Escape


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 今日も自宅に帰ると、すぐさまパソコンを起動。Skypeを開いて、センパイにコンタクトを取る。
センパイと会ってからというものの、それが日課になっている。彼女と話すと心が和らぐ。
リアルでは電波扱いされているアタシを受け入れてくれる唯一の存在。画面越しとはいえ、
顔の見える、実在する存在、ネットアイドルとして尊敬できるだけでなく、愛おしい人だ。
 だが最近はどういうわけか、寝落ちしているのか繋がらない。一日ならそれもあるかと納得するが、
二日、三日と続けば、だんだん心配になってくる。
「ん?ポップアップ?」
 Skypeの通話画面が画面上に浮かび上がっていた。
「ELLIEから着信中」
 センパイから掛けてくるなんて珍しい。一体何事だろう?
「センパイ、おっひさー。電子の妖精サイネリアちゃんが貴方のお悩みをズバッと解決しちゃいマス!」
「サイネリア、久しぶりだね……」
「心配したんですよ、もう!急に繋がらなくなって」
「サイネリア、ごめん……」
「いや、そんな謝るようなことでも。センパイにも色々事情があると思うし」
「うん、そのことでね、サイネリアに言っておきたいことがあって」
「何です」
「さようなら、って言おうと思って」
 世界がひび割れた。
「ど、どういうことですか!アタシが嫌いになったんですか!?だったら、謝ります。
アタシ空気とか読めなくて、ごめんなさい」
「そうじゃないの、サイネリアは悪くない」
「じゃあ、もしかして引退するんですか。みんなセンパイを待ってるのに、なんで……」
「もう、ネット使えなくなるから」
「えっ」
「ずっと引きこもっていたから、父さんと、母さんがとうとう愛想を尽かしちゃった。
だから、引きこもりを『更正』する施設にわたしを入れるつもりみたい。
そしたら、ネット、もう使えない」
「そんな……」
「本当は、今だってネット使うこと、禁止されてる。けど、友達にお別れしないといけないって言って
何とか許してもらった」
「そんな」
 どうしてセンパイにはこんな運命しか残されていないのだろうか。
「センパイ、そんな親、ひどすぎデス!そんなの親じゃありません!家出しちゃいましょう!」
「でも、どこへ?」
「だったら、アタシの家に来てください。すごく狭いですけど、ネットだって使い放題ですし」
「でも、わたし邪魔だから」
「そんなことないです!センパイがいてくれるだけでいいんです」
「でも、わたし、いらない子」
「何でそんなことを言うんですか!じゃあ、センパイを信じてるアタシや信者はなんなんですか!」
「それは……」
「親に何言われたか知りませんけど、センパイの動画を見て癒されている人がいるんです!
ヒッキーやニートやニコ厨にとってセンパイみたいなネトアは救いなんです。
そんな自分に価値が無いなんて言わないでください」
「でも、わたしじゃ、救えない……」
「無理に救う必要は無いんです。ニコ厨なんて勝手に人の動画を見て、勝手にコメントしていく
だけなんですから。センパイも気ままにやればいいんですよ」
「それでも……サイネリアに迷惑かけられない?」
「迷惑だなんて、アタシが好きでやってるんですから、そんなこと気にしないでください」

「じゃあ、何でサイネリアはそこまでしてくれるの?」
「えっ……それは……センパイが凄い人だから」
「じゃあ、わたしが凄い人じゃなかったら捨てるの?」
「あっ……それとこれとは話が」
「わたし、人に捨てられるのもう嫌。親にもわたし捨てられちゃった。誰かに捨てられるぐらいなら、
人ともう関わりたくない。サイネリアにはいい友達のまま、思い出に残しておきたかった。
わたしを捨ててほしくなかったから、貴方とも話したくないと思った。わたしはただの引きこもりだから。
けれど、黙って行ってしまったら貴方が悲しむから、声をかけた。でもこれで最後」
「待って下さい!切らないでください!違うんです!そうじゃないんです!
センパイが凄い人じゃなくたっていいんです。ただの引きこもりだっていいんです。
アタシにはセンパイが必要なんです。ただ、ただ、いてほしいだけなんです。
好きです。愛してます。一緒にいてください!」
「……」
「アタシだって、リアルではどうしようもない子だって言われてます。
けど、センパイは優しく受け入れてくれる。それがどんなに嬉しいことか。
友達とかそういうのじゃなくて、センパイが欲しいんです。アタシ、レズビアンですから」
「そう……」
「だから、センパイを失いたくないんです。このままだと、センパイが
どこか遠くにいっちゃいそうで……こんな話をしてスイマセン。気持ち悪かったですよね?」
「サイネリア」
「はい」
「サイネリアはわたしを必要としてくれてる?」
「はい」
「本当に?」
「ホントにホントにです」
「そう……わかった、じゃあ、サイネリアの言う通りにするね」
 勝った……アタシは一世一代の賭けに勝った。気が緩み、力が抜けて椅子に倒れこむ。
告白した?そう、これは告白だ。それも、世間から後ろ指を指されるかもしれない性癖の告白だ。
それが通った。受け入れられた。センパイが受け入れてくれた。本当によかった……
「サイネリア」
「へ?」
「なにか、緩んだ顔してた。いわゆるヘブン状態?」
「エヘヘ、センパイが家に来てくれるってだけで、うれしくて、うれしくて」
「そう?ふふっ、ありがとう」
「い、いやあ、そんな照れちゃいマス」
「いつ、行ったら、いい?」
「いつでもいいですよ。センパイの好きな時間で」
「そう、でも、詳しい時間はわからない?どのぐらい、離れてるか、知らない」
「ああ、住所は、後でメールで送りますから」
「もし留守でも、来るまで、待ってるから」
「えっ、そんなの悪いですよ」
「時間、あまり残されてない。もうすぐ施設に入れられちゃう」
「あっ……じゃあ、電話番号も一緒に送りますんで、いなかったら電話してください」
「わかった。できるだけ、急ぐから、今日はお休み」
「センパイ、アタシ待ってますから、気をつけて。お休みなさい」
 通話は落とされた。急いで、自分の住所と電話番号を送る。
返信はすぐ来た。
「こんなわたしのために、ありがとう」
 メールにはそう書かれていた。アタシは興奮冷めやらぬ中で眠りについた。
時は丁度、八月の始まりで、連日猛暑日が続いていた頃だった。

 翌日の目覚めはチャイムの音で始まった。今、何時だ?
 5時30分。デジタル時計はそう表示している。誰だこんな朝早くに……
「センパイ?」
 まさか。こんな時間に来るとは予想外だ。慌ててベッドから降りる。寝巻き姿のままドアを開けた。
「おはよう……ございます?」
「センパイ、どうしたんですか!?すっごい調子悪そうですけど……」
 センパイの顔は酷く青ざめていて、肩で息をしていた。
「夜中から、ここまで、歩いてきた」
「なんでそんな無茶を」
「親が寝てる時しか、抜け出す、タイミング、無かったから」
 そう言うと、アタシの方に倒れこんだ。
「大丈夫ですか!?センパイ」
「今日は、寝てない。もう、だめ」
 センパイはアタシの胸元で喘いでいる。荒い息遣いを身に感じながら、背負っていたリュックを外し、
少女の体をおんぶして、どうにかベッドまで運んだ。
「ありがとう……」
 弱弱しい声に不安が煽られる。
「センパイ、今はゆっくり休んでください。後のことはアタシがなんとかしますから」
「うん……」
 センパイは布団の上に寝そべると、すぐに目を閉じた。
 少女は死んだように眠りについた。寝息すら立てないほどに。
 そうだ、後のことはアタシが何とかせねば。まずは、リュックサックの中身を確かめる。
携帯電話、財布、それだけだった。それが全てだった。
服や化粧品もなかった。そういえば、今センパイが着ている服も、
もう通っていない高校の制服だった。まともな服は無かったのだろうか?
そんなものすら買い与えられなかったのか。アタシは初めてセンパイの両親に嫌悪を覚えた。
 センパイは8時を回っても、眠り続けた。か細い体で休むことなく、熱帯夜の空の下を歩き続けた、
その辛苦は想像を絶する。汗をかかない体質のせいで、却って熱が引かずに辛かっただろう。
アタシは、センパイがまた元気に笑えるようになれることを祈るだけだった。
しかし、それは、携帯の着信音によって中断された。自分のじゃない。センパイの!
「はい、もしもし?」
「絵理、絵理なの?一体、貴方どういうつもり!」
 女性の切迫した声が聞こえてきた。
「いえ、違います」
「えっ、じゃあ、まさか、貴方が絵理の言っていた友達……」
「そう、サイネリアです」
「私は絵理の母よ。でも、何で貴方が絵理の携帯を持ってるの?絵理はどうしたの」
「セ……絵理さんは、今寝ています」
「は?寝てる?」
「夜通しここまで歩いてきたんです。今朝まで一睡もしてなかったんですから、当然でしょう」
 自然と慇懃無礼な口調になる。
「まさか、そんな……」
「蒸し暑い外をずっと歩いてきたんですよ。さぞかし大変だったでしょうねえ」
「それは、貴方が絵理を唆したからでしょう!」
 唆す、だと?この母親らしきものは何を言ってるんだ。
「唆したというのはいささか心外ですね。こうなったのは貴方たちが
絵理さんを追い込んだからでしょう?」
「私たちは追い込んでなんか……ただあの子に立ち直って欲しかっただけで」
「それが、娘を牢獄みたいなところに入れるということなので?」
「でも、これしかなかったのよ!もう私たちには打つ手なんか……」
「手を尽くしたと言う割には、娘さんを愛していなかったように見えますが」

「な!一体、何を根拠に……」
「服、ですよ」
「服?」
「彼女の私服、多分高校の制服だと思いますが、それしか見たことないんですよ。
この年頃で制服しか着るものが無いなんて考えられないんですよ。
けれど、外着に使えるのがそれしか無かった。貴方方が服を買ってあげなかったからです。」
「それは……あの子、部屋に閉じこもってるし、買ったって着る機会がないもの」
「そういう、現金な発想が絵理さんをうんざりさせたんでしょう?
貴方たち親は、彼女が引きこもりになった原因を考えもせず、解決もせず、
ただ部屋に放置していた。それじゃあ、引きこもりが治るはずがないでしょうね」
「そんな、こっちにだって事情が……」
「言いたいことはわかります。でも、もうそういう段階じゃないんですよ。
監獄に放り込もうとしている所に、私は彼女を送り返すことはできませんね。
絵理さんのことは私が面倒を見ます。どうぞご安心を」
「そういうわけにはいかないのよ!もし絵理の身に何かあったら私たちだって責任というものが……」
 結局それか。腐っている。この親どもは。
「くだらない」
「は?」
「貴方たちの都合とか体面は私には全く関係が無い。私は絵理さんを愛していますので、
そもそも、ご心配するようなことにはならないと思います」
「愛してるって、女同士でおかしいんじゃない!?」
「じゃあ、男だったらよかったんですか?」
「そ、それは」
「実の娘を『更正』施設に叩き込んだと言うよりは、女友達とルームシェアしていると
言ったほうが、波風が立たないと思うのですがねえ」
「……」
「まだ、何か?」
「わかったわ……とりあえず、今はそういうことにしておく。けど、夫とも相談しないといけないし、
絵理と直接話したいからまた後で連絡するわ」
「そうですか」
 溜息が電話越しに聞こえた後、回線は切れた。自分も溜息を吐く。
渡さない。センパイは絶対に渡さない。こんな人たちに、センパイを渡すわけにはいかない。
施設などに入れさせはしない。アタシはそう固く決意した。

 センパイが目覚めたのは、正午を過ぎた頃だった。
「おはよう、ございます?」
 第一声は、いつものセンパイだった。
「センパーイ、すっごく心配したんですから、あんまり無茶しないでクダサイネ!」
「うん、サイネリア、心配かけて、ごめんね」
「あ、いやあ、謝ることないですよ」
 アタシはキッチンへ向かう。もう自分のおなかも限界だ。センパイもそうだろう。
「昼ごはん、ちゃっちゃっと作っちゃいマスから」
「ありがとう」
「ああ、それと」
「ん?」
「センパイのお母さんから電話が来てましたよ」
「それで?」
「起こしたら悪いと思って代わりに出たんですけど、センパイが家出したことにびっくりしてたみたいで、
物凄い剣幕でまくしたてられました。けど、アタシが娘さんの面倒を見ますって言ったら
とりあえず引き下がりました。ただ、また後で電話するって言ってましたけど」
「それなら、わたしが電話、するから」
「えっ、いいんですか?」
「大丈夫」
 センパイは微笑んだ。
「あんまり、無理は……」
「サイネリア、大丈夫だから、大丈夫」
「センパイ……」
「これは、わたしが、ケリをつけないといけないから」
 もう一度、センパイは笑った。
 アタシはただ見守るだけだ。それしかできることはない。

「もしもし、わたし、だけど」
 センパイの顔が険しくなる。
「嫌……」
 内容は窺い知れない。しかし、穏やかなものでないことは確かだ。
「もう、嫌なの」
「どうして今更、わたしを見捨てたくせに」
「わたし、サイネリアと一緒に生きていくことにしたから、もう戻るつもり、ないから。
戻っても、施設に入れるんでしょ?」
 徐々に声のトーンが下がり、口ぶりが冷たくなっていく。
「もう、いい加減にして。貴方たちはもうわたしの親なんかじゃない」
 センパイのこんな冷酷な声は初めて聞いた。
「警察?警察に何をしてもらう気なの?」
「警察を呼んだら、わたし、自殺するから」
 冷え切った声。鳥肌が立つ。
「センパイ!?」
 センパイは左手の人差し指を唇につけた。黙るしかない。
「わたし、本気だから、貴方がそんなことを考えているなら、自殺するから。絶対。」
 自殺するだと?何を考えているんだセンパイは。
「もうわたしたちは親子じゃないの。そんな関係は終わったの。だからもう二度とかけてこないで。
わかった?それが守れないようなら、ここで今すぐ自殺するから」

 沈黙が部屋を支配する。
 センパイが携帯を閉じた。
「もーう、センパーイ、自殺だなんて、はったりにしても言いすぎですよー。
アタシ心臓が止まるかと思いましたよ」
「えっ?」
 センパイは実に意外という顔をしていた。
「えっ?」
「ふふっ、そうだね、サイネリアを心配させちゃったね」
「も、もう、ほんとーですよー」
 アタシは笑顔を作った。
「でも、これで、サイネリアだけになっちゃったね。ふふっ、うふふっ、あはははっ」
 センパイは乾いた笑いをあげる。
「セ、センパイ、どうしたんですか、急に」
「あはは、あはは、くう、ふう、ふふふふふ、あははははは!」
 息切れを起こしながら、センパイは笑い続ける。
「な、何がそんなにおかしいんですか」
「ねえ、サイネリア、キス、して」
「へ?キ、キス?そ、そんなの早いですよまだ」
 今度は、一体なんなんだろうか?
「センパイ、何か変ですよ。急にそんなこと言い出すなんて」
「ふふっ、変?わたし変?でも、サイネリア、わたしに告白したじゃない」
「いや、あれは、その」
「レズビアン、だよね?」
「はい、で、でも、そんな邪な目的で呼んだんじゃ……」
「いいの、我慢しなくても。こんなわたしでも必要としてくれるなら……わたしはサイネリアのもの。
だから好きにして、いい」
「でも……」
「たんと、召し上がれ?」
 タガが、外れた。
 目の前の少女を抱きしめ、唇を奪う。すると、舌が絡み付いてきた。
センパイは本気だ。自分も舌を差し出し、互いに唾液を味わう。
「ん、ふう」
「ぷふう、はああ」
 長い長い接吻の後、思わず溜息が漏れた。
「センパイ、本気にしちゃいマスヨ」
「いいよ、わたしをサイネリアだけのものにして」
 センパイはするすると服を脱ぎだす。自分もつられて生まれたままの姿に還る。

胸が高鳴る。だが、目にしたのは、幾つも赤い線が走ったセンパイの左腕。
「どうしたんですか、それ!まさかリスカ……」
「うん、こうすると、あの人たちは黙っててくれたから」
 センパイは笑って答えていた。
「そ、そんな……嘘ですよね」
 冗談と言って笑ってほしい。だが、センパイは曖昧な笑みを浮かべるだけ。
「どうしたの?サイネリア。ちょっと腕を切っただけ。別に大したことじゃない。
それよりも、続き、しよ?」
 ちょっと?いや、ちょっとどころではない。
無数の傷痕は、傷の上に傷を重ねたことを意味している。
それは、彼女の凄絶な家庭環境を如実に物語っていた。
「サイネリア……早く、来て」
「センパイ……やめましょう、こんなこと……」
「どうして?」
「こんな傷だらけのセンパイを抱くなんてできませんよ!」
「あなたも」
 センパイの声が、また冷えていく。
「あなたも、わたしを捨てるの……?」
「そんな、つもりは」
「わたしに、魅力、ないから?傷だらけだから、要らないの?」
「違います!そうじゃなくて……」
「なら、わたしを、犯して。お願い。サイネリアにしてあげられること、それしかないから。
誰にも必要とされない人生なんて、もう嫌。あなたの欲望を満たすことで、
わたしに『役目』を与えてほしい。そうじゃないと、生きている、意味、無いから。
だから、わたしに、生きる実感を頂戴」
 センパイは、泣いていた。涙が頬を伝い、雫となって滴り落ちる。
サイネリア、腹を括れ。
「センパイ、愛してます」
「ありがとう……」
 アタシは、センパイを、押し倒した。
 夏の暑い昼間に、アタシたちは大人への階段を上った。
蝉が鳴く声が部屋まで響いていた。