季節外れの馬鹿話 > OBON!


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事務所のエアコンが壊れた。
正確に言えば、事務所にひとつしかなく備え付きであった歴戦の老兵(推定15歳)が遂に力尽きた。
外気温は30度を余裕で上回る真夏日。室内温度なんて確認しようものなら、意識くらい簡単に吹き飛んで下さることだろう。
事態は混沌と化していた。ある者は奇声を発し、ある者は地球温暖化の恐怖に打ち震えている。
北海道出身の社員が生気の無い顔で故郷の写真を舐めまわし、うっかり温度計を見てしまった小鳥さんがゆっくりと倒れて、数秒後に「暑い!」とか叫んで現世に復帰。

それ即ち、混沌である。

元はと言えば、調子が悪いから修理に出しましょうよと1年前から言っていたにも関わらず、提案を受け入れなかった社長が悪いのだ。

「逆に考えたまえ諸君、これでいつでも南国気分だ!」

とか何とか社長がのたまい仰せられたので、社員数名で取り押さえて布団に包んで縛っておいた。サウナ効果でより健康的なことだろう。
電気会社に老兵の緊急手術を要請するものの、先方は拒否。なぜなら、世間は今お盆休みだ。
そんな訳で、事務所は休業。
      • 良いのかそれで。仮にも芸能事務所じゃないのか。お盆は稼ぎ時じゃないのか。
しかしまあ、気にしたら負けである。割り切りも込めた溜め息一つ。それに、何だ。こういう時にしか出来ないこともあろうに。
思い、まずは携帯電話を取り出した。3度のコールで繋がり、やあ、と切り出す。

『おはようございます、プロデューサー』
「おはよう、雪歩。唐突だが、今日はお休みだ」

考えるような数拍。
なぜですか?と尋ねられたので、かいつまんで伝えておく。

『えっと、良いんでしょうか?』
「まあ雪歩は今日、日程調整だけで仕事は無かったからな」

折角の盆休みだから、しっかり休め。そう言うと、困ったような声が聞こえてくる。

「どうした?」
『え、っと、それが・・・』

聞けばご両親共に不在で、本日は大変暇であるらしい。
ふむ。

「なら雪歩、事務所に来てみないか」
『え、事務所はお休みじゃないんですか?』

その切り替えしに、事務所を見渡す。社員数人は買出し、家が近い小鳥さんは必要機材の担当。席を外している。
絞め殺しの窓の外がまるでオアシスのようで、平時であれば在る筈の無い思考にある種の戦慄を覚えた。

「いや、なに」

自然に口許が歪む。

「ちょっとした昼食を、ね」

約束の時間はお昼で、太陽は一番てっぺんまで昇っていて、電車から降りた途端熱風に晒された。
しかし、大した障害ではない。何せ彼からのお誘いである。それも、お食事らしい。
そりゃあもう顔が綻んでいるのが自分でもわかって、事務所までの足取りは軽い。
喫茶店のガラスを使って身だしなみを気にしてみたりとかしつつ、いつもより数分ほど早く目的地へ辿りついた。
彼に着きました、とメール。入っておいで、と返信。あれ?事務所は閉まっているんじゃ?
訝しげに思いつつ、階段を昇る。ドアノブをまわし、戸に力を入れる。簡単に開いた。

「失礼し・・・」

同時に、温風。
反射的に顔を顰めてしまい、しかし視界は確保する。霧だか湯気だか、というか湯気だ。なんで?
奥に進む。え、何、サウナですか?
ようやく到達したらしい中心地では、目を疑う光景が繰り広げられている。その光景が一体何であるのか、暫く考えた。
いや、考えずとも私はそれを知っている。知っているけれど、頭が理解しようとしない。
状況把握が間に合わず、しばし呆然とする。
ああ、でも、これは、どう見ても。

鍋だ。

「おお、来たな雪歩」

そう言う彼がつまむのは、ツミレ。思えばスーツ姿ばかり見てきたから、Tシャツ一枚と言うのは新鮮です。
      • あれ?私、現実逃避してます。

「雪歩ちゃん、雪歩ちゃん」

掛けられた声に顔を向ければ、にっこり笑う小鳥さんが居た。汗だくで。

「はい。お皿とお箸、雪歩ちゃんの分」

有無を言わさず握らされた。なぜかそこに居た春香ちゃんが、おいしいです、おいしいです、なんて言いながら咀嚼している。
あまり接点のない他のプロデューサーの方々は、頑張れ、負けるなよ、と励ましてくれた。何が?

「あ、あの」
「どうした?」

はふはふ言いながらプロデューサーが答えてくれて、あまりの自然さにむしろ私が間違ってるんじゃないかという錯覚に陥る。

「・・・何をしているんですか?」
「何って」

お皿から白菜を掴み上げる。

「・・・鍋?」
「夏ですよね?」

ん、と彼が首を傾げる。

「何だ、雪歩は冬にアイスを食べないのか?あれはあれで美味しいじゃないか」
「わ、プロデューサーさん、その例えは的を射てますね!」

そうでしょう!流石です!そんなやりとりを横目に周りを見渡せば、社員の方々はむしろ具材を取り合っている。
てめぇそりゃ俺のトリだふざけんな!とか、じゃあさっきのアンコウ返せこのカス、とか聞こえてくる。

何これ。

プロデューサーが諍いに割って入り、菜箸で鶏肉とアンコウの切り身を投入する。ちゃぽん、と軽い音。

「夏、エアコンが壊れた、地獄のような暑さとくれば?」
『鍋!鍋!鍋!さっぱりポン酢であったかポカポカ真夏鍋!夏はサウナで鍋パーティー!』

私を除いた、そこに居る全ての人たちの唱和。男女の区別なく壮大に響き渡る。
そこに存在するのは、紛れもなく笑顔だ。ただし、汗まみれの。
正直、ゾッとした。満足そうに頷くプロデューサーが、そのままの表情でこちらを向く。

「わかったか?」
「いえ、残念ながら」

首を振りながら答えると、む、と渋い顔をされる。

「いいか雪歩、夏に汗をかくことは必要なことなんだ」
「そうよ雪歩ちゃん。鍋は身体を内側から暖めてくれるんですよ?」
「いえ、それについては私もわかるんですけれど」

改めて見渡す。ふと見えた温度計に意識ごと持っていかれそうなのを堪え、相対。
煮えたぎる食材。先の社員さんふたりは、お互いアンコウと鶏肉を肩を組みながら頬張っている。うわぁ。
プロデューサーが、ああ、と声を上げた。

「そうか雪歩。鍋は嫌いか」
「いえそう言う訳ではなく」
「じゃあ何なんだ」

尋ねられる。小鳥さんが私のお皿に魚の白身を載せようとするのを慌てて阻止。
美味しいのに。そう言いながら、彼女が自らの口へと運ぶ。ある種の恐怖さえ覚える。

「・・・ごめんなさい、プロデューサー。私、よくわからないんです」
「何がだ?」
「時期を考えていただければ・・・」

数秒、お皿片手に箸を休めず彼が悩む。えのきを良く噛んでから、或いは飲み込んでから、ああ、成る程。そう口にする。

「まあ確かに、真昼間から鍋と言うのは少しおかしくはあるな」
「いえですからそう言う訳ではなく」

無意識に頭を抑える。何だろうこれ。

「今日の雪歩ちゃんはツッコマーですねぇ」
「ボケてないんですけどね」

えー・・・。

「とにかく、やめた方がいいと思います」
「何でだ、こんなに素晴らしい鍋パーティーだというのに」

切り返しに疲れたので、取り敢えず空いていたオフィスチェアに腰を降ろす。

「こんなの、絶対に身体に悪いですよぅ」

なぜか泣けてきた。嗅覚を刺激する、出汁の香り。

「どうして泣くんだ雪歩。おいしいぞ?」
「ほら雪歩ちゃん、騙されたと思って食べてみて?」

いつの間にか傍に居た小鳥さんが、左手にセットしたままだったお皿を盛り付けていく。あっという間に冬景色。

「ぅぅ・・・」

ただでさえ猛暑日で、エアコンは無くて、鍋が繰り出す熱気がこもる室内。
もういいや。もうどうにでもなれ。自棄です、もう。
アツアツの糸こんにゃくを、恐る恐る口に運ぶ。


―――次の瞬間には、世界が変わって見えていた。










約束の時間はお昼で、太陽は一番上まで昇っていて、電車から降りた途端熱風に晒された。
しかし、大した障害ではない。何せ彼からのお誘いである。それも、お食事らしい。
そりゃあもう顔が綻んでいるのが自分でもわかって、事務所までの足取りは軽い。
喫茶店のガラスを使って少し身だしなみを気にしてみたりとかしつつ、いつもより数分ほど早く目的地へ辿りついた。
彼に着きました、とメール。入ってきな、と返信を受けた。
あれ?事務所は閉まっているんじゃ?
訝しげに思いつつ、階段を昇る。ドアノブをまわし、戸に力を入れる。簡単に開いた。

「失礼し・・・」

同時に、温風。
反射的に顔を顰めてしまい、しかし視界は確保する。霧だか湯気だか、というか湯気だ。なんで?
奥に進む。え、何、サウナ?ようやく到達したらしい中心地では、目を疑う光景が繰り広げられている。
何、これ。
いや、私はそれを知っている。知っているけれど、頭が理解しようとしない。
状況把握が間に合わず、しばし呆然とする。
ああ、でも、これは、どう見ても、

鍋だ。

「おお、来たな千早」