無題310


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「ら、らぶれたー!」
 雪歩は思わず叫んでしまった。学校の中とはいえ、土曜日の放課後ともなれば、もう
昇降口にもあまり人影はなかったが、下校中の何人かが、何だろうと雪歩の方を見ていた。
視線に気づいた雪歩はハッとし、あわてて靴を履きかえると、平静を装って校舎を出て行った。
 学校を少し出たところで街路樹が見えてくると、雪歩は早足になり、一番大きな樹の陰に
ぴったり貼り付いた。あたりに知っている人がいないのを確認し、ゲタ箱に入っていた
一通の手紙をカバンから取り出すと、震える手で開けてみた。
「萩原雪歩様」で始まるその手紙は、まさしくラブレターに違いなかった。相手は知らない
同学年の男の子だった。「好き」という字が何度も書かれているのを見て、雪歩はどうにも
落ち着かなくなった。
「好きだなんて言われたの、は、初めて……あれ?……初めてだよね、私」
 彼女はデビュー半年の、現役のアイドルだ。といっても、まだそんなに有名なわけではない。
それでもたまにテレビで見かけたりする女の子を、男子生徒が見過ごすはずもなく、彼女の
家あてにラブレターが送られることも何度かあった。だが、それは全て雪歩に届く前に、
父親の手で処分されていた。幸運にもゲタ箱に入れられたこのラブレターは、その検閲を
逃れることのできた、初めてのものだった。
 手紙には、学校で呼び出したりすると、アイドルとしての雪歩に迷惑がかかりそうなので、
こういう形にしたと書いてあった。返事も、自分のゲタ箱に、ダメとかOKとか書いて
放り込んでくれればそれでいい、もしダメでもつきまとったり、迷惑をかけるようなことは
決してしない、とも書いてあった。
 この男の子は、きっとマジメで、まっすぐな人なんだ、雪歩はそんな気がした。そして
ラブレターを出せるだけの勇気をうらやましくも思った。
「でも……」雪歩はラブレターをカバンにしまい、困ったようにつぶやいた。「私は……」
 雪歩には好きな人がいた。他ならぬ、彼女のプロデューサーだ。
 プロデューサーには付き合っている人はいない。少なくとも、雪歩は知らない。だからと
言って、仕事で一番多く時間を過ごしているはずの自分が、恋愛対象になっているのかと
言えば、それは多分ノーだ。歳だって離れているし、向こうは社会人で、こっちは高校生。
今、好きだと告白したところで、真剣に聞いてもらえないのはわかっている。早く自分が
高校を卒業して、大学生か社会人になれたらいいのに。そうしたら、子供みたいに扱われる
ことなんて、きっとなくなるはず。
 自分がそうなるまでの何年かの間、どうかプロデューサーに恋人ができませんように、誰か
他の人を好きになったりしませんように、雪歩はいつもそう願っていた。勝手なお願いなのは
わかっていたが、どうしても、そう思わずにはいられなかった。
 雪歩はそのまま家に帰らず、電車に乗った。明日の仕事の打ち合わせのために、事務所に
寄ることになっていたからだ。彼女は電車の中から、外の景色を見ながら考えた。もし、
ラブレターをもらったことをプロデューサーに話してみたら、どういう答えが返ってくるだろう。
「あの、プロデューサー、実は……」
「うーん、アイドルとしては、誰かとつきあうとかいうのはちょっとマイナスポイントだなあ」
 まあ、これは普通に仕事上の立場での答えだろう。
「あの、プロデューサー、実は……」
「なに!そんなのだめだ!雪歩はいずれおれが必ずもらうんだから!」
 雪歩は自分の想像にぼおっとなった。そんなことになったら、どんなにうれしいだろう。
でもそうなる可能性はゼロに近い。
「あの、プロデューサー、実は……」
「ああ、彼氏か?まあ、おれがどうのこうの言うような話じゃないし、別にいいんじゃないか?
でも、ファンにはバレないようにしてくれよ」
 想像終了。これが一番ダメージが大きい。

 自分の想像に、ちょっと落ち込んで電車を降りた雪歩は、事務所が近づくにつれて、胸の中に
何かがつまっているような、気持ち悪さを感じるようになった。いったい、なんだろうこれは……
雪歩は自分が病気なのかと思った。
「おはよう、雪歩。早かったな」
 いつものように、プロデューサーが笑顔で迎えてくれた。雪歩の胸がズキン、と痛んだ。
顔色が悪そうに見えたのだろう、プロデューサーは、「大丈夫か?ちょっと横になるか?」
とやさしく言ってくれた。
「だ、大丈夫です」
 雪歩は自分の気持ち悪さがやっとわかった。これは罪悪感だ。好きな人の知らないところで、
ラブレターをもらってしまった、その罪悪感。まだ恋人でもなんでもないのに、後ろめたい
気持ちでいっぱいだった。もし逆にプロデューサーが誰かからラブレターをもらったら、
すごく不安な気持ちになる。それは容易に想像がついた。
 夕方まで明日の打ち合わせや、スケジュールの確認をした後で、雪歩はまっすぐ家に帰った。
 自分の部屋に帰ってすぐ、雪歩はラブレターをもらってしまったという後ろめたさを早く
消したくて、便箋を出して返事を書き始めた。ただ、断わるにしても、適当にダメとか、
つきあえません、だけではいけない気がした。ちゃんと、好きな人がいるから、という自分の
気持ちを正直に書いて伝えなければ、くれた男の子に失礼だと思った。雪歩は深呼吸をすると、
可愛らしいボールペンに力を込めて書き始めた。
『お手紙ありがとう。でも、ごめんなさい……』
 そこまで書いた雪歩は、自分が泣いているのに気づいた。ぽたりと涙が落ちて、便箋を
ぬらした。無理もない。片想いの悲しさは、雪歩自身がよく知っている。せっかく一生懸命書いて
くれたのに、自分を好きになってくれたこの男の子は、悲しい思いをしなくてはいけないのだ。
でも、自分のプロデューサーへの気持ちをあきらめることは、もちろんできない。雪歩は涙を
拭いて、もう一度最初から書き始めた。
『お手紙ありがとう。でも、ごめんなさい。私には、好きな人がいるんです』
 あれ?
 妙な違和感があった。雪歩はもらったラブレターを急いで読み返した。
『ぼくは君のことが好きです』
 雪歩はプロデューサーから、同じように告白される想像をしてみた。
「雪歩、おれはお前のことが好きだ」
 あれれ?
 どうしたんだろう、何かがおかしい、雪歩はそう感じた。自分はプロデューサーのことが
好きなんだと、ずっと思っていたのに、プロデューサーから「好き」と言われる想像をしてみても、
そんなにうれしくない。今度は自分から、口に出して言ってみた。
「私、プロデューサーのことが……好きです」
 やっぱり変だ。どきどきしない。ひょっとしたら、自分が彼に感じていたのは、例えば
小学生から見た高校生や、生徒から見た学校の先生みたいな、年上の人へのあこがれでしか
なかったのだろうか。
「私、ほんとうは、好きじゃなかったのかな……」
 雪歩は不安になった。顔を見合わせれば照れてしまい、近くにいるだけでどきどきしてしまい、
手が触れると心臓が飛び出てしまいそうになる。絶対に恋だと信じていたのに、もしかしたら
違うのかも知れない。雪歩は今までの自分の想いが、全部ウソだったのかと、がっかりして
しまった。大きくため息をつくと、ボールペンを置き、返事を書くのをやめた。その夜彼女は、
なかなか眠ることができなかった。

 翌日の日曜、彼女は朝からいつものように、お茶の入ったポットを持って事務所へ出かけた。
今日は短いながらも、雑誌社の取材が午前と午後の二件入っている。会社に出ているのは、
プロデューサーと雪歩だけだ。
 雪歩は、きのうのことがまだ尾を引いていて、プロデューサーの顔をまっすぐ見られずに
話をしていた。
「どうした、雪歩。きのうも今日も元気ないぞ」
「は、はい、ごめんなさい。ちょっと寝不足なのかも」そう言って、ちらりと彼の顔を見ると、
やはり胸がときめいた。だが、それは単なる「あこがれ」に過ぎないのかも知れないと思うと、
かえって心が沈んでしまった。
 午前中の取材が終わると、プロデューサーが出前を取ってくれて、お昼ご飯になった。
「プロデューサー、お茶どうぞ」
「お、ありがとう……うーん、やっぱり雪歩のいれたお茶はうまいなあ」
「そ、そうですか?」ほめられた雪歩はうれしくなってしまった。「今日は二種類持って
きたんです。よかったら、こっちも飲んでみてください」
「どれどれ……お、これもうまいなあ。うん、こっちの方が好きだな」
 あれ?
「雪歩はどっちが好きだ?」
 あれれ?
 雪歩の頭の中で、なにかがぐるぐる回っていた。かすかに友達の声が聞こえてくる。
『ねえ、雪歩ってさ、こういう服、どう?』
『うん、好きかも』
『ね、ね、雪歩ってさ、お茶派?それとも、コーヒー派?』
『お茶の方が好き!』
 今度は別の声も聞こえてきた。
『雪歩、今日のステージはよかったぞ。がんばるやつは大好きだ』
 ……わかった……。
「おい、どうしたんだ、雪歩」プロデューサーの顔が彼女のすぐ目の前にあった。
「あ、は、はい、その、私もおんなじです……」雪歩は真っ赤になった。
 仕事を終え、家に帰ってきた雪歩は、風呂につかりながら、事務所でのことを思い出していた。
プロデューサーは、たまに自分のことを「好きだ」と言ってくれる。でもそれは、決して
一人の女性として「好き」という意味ではない。自分がプロデューサーを想う気持ちは、
その「好き」とは違う。「好き」という言葉くらいでは全然物足りない。「好き」は、
いつの間にか「愛してる」に成長していたのだ。
 もちろん、「好き」という言葉には、「愛してる」という意味だってある。それは形だけの
ことでしかない。だが、彼女の中では、「好き」は友人の延長やあこがれであり、今自分が
プロデューサーに抱いているこの気持ちは、「愛」なのだと、はっきり区別したかった。
それに気づかせてくれたのは、「好きだ」と何度も書いてあった、あのラブレターだ。
「私は、プロデューサーのことが好き……」
 そう言ってから、雪歩は、もう一度言い直してみた。
「私は、プロデューサーのことを、あ、あ、あい……愛……」言葉を言い終わるまでもなく、
雪歩は自分の体が熱くなり、「愛してる」という気持ちが全身にわき上がってくるのを感じた。
 今度は、プロデューサーがその言葉を自分に言うのを想像してみた。
「雪歩、愛してる」
 さっきよりも、さらに体が熱くなっていく。
「うっ、ううっ、よかったぁ……」雪歩は湯船の中に沈んで、しばらく浮き上がってこなかった。
 風呂から上がった雪歩は、ラブレターの返事を書き直し始めた。今一度、自分の本当の
気持ちをしたためようと。
『お手紙ありがとう。でも、ごめんなさい。私には、愛してる人がいるんです』
 雪歩にはまるで、今書いているのが、プロデューサーへのラブレターのように思えた。



end.