とか勘弁してよ?」
「許可は貰ってあるよ、そんな無茶するもんか」
「ならいいわ」

 ――ボクが、チカラに。

「あ……あのっ!」
「きゃっ」
「うん?」
 力みすぎて、大声が出てしまった。二人ともきょとんとした顔でこちらを見ている。
 怒られるだろうか。出すぎた真似だと笑われるだろうか。常識を知らないと呆れられるだろうか。
 かまうもんか。僕は、僕の出来ることをしたいんだ。
「それ、ぼ、僕にもやらせてくださいっ!」
 一瞬の、間。
「……は、あんた、なに言って――」
「なあ、きみ、中学生だったな」
 伊織がなにか言おうとしたが、プロデューサーが手を上げて止めた。
「こういうバイト、やったことあるか?」
「な、ないですけど、……でも、でもっ」
 緊張しすぎて声が出ない。ごくりと唾を飲み込んで、続けた。
「でも、伊織ちゃんのために、僕が、なにか、力になりたいんです!」
 プロデューサーが僕の顔を見つめる。目を逸らしたらダメな気がして、一生懸命見返した。
 やがて、プロデューサーはにこりと笑ってこう言った。
「……ありがとう。協力、感謝するよ」

 そこから先は津波にでも巻き込まれたみたいで、夜になってもよく思い出せなかった。
 他の人と同じ、派手なピンク色のスタッフジャンパーを貸してもらった。
 ポスターの束を渡され、駅の出入り口のひとつを任された。
 告知のフレーズを教えてもらい、あとはただひたすら叫び、配り、頭を下げ、叫んで配って頭を下げた。
 いつの間にかビラがなくなってもしばらく両手をメガホン代わりにライブの宣伝を続け、スタッフの
人に肩を叩かれて我に返ったら開演10分前だった。
 そして戻ったライブ会場は、

 唸るような人だかりになっていた。

「みんな、今日は伊織のミニコンサートに来てくれてどうもありがとう。それから、あずさのために来て
くれたファンのみんなには、彼女に代わってあらためてお詫びします。そしてここにいるすべての人に、
最後まで聴いてくださったことを心から感謝しています」
 水を打ったような静けさ。ラストソングが近づく今、観客は伊織の一挙手一投足を見つめていた。
 もちろん、初めからこんなだったわけではない。スタッフの熱意に動かされ、200人の会場に250人
入った観客のうち、伊織のファンは3分の1しかいなかったと後に聞かされた。あとはあずささんのファン
と、残りはチラシと客寄せにつられて来た、たまたま時間のあった人たちだった。
「人には、生きているだけでいろんなことが起こります。あずさのように、天候の都合でせっかくのファンの
皆さんに会えなくなってしまったり、伊織みたいにそのピンチヒッターをおおせつかったり」

 よくがんばったよー、と声が飛んだ。
「ありがとーっ。……伊織は、今日のみんなの顔を忘れません。今度あずさに会ったら全部報告しなくちゃ
ならないし、なによりこんな楽しい時間をすごさせてくれた人たちを忘れるわけにはいかないから」
 もともと彼女の売りはキュートな歌声と全身のバネを駆使したパフォーマンスだ。そして、後になって
プロデューサーから聞かされたあずささんの持ち味は、見た目や歌声どおりの柔らかな旋律と流れる
ようなダンス。つまり、両者のファンの嗜好はほとんど重ならない。そんなアウェイの会場で伊織は
コンサート開始早々、あずささんの持ち歌を歌った。
「あずさから歌を教わっておいてよかったって思いました。もちろん彼女ほど上手くは歌えないけれど、
応援してくださったみんなの拍手、とっても嬉しかった」
 ヒットしたドラマの主題歌で知名度も高い『9:02PM』。あずささんではない人影が舞台に現れて、
あずささんの曲の前奏が流れた時の会場のどよめきは見ものだった。歌い進むにつれて、どよめきが
固唾を呑む沈黙に、そして伴奏に合わせた手拍子へと変わってゆく様子は、さらに目を見張るようだった。
 伊織はあずささんの歌を……切ない忍ぶ恋の歌を、アレンジに手を加え、キーを変え、ほろ甘い
片想いの歌に仕立て上げたのだ。
「あずさのために、伊織ができる限りのことはできたんだ、って安心できたんです」
 もちろん、すべての観客が満足したわけではないだろう。だけれど、そこにいたのはあずささんファン
とは言っても『水瀬伊織にも興味のある』人たちだった。あずささんの歌を誰か他人に歌われるのが
我慢ならないような熱烈なファンはもう帰ってしまっていたから、かえって伊織は好きにやれたのだろう。
 歌い手の得意分野へのアレンジ、既存曲の別バージョンというもの珍しさ、そして伊織自身の歌唱力の
おかげで、観客は1曲目から伊織に心を奪われたのだ。
 そうなってしまえばもう伊織の独壇場だ。小さな舞台を何倍にも見せる彼女のステージアクトに惹き
つけられ、2曲め以降に続いた持ち歌の可愛らしい世界感にのめり込み、ミニコンサートに参加した
観客たちはすっかり伊織に魅了されたと言っていいと思う。伊織が今日この場所で、新たなファンを
増やしたのは間違いない。
 そして今、ラストソング。
「いろんなことの起きる人生はひょっとしたら先の見えない、こわい道のりかもしれない。でも、未来を
信じて歩いてゆけば、きっとそこには道が続いている。今日の伊織は、観客のみんなにチカラを
もらいました。同じように、みんなにもきっと、チカラになってくれる人がいるはずです」
 舞台袖で見守る僕の視界の端で、プロデューサーがスタッフに合図を送った。ごく小さく、伴奏が
始まる。僕の位置だからかろうじて気づいたくらいで、観客にはまだ聞こえないだろう。小さく拍子を
とる音。伊織にも聞こえているようで、すう、と息を吸い、最後の台詞を口にした。
「最後の曲は、伊織の新曲です。この曲が誰かのチカラになれたら嬉しいな、って思います」
 とっ、とっ、とっ、とっ……。小さく続いていたパーカッションの音がだんだん大きくなってきた。優しく
ゆるやかな規則正しい拍動は、まるでだれかの心音のようだ。
「聞いてください。『フタリの記憶』」
 鼓動を刻むビートに、それをかき抱くようにピアノが寄り添った。

 空が暗くなる頃、伊織のミニコンサートは終了した。
 伊織やあずささんのグッズ販売と、ちょうどそのあと始まるデパートのタイムセールに観客たちは
散らばってゆき、スタッフたちが舞台の撤収に取りかかっていた。僕も手伝おうとしたが、これは怪我の
心配もあるとプロデューサーに止められた。
「なんにせよ、きみのおかげで助かった」
 それから、お礼を言われた。
「他のバイトに聞いたよ。きみの活躍が一番すごかったようだぞ」
「い、いえっ」
 なにしろ自分がどうだったか憶えていないし、あまり知らない大人に褒められてたじろぐ気持ちの
方が大きい。
「僕はただ、伊織ちゃんの力に」
「きみの評価はどうだい?伊織」
 プロデューサーは横を見て、舞台とは別に、もともと置いてあるベンチでジュースを飲んでいる伊織に
話題を振った。首にタオルを掛けて、肩からは湯気が上がっているようだ。

「彼はきみの力になったかな?」
「……そうね」
 彼女はストローをくわえ、グラスの中身を少し飲んでからこう答えた。
「ま、初めてにしちゃまあまあなんじゃない?」
「おー、よかったな、ベタ褒めだぞ、おい」
「今ののどこをどう取るとベタ誉めになるのよっ!」
 プロデューサーの勝手な解説に、彼女がいきり立つ。
「こ、こんな奴が少々のビラ配り手伝わなくたって私の知名度とアイドルオーラをもってすれば
通りすがりの人の1000人や2000人すーぐ集まったんだからっ!今日はたまたま準備する時間も
なかったし、私の下僕たちが働かせろって言って聞かないから仕方なくビラ配りやらせただけ
なんだからね!」
「……だ、そうだ」
「はあ。だいたいわかりました」
 伊織が叫び終わるのを待って、プロデューサーはそう言った。これには僕も、そう答えるしか
なかった。
 だん、とグラスをテーブルに叩きつけ、僕の目の前まで歩み寄る。
「フン、なにがわかったのよ」
「あ、あー、えーと」
 問い詰められて目が泳いだ。その視界にプロデューサーの顔。彼は……目だけで僕に「言って
いいぞ」と伝えた。
 ごくり。唾を呑む。
「い、伊織ちゃんが僕たちに、すっごく感謝してるってことがさ」
「……な」
 彼女の顔が、一気に紅潮する。
「なに言ってんのよーっ!」
「いってーっ!?」
 次の瞬間、お尻にすごい衝撃が走った。一瞬で回りこまれ、蹴られたようだ。思わず叫び、
プロデューサーの助言を聞いた自分がバカだったと思いながら頭をめぐらすと……。
「あんたの入れ知恵でしょーっ!」
「Oh,Yes!!」
 プロデューサーは僕より高く宙を飛んでいた。

「お次は『You gotta mail』のコーナー。今日のおたより当番は……伊織!」
「はーいっ」
「聞いたで伊織ぃ、おまえ昨日頑張ったんやて?」
「そうなんですよ!伊織ね、きのう突発ライブやっちゃったんです!」
 明けて月曜日。僕はいつものように学校から家まで直行し、テレビの前に陣取っていた。共働き
の家でこの時間は僕ひとりだ。
 居間の大型液晶の中では、伊織が昨日の奮戦ぶりを大きなモーションで喋っていた。
「そかー、やったな伊織。メールもいっぱい来てたで」
「ありがとうございまーす」
「では一発目……と行きたいトコやけど今日はいきなり『バクダンメール』~」
「ちょ、えええ~っ?」
 突然、お決まりのおどろおどろしいジングルが響いて、司会のお笑い芸人が真っ黒い丸い
ケースを取り出した。この中に意地悪な手紙が入っているのだ。
「今日は俺読んだるわ。えー、『伊織ちゃん、ゆーどるのみなさんこんにちわ』……」
 内容は想像した通り、昨日のライブの感想だった。この差し出し人は偶然近くを通ってライブを
知り、参加してくれた人だという。
「……『すっかり余韻を満喫して帰ろうと思ったとき、伊織ちゃんが出てくるところを見かけたん
です。そこには担当の人らしい男の人と、ファンなのか同年代くらいの男の子が一緒にいました』
って、なんやねんこれ、伊織ぃ。カレシか、カレシやな?」
 僕は盛大にソファからずっこけた。見られていたのだ。昨日蹴られたお尻がズキンと痛んだ。

「な、なんのことですかぁ?若く見えるけどスタッフさんの一人ですよ?」
「ふうん?『なにか話し合っていましたが、なんと!伊織ちゃんは担当の人と、男の子の二人ともを
いきなり蹴り上げたのです!それはそれは見惚れるようなコンビネーションキックで、ますます
伊織ちゃんを好きになってしまいました』っと、……ツッコミどころが多すぎるわ!お前なんで
そんなバイオレンス見て好感度上げとるんや!それから伊織!」
「は、はいっ」
「前にも担当蹴ってなかったか?今回は二人かい」
「だ、だってあれはぁ」
「もうええ!今日はコレやな、『伊織ちゃんがスタッフたちを蹴り倒す時のフレーズ』聞かせて
もらおか!」
 たじろぐ伊織に言い訳の隙も与えず、本日のバクダンフレーズが告げられた。……と。
「サン、ニイ、イチ、……って……え、あれ?なに?」
「んーと、ここがいいかしら。そう、もうちょっとこっち向いて。うん、こんなもんね」
 これを言われたアイドルは、普通大騒ぎして嫌がる。お約束でもあり、番組ファンの楽しみの
ひとつだ。
 ところが今日の伊織は、司会の手を引いてステージ中央に立たせたのだ。微妙に角度を
調節して、ひとつうなずいた。
「えーと、伊織サン?」
「それじゃみんな、行っちゃうわよ?『伊織ちゃんがスタッフたちを蹴り倒す時のフレーズ』!」
 満面の笑みで大きく息を吸い、客席にこう呼びかける。行く末の見当がついた観客は大喜びで、
固まるお笑い芸人をそのままにカウントダウンを開始した。
「サン、ニイ、イチ、キュー!」
「あんたたち下僕はつべこべ言わずに、私のためにキリキリ働けばいいのよーっ!」
 ぼかん、と右足が一閃。司会は大げさにジャンプし、そのまま舞台に崩れ落ちた。
「あいたーッ!?」
「わかったら返事っ!」
「は、はいーっ、伊織さまあー!」
 お尻を押さえてうずくまる司会を見下ろして、さながら獲物をしとめたハンターだ。お笑い芸人も
ノリがいい。
 切り替わったカメラが伊織を大写しにした。下僕を見下ろしていた視線を真正面に据えて、
そうして一言。
「これからも伊織ちゃんをよろしくね?にっひひっ♪」
 僕はソファから落ちたまま、画面に釘付けになっていた。
「……」
 どうやら彼女は、これまでの路線を少しだけ変更することにしたようだ。
 可愛らしいお嬢様ってだけじゃなく、こんな一面もあるのよ、と。

 あんたたちは、私の全部を見なさいと。
 私の全部を、丸ごと好きになりなさいと。

「……っぷ」
 CMに変わる直前、一瞬だけ映った伊織のウインクを思い出し、僕は吹き出した。
「ぷ、ぷくくっ、ふ、うふ、あはは、あっはははは!」
 誰もいない部屋に、大きな笑い声が響く。笑うとお尻がますます痛いがかまうもんか。
 いま感じた楽しさや嬉しさや、言葉に出来ない色々ななにもかもを溢れ出させるように、
僕はテレビの前でずっとずっと笑い続けたのだった。





おわり