love liquid


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「でね、カメラさんが『そんなわけないやーん』って言って、みんな大爆笑。ヒドイって思わない?」
 今日の晩御飯はカレーライスだった。お父さんが早く帰ってくるというので私も手伝って、食卓
でそれを聞いたお父さんは自分のお皿に私が作ったサラダを山ほど入れてくれた。
「ええ?お母さんまで?私そんなにおかしい?ホントに?」
 今は収録中にあったハプニングの話をしてた。お母さんはテーブルとキッチンをいったりきたり
しながらうまいタイミングで相槌を入れてくれ、お父さんはビールを飲みながら楽しそうに私の
話を聞いてくれてる。
「ありがとー、やっぱお父さんならわかってくれるよね!」
 まあ、もとはといえば私のドジが始まりの笑い話だったんだけど、いつものようにお母さんが
からかって、お父さんは私の味方してくれて。
 お父さんもお母さんもいきなりアイドルなんか目指す私を応援してくれて、多分いろいろ言いたい
こともあるんだろうけど顔には出さないで、ニコニコと私を見守ってくれてる。私はそんな二人が
大好きで、二人の後押しで夢への道を一生懸命進んでいる。
 けど。でも。だけれど。
 お父さん、ごめんね。
 私はこんな家族の団欒のさなかに、他の男の人のこと考えてるんだよ。

「ふぅ」
 食事が終わって、洗い物を手伝って、お風呂のあと部屋に戻った。髪は乾かしたけど、ドライヤーの
熱で汗が止まらない。
 ドアに鍵をかけて、部屋を暗くして、ベッドに腰掛けた。クーラーはもう止めていたけど、暗闇が
私の身体を冷やしてくれているみたい。やがて汗も引いてゆき、私はベッドの上で壁に背中を持たせ
かけた。
「……プロデューサーさん」
 今日の、休憩中のこと。プロデューサーさんが、私の胸を触った。
 もちろんわざとじゃない。例によって転びかけた私を支えてくれた時、偶然手のひらが胸のところに
あっただけ。勢いのついていた私を止めるにはその腕に力を入れなくちゃならなかっただけ。
『うひゃあっ!?』
『おわ?ご、ごめん春香っ』
『いっ、いえ私こそっ』
 かなんか言ってお互いテレ笑いでお仕事に戻ったけど、もうそのとき私の心臓は破裂しそうだった。
「プロデューサーさん」
 ずずず、ぱたん。壁からずり落ちながら、横になった。
「プロデューサー……、さん」
 プロデューサーさんは、私のことをどう思ってるんだろう。ベッドに倒れた姿勢のまま考える。
 765プロに来る前は、よその番組制作会社のプロデューサーさんだった、って聞いてる。初めは
番組を作る仕事、いくつかの番組でアイドル歌手の企画ユニットをプロデュースする機会があって、
そのお仕事にすっかり心を奪われて会社辞めて。フリーになってもしばらくはこれといった実績なくて、
ある日高木社長に出会って。
 私のプロフィール見て、この子だって思って。そう、聞いてる。
 聞いてる、けど。
「私……ちゃんとできてるのかなあ」
 ベッドに横倒しになったまま、ひざを折って体を丸めた。両腕を足の間に挟んで、まるで赤ちゃん
みたいに小さくなって。
 前の会社でプロデューサーさんが手がけた芸能ユニットは3つ。番組の企画だからどれも短期間の
活動だったけど、ちゃんと成果を残している。3つとも全部のCDがTOP10入りして、3つとも紅白出て、
3つともドームで解散コンサートやって。ソロの歌手に転身した人が三人、女優さんが一人、バラエティ
タレントさんが二人。最初のユニットは私も中学生の頃、大ファンだった。
 この間の歌番組で、その一人と会った。ソロになってからもずっとトップアーティストの地位にいる人
で、それでいて人当たりがいい先輩で、収録の合間に新人の私にも気さくに話しかけてくれて。そこに
プロデューサーさんが来て、彼女の表情が変わった。
 他愛のない世間話だけで終わったけど、彼女がプロデューサーさんの瞳を見つめる熱は横にいる
私にさえ伝わってきて、カンタンにこの人がプロデューサーさんのこと好きなんだってわかった。

『ね、プロデューサー』
 彼女がプロデューサーさんにまた一歩近づいて、こんなこと言った。
『春香ちゃんをトップにしたら、また私のことプロデュースしてくださいよ』
『なに言ってるんだよ、今さら俺なんか』
『本気ですよ、なんならプライベートもプロデュースしてもらっちゃおうかな』
『ええっ?まさかそれ、ヤバい意味で言ってるんじゃないよな?』
『どーかなー、ふふふ』
 うわぁモテモテじゃないですかプロデューサーさん、って私も笑ったけど、彼女は本気だった。
『春香ちゃん、頑張ってね。プロデューサーと一緒なら、ぜったい大丈夫だから』
 こんな言葉も贈ってくれる素敵な人だったけど、
『"私も"、頑張るから。"そうなったら"、正々堂々と勝負よ?』
 後半は歌の話じゃなかった。プロデューサーさんへの思いも本物だった。
 こんな素敵な人たちより上になれなきゃ、私はプロデューサーさんを取られちゃうんだって思った。
……でも。
「プロデューサー、さぁん」
 目をつぶる。プロデューサーさんの顔が、真っ暗な中にふわりと浮かんだ。きゅっ、て腿に力が入る。
 アイドルやるようになってから……プロデューサーさんに出会ってから、寝ようと思って目をつぶる
と決まってプロデューサーさんの顔が見える。目を強くつぶればつぶるほど顔ははっきり見えてきて、
私が眠りに落ちるまでずっと見守ってくれる。
 私の全部を、ずっと見てる。
『よし、いいぞ春香、よかった』
 プロデューサーさんの声が聞こえた。
 それはたぶん、レッスンで音程を外さずにフルコーラス歌い切れたときの顔。
『あはは、惜しかったな春香』
 これはたしか先週、最後のターンで足を滑らせてしまった時の苦笑。
『春香、聞いてくれるか?』
 おとといの打ち合わせで、ランクアップに関わるオーディションを受けてみないか、と言ってくれた
真面目な表情。他にも、他にも。いろんなプロデューサーさんが見えては消える。
 自信ありげな顔、おどける顔、優しい顔、厳しい顔。
『頑張ったな、春香』
『春香、負けるなよ』
『楽しみだな、春香』
『春香、愛してる』
「っ!」
 ……最後のは、記憶の中のプロデューサーさんじゃ、なかった。
「ぷ、ろ、……」
 プロデューサーさんに触られた胸が、じんじんしびれる。抑え……られない。
 いつしか私の頭の中は、記憶のじゃない、想像のプロデューサーさんでいっぱいになっていて、
私に愛を告白してた。
『春香、ずっとお前と一緒にいたい』
『大好きだよ、春香』
『春香、キスしていいか?』
『春香……お前が欲しい』
「ふぅ……っ」
 せっかく引いた汗がまたじっとりとにじんでくる。
 プロデューサーさんを思う私の心が、体の中から溢れてくる。
 ただの紙袋に水を貯めたみたいに、私の中の『スキ』が心からしみ出て流れてゆく。
 液体になった『スキ』は体のあちこちから漏れ出していて、おでこを伝って枕を湿らせたり、目じり
からこぼれそうになったり指を濡らしたりする。
 私はプロデューサーさんと一緒に、トップになれるのかな。
 私はプロデューサーさんの期待に、ちゃんと応えられてるのかな。
 私はプロデューサーさんに、……好きになってもらえるかな。
 ……私は、こんなに、好きなのに。
 プロデューサーさんのこと、好きな人はきっといっぱいいる。あの人も、あの子も、彼女も、きっと、
あの子も。
「んく」
 こくっ、て、つばを飲み込む。いま口を開いたら切ない泣き声が出てしまいそうで、荒くなる呼吸を
ゆっくり整える。

 プロデューサーさんに、見つけて欲しいな。
 プロデューサーさんのことを好きないっぱいの人の中にいる、プロデューサーさんのことを好きな
私に気づいて欲しいな。
 でも、どうしたら?あんなに綺麗な人がいるのに。あんなに可愛い子がプロデューサーさんを好き
なのに。
「プロデューサーさん、プロデューサーさん、プロ……っ」
 答えの返ってこない疑問符を覆い隠すように、プロデューサーさんを呼び続ける。体の中で渦を
巻く『スキ』はどんどん溢れ続けて、パジャマやベッドまで湿らせて。
「……くふっ」
 そのうちだんだん流れは細くなって、そして止まった。
『お前の歌、最高だったよ。春香の、歌が好きだって気持ちがこもってた』
「――ふ、ぇ」
 想像のプロデューサーさんが、……また記憶の中のプロデューサーさんに戻った。
 これはあの時の……初めてオーディションに合格した時の、興奮した笑顔の彼。
『歌うの、大好きだって言ってたもんな。うん、やっぱりお前だった。春香、お前を担当できて
よかったよ』
 目が線になるくらいの笑顔で、ぐしゃぐしゃと私の頭をなでるプロデューサーさんに、心臓の
ドキドキが止まらなかったのを憶えてる。
『お前はまだまだ伸びるよ、春香』
 そのあとに続いた、言葉。
『俺と一緒に、もっともっと上へ行こう。お前ならできるし、俺もお前とならできるって思う』
 肩にかけられた、あたたかな手のひら。
『春香、お前もそう思わないか?』
「――プロデューサーさん」
 ああ、そっか。暗がりで、目を開けた。
 いま、いろんなことを不安に思っても仕方ないんだって気づいた。
 そんなことより私は、これからを、頑張ろう。
 もっと、もっともっと、頑張ろう。歌が大好きだからこそ目指したアイドルを。レッスンもいっぱい
して、オーディションもいっぱい受けて、番組やライブや、お仕事もいっぱいして。もちろんアイドル
一辺倒じゃなくって、学校の勉強も、家族のことも、毎日をいっぱいいっぱい頑張って、そうして
タレントとして、人間として、もっと上に行こう。
 今の私がいる場所じゃなくて、いつか"そうなった時"、私がどこに立ってるかが大事なんだ、って
わかった。
 そうすれば、私の夢はかなうはずだから。きっとトップアイドルも、プロデューサーさんのことも、
私の頑張りについてきてくるんだから。そう、思った。
 頭の中で明日の予定を確認する。学校終わったら事務所行って、ボーカルのレッスン。明日は
プロデューサーさんがついててくれる。
 うん、そうだよ。
 私、これからも、なんだってできるじゃん。
 いま自分がどうなんだろうって悩むんじゃなく、もっと先の自分に向かって頑張ればいいんだ。
 明日もまた、一生懸命レッスンしよう。
「……ですよね、プロデューサーさん」
 気持ちを決めてプロデューサーさんを呼んだら、心が落ち着いた。うん、眠れそう。
 スキな気持ちで膨れ上がっていた心に隙間ができて、ゆとりを持てるようになった。
 もそもそと掛け布団の下に潜り込んで、深呼吸する。途端に眠気がのしかかってきた。
「おやすみなさい、プロデューサーさん」
 布団に鼻までくるまって、もう一回だけ呼びかける。私は目を閉じて、最後に自分の右手の指を
口に含んでみた。

 私から流れ出た『スキ』は、

 ほんのちょっぴり、塩からかった。





おわり