ちーちゃん


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 女同士なんて気持ち悪いと思った、のに。

更衣室ではいつも隅で身を縮こませながら着替えていたのが普通だった千早が、人並みに振舞えるようになったことに春香は内心、喜んでいた。
コンプレックスからか、人と一緒に着替えることさえ拒んでいた千早がここまで変わってくれるなんて。
まるで保護者のような感慨に浸りながら、当時のことを思い浮かべてはニヤニヤとした笑みを浮かべる春香。
そんな彼女にも、千早の視線が外れることはなかった。
ブラウスのボタンがひとつ、またひとつと外れていく度に千早の心はざわつく。
少し赤みがかった肌と白のブラジャーとの稜線が目に映るともう釘づけで、それでも片端に残った良心でもってチラチラと、
春香に気づかれないように観察を続けた。

無いものねだりだと、自分の胸を見て千早自身はそう片付けたつもりだった。
けれど、目に映る景色の中心には常に春香がいて、彼女よりもスタイルの良い女の子が並んでいても視線の向かう先はいつも同じ。
親友を羨む感情なんだと自分に言い聞かせているのに必死になって、
自分の中にいる、一番ちっちゃくてワガママなちーちゃんが口を開いてトドメをさされた。

 すきなんでしょ?

着替え終えた春香がこちらを向いて、やっと自分の手が止まっていたことに気づく。
どうしたの? とクリクリとよく動く瞳が千早の胸を打つ。
やめて、そんな純粋な、綺麗な目で見ないで。
自分の中のちーちゃんがお腹を抱えて笑っているのを、千早は耳を塞いでやり過ごす。
少し春香の顔に怪訝そうな色が浮かび始め、「なんでもないわ」と、千早はボタンに手をかけた。

滞りなくボタンを外すはずがなかなか終わらない。
やけに凝ったデザインの為か、小さくて数の多いボタンに苦労する。
それでも普段の千早ならなんてことはないのだけれど、俯いたまま目だけで正面を見ると、相変わらず笑顔の春香がそこにいた。
もう彼女は着替え終えている。
待っていると言われればそれだけのこと。けれど、微動だにしない(ように見える)春香にある種の恐怖すら覚え始めていた。
なんとかボタンを外し終え、今度は千早が胸を露にする。
春香は動かない。小刻みに震え始めた手にはもう気づいているのだろうか、あらゆるものが千早を不安にさせる。

 ねえ、千早ちゃん。

なんと意地悪なタイミングなのだろう。
ビクリとして千早が顔を上げると、春香は先ほどまでの笑みを浮かべたままだった。
着替えてて良いよ、と言われたけれど上手く体が動いてくれないことに千早は更に焦る。
なにより、「私のこと、いつも見てるでしょ?」なんていわれた日には千早はパニックに陥るしかない。
内心、どこかの舞台から飛び降りたい気分でも着替えは続く。
次に何を言い出すのか、耳と心臓だけはせっせと働いていた。

「気づいてないと思った? いつからか分からないけどすぐ分かったよ」

震えが収まらない。
次に出てくるであろうと、勝手にシミュレーションしている最悪の言葉が秒刻みで更新されていく。
うなづくことも出来ない千早。その様子を見て、「正直ね」と、春香はひとつ大きな息をついて続けた。

 気持ち悪かった。

大きな大きな杭が胸を貫く。
何度味わっても、絶望に慣れることなんてないことを千早は改めて実感してしまう。
千早は考える。きっと春香の目には自分はなんて醜い生き物に見えるだろうと。
おこぼれを貰おうと下卑た笑顔で近づいてきた、今まで自分が拒否してきた人たちが小さいちーちゃんと共にせせら笑っているようにも思えた。
完全に挙動を停止した千早。他人から見れば、まるでその周囲の時間まで止まってしまったような空間が千早の中だけで広がっていく。
だから、「泣かないで千早ちゃん」と春香に言われ、やっと自分が泣いていることに千早は気づいた。
しかし、この絶望は到底、収まるものではない。
気持ち悪いと思っている人間とよく一緒にいられるものだと、一番外側にいる自分が強がりを言っていた。
でもね、と春香はハンカチを出して千早の頬に手を伸ばす。
イヤイヤと駄々っ子のようにかぶりを振る千早を無理矢理捕まえると、「お化粧、またやんなきゃね」と千早の頬を拭った。

「でもね、千早ちゃんなら良っかなって思ったんだ」
「……気持ち悪いのに?」
「うん。私もなんだかんだで見てるから」
「なら……春香も気持ち悪いわ」
「そうだね。気持ち悪いね」

 人間はなんて現金な生き物なんでしょう。ほら、もう私の心は晴れているわ。現金ね。ずるいわね。

自分の中のちっちゃいちーちゃんが歌っている。千早はそっと近寄ってその子の頭を撫でてあげた。
お互いに涙でボロボロでみっともなかったけれど、自分のことを初めて可愛いと思った。
ちーちゃんはムッとした顔でそっぽを向くと、どこかへ行ってしまう。
千早はそんな愛おしい自分をずっと眺めていた。


おわり