七草十草


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 2010年のお正月もそろそろおしまいです。三が日もとうに過ぎ、週の終わりには学校の
授業が始まります。
 芸能プロダクションである私たちの会社では、仕事納めや正月休みはむしろよくない
ジンクスになってしまいますが、去年から今年にかけてはありがたいことに、社長や私や
他のスタッフの皆さんはほぼ休日返上となりました。ええ、初詣も事務所の裏の神社です。
いいんです縁結びの神様だっていう話ですし。
 なにより、私たちよりずっと頑張っているアイドルのみんなのために、私たちにできる
ことがあるんですから、それを喜ばなければなりません。
「お疲れさまです……おっと、小鳥さんだけですか?」
「あら、プロデューサーさん」
 事務所のドアを開けて入ってきたのはプロデューサーさんでした。
「お疲れ様です。皆さん上がりですよ、もうこんな時間ですしね」
「えっ、まさか小鳥さん、俺のために事務所開けててくれたんですか?」
「いいええ。1月って営業日数少ないんですよね」
 申し訳なさそうな表情になるプロデューサーさんを牽制します。気を使わせたいわけでは
ありません。
 現在の765プロで、プロデューサーの肩書きを持つのは彼だけです。765プロは昔から
少数精鋭主義ですが、この人のように一人で10人ものアイドルをプロデュースできるような
人は滅多にいません。
「プロデューサーさん、やよいちゃん送ってきたんですよね。場合によっては直帰するって
電話でおっしゃってませんでした?」
「ああ、いや、早く体が空いてしまいまして。年が明けて一週間たつっていうのに事務所にも
顔出してませんでした、まあ生存証明をと」
「あ、そういえばそうですね」
 プロデューサーさんの顔を見たのは、大晦日の打ち上げ以来でした。新春の生番組が
たくさんあり、彼はその立ち会いをしながら得意先回りや打ち合わせをこなしていた
のです。それで思い出しました。
「じゃあプロデューサーさん、改めて、あけましておめでとうございます。電話では言い
ましたけど、面と向かってはまだでしたから」
「あ、こりゃどうも。こちらこそあけましておめでとうございます」
 お辞儀した私につられるように、ひょいと頭を下げてくれました。そして顔を上げる
と、なにか考えながら私の顔を見つめます。
「どうかしましたか?」
「……いや、小鳥さんの顔見るのも一週間ぶりだなって」
「な」
 他意なく言ったのだと思います。この人はそういう人ですから。アイドルのみんなや仕事
相手、誰にでもふと心の芯をくすぐるようなことを言うのです。
 でも、頭でわかっていても顔に血が上ってしまいました。
「っな、なに言ってるんですかプロデューサーさん、こっ、こんな私みたいな顔なんか
見たってなんにもなりませんよっ」
「あ、いやそんなつもりじゃ」
 だ、だいたい毎日若くてきれいなアイドルのみんなと一緒にいて、お仕事先でも美男美女
ばっかりで、こんな私なんか箸にも棒にも引っかからないなんてこと充分わかってます。
わかりきってます。
 でも、それでも……気になる人にこんな風に言われると、平静ではいられません。

 そんな私を見て怒らせたと解釈したのでしょうか、プロデューサーさんは慌てて言い訳
をしました。
「からかった訳じゃないですよ小鳥さん、なにか気に障ったならすみません」
「べ、別にそんな」
 上背のある大きな体で両手をぶんぶん振り回して、その焦り様が少し面白く、私はすぐに
機嫌を直してしまいました。我ながら簡単な精神構造です。
「気に入らないとかじゃないです、ちょっとびっくりしただけで」
「はあ」
「そんなに怖がらなくても経費伝票却下したりしませんから」
「それは助かります、ってそういうことでもないですよ、俺の方も」
「ふふ」
 どうにかいつものテンションを取り戻して、プロデューサーさんと笑い合います。
「収録の方はうまく終わりましたか?」
「やよい、頑張りましたよ。満点ですね。むしろ俺たちフロア組の腹の音がマイクに拾われ
はしないかとヒヤヒヤしましたが」
 今日のお仕事はグルメ番組でした。やよいちゃんはゲストの一人で、出演者それぞれの
アイデア料理を紹介し合う内容。当然ですがプロデューサーさんがご相伴にあずかる
ことはなく、美味しそうな匂いの立ち込めるスタジオで他のスタッフさんともども指を
くわえていたとのこと。
「やよいが、一緒に出演したアイドルの子と意気投合しちゃいましてね。種子島の出身って
言ったかな、彼女の実家も生活がちょっと大変な時期、あったらしくて」
「ああ、あの。境遇似てるかもって思ってました。明るい子ですよね」
「プロデューサーとしてはキャラクターがカブるんで少々心配なんですがね。けっこう歳も
離れてるっていうのに当人同士はもうすっかり仲良しですよ。番組的にも東西対決みたい
になって盛り上がりましたし、収録後も二人で話がしたいって言われたんで、俺は途中で
お役御免になってしまった」
「帰社時間が電話で聞いたのより早いって思ってたんです。そうだったんですか」
 話題の終わりに、訊ねたかったことを聞いてみました。
「ところでプロデューサーさん、お腹空いてます?」
「えっ?そうですね、実はいささか。収録が収録だったんで胃袋をしこたま刺激されましてね」
「よかった。お雑炊の用意があるんですよ、召し上がりませんか?」
「雑炊?なんでまた」
「今日は1月7日ですから」
「ははあ、七草粥ですか」
「今日だけじゃないですよ。765プロではお正月の収録があると、事務所にお食事を用意
しておくんです。三が日はおせちがありましたし、昨日まではお餅も残っていたので
お雑煮もお汁粉もできました」
 去年の春に来たプロデューサーさんはご存知ではなかったようです。
 芸能界というところはせっかくのお正月だというのにお仕事がたくさんある業界です。
年若いアイドルのみんなは特に、ご家族とも別行動になってしまいます。せめて楽しい
収録になるよう、言ってみれば事務所が家の代わり、私たち事務スタッフが家族の
代わりをしているのです。
「あー、やよいがそんな話してたな、そう言えば」
「千早ちゃんや伊織ちゃんなんかオフの日も来て何やかや摘んでましたよ。いかがですか?」
「わざわざ作るんでしょう?なんか悪いな」
「お気にめさらず。私も今日はもうお仕事終了ですし、ごはんがまだ少し余ってるんです。
それにその、七草の方は日持ちもしませんし、残してももったいないですからね」
「そうですか。では、遠慮なく」

 少しアピールし過ぎたかな、と思ったのは私だけだったようで、プロデューサーさんは
嬉しそうに笑ってくれました。
「今日の番組のメインテーマも鍋だったんです。やよいたちが締めの雑炊をがんがん
たいらげて行くのを見ていて、スタジオ乱入まで一瞬考えてしまいました」
「あはは、あぶなかったですね。作ってきますから、少し待っていていただけますか」
「小鳥さん」
「はい?」
「……あの、そばで見ていてもいいですか?」
「ふえ」
 たぶん、何の気なしに言っただけでしょう。そういう人なのですから。空腹が先立って
いるだけなんだと思います。
「ぅ、い、いいですけど、男の人は面白くないんじゃないですか?」
「いやその……すでに待ちきれなくなりまして」
 ね、やっぱり。
「は、はいはい。急いで作りますね」
 でも、なぜでしょう。私の頬は緩みどおしです。
 臨時のキッチンになっている給茶室で、熱湯に塩を一つまみ入れて七草をゆでます。
「普通なら七草ですが、今年は『十草』で作ってみましたよ」
「十種類?七草は『芹・薺・御形・繁縷・仏之座・菘・蘿蔔』ですよね」
「正解。それに人参、椎茸と豆苗を入れるんです」
 水に取って絞り、1cmに刻んで取りおきました。これは最後に雑炊に混ぜます。
「色味を加えるつもりなのと、ほら、うちには今アイドルが10人いるでしょう?」
「ああ、そういう意味ですか」
 誰がどれ、ということは考えていませんでしたが、頑張って働いているみんなになぞらえて
あげられたら、そう思ってあとから買い増したのです。
「でもそれじゃ、亜美か真美のどっちかが怒りませんでしたか?」
「ぬかりはありませんよ。もやしと同じ大豆で出来た油揚げも入れてあげました」
 お鍋にご飯を2膳、鶏がらスープの素を小さじ1杯、ひたひたの水で煮立たせます。
「もっとも『もやしならやよいっちじゃないの?』って言われましたけどね」
「はは、俺も今そう思いました」
「カブや大根はともかく、あとはぜんぶ野草ですからね、言ってみれば雑草です。あんまり
深く突っ込んで割り振るとかえって雰囲気悪くしそうなんで誤魔化しました」
「ねえ、小鳥さん。これも入れてもらえませんか?」
 ふつふつと小さな泡が立ち始めた頃です。プロデューサーさんが突然こんなことを言い
ました。怪訝に思って振り返ると鞄から出したのでしょうか、手にタッパーを持っています。
「なんですか?それ」
「さっき言ったアイドルの子からのおすそ分けなんです。やよいもずいぶん貰いましたが、
俺にもって。料理しない身にはちょっと困ってしまうんですよね、こういうもの」
 今日の収録に持参した余りだったとのことで、彼女の出身である九州では七草粥にも
入れるのだそうです。名前を忘れたが西日本で生える野菊の仲間だそうだ、と言われて
察しがつきました。
「関東で生えるのは食べられないんですよね。珍しいものをいただきました」
「小鳥さん、ご存知なんですか」
「昔教わった、くらいですかね」

 詳しくは説明しないまま、ゆがいて他の野草に足しました。
 溶き玉子を流し入れ、七草を混ぜて、塩と醤油で調味をしたら『七草雑炊』の出来上がり
です。
「お待たせしました。その子の地方ですよ、こうして具沢山のお雑炊にして食べるのって」
「いただきます。へえ、そうなんですか」
 器に盛って渡すなりお箸で掻き込むのを、給茶室のテーブルの反対側で眺めます。
美味しそうに嬉しそうに、息もつかずに食べる姿が可愛らしくさえあります。
「少し多めに作りましたけど、食べられそうですか?」
「うん、美味い。これならその鍋の倍でもいけそうです」
「七草はお正月に食べすぎた胃を休める意味もあるんですよ?逆効果じゃないですか」
 すでに一杯目は空でした。注ぎ直した茶碗もみるみるうちに減っていきます。
「ああ、すみません小鳥さん、小鳥さんも一緒に食べませんか」
「あ、そうですね。いただきます」
「ふう、いつもこんなの食えたらなあ」
 ……純粋にお腹が空いてるだけだと思います。この人はそういう人です。
「ま、またなにか作って差し上げましょうか?」
「嬉しいなあ、ありがとうございます小鳥さん」
「いえ」
 でも、耳が赤くなっているのに気づかれやしないでしょうか。
 私が一膳食べる間にもプロデューサーさんの箸が止まることはなく、またたく間にお鍋が
空っぽになってしまいました。大根とカブの身で作っておいた浅漬けもすっからかんです。
「ぷふう、ごちそうさまでした」
「ひょっとして足りませんか?七草はもうないですけど、なにか作りましょうか?」
「そこまでお手を煩わせるわけには行きませんよ」
 プロデューサーさんは椅子の背に体重を乗せ、お腹をさすりました。
「でもよかったです、この野草も無駄にならずにすみましたし」
 そしてこんなことを言うのです。
「なにより『ひと草』増やせた」
「はあ」
「だって」
 彼は私に向かって、にっこりと微笑みました。
「765プロには、アイドルは11人いるんですから。亜美真美のことじゃなく、ね」
「……え」
「うん、小鳥さん、あなたです」
 ……ど、どっ……。
 どうせ、ただの茶目っ気で言ってるだけです。な、なにしろプロデューサーさんは
そういう人なんです。
 でも、でも。……でも。
 でも、そんなこと言われたら、意識せずにいられないじゃないですか。
 だって、プロデューサーさんが貰ってきた野草は。
 『私だ』って足してくれた野菊の名前は。

 ……『嫁菜』、って、言うんです。
 知ってるんですか、プロデューサーさん?





おわり