Keeping 3rd "Blood"


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 空が赤い。うだるような暑さはようやく去り、あれほど恨めしかった太陽も、今は鮮やかな夕日として地平線に浮かんでいる。
月日は九月の下旬に入っていた。
 こうして黄昏に家路を歩くと、侘しさを感じる。朱が滲んだ空。長い影。見知らぬ他人の往来。声を掛けられるでもなく、
振り向かれるのでもなく、ただ一人、我が家へひたすら歩く。けれども、アタシは一人じゃない。あそこには待っている人がいる。
「ただいまー」
「おかえり、なさい」
 こうして、新妻のようにセンパイが出迎えてくれる。
「ちょっと、寂しかった?」
 センパイは体を寄せ、腕を絡みつかせてくる。いつもの光景、いつもの日常。
「むちゅう、はあ」
 そして深い接吻。ここに転居してからというものの、以前では想像もできないほど、センパイはスキンシップをしてくるようになった。
キスだけでない。もっと深いものも。
 センパイは舌で首筋をなぞる。そのまま顔をアタシの胸に沈める。
「あ、や、センパイ……」
「ねえ、抱いて。サイネリアで、わたしを満たして」
「まずいですよ、センパイ!まだ夜になってないのに」
 この一月で体を重ねる回数は増え続けた。夜に慰めあうのは当然として、しばしば帰宅直後に体を求めてくる。
画面越しに話をしていたころとは、大違いだ。センパイ、どうしちゃったんだろう。
「やめてください。いくら気持ちいいことでも、限度ってものが」
 つい、口調が厳しくなってしまう。すると、みるみるセンパイの顔が暗くなっていく。そんな顔、見たくはないのに。
だから、センパイが求めるままに抱いてきた。けれど、さすがに色に狂った生活ばかり続けてもいられない。
アタシがセンパイを支えなければ。言うべきことはきちんと言わないと。
「いらないの?わたし、いらないんだ」
「違うんです!けど……」
「わたし、これしか、してあげられること、ないのに」
 どうしてセンパイは自分を貶めてしまうのか。
「そんなことないですよ。センパイはネトアのクイーンじゃないですか」
「ネット……?うん、そうだった」
 センパイはとても意外そうな顔をした。そうだ、センパイがネトアから離れて随分経っているのだ。
両親との関係がこじれてからというものの、親と対峙しなければならず、動画製作にじっくり取り組めなくなっていたのか、
ここ最近はブログも動画投稿も滞っていた。ここに移ってきてからも、その傷は深く、なかなか活動を再開できなかった。
茫洋とネットサーフィンするか、そうでなければ、すまなさそうに部屋の片隅で体育座りしていた。動画の撮影もままならない状況で、
ネトアに復帰しろとは口に出しづらかった。
「ねえ、サイネリアは、ネトアの『わたし』が見たいんだよね?」
 センパイはネトア演じている時が、一番輝いていると思う。
「勿論デス!アタシだけじゃない。ネットのみんなが待ってマスヨ」
「そうだね。そうだよね」
 ようやく、センパイの顔が明るくなった。ひょっとして、いよいよネットアイドルELLIEの復活か?
「わかった。わたし、頑張るから」
 センパイは手を離した。アタシは明るい未来を想像した。

 その日から、センパイの生活は変わった。情交の回数は目に見えて減り、代わりにセンパイは歌に情熱を注ぐようになった。
次の日、帰ってきたら部屋で一人腹筋していた時は、流石に驚いた。本人曰く「声が出ないから、お腹から出すことにした」とのことだった。
あれほど嫌がっていた歌に取り組むようになったのは、びっくりするやら嬉しいやら。
恐らく、アタシが大学に行ってる間に、ボイストレーニングもしているんだろう。
ELLIEセンパイ始まったな。アタシは内心ワクワクしながら、センパイを見守っていた。
 そんな感じで日常が過ぎていた、中秋のある日、大学から戻ると、センパイがやけにもじもじしていた。
「どうしたんデスカー?センパイ。何か言いたげな顔してマスケド」
「サイネリア、笑わないで、見てほしい?」
「えっ、そんなー、アタシとセンパイの仲じゃないですかー、笑ったりしませんよ。それで、何を見るんデス?」
「これ、書いたの。新しい動画の、曲の歌詞」
「スゴイじゃないですかセンパイ!曲だけじゃなくて、歌詞も書けちゃうんデスネ!どれどれ」
 内容は以下の通りである。

生きること、その意味は何処
与える者無く、示す者無く
零れる涙、滴る血 
花は赤く咲き誇る
鋭い痛み、生の証
苦しむことしかできないの?

明けない夜は 空を隠して
闇の中へ わたしを沈める
駆け巡る苦痛
壊れてしまえばいいのに
ねえ、お願いだから わたしを
壊してよ、壊してよ、壊して……

「センパーイ、ネトアのクイーンが、こんな鬱ソング歌ったら、儲も流石にドン引きですってばー」
 これでは、センパイが復活することにはならない。もっと、儲の道を照らすような灯りにならなければ。
「やっぱり、駄目、かな?」
 そんな顔しないでほしい。
「駄目じゃないですけど、これじゃあ、歌って踊ってていうのは、やりづらいんじゃないかと。
やっぱり、ネトアは妖精みたいにピュアピュアじゃないと、いけないと思いマス」
 多分、こんな歌詞を書いたのは、ボカロの鬱曲に影響されたからだろうけど。
「うん……わかった。そうするね」
 センパイは儚げに笑った。不意に、センパイの手首の傷が脳裏に蘇る。否、そんなことはさせない。
アタシがセンパイを立て直して見せる。そう心で固く誓った。
 しかし、楽曲はなかなか仕上がらなかった。センパイは一日中、パソコンの前に座って、エディタで歌詞を作成したり、
シーケンスソフトで作曲したりしていた。難しい顔をしていることが多く、少々声が掛けにくかった。
これがクリエーターの顔なのかもしれない。素人がおいそれと口を挟めるものではなかった。
 とはいえ、家に籠ってばかりでは、体にも心にも悪いと思ったから、暇を見てセンパイを外に連れ出したりした。
といっても、一緒に遊びに行くってことはできなかったけど。センパイは遊園地とか、
ゲーセンとかそういう俗世の娯楽にはほとんど興味が無かったから。それで、結局、駅前で食事をする程度。
それでも、話の種ぐらいにはなったらしく、更新が滞っていたブログのほうはぼちぼち再会され、アタシとのツーショットが上げられたりした。
記事のコメント欄には、ブログ再会時に発表された、更新が滞っていた理由に挙げた「私事」について心配する声や、
新作の投稿を期待する声で溢れていた。ネットの人たちはこんなにも温かい。アタシはようやくセンパイが自分の居場所を取り戻したと感じた。
けれど、それはあまりにも浅はかな考えだった。センパイがここに来た意味をもっと考えるべきだったのに。

「おわったぞー!」
 らしくない大声を上げた、十二月二十四日の夕べ、冬季休業前の最後の授業が終わり、すっかり肩の荷が下りた気分だった。
後はケーキを買ってセンパイと一緒に食べよう。本当は、昭和通りにでもデートに行こうかと思ったけど、
センパイは人ごみが大嫌いだったから、今日は家で愛を深めようではないか。駅前でケーキを買い、センパイの待つ家へ、足取りも忙しなく舞い戻った。
「センパーイ、ただいまデス!」
 反応が無い。センパイ、クリスマスなのに、まだ曲を作っているのだろうか?ケーキを冷蔵庫に仕舞い、リビングに向かう。
 部屋の隅には、いつものようにセンパイがいた。壁に寄りかかり、すまなそうに座っている姿が。けれど、顔は青白く、苦しそうな吐息を漏らしている。
「センパイ、大丈夫ですか?なんか、すっごく調子悪そうですけど」
 返事は無い。
「センパイ、ちょっと、しっかりして……ひ、ひああああああああ!?」
 センパイの足元に浮かんでいる赤い斑点。何で床に赤黒い染みがあるんだろう。センパイ、ケチャップでも零したのかな?
でも、ケチャップはもっと綺麗な赤なんだけど。センパイの服も赤茶けている。センパイの左腕には、どす黒い線が何本も走っている。
「センパイ、どうしたんです、それ?」
「ちょっと、切っちゃった。床、汚しちゃって、ごめん」
 そう、ちょっと怪我したなら仕方が無い。でも、怪我?腕に、服に、床に、沢山血が零れてる。これが、ちょっとした怪我?
いや、そもそもひとりでに切り傷なんてできないんだけど。だったら、どうしてセンパイは血を流してるの?
「まさか、リスカしたんじゃないですよね」
「うん」
 センパイは淡く笑った。どうして、こんな時に微笑むのか。
「な、なんでですか!アタシがいるのに、なんで!」
「ねえ、サイネリア」
「は、はい」
「血が流れる時、わたしは生きてるんだって、強く……感じることができるの」
 わけが、わからない。リスカと命に何の関わりがあるのか。センパイの思考についていけない。
「そんなことしなくたって、センパイは生きてるじゃないですか」
「誰が、それを、保障してくれるの?」
「アタシがします、しますから!」
「じゃあ、わたしを、抱いて」
「そ、そんな……どうして」
「それが、わたしのできること?」
「他にできることなんて、山ほどあるじゃないですか。ネトア活動だって……」
「サイネリア」
 センパイは顔を逸らす。まるで怯えているかのように。
「サイネリアは、わかってない」
「えっ?」
「わたしは、サイネリアが望むような、人間にはなれないの」
「何を言って……」
「でもね、人間にはなれなくても、ペットにはなれる」
 センパイは独り言のように呟く。
「ペットの役割、人間に可愛がられること、愛玩動物、欲求の捌け口」
 アタシの問いには何一つ答えない。
「なら、ヒトを人間の、ペットにするなら、どう?」
 独白は続く。
「性欲を満たすこと、現代の奴隷の役目」
 センパイはこちらに向き直る。
「だから、サイネリアに、抱いてもらえないと、ペットにすら、なれない?」
 その顔には、満面の笑みを浮かべていた。
「お願い、わたしを、犯して。わたしは、サイネリアのモノだって、体で示して」
 アタシは、アタシは、センパイを、ペットになど、したくはない。
「アタシはそんなこと望んでない!センパイはアタシのセンパイなんです、他でもない」
「ふふっ、そうだね。いきなりこんなこと言っても、わかってくれない、よね」
 くすくす笑うと、センパイはポケットから何かを取り出す。カリカリと音がする。
「わたしの、気持ち、ここで見せるから」
「やめて!」
 一緒にケーキを食べるつもりだったのに。アタシの悲鳴も空しく、センパイは右手を一閃する。瞬く間に、また一つ赤い線が左腕に浮かび上がる。
「い、いやああああああああああああああああああ」
 アタシは無力だった。そして無知だった。センパイの言うとおり、アタシは何もわかっていなかったのだ。
だから、目の前の少女の唇を奪った。それが、センパイに対してできる唯一のことだった。

 後は、情欲の沼に沈んでいくだけだった。冬休みの間、幾度と無く体を重ねた。それが未来を閉ざすことも知りながら、
寄る辺の無い少女の体を貪り続けた。正月は、日の出まで体を交えた。そればかりか、通販で見慣れない器具を買い、センパイを犯すことまでした。
 その初夜、慣れない行為に戸惑いながらも、最後は欲望の赴くまま、センパイを貫いた。けれど、彼女はとても嬉しそうだった。
血は腿を滴り落ちていた。とても痛いはずなのに、快楽に乱れるその姿には、ネットアイドルの女王のカリスマは微塵も感じられなかった。
確かに、センパイの言うとおり、アタシが仰ぎ見た電子の妖精には、もう戻れないのかもしれない。
玩具の先に着いた赤い液体を舐め取ると、美味と感じた。アタシもまた、爛れた生活の共犯者だった。
 しかしながら、半ば破綻した日常にも、徐々にアタシは慣れていった。日中は大学に行き、帰ったらセンパイを抱く。
時には、求められていない時でも、自分の気紛れで犯すことさえあった。一方的に少女を食い物にする背徳感に、良心が痛みながら、日々は過ぎていった。
このままでいいのか。その疑問は、何度も心の内に浮かび、度々口をついて出た。けれども、センパイは「大丈夫?」という曖昧な答えしか返さなかった。
 一月の終わりに後期の期末テストがあったが、それもできないなりに、単位を落とさず切り抜けられた。結局の所、アタシの生活はさして変化は無かった。
アタシはセンパイを手に入れた。ただし、自分が望まない形で。変わったことは、それだけ、それだけだ。
 二月の中旬、長い春休みに突入し、帰郷するでもなく、親の脛をかじる怠惰な生活が続く。
そんなある日の夜、アタシはというと、服も着ずに、センパイと布団でまどろんでいた。行為を終えた後の気だるい感覚を引きずりながら、ピロートークの時間に入っていた。
「センパイ」
「ん?」
「このままで、いいんですかね?」
「何で?」
「何かセンパイを一方的に犯してるみたいで」
 今まで、幾度と無く口にしてきた問い。今まで、一度として答えの得られなかった問い。
「わたしは、サイネリアに必要としてもらえるだけで、十分?」
「まあ、それは、そうですけど。でも、こんなアタシに飼われるだけの生活で、センパイは満足なんですか?」
「大丈夫?」
 そんな言葉を聞きたいわけじゃないのに。
「センパイ、またそうやって、何かはぐらかしていませんか?ネトアできない理由だって……ん」
 センパイはアタシの頬にキスをする。
「サイネリアは、わたしのこと、嫌いになった?」
 そんなこと言われたら、反論できなくなってしまう。ずるい。
「そんなわけないじゃないですか。けど、何かセンパイ、一人で苦しんでるみたいで。アタシは知りたいだけなんです。力になれることがあればと思って」
「ふふっ、そう」
 暗がりに隠れて表情を窺うことはできないが、センパイは微かに笑ったと思う。
「なら、少し、お願いがある?」
「お願いですか」
「わたしが、必要じゃなくなったら、壊して」
「壊す?」
「捨てるぐらいなら、ちゃんと、壊して捨ててよ」
 壊す。それって、前にセンパイが見せてくれた歌詞に載っていたことと同じ?あれは、センパイの本心だったのか。
「そんな、センパイを捨てたりしませんよ」
「サイネリア」
「はい」
「わたしだって、この生活が、永遠に続くとは思ってない。いつか終わるなら、サイネリアの手で、わたしを終わらせて」
 アタシは返す言葉が見つからなかった。壊す、終わらせる、その意味をわからないほど、自分も子供じゃない。
「お願い」
 センパイは、静かに、諭すように言った。有無などあるだろうか。
「はい。けど、捨てるなんてことしませんから。安心してください」
「ありがとう。でもね……」
「何です?」
「わたしはね、人間になんて、生まれたくなかった」
「はい?」
 今度は何を言い出すのだろうか。
「猫に生まれればよかったのに。人の都合で生まれ、人の都合で飼われ、いらなくなったら捨てられて、最後は死ぬ。それでよかったのに」
「センパイ……」
 人に、人生に、自己に倦んでいるのか。親に捨てられたことが、そこまで自分を否定することにつながるのだろうか。
よしんば、そうだとしても、アタシたちには、ネットがあるじゃないか。

「踊り下手すぎワロタwww」
「俺のほうがもっと上手く歌えるわwww」」
「こんなブサ面晒して恥ずかしくないの?」

 それは違う。それは、悪意のある荒らしの嫌がらせで、ネットの総意じゃない。ネットはアタシたちに温かい声援を送ってきたじゃないか。
じゃあ、ずっと、永遠に再生数を稼ぎ続けることができるの?
 動画をあげ続ける重圧や、粘着する荒らしに押し潰されて、失踪したネトアは数限りない。
 頭の中で、考えないようにしてきた事実が脳裏に沸々と浮かび上がってくる。熱しやすく冷めやすい、敵にすれば恐ろしいが、味方にすると頼りない、
そんなネット住人の声に、自分の存在意義を見出すことは、とてもとても不安なことなのだ。定期的に動画を投下しなければ、すぐに忘れ去られるし、
些細な発言から大炎上することもある。我々、ネトアは、いつ移り気なユーザーに見捨てられやしないか、内心ビクビクしながら活動している。
なら、親に捨てられるという事態が、その恐怖の引き金となったら?
 だから、センパイは形のあるものが欲しかったのか。どんな形であれ、アタシという、顔の見える、触れることができる、「人間」の傍にいたかったのか。
それは、アタシも同じだったのだろう。センパイにあれほど恋焦がれたのも、手に入れたいと渇望したのも、激しい恐怖から逃れようと思ったからか。
結局、アタシたちは似た者同士だったんだね。
 そう考えれば、どう足掻いても傷の舐めあいにしかならない以上、アタシが思い描いたような明るい生活、センパイがネトアとして再び輝く日常は、
得られるはずもなかったことがわかる。ネトアの女王として活躍してほしいなんて、随分無邪気で、そしてとても残酷なことを望んでいたんだ。
センパイは、もう十分すぎるほど傷ついていたから、誰かにすがることしかできなかったのに。そして、代わりに差し出せるモノは自分の体しか残っていなかったんだ。
 それでも、死ぬまで傷の舐めあいを続ければいいのかという疑問を消し去ることはできない。
今の糜爛した日常は、アタシの両親の支援無しには成立しない。その援助は一体いつまで続くのか。
このままだと、そう遠くない未来、アタシがセンパイを支えられなくなる時が必ず来る。一つの暗い確信が、明瞭な形を持って心に浮かび上がる。

 アタシは、そのうち、センパイを殺してしまう。

 センパイはもう眠っていた。アタシは密かに頬へ接吻する。変えなければならないのはセンパイの生活だけではない、
アタシの生活も変えなければならない。行動を起こさなければ、破綻が待っている。だが、どうすればいい。どうすれば。
 不安を胸にアタシは眠りについた。