美希曜日よりの使者


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 久しぶりにオフとなった日曜日は、あっという間に過ぎてしまった。もともとこの業界に潜り込んでは
いたものの、ひょんなことからプロデューサーなどという職業について数ヶ月、まだ手の指で数え
られるほどの暦通りの休日である。
 時はすでに夕刻、アパートの築年数に似合いのインターホンが死にそうな音を出した時、俺は
晩飯でも食いに出ようか、それとも自炊に挑戦しようかと思案しているところだった。
「ん、なんだ?……はい」
「書留なのっ……です」
 ドアの向こうからはこんな声がする。
「……ええっと?なんですって?」
「書留ですのー」
 この世に生まれて二十数年、俺の知る限りこういう言葉遣いの郵便局員は記憶にないし、そもそも
いくら民営化したとは言えローティーンギャルが書留を配達するサービスがあるとは到底思えない。
俺は足音を忍ばせてドアに近づき、そっとノブに手を伸ばした。
「郵便局員さんならもっと低い声だと思いますよー」
「……が、がぎどべでずう」
 いきなりドアを開けてやると、ノドに手を当てて眉間に皺を寄せ、なんとかおっさんの声帯模写を
しようとする『未完の幼きヴィジュアルクイーン』がつっ立っていた。
「……お前なあ」
「ゔぁ゙?」
 大体にしてほぼ毎日顔を突き合わせているのだ、聞き間違うはずがない。
 俺の担当アイドル・星井美希である。
「アホか。なにしてるんだ、美希」
「プロデューサーさん、おはよーなの」
「スタジオとかではそういうふうに挨拶するけど、世間一般では『こんばんわ』の時間だぞ」
 いきなりの珍客に戸惑いながら、何があったのかと首をかしげる。
「どうしたんだ、なにか急用でも?っつうか、用事があるなら電話くれればいいだろう」
「ううん、違うの。ミキね」
 眉間の皺を解いた美希はにこりと笑い、こう言った。
「プロデューサーさんに遊んでもらおって思って」
「はあっ?」
「デートしてよ、プロデューサーさん」
「……デート?」
「あー、プロデューサーさん、いまエッチなこと考えたでしょっ!」
「なっ!?」
 むしろ、そんなことを言われたことで脳内に桃色の妄想が広がってしまう。14歳と言うのにため息
の出るようなプロポーションの持ち主、美しく染め上げられたブロンドのロングヘアとアンニュイな
物腰、仕事の付き合いとはいえ、相手は子供とはいえ、邪な考えのひとつやふたつ浮かばせねば
男がすたるというものである……と、まさに相手の目的は俺にそんな妄想をさせることだったようだ。
いたずらな光を放つ瞳で満面の笑みを浮かべている。
「うっふっふう」
「……おっま……大人をからかうと」
「あはは、ごめんなさいなの」
 照れ隠しに怒ってみせても効果などない。悪びれるふうもなく彼女は続けた。
「でもね、遊ぼっていうのはホントだよ。ミキね、わざわざここの住所調べて探したんだ」
「そうか、お前ここ来るの初めてだもんな。でもどうして?遊ぶんなら友達いっぱいいるだろう」
「さっきまで一緒だったんだけど、お開きになっちゃったのー」
 遊んでいたというのは、2駅隣のショッピングモールだった。友人がその近所に住んでおり、みんなで
新しく出来た人気の服屋をめぐっていたのだそうだ。しかし夕飯の時間になると帰宅する子や
ナマイキにもこれからデートの子などばかりで、美希だけ取り残されてしまったと言う。

「今日はパパとママ、二人でお芝居観に行ってるんだよね。お姉ちゃんもお友達と遊びに行っちゃった
し、ミキごはん食べるトコないの」
「家にメシくらい用意してないのか」
「いらないって言っちゃったんだもん」
 友人の誰かしら残るだろうと思っていたのが彼女の誤算だったようだ。食事分の小遣いは貰って
いるが一人でファーストフードというのも味気なく、そういえば俺の住所がこの辺で、自分と一緒に
オフだと思い当たった、という経緯らしい。
「んー、まあそう言うことなら、俺もちょうど飯でもと思ってたところだ」
「わ、やった、ねえねえプロデューサーさん、どこ行こ?」
「まだ決めてないよ。ちょっと待ってろ、いま用意するから」
「上がってていい?」
「いいけど、余計なことするんじゃ」
「わーいお邪魔しまーすっ」
「人の話を聞けー!」
 ともかく部屋に入れ、興味津々の表情で独身貴族のたたずまいを物色する彼女を牽制しながら
手早く着替える。今や彼女も街を歩けばたまには気付かれる程度には顔が売れている。連れ立って
歩く俺も誤解を生むような格好をするわけには行かない。
 チノにボタンダウン、インナーにTシャツを着込んだら美希に却下された。この姿は相当ダサいらしい。
「なんでだよ、もうけっこう寒いだろ」
「もこもこヤなの。この方がすっきりしてかっこいいよ、プロデューサーさん」
 まあ姫のご要望では仕方がない。強い風が吹かないよう祈りながらジャケットを羽織った。
「なにか食べたいものあるか?美希」
「プロデューサーさんは?」
「なんでもいいよ」
「じゃね、ミキあれ行きたい!居酒屋さん!」
「はあ?」
「いいじゃない、だってプロデューサーさんお酒飲むでしょ?ミキお味噌の焼きおにぎり食べたいな。
あと焼き鳥とモツ煮」
 一瞬躊躇したが、考えてみれば高級フレンチとか言われるよりはよほど気が楽だ。ついでに
未成年者を居酒屋に連れていく件についても、地元なら心当たりがあった。
「んー、じゃあそうするか。ただしお前はタレントなんだからな、立ち居振る舞いに注意すること」
「ハイなの!」
 すばらしくよい返事だが美希のことだ、よく見ておかねばなるまい。

 いわゆるベッドタウンに分類されるこの駅前には仕事帰りの客を当て込んだ店が群拠しており、
俺の行きつけの店はその中の、古びた飲食店ビルの地下1階にあった。日曜の夕食時とあっては、
客は俺と顔見知りの常連ばかりのはずだ。
「おやっさん、いいかい」
「よう兄ちゃん……なんだよ、今日はカノジョ連れかあ」
「よしてくれ、話したことあるだろ?事務所で担当してる子だよ」
「ああ、美希ちゃんっていったっけ」
 このような少々の誤解も一言で済むのがありがたい……と思ったのが間違いだった。
「はじめましてー。いつもミキのハニーがお世話になってまーす」
「こら美希ーっ!」
 入店30秒でこのありさまだった。大して広くない店内のそれでも目立たない席を見付け、今日の
客筋を確認してようやくひと息つく。
「美希……お前なあ」
「えへ、ごめんなさあい。でもプロデューサーさんがみんなトモダチだって言ってたから、あんな
感じのツカミでいけるかもって」
「お前は漫才師か。まあ結局『俺が担当アイドルに手を出す度胸なんかない』って誰ひとり
引っかからなかったけどな、はぁ……じゃなくて言ったろ、注意しろって。もしも見ず知らずの
美希のファンが店の外を通りかかって、今の聞こえちゃったら大ショックだろ?追いかけて
冗談でしたとか言えないんだぞ」
「あ、そっか」

 あの若造がいっちょまえに説教なんかする身分になって、という声が聞こえてきそうな興味津々の
視線の中、芸能プロデューサーとしての責任を果たす。常連客の大部分は学生の頃の俺を憶えて
いて、この店での俺はいつになっても『ぐーたら学生の兄ちゃん』なのだ。
「もう普通に歩いてても声かけられたりするだろ?それだけ注目されてるんだし、お前が気づかない
うちに何か勘違いする人もいるかも知れない。あとでタネ明かしが要るようなジョークはダメ」
「むー、キュークツなの」
「TPOってことだよ。今のは、入口のドアが閉まってる時だったらセーフかな」
「はあい。今度は戸締り確認するね」
「なんかおかしいが、いいだろ」
 品書きを見ながら適当に腹に溜まりそうなものを頼んでゆく。美希を家まで送るにしても、
ビールの一杯や二杯構わないだろう。
「美希、お前は何飲む?」
「あ、ミキはとりあえずカシスオレンジでいいや」
「おやっさん、中生とオレンジジュース」
「あープロデューサーさんノリ悪い!今のは『オッケー、中生とカシスオレンジねーってコレ酒
じゃんかっ!』ってノリツッコミするトコでしょっ!」
「できるかー!」
 美希の育ちを考えるとこういう店には縁はないだろうと思っていたが、案の定店内のそこら中が
気になるようだ。腰を落ち着ける間もなく、入口の縄暖簾から神棚の熊手からカウンターの
大皿惣菜まで全部観察して回る。
「おじさんおじさん、あの飾りなに?クマデ?熊手って熊の手でできてるの?」
「うわあ、タレントさんのサインいっぱい飾ってある。ミキのは?ああ、お店に来た時にサイン
置いてくんだ。じゃあ今日はミキも書いていっていいんだね。明日も来たら明日も書いていいの?」
「あ、このお芋おいしそう!おじさんこれ食べ放題なの?え、美希ちゃんなら特別?やった、ありがと
なのっ」
「おじさんその瓶の中身なに?梅?へー、おっきい梅酒だねっ。となりは?ふうん、ニンニクも
お酒になるんだー。そのとな……ひゃああっ、へへへヘビっ!おじさんお酒のなかにヘビがーっ!」
「うるさいよお前はー!」
 マムシ酒に悲鳴を上げるに及んで、さすがに首根っこを掴んで席に引き戻した。客たちの中には
テレビで彼女を見知っている者もおり、『星井美希の居酒屋ぶらり旅』を大層楽しんでいて苦情の
たぐいは心配なさそうだ。とは言え、このままでは他の誰でもなく俺の神経が持たない。
「お前なあ、普通のレストランに入ったってここまで気さくに店長とトークしないだろ?」
「はーびっくりしたぁ。プロデューサーさんあのお酒飲んでみてよ」
「話を聞け。そして俺を実験台に使うな」
 もうひと説教くれようと思ったら、ふいに俺の目の前に、ビールではなく透明な液体の入った
ショットグラスが置かれた。中身の見当がついた美希が期待に目を輝かせている。……店主の
オゴリってことらしい。
「ええい、どうなっても知らねーぞ」
 溜息をひとつつき、俺は美希のオレンジジュースとグラスを打ち鳴らした。

 店内には一時間と少しくらいいたろうか。店主はご丁寧にも表に『本日貸し切り』の張り紙まで
してくれており、俺たちは少なくとも事情を知らない一般客を驚かすことだけはなく楽しく食事を
終えた。
「おいしかったあ。プロデューサーさんご馳走様でした」
「俺は食った気がしねえよ。美希、ちゃんと食べたか?」
「うん!あの焼きおにぎりね、ミキが生きてきた中でイチバンだよって言ったら、おじさん今度
差し入れ持ってきてくれるって!」
「はいはい、そいつはよかったな」

「ねえねえプロデューサーさん、次どこ行くの?」
「どこって……帰るに決まってんだろ」
「うええ~?」
 当然のつもりでそう答えたら、ものすごい顔で不満をぶつけられた。今の顔も写真誌に
やられたら活動できなくなるに違いない。
「まだつまんない!プロデューサーさんもっと遊ぼうよー」
「バカ言ってんじゃないの、コドモは寝る時間だぞ。お父さんたちだってもうすぐ帰ってくるんだろ?」
「ぶうぅ~」
「その顔やめろ」
 しばらくにらみ合いが続いたが、いずれにせよ中学生には少々遅い時間だ。見た目こそ
ハデだがなんだかんだ言って育ちのいい美希も、自分に分がないことはわかっているだろう。
明日は月曜日で学校もあるし、その後は事務所に来てレッスンもあるのだ。
 やがて彼女も気持ちの折り合いをつけたらしく、ふうと小さくため息をついて俺を見上げた。
「じゃあさ、じゃあさ、ミキのこと、家まで送ってよ」
「お安い御用だよ。つうかそのつもりだった」
「家まで手、つないでくれる?」
「バカ言え、さっきも言ったろ?誤解される行動は禁物」
「なら……50センチ以内」
「へ?」
「帰るまででいいから、ミキから50センチより離れちゃダメ!触らなかったら勘違いもないでしょ?」
「おま……」
「だめ?じゃあ45センチ!んー、40センチなら?」
「縮めんなー!」
「ね、ね、いいでしょ?」
 俺は内心で白旗を揚げた。エスコート距離がゼロになる前に手を打たねば元の木阿弥である。
「わかったよ。でもさすがに歩きづらいから、1メートルまではOKにしてくれ」
「やったー」

 駅までの100メートルは最大距離を維持したが、意外に混んでいた車内では美希が嬉しそうに
微笑むのに気づき、冷や汗が出た。電車が揺れた折をみてはさりげなく背中を持たせかけてくる
美希を支えてやりつつ、小声で訊ねてみる。
「美希、今やってること面白いか?」
「うん、面白いよ。なんで?」
「お前ってさ、はじめのうち何か違う感じだったろ」
「すぐ寝たり、チコクしたり?」
「声でけえよ」
 美希が変わりつつあるのに思い当たったのは、少し前のことだ。二つ目のランクアップを
果たした後だったろうか。
 その頃を境に、遅刻が減った。ドタキャンがなくなった。レッスンや収録に身が入るように
なった。業界経験の浅い俺ですら、美希がカメラの前で見せる輝きに磨きがかかったのを
感じ取ることができた。
「今のお前さ、なんつうか、幸せそうだよ。別に今まで不幸だとか思わないけどな」
「幸せかー……うん、でも、そうかも」
 俺の胸に背中を預けたまま、真上を向いてそう言う。
「あのね、ミキってドリョクしないでなんでもうまくできる子でしょ?」
「もう少し謙虚にならんかなー」
「だからね、学校とかでもあんまり面白くなかったの。んーと、イゴコチいいけど、楽しくないの」
「へえ?」

 何度か言い換えを試みながら俺に話してくれたのは、いわゆる天才の未充足感だった。
 教科書に一通り目を通せば内容が理解でき、憶えたことは忘れないのでテストでも必要充分な
点数が取れる。運動神経もセンスもあり、普通に学校生活を送るに足りないものは何もない。
顔もスタイルもよく、明るく人なつこい性格でクラスメートにも評判がいい。美希は毎日を
不自由なく過ごしているのだが、努力しないで相応の境遇にいられるから、何かに必死に
なるということがなかった。
「ミキ自分でもね、ヒッシな人ってなんか暑苦しいし、やだなって思ってたんだけど」
 美希は続けて言う。
「ゲーノー界ってね、みーんなヒッシだったの」
「必死ねえ」
「んっとね、例えばディレクターさんはいっつも番組作りのこと考えてるし、メイクさんはお化粧の
ことばっかりケンキューしてる。メイクのコツとか、ミキがひとつ聞くと10も20も教えてくれて
憶えきれないの」
「ああ、なるほど」
「音響のチーフさんだったかな、もっと楽しいことあるって思うな、って聞いたら、『集音マイク
いじるより面白いことなんてないよ』って言われてびっくりしちゃった。ミキ、マイクなんか
いっこも面白くなかったんだもん」
「あはは、それは人によるよな」
「うん、それ。人によるっていうこと。でもね、それぞれみんな、自分の好きなことにはすっごい
夢中なの」
 似たような業界は多いが、芸能界というものも『好きでなければやっていられない』世界だ。
仕事はキツい、給料は安い、下積み期間は長い、功績はトップが総取りでミスは底辺が
全部背負い込む。765プロの待遇は相当マシで、俺より年齢も経歴も上の人間が、俺より
安い給料で、俺より大変な仕事をこなしていることだってザラにある。この俺たちを支える
原動力は、『この仕事が好き』だということだ。
「そりゃそうさ。俺だって番組作りが好きでこの業界にいて、社長に拾ってもらったんだ。
自分の好きなことだから、いくらでも夢中になれるよ」
「それでね」
 美希は俺から身を離し、こちらをくるりと振り向いた。
「そんな夢中な人たちが作った番組が、すっごく素敵だったの」
 タレントを輝かせるメーキャップアーティスト。歌い手の声に最大限の効果を与える
バックバンド。視覚演出が舞台を盛り立て、ベストの音源を収録し、至高のステージを
ディレクターがメディアとして完成させる。テレビ番組とはまさに、各分野のプロフェッショナル
の技術の集大成であると言えた。
「そのチーフさんに言われたんだ。『美希ちゃんが一生懸命歌ってくれてる、その歌声を
俺のマイクが集めて、それが番組になって日本中に流れるんだよ。こんなに面白いこと、
他にないだろ?』って」
「うん、そうだよな。その人にとっては、いっちばん面白いことなんだよな」
「だからね、えへへ」
「なんだよ」
「だからね……ミキもアイドル、夢中になってみようかなって思ったの」
 頬を染め、照れて笑う美希に見とれているうちに最寄り駅に到着し、会話の続きは夜道を
歩きながらとなった。
「ミキがフツーに歌ってもみんな褒めてくれるけど、前もっていっぱい練習して一生懸命
ステージやると、みんながすっっっごい喜んでくれるんだよ!目をまん丸くする人がいたり、
タレントさんじゃなくてスタッフさんなのになんだか『うわ、負けてらんねー』とか燃えちゃう
人とかいて、とっても面白いの!」
 1メートルだの50センチだのの約束も忘れて、俺の視界を目一杯駆使して大きな
身振り手振りで説明する。と、そこで言葉を切り、美希は動きを止めて俺を見つめた。
「だからね」
「うん?」

「だから、お仕事ない日はちょっぴりつまんなくて。それに、きっとプロデューサーさんも
つまんないかもって思って、プロデューサーさんちに遊びに来ちゃった」
 俺は……。
 俺はこの日曜日、なにをしていたろう。
 昼前までだらだら眠り、たまっていた掃除洗濯をこなしてテレビを眺め、雑誌を読み
コンビニをハシゴして、気がつけば一日が終わっていた。
 もちろんそれは、仕事の疲れをとるためだ。布団で眠ることもままならない日々を
送る身にとって『なにもしない日』は貴重であり、俺はそれを存分に楽しんだ、という
ことになる。だが。
 だが、今日は何かに夢中になることがなかった。
 ……美希が、現れるまでは。
「えーっと、美希はさ」
 迷いながら、聞いてみる。
「今日、俺と一緒にいて楽しかったか?」
「うん!あのね、プロデューサーさんち上がってお部屋の中見たのも楽しかったし、
居酒屋さん初めて入ったのも楽しかった!焼おにぎりもおいしかったし!」
 誰の入れ知恵か、部屋に上がり込むなりタンスの裏や本棚の奥をまさぐる彼女から
秘蔵のコレクションをガードした。気心が知れているとはいえ他人の目のある居酒屋
では、美希のイメージが崩れないよう始終注意を払っていた。おかしな酒まで飲む
羽目になり、へんてこな高揚感の中で漫才のツッコミ役の気分だったが、この時間の
俺は……ある意味、美希に夢中だったのだ。
「そっか」
 今の俺は、生活のほとんどを美希に握られている。仕事上の担当者だ、当たり前
とも言えるが……。
「ならいいや。お前が楽しかったんならさ……ん、お前ん家この辺じゃなかったか?」
 見覚えのある街角で立ち止まった。斜め上方をに視線をやると、マンションの
目指す窓からは明かりが漏れている。
「あ、誰か帰ってる」
「うわ、やばいな。一緒に行って説明しよう」
「だいじょぶだよ。この時間ならきっとお姉ちゃんだから」
「しかし」
「へーきなのっ」
 家族が心配しているだろうと思ったが、押し止められた。
「もー、プロデューサーさん心配しすぎだよ」
「そうかぁ?」
「このくらいまで友達と遊ぶことはあるもん。どっちかって言うと、今までプロデューサー
さんと二人きりだったって言っちゃう方がお姉ちゃん、いろいろ勘ぐるかもって思うな?」
「うっ」
 確かに、俺は美希の両親とは顔合わせをしているが姉とは面識がない。美希の言う
とおりなら、ここで別れる方が彼女にとって都合がいいのかもしれない。
「そうか、わかったよ。ただし、帰ったフリして遊びに出たりすんなよ?」
「しないよ?そんなの。あとはおうち帰って寝るだけ」
「ん、それじゃここでさよならだな。明日は学校終わったら事務所でレッスン。遅れんなよ」
「はーいっ……あ、ねえねえプロデューサーさん」
 マンションのエントランスで手を振ると、美希が再び近づいてきた。
「どうした、忘れ物でも?」
「おやすみのキスは?ん~っ」
「ばっかやろ」
「あはは。プロデューサーさんおやすみなさい」

 改めて手を振り、来た道に戻る。気配を感じて振り返ると、美希がまだこちらを見ていた。
「……なんだよ、今度は」
「あのね、プロデューサーさん……プロデューサーさんは、どうだった?」
「どうって」
「ミキといて、面白かった?つまんなかった?……メーワク、だった?」
 いざ別れる段になり、多少の反省の念がこみ上げてきた、といったところか。体の前
でもじもじと手をすり合わせながら訊ねる彼女が、俺にはようやく年相応に見えた。
 少し考えるふりをしてもう一度彼女の元に戻り、おもむろに右手で髪を撫でてやった。
「ばーか」
「うひゃ?」
「迷惑なもんか。俺も、すっげえ楽しかったよ」
 頭というより首ごとこねくり回し、心の内で感謝を伝える。
「今日はただぼんやりして過ごしてたからな、あのまま寝てたら翌日気合入らない
まんまで、仕事始めることになってたよ。ありがとな、美希」
「じゃあじゃあ、プロデューサーさんも明日はレッスン、夢中になれる?」
「なるなる。ビッシビシしごくからな」
「やった、えへへ」
「おかしいぞその返し」
 とにかく今日はちゃんと寝ろ、学校遅刻すんなよ、宿題とか大丈夫か、他にもいくつか
保護者のような注意をし、キリがなさそうなので彼女がエレベーターに消えるのを
見送った。ドアが閉まるまで満面の笑顔で手を振り続けた美希の籠が目的の階で
止まるところまで見届け、ふうとひと息ついて歩道にとって返す。
「さてと、明日は……」
 のんびり過ごすはずだった日曜日は、夕方からロケットで飛び去ってしまった。
明日は定時に出社し、美希が来るまでに打ち合わせを3件と企画書の仕上げが2件、
そして一番の難物・経費申請を片づけねばならない。
 そんな明日、安穏な休日が明けて仕事づくめの一週間が始まる日、全世界の学生と
全世界の勤め人の憂鬱の矛先、その曜日の名は。
 美希と会える、その日の名は。
「うん。明日は、……美希曜日だな。あっはっは」
 思わず口をついたネーミングのあまりのストレートっぷりに自らを笑い飛ばし、
駅へ向かって歩き出した。
 美希は……俺の担当アイドルは、たぶん俺をぞっこんにするために生まれてきた
のだ。俺がテレビ屋を志したのも、高木社長と出会ったのも、美希に巡り会うため
だったのだ。
 美希はそのために遣わされた『美希曜日よりの使者』だったのだ。
 彼女はきっとトップアイドルになるだろう。素質があるのは明らかだし、さっきの
打ち明け話では彼女に一番必要だったものも得ていたことが知れた。
 あとは、俺が彼女を道案内すればいい。俺の元に降りてきてくれた可愛らしい
使者さまを、彼女がもといた高みまで。
 美希曜日の毎日まで。
「美希曜日の使者ねえ。はは、ははは」
 思えばあのマムシ酒がいけなかったのだ、うむ、きっとそうに違いない。そう
ひとりごち、それこそ美希が生まれた頃の歌を小さな声で口ずさみながら歩く。
 街灯とまばらな車通りの先、俺の行く手には、遠くぼんやりとした明かりがまたたいていた。





おわり