subtle flavor


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「……ふーむ」
 私は自宅のキッチンで、お鍋を前に腕を組んでいた。
「なんでこうなるかなー」
 目の前には野菜の煮物。いわゆる、けんちん汁。
 古くは鎌倉の建長寺で作られたとか、中国の巻繊汁という料理名がなまったとか言われていて、
里芋や大根人参、ゴボウにコンニャク、野菜を美味しくたくさん食べられる秋の汁物の代表格。
いやいや、ネット検索で仕入れた知識はともかく。
 もう一度意を決して、お玉で汁を掬って味見をしてみる。
「……うーん」
 まずくは、ない。これにしたって分量はお料理サイトからの引き写しなわけで、おかしなものが
出来上がる可能性は限りなく小さいのだ。実は最後の調味前だが、このまま食べても充分いけると
思う。思う、のだけれど。
 これを食べる予定の人物は、はたして美味しいと思ってくれるだろうか。
「プロデューサー、どんなのが好みなんだろ」
 ……そう。私はこれを、プロデューサーに食べさせるために、日曜の早朝から慣れない料理に
チャレンジしているのだ。
 昨日、秋の味覚散策の番組があり、私はギャラとは別に山ほど野菜を貰って帰ってきた。どれも
採れたての新鮮なもので、分量も多かったので帰りがけに事務所に寄り、仲間におすそ分けをした。
 そしてその時の成り行きで、私はプロデューサーにこの料理を差し入れすることになってしまったのだ。
『じゃあ明日、作って持って行きますね』
『マジか!うわあ、嬉しいなあ』
 とろけそうな笑顔で応じるプロデューサーを見て私は調子に乗りすぎたのに違いない。家に
帰って一晩眠り、我に返ったときの一言目は「あああ、どうしよう」だった。
 レシピを思い出してみる。大根、人参は5mm厚さのいちょう切り。ゴボウは皮をむいて、ささがき
ではなく拍子木切り。これを貰った農家のおばちゃん直伝だ。里芋は1cm厚、塩で揉み、ぬめりを
とって下茹で。豆腐とこんにゃくもおばちゃん風で、水を切ったら手でちぎる、うん。
「……で、鍋にごま油を引いて順番に炒め足していって、だし汁を入れて煮込んでアクを取りつつ
調味料を」
 ふつふつと音を立てて煮えている鍋に、醤油の瓶を握り締めて立ち向かおうとした刹那、私の
すぐ横からひょいと顔が覗いた。
「あ、それもっと後でいいよ、律子ねーちゃん」
「きゃああっ!?」
「うわっ?」
 不意に後ろから声をかけられ、飛び上がってしまった。相手も予想外だったようで一緒になって
驚いている。
「い、いきなりなにすんのよっ、涼!」
「ふわあ、びっくりしたあ」
 料理中ではさすがにハリセンも持っていなかった。あればとっくにこいつの脳天に一発くれて
やってる。
「あんたねえ、家主に許しも得ず家に入ってくるのって不法侵入なのよ?いくら従兄弟だろうが
犯罪ですからね」
「なに言ってるのさ、声かけたでしょ?ねーちゃんだって返事してたじゃない」
 今日は両親とも出かけていて、この家には私一人だった。この人騒がせが訪ねてきた時、どうやら
私は上の空で生返事をしていたらしい。
「へ?そうだった?」
「うん、ほらゆうべのメール、資料用にグラビア雑誌貸してって」
 彼は秋月涼、近所に住んでる私の従兄弟だ。今は、私と同じようにアイドルとして活動している。
 まだ新人の彼は、不文律の多い芸能界のあれこれを勉強する日々で、うちにもちょくちょく顔を
出していた。
 そのメールも今ようやく思い出した。なにしろ私の頭の中は料理のことで一杯になっていたのだ。
「それで来てみたら、なんだかすごくおいしそうな匂いがしてるじゃない。僕、朝ごはんまだなんだ
よね、これちょっともらっていい?」
「だ、ダメよっ」
「えー」
「いやほら、だってまだ出来てないし、持って行くって約束しちゃったのよ」
「ふーん、差し入れ用かぁ、残念」

 彼はあっさり引き下がった。両親が不在がちな涼は料理はひととおりできるので、もともと戻ったら
なにか作るつもりでいたのかもしれない。
「でもこれ、おいしそうだね。けんちん汁でしょ?」
「うん、昨日の仕事で野菜たくさん貰っちゃったのよね。だから今日、事務所に差し入れしようかなって」
「うわぁ、いいなあそういう仕事!僕もやりたい」
「せいぜい頑張って有名アイドルになるのね。グルメレポーターは一口目のリアクションが命よ」
「もうすぐ完成じゃない。どうしてねーちゃん唸ってたの?」
「んー」
 正直に言えば、料理の腕前に関しては涼は私の上を行っている。しかし、簡単に助けを求めるのも
女子としては悔しいところだ。
「涼、あんたならどう思う?この出来」
「どれどれ、味見していい?」
 そこで、試すような口ぶりで聞いてみた。私からお玉を受け取り、一口含んで首を傾げる彼の表情を
見つめる。
「おいしいよ。出汁はインスタント?」
「うん、一から作ってらんないかなって。ちゃんとやった方がよかったかしら」
「お湯だけだって充分だよ、野菜がこんなに美味しいんだから」
「そんなもん?なんか足りない気がして」
「これから味付けでしょ?足りないくらいでいいんだよ」
 釈然としない表情に気づかれたようだ。しばらく考え込んで、涼はこう聞いた。
「律子ねーちゃん、これ誰に食べてもらうの?」
「えっ?じ、事務所の人よ?」
「ふーん、プロデューサーさん?」
 一瞬ぎくりとするが……どうも他意はないようだ。腕を組んだまま鍋を見つめている。
「そっ、そうね、プロデューサーも出社するって聞いてるし」
「そしたらさ、律子ねーちゃん」
 やがて、彼は顔を上げた。
「隠し味に、お鍋に向かって『あいじょーっ』ってやってみたら?」
「なっ!?」
 えっ?この子は何を?なんで知っ、じゃなくて、えっと、そうだ、どうしてそんな突拍子もないことを?
 私が混乱しているのを彼は自分なりに解釈したらしい。慌てたように言を重ねた。
「あ、いやほら、食べる人のこと思いながら料理してみたら、って意味だよ、うん」
「……食べる人のこと?」
「うん、男の人だから『愛情』がしっくりくるかなって。他のアイドルとか女の人だったら『ゆーじょー』
とか『なかまー』とか『だんけつー』とか言えばいいし」
「どういうかけ声よ」
「ほら僕、何回か律子ねーちゃんの仕事について行って、現場見せてもらったでしょ」
 それは事実。駆け出しの涼にとっては私程度の仕事でも参考になるだろうと思い、彼の体が
空いている日を選んで時々連れ歩いているのだ。
「で、ねーちゃんが収録してる間、プロデューサーさんと話させてもらったんだ」
「えっ?あいつ何か余計なことでも?」
「ううん」
 彼の死角で冷や汗をたらす私をそのままに、涼はしゃべり続ける。
「でも、考え方とかねーちゃんとはけっこう違うんだなって思ったよ。ねーちゃんは僕に『芸能活動は
計算とテクニックだ』って教えてくれたけど、プロデューサーさんは『そう言うのも大事だけど、最後の
一歩はハートで決まるんだ』って言ってた」
「ハート?あの人らしい物言いだけど」
 私のプロデューサーは第一印象こそおとなしいが、中身はいわゆる熱血漢タイプの人物だった。
大学では体育会系だったそうで、仕事中などたまに暑苦しいことすらある。まあ、一方で理論に
傾倒しがちな私の軌道修正にはもってこいの性格とも言えるのだが。
「このお鍋、僕は充分な出来だと思うんだ。でも律子ねーちゃんがまだなにか足りないって思ってる
んなら、それはきっとプロデューサーさんの言ってた『ハート』なんじゃないかな、って」
「……ハートねえ」
「んー、うまく言えるかな。僕はたとえば母さんとか律子ねーちゃんとか、誰かにお料理を作る時は、
その人がどんな顔して食べるかな、って考えながらやってるんだよね。美味しいか美味しくないか、
っていうより、その人がどう感じるか、って」

 たどたどしい説明は、まあ頭では理解できる。教科書どおりの味付けをするのではなく、例えば
相手が疲れて帰ってくるなら自分の料理で元気を得られるように、嬉しい気持ちで食卓につく
のならそれが倍増されるように。味覚は舌だけで感じるものではなく、例えば部屋の雰囲気や、
料理を盛ってくれる相手の表情などでも大きく変わるものなのだ。
「ほらこないだ、ねーちゃんがものすごい声で『なんか食べさせてー』って来たことあったでしょ。
あの時のポトフなんか気合入れたんだよ、僕」
 思い出した。オーディションに落ちてしまい、がっくりきたところに両親の帰宅が遅くなると連絡が
来て半分八つ当たり気味に涼に電話した時だ。私が視線で人を殺せそうな気分でいたというのに、
むやみに明るく話しかける彼が出してくれた野菜スープは、少々時間はかかったが私に笑顔を
取り戻させてくれた。
「たはは、あの時は悪かったわね」
「ううん、あれ食べて最後に『おいしかった』って言ってくれたから、僕も嬉しかった」
「なるほど、それがハート?」
「ねーちゃんのお料理にハートがないとか言うつもりはないけどさ。でもさっき僕が来た時の
ねーちゃんの顔、むっつかしい問題集解いてるみたいな感じだったよ?」
 それには心当たりがある。煮始めまではレシピ通りだったが、その先のタイミングはどんなサイト
にも詳しくは載っていなかったのだ。私にとっては指標のない手順書は実際、方程式を解くのと
大きな違いはなかった。
「だから、難しいこと考えるんじゃなくて楽しいこと考えながらすれば、お料理だって楽しいし、食べる
人もきっとそれ、わかってくれるんじゃないかな、ってさ」
「……ふうん」
 まあ、それは、確かに。先行きを不安に思って調理などしていても味がわかる筈がないし、これで
いいだろうかと腰が引け気味では調味も、火力も、きっと全てが中途半端になってしまうだろう。
しかもそんな自信のない状態で料理を完成させても、食べる人の前で臆病そのものの表情が出る
のが関の山だ。食卓が楽しくなる道理がない。
 ……この考え方が堅苦しい?いやいや、これは私の個性。これでも、行き着くところへはちゃんと
行き着けた。
「うん、確かにそうよね、涼」
 だから私は、なるべく明るい表情を作り、彼にそう言った。
「私の料理の腕前はもうプロデューサーは知ってるんだし、前に失敗したの食べさせたこともある
んだから今さらがっかりしやしないわよね」
「素材が最高なんだもん、律子ねーちゃんの料理がうまく行かないはずなんてないよ」
「ありがとね、いろいろためになったわ。少なくとも料理に関してだけはあんたが一枚上手ね、やっぱり」
「むう、もっと褒めてもらえると思ったけどな?」
「それはいくらなんでも調子に乗りすぎじゃない?」
「はひゃ、ゴメンナサイ」
「ふふ、でもほんとに感謝してるわよ」
 涼はさっきの味見の時に火を止めていてくれたようだ。私たちは改めて料理を再開し、涼に多少の
アドバイスを受けながらもとにかく自分でけんちん汁を仕上げた。
 実際おいしく出来たと思うし、涼の言った通りプロデューサーの喜ぶ顔を思い浮かべながら丁寧に
アク取りなどもした。面倒見のよい彼は鍋のそばを片時も離れなかったから、『あいじょーっ』は
こっそり心の中で済ませたけれど。
「どう?」
「最高!これで炊き立てのご飯があったら言うことないよ。てことで一杯もらってもいい?」
 最後の確認に味見をした涼も、幼児のように破顔してくれた。
「ダーメ」
「ええー?僕けっこう頑張ったんじゃない?」
「冗談よ。初めからかなり多めに作ってるし、ご飯食べてけば?」
「わーい、やったぁ」
 泊り込みの多い業界、たしか事務所にも電子ジャーと米が常備されている筈だ。もう出社して
いるはずのプロデューサーにも炊飯くらいはこなせるだろう。
 出かける前にごはん炊きを指示しておこうか、家から小分けして持っていこうか……私は食器棚で
汁椀を選びながら、そんなことを考えていた。





おわり