如月千早、オールド・ホイッスルに出演


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「武田蒼一、追突事故に巻き込まれる」
昨日夜11時頃、都内某所で乗用車同士の追突事故が発生
後ろの車の運転者が持病の発作を起こし失神、赤信号で停止していた前の車に追突
この事故で2名が負傷し、その片方が音楽プロデューサーとして有名な武田蒼一氏であった

765プロの事務所でこのニュースを見ていた千早は不安そうな顔でプロデューサーに話しかける
交通事故に何か思うことがあるのか相当動揺している様子であり、無理に平静を保とうとしているのが良く分かる。
「武田さん、大丈夫なのでしょうか……」
「ニュースでは命に別状は無いと言っていたし、きっと大丈夫だろう。だから余り心配しすぎるなよ?」
「しかし……電話?誰からかしら……っ!!」
プロデューサーが動揺している彼女をと話している時に千早に電話が掛かってくる、
その発信者を確認した千早は大変驚いた様子で電話をとり、電話の相手と始めた。
始めは非常に狼狽した様子で話していた千早だったが、だんだんと落ち着いて行き、声も明るくなっていった。
そのまましばらく話込んでいたが、しばらくするとまた声の調子が暗くなり、
その次の瞬間には「わ、私ですかぁ!」と素っ頓狂な叫び声を上げていた
「……いえ、少しだけ考えさせて下さい……はい、それでは」
そういって千早は電話を切り、プロデューサーに話し掛ける
「プロデューサー、確か今日の午後はレッスンの予定でしたよね?」
「ああ、そうだけど?」
「なら、午後のレッスンはキャンセルして頂いてよろしいでしょうか?」
「さっきの電話が関係あるのか?」
「ええ、武田さんから電話があって、仕事のオファーを頂きました」
「仕事ってどんなのだ?」
「オールド・ホイッスルの……プロデューサーです」

事故にあった武田蒼一が入院している病院、
千早は午後のレッスンをキャンセルしてその病院に向かっていた
目的は事故にあった武田のお見舞いと、先程受けたオファーについて詳しい話を聞く事である。
受付で彼の部屋の番号を聞き、その扉を開けると当然のごとく武田が待っていた、
左腕と右足にギプスをつけてはいるが、いつもの表情を保ったままの顔に傷は無く、顔色も悪くは無さそうである。
「やあ如月君、急に呼び出してしまってすまないね」
「いえ、武田さんがご無事で良かったです!」
その後、千早と武田はお見舞いの品を渡したり事故についての話を少々話していたが、
じばらくすると武田が一旦話を切り、二人の方に向き直って改めて話しを始める。
「さて、そろそろ本題に入ろうかな」
「私にオールド・ホイッスルのプロデューサーをして欲しいという話ですね?」
「そう、その話」
千早が確認するように聞くと、武田がうなずき、改めて説明を始める。
「さっきも話したけど、今の僕は左腕と右足、それと肋骨の所々にヒビが入っているらしくてね、
 一週間は入院して安静にするように言われたよ。それで……」
話をまとめると、武田は個室を借り許可を取って携帯電話も使わせてもらう事により他の仕事は問題なくこなせるのだが
自身が主導し、司会も勤める番組であるオールド・ホイッスルの撮影だけはどうしようもなく、
代わりに司会を務める人を探していると言う事であった。
「そういう事でしたら、一から構成を考えるプロデューサーでは無く、普通に司会を頼めば良かったのでは?」
「……今回呼ぶ予定だった子は、オールド・ホイッスルに出ることが夢だと公言してくれていてね、
 そのためにあらゆる努力を惜しまずに駆け上がって来た子だったんだ、やり方はともかくとしてね」
「ええ……」
「オールド・ホイッスルはその子の夢そのものなのに、僕が出られないから代理で我慢しろと言うのは流石に酷だと思ってね」
「夢そのもの、ですか?」
「うん、司会もゲストも変えるのなら、今回はいっその事番組そのものを誰かに預けようと考えたんだ」
夢そのものと言い切る程の人は珍しいにしても、最高の権威を持つ音楽番組として出演を目標としているアーティストは数多いと聞く、
経緯は分かったとしても、それほどの番組を歌を歌う事しか出来ない自分に任せる理由が千早にはどうしても分からなかった。
「経緯は大体分かりましたが、何故私に声を掛けることにしたのですか?」
「君になら僕の番組を預けられると思ったからだね。僕の知り合いの中で君が一番僕の感性に近い、そう思っている」
「武田さん……」
「それで、返事はどうだろう?急な話だし、無理強いは出来ないけど……」
千早はその問いに暫くの間俯いて考える。とはいえ、ここに来た時点で半ば答えは決まっていた様な物であり、
スケジュールの調整についても既にプロデューサーに頼んである。そして、千早は顔を上げて返事を返す。
「どこまで出来るかわかりませんが、オールド・ホイッスルの名、預からせて頂きます」
「如月君、ありがとう……」
「その代わり、一つお願いを聞いて貰ってもよろしいですか?」
「ふむ、如月君には無理を言ってしまったし、僕に出来る事で良ければ聞こうじゃないか」
「それでは、今回の番組が成功したら私のために一曲作って頂けますか?」
「おや、今日は言われないと思ったらここで言われるとはね」
千早は武田と知己になって以来、作曲家としても有名な彼に曲を作って欲しいと考えており、
何かの機会で会う度に作曲を頼み、軽くあしらわれるのが恒例となっていたが、
このタイミングで言われる事は予想しておらず、少々驚いた様子の武田に対し、
いたずらっぽい笑顔で千早がもう一度聞いてくる。
「どうでしょう?無理強いはできないですが……」
「わかった、すぐにとは言えないが、曲が出来しだい君に送ろう」
「ふふ、ありがとうございます」
武田が少々楽しそうに承諾すると、千早もいたずらっぽい笑みを満面に笑顔に変え、礼を言う。

「それで、早速一つ考えて欲しい事があるけどいい?」
「ゲストに誰を呼ぶか、ですか?」
「うん、その通りだよ」
「ええ、今までの話を聞く限り、本来のゲストの方を呼ぶ訳にはいかないようでしたから」
「理解が早いと助かるね……撮影が四日後と急だから絶対呼べるとはいえないけど、
 僕の方で出来る限り交渉してみるから呼びたい人を好きに選んで欲しい」
「呼びたい人……」
オールドホイッスルは基本的にゲストと歌についてトークし、それからゲストのステージと言う構成で行われる、
故にゲストを決めることはその回をどういう番組にするかを決めるに等しい事であり、おいそれと決めれる物ではない
千早も先程のような自分の中で答えの決まった問題とは違い、真剣に考え始める。
「……いや、それでは武田さんの劣化でしかない、歌い手である私にしか出来ない事は……」
真剣に考える千早に対し、武田は黙ってそれを見つめていた、
自分は千早を信頼して番組を預けたのであり、彼女から助けを求められるのでなければ
その考えを邪魔してはいけないと考えて見守るの事に専念しているのである
「高槻さん?……少し違うか……」
千早は時々呟きながら考え込んでいるが、そろそろ煮詰って来た様子であり呟きの内容が一つの方向に向かって行く。
そして、自分の中で出した結論を伝えるべく千早は顔を上げる。
「決めました、私が呼びたいアーティストは……春香です」
「春香……天海君のことかな?」
「ええ、765プロ所属のアイドル、天海春香です」
「君の同僚か、別に僕に遠慮する必要は……いや、よそう。僕は如月君に番組を預けた、
 その君がゲストとして天海君を選んだのなら、番組としての理由があるのだろう」
「ええ、今回私が伝えたい事を考えれば、私の知ってる中では春香が一番の適任です」
千早の声には妥協や遠慮の響きは一切含まれておらず、確固たる自信を持って選んだ事を伺わせる。
「よし、実務的な事やスタッフへの連絡は全て僕がするから、何か必要な事があったら遠慮せずに連絡して欲しい」
「はい!」
それから、千早は仕事やレッスンの合間に番組の事を考え、番組スタッフや春香とも打ち合わせを繰り返し、
あっという間に四日間が過ぎていった……

土曜夜10時半、30分後の本番に向けて待機している控え室では
非常に緊張した様子の春香と、落ち着いた様子の千早が打ち合わせも兼ねて雑談を行っていた
「ううう、緊張するよぉ……」
「震え過ぎよ春香、リハーサルは上手く行ったんだからもっと落ち着きなさい」
「でも、生放送だし、音楽番組の最高峰で失敗しちゃったらって思うと……」
「失敗しても大丈夫よ、今回の番組の責任は全て私にあるんだから」
「それ、逆にプレッシャーになってるよぉ……」
「今回の番組の意図はあなたも分かってるでしょう?失敗を恐れてガチガチになられたらそれこそ大失敗になってしまうわ」
「……そうだったね、千早ちゃんの言う通りだったね」
「思い出した?」
「うん、千早ちゃん、もし失敗してもフォローよろしくね!」
「ふふっ、程々にね……そろそろ時間ね、行きましょう」
こんな会話を交わしつつ、番組の本番は始まった。

「今宵も極上の歌をあなたに、司会代行の如月千早です」
いつもは武田が立っている席に落ち着いた様子の千早が立つ。
司会として立つのは初めての筈だが、何年もそこに立っていたかの様に馴染んでいた。
「さて、今回は桜井夢子さんをお招きする予定でしたが、彼女は武田さんに呼ばれた客人であり、
 私が出迎えるべきではありません。なので、私は私の客人を呼ぶことにしました」
そこまで言うと千早はゲストが出てくる位置に向き直り、ゲストの名前を呼ぶ
「本日お招きするのはこの方、天海春香さんです!」
「はい!呼ばれちゃいました天海春香です!本日はよろしくお願いします!」
「それでは天海さん、こちらへどうぞ」
「はい、千早ちゃ……じゃなかった如月さん」
そうして二人は並び、番組の進行が始まる、普段のオールド・ホイッスルなら
すぐに一曲歌ってもらってからトークを行うのだが、千早は少し構成を変えて来た。
「それでは早速天海さん……春香のステージに入りたいのですが、
 その前に彼女をゲストとして招いた意図について話させて頂きます」
春香は765プロの中でも千早、律子、伊織に次ぐ高い歌唱力を持っているのだが、
デビュー当時の独特な歌い方のイメージが強いのか、未だに彼女を音痴と認識する物も多い。
そんな色眼鏡を掛けられたままでステージを見られては意図は伝わらずに「やっぱり音痴だな」で終わってしまう。
それを避けるために千早は最初に解説の時間を取ったのである。

「私は、武田さんからこの番組の代行を頼まれた時に武田さんと同じ様に技術や音楽観を語ろうと考えていました」
「うんうん」
「しかし、私は知識や技術では武田さんには到底かないません、そのままではただの劣化コピーに過ぎません」
「それで?」
「そこで私は考えました、武田さんと私の違い、私にしか出来ない事を」
「……それは?」
「それは、現役の歌手として、歌は楽しい物だと言う事を伝える事です」
「うん、歌は楽しいよね♪」
「ええ、歌は誰もが楽めるものです、決して一部のプロのみが独占する特殊技能ではありません」
「そうそう、上手い下手は関係ないよ、自分の心に任せて声を出せば楽しいんだよ」
「そして、本当に心から楽しんでる歌は他人も楽しくさせる事ができます」
「うんうん、そうだよね」
「確かに、春香は私の知る人の中で一番歌が上手い訳ではありません」
「むぅ……事実なんだけどね……」
「しかし、春香は私が知る限りでは一番純粋に歌が好きで、歌を楽しんでます」
ちなみに、千早の中では歌を楽しめる人としてやよいも候補に入っていたのだが、
より純粋にステージが、歌が好きな人として最終的に春香を選んだのである。
「心の底から楽しんでる歌は聞いている物も楽しくさせる、それを春香の歌で感じて下さいそれでは一曲目をどうぞ」
「みんなーっ!静かに聞く必要なんてないからねーっ!歌いたくなったら我慢しないで一緒に歌ってねーっ!」
そうして始まったステージは、長い前口上を裏切らぬ物であり、心の底から歌を楽しんでいる事が伝わり、
聞いた物が思わず歌を口ずさみたくなる、天海春香の魅力を十二分に引き出したステージであった。
その後のトークパートでは、春香が専門的な音楽論についていけないので事務所でしているような緩い雰囲気の雑談となり、
オールドホイッスルが目指す物とは違うものの、非常に魅力的な物となっていた。
そして、最後のステージでは、リハーサルでは春香一人で歌っていたのだが、途中で春香が千早を誘い即席デュオを結成、
図らずもトップアイドル同士の夢の共演が実現される事となった。こうして、無事に番組が終了し、後は反応を待つだけとなった。

数日後のテレビ局、そこで千早と退院した武田は今回の事について話し合っていた
「平均視聴率21.7%……秋月君の時を除いたら今年で一番だね」
ちなみに、平常時の平均視聴率は16%程度であり、秋月涼の男性カミングアウト回は平均視聴率で51.0%を記録している。
「視聴率が高いのは司会が違う物珍しさも手伝っているでしょうから……それよりも、武田さんから見てどうでしたか?」
「歌は歌われてこそ歌……僕がずっと伝えてる事を僕とは違う形でまっすぐ伝えてくれた、とても素晴らしかったよ」
「そう言って頂いて光栄です」
「これは僕の引退も近いかな……?」
「えっ?」
「そう、君にオールドホイッスルを継いで貰って隠居も悪く無いと思ってね」
「そんな!引退なんてまだ早すぎます!」
武田の突然の引退宣言に驚き、すぐに引きとめる千早、
それに対し、武田は真顔のままで声のトーンを変えて前言を撤回した。
「冗談だよ、少なくとも感性が錆付かない内は現役でいるつもりだからね」
「もう、武田さんの冗談は冗談に聞こえなくて困ります!」
「でも、君にオールド・ホイッスルを継いで貰いたいって言うのは結構本気だよ」
「えっ?」
「まあ、15年は先の事だろうけど、頭の隅にでも置いてて欲しいかな」
「……まあ、検討はしておきます」
「そろそろ時間だね、次は曲ができたら連絡するから」
「ええ、お願いします」
千早が少し気が抜けた返事を返すと、武田はゆっくりと別の部屋へ向かっていった。
そして、千早は武田に言われた事を反芻しつつ、遠い未来を考える、
近い内に海外に活動基盤を移し、世界を相手に自分の歌で挑戦を続けるつもりだが、流石に15年も先の事を考えた事は無い。
15年後なら自分は30歳、その時の自分は挑戦が成功して世界の歌姫として活躍しているのか、
はたまた日本に戻り、落ち目の歌手として細々と活動をしているか、
もしかしたら、芸能界とは完全に縁を切り、息子や娘に子守唄を歌う日々もありえるかもしれない。
そんな漠然とした未来像の中で、歌を守る砦を受け継ぎ、後進を育てる音楽の守護者の姿が一瞬だけ見える。
「そういう未来も良いかもしれないわね……」
そうして、千早はしばしの間、空想の世界を羽ばたき続けていった……

(終)