赫い契印<Signature blood>


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「萩原雪歩……可愛らしい娘」
「し……四条……さ、ん」
 四条さんの顔が私に迫って来ます。私はまるで体が痺れたみたいになっていて、指の
一本も動かせなくて、声を出すのも途切れ途切れで。
「さあ、心を落ち着けて」
「あ……」
 四条さんの唇が私の頬をかすめて、まっすぐ私ののどに向かって行って。そこから先は
視界の外のはずなのに、彼女の紅い唇が大きく開かれてそこから鋭いキバが覗くのが
どうしてか私にはわかって。それでも私は催眠術にでもかかったみたいに四条さんを
自然に受け入れて、首の右側にチクリとした痛みと、それから言い知れない快感みたいな
ものを感じて……。
「──はっ」
 そして、目が覚めました。
「……え、と」
 きょろきょろとあたりを見回してみます。なんの変哲もない、いつもの私の寝室でした。
「えーと、あ、そうか、昨日打ち上げで」
 連続ドラマのクランクアップがあって、最終回のゲストに出演してくれた四条さんも
参加して。私は大きなお仕事をやり遂げたことや四条さんと共演できた嬉しさとか興奮
とか、疲れもあってフラフラになっちゃって、それで家まで四条さんに送ってもらったん
です。タクシーの中で私はうとうとしてしまい、家に到着したと四条さんに揺り起こされる
までは記憶もなくって、恐縮しながらお別れしてシャワーも浴びずに眠ってしまって。
 そして、今です。
「……ふわあ」
 あまりに非現実的な、それでいてあまりに生々しい夢の感触に火照る頬を押さえました。
「わ、私、欲求不満なのかな」
 自分の口から出た言葉のはしたなさに、顔がもっと熱くなりました。欲求不満とはそもそも
私は何を欲しているというのでしょう。しかも四条さんにそ、そ、そんなことを、あわわ。
「はうぅ、私どうしちゃったんだろ」
 そう言えば夢の私たちはどんな姿だったのでしょう。ぼんやりした記憶ですがひょっと
して、は、はだ、はだ……っ。
「ひやああ、私ヘンな子だよぉ」
 ジリリリリ。
 そこで目覚まし時計が鳴りました。夢に驚いてセット時刻より早く起きてしまっていた
のです。
 ベッドの中で、取りあえずなにがどうしたのか考えてみます。
「……そっか、昨日のドラマ」
 寝ぼけていた頭が働きだして、ひとつ思い出しました。撮影が終わったドラマはオカルト
もので、主人公の私は自分で知らないうちに吸血鬼に血を吸われた女の子の役でした。
 心当たりもないまま次第に超人的な力を発揮するようになる肉体、周囲で蠢きはじめる
不穏な人影。やがてそれは近くの街で起きていた女子高生の連続失踪事件と不思議な
連携を見せはじめ……。
 クライマックスシーンを思い出しました。昨日のお仕事の最後に収録した場面です。
吸血鬼にされてしまったけれど、自分を吸血鬼にした親玉と戦う決心をした主人公が
謎の洋館へ向かい、そこで親玉――四条さん扮する太古のヴァンパイア――と対峙
する一連のカット。私の演じる主人公はそこでヴァンパイアを睨み返しますが、私は、
萩原雪歩は、四条さんの美しさと凛々しさに打ちのめされてしまったのでした。
 たぶん、私はあの場面で四条さんに何かを吸い取られてしまったのでしょう。それで
ゆうべの私はどこかおかしく、それで今の夢を見ることとなったのでしょう。
 それほど四条さんは美しく、なまめかしく、高貴だったのです。
 今日は朝からお仕事です。しかも四条さんと。そう思っただけでまた動悸が速まり
ますが、お仕事なら夢の記憶でいつまでも混乱している場合ではありません。まずは
シャワーを浴びて頭をはっきりさせようとバスルームへ向かい、洗面台の鏡を見て
びっくりしてしまいました。
「え……これ、って」
 首筋に、赤い跡。
 小さな赤い点が、私ののどについていました。それもふたつ。ちょうど。
 ちょうど、夢の中の四条さんが私にかみついた場所に。
「え、え、えええーっ?」
 さすがに騒ぎすぎだ、とお母さんに叱られてしまいました。

「お、おはよう……ございますぅ」
 そっと控え室のドアを開けて、おそるおそる声をかけてみます。今日の現場は二人
部屋で、ドレッサーの奥側のスツールでお化粧してるのは、もちろん。
「お早うございます、萩原雪歩。昨夜はよく眠れましたか?」
「お、おはようございます、四条さん」
 クールな外見ながら軽く微笑んでくれたのがわかりました。思わず、見とれてしまい
ます。
「……?なぜそこに立っているのです?入室なさい」
「は、はいっ」
 ドアのところで硬直してしまっていました。あわてて部屋に飛び込み、あいている
椅子に腰掛けます。
「昨夜までは芝居、本日は歌謡番組。アイドルと言う仕事もつくづく幅が広いもの
ですね」
「は、そっ、そうですねっ」
「その幅広い予定の中で萩原雪歩、あなたと続けてともにいられるのはある種の
運命を感じます。そうは思いませんか?」
「そ、そうですね」
 入室した時の様子で私が緊張していると判ったのでしょう、四条さんが気さくに話し
かけてくれているのに、私はと言えばどこかのバラエティ番組のお客さんみたいに
同じ相槌ばかり返してしまいます。四条さんはドレッサーに自分のお化粧道具を広げて
いて、つまりもう収録の準備を始めているのに、私はまだなにも出来ていないのを
思い出しました。またもや慌て気味に、バッグの中からファンデーションやリップなど
並べ始めます。収録時にはあらためてメイクさんが来てくれますが、リハーサル時に
すっぴんというわけにはいきません。
 昨日のお礼をまだ言っていなかった、とようやく頭が回り、話のきっかけを探ります。
「し……四条さんはあれからお帰りだったんですよね、わざわざ私のこと送ってくださって
ありがとうございました」
「問題ありません。あなたの家はわたくしの帰路の途上にありました」
「あ、そ、そうですか。でもタクシー代とか」
「事務所の予算内です。あなたが気にすることではありません」
「はあ……でっでもあんなに遅い時間になって」
「帰宅後はもう休むだけでした。十数分のズレなど誤差は少ないほうでしょう」
「そ、そうですね、すみません」
 困りました、さっきから全然会話が弾みません。私、こういうの得意ではないんです。
「えと、えと」
「萩原雪歩」
「ひゃいっ」
 困ってしまったところに、四条さんから話しかけられました。思わず声が裏返ります。
「ふふっ」
「?」
 笑った?四条さんが、笑い声を?
「萩原雪歩。わたくしは……かように恐ろしく見えますか?」
「ふえ……っ」
 びっくりして見つめ返してしまいました。目の前の四条さんは、私を見ながら優しげに
微笑んでいます。
「先日のCD収録からこちら、事務所が違うとは言えあなたとは大分打ち解けてきたか
に感じていたのですが」
「そ、そ、そんな!」
 その言葉に残念そうな響きがあったのに、さすがの私も気づきました。慌てて
打ち消します。
「ち、違うんです四条さん、私、四条さんと一緒にお仕事できたのが嬉しくて、えと、
嬉しすぎてかえってどんなふうにお相手したらいいかわからなくなってしまって!
その、私あんまり人付き合いとか得意じゃないから、こういうときどんなお話すれば
いいとか全然わからなくってぇ!」
「そうなのですか?」
「ふえええ、やっぱり私ダメダメです!せっかくお友達になれた四条さんを困らせる
ようなダメダメな子です!」
 いつものクセが出てしまいました。そう気づくには気づいたのですが、体が言うことを
ききません。手元のバッグを開くと、肌身離さず持ち歩いているスコップの柄が見えます。
「こんなダメダメでひんそーでひんにゅーでちんちくりんな私なんか、穴掘って」
「お待ちなさい」
「埋まっ……え?」
 声とともに、振り上げた手を取られました。力は入っていませんでしたが、あっけに
取られて相手を……四条さんを見つめ返します。
 四条さんがこちらを見つめていました。さっきの笑顔ではありませんがかといって
怒っている様子でもなく、ただ強い視線で私のことを見ています。まるで……。
 まるで、主人が従者を見るように。
「あなたを埋まらせるわけには行かないのです、萩原雪歩」
「し……じょう、さん」
 そう見えたのは一瞬で、彼女の表情はまた少し前の優しい微笑みに戻っていました。
「なにしろこれから番組収録、しかもあなたと共演なのですから」
「あ……あ、ごめんなさい、私、少し緊張しているみたいで」
「適度な緊張は集中力をもたらし、己の能力を最大限発揮するのに有用です。しかし、
過ぎたるは及ばざるが如しとも言いますよ」
 四条さんは私に歩み寄り、立ち尽くしていた私の手をあらためて取りました。
「心を落ち着けて、しかる後に本日の共演を大いに楽しみましょう、萩原雪歩」
「は、はい」
 不思議、です。
 四条さんに見つめられると、私の心はみるみる落ち着いてゆきました。
「まずはリハーサルです。ディレクター殿が入り順を変えると伝えてきました、わたくし
たちの出番まで10分とありませんよ?萩原雪歩」
「あ……はい、そうですか、急がなきゃですね」
 なんだか、四条さんと一緒ならどんなことでもできそうに思います。私は四条さんに
答え、準備を始めました。

 リハーサルは順調に終わり、いま私たちは二人の控え室で、本番の収録順を
待っています。
 当然ですがメイクも終わり、本番用の衣装に着替えています。さっきのジャージ
とは違います。
「萩原雪歩。どうしたのですか?また緊張が戻ってきたやに見受けますが」
「は……はうぅ」
 四条さんが私に近づいてきました。その右手をゆっくりと私の頬に添わせます。
「顔も紅潮していますね」
「ひゃう」
「おや、ますます。大丈夫ですか?萩原雪歩」
 だ、大丈夫じゃありません。だって、だって。
 今日の衣装は二人とも『ナイトメア・ブラッド』なんです。
 真っ赤なビキニスタイルの軽甲冑で、ブラやボトムのデザインなんか私がこれまで
着たどんな水着より面積が小さいんです。手足の先は軽いプラスチックの鎧で覆われて
いますが、肩やおなかや腿などは肌がむき出しで、この衣装は単にハダカでいるより
セクシーな感じが出るようにデザインされたのだと、いくら私でもわかります。

 二人でそんな裸同然の姿で、今日は『inferno』を歌うことになっていました。燃え盛る
情念の炎の中で手の届かぬ相手を想う歌を、小悪魔とかサキュバスとかそういう、
ディレクターさんの言葉をそのまま借りれば『テレビを見てる男子中高生が白目
むいて行っちまうような』――どこへ行ってしまうというのか少し怖く感じましたが――
大人な雰囲気でステージングを行なうのが今日の収録なのです。
 はっきり言えば、私の一番不得意なジャンルの演出なのです。
「し、四条さん。私、今日みたいなステージが苦手で」
「苦手?はて」
「私ってアピールとか自信がなくて、あ、もちろん歌もダンスも一生懸命レッスンして
ますけど、いくらやっても共演の人の足を引っ張ってしまうんです。真ちゃんや
事務所のみんなは『もっと自信を持てばいい』って言ってくれるんですけど、本番前は
どうしてもこんな風になっちゃうんですぅ」
たまらず、打ち明けてしまいました。こんなことを本番直前に言われたらいくら
四条さんでも呆れるんじゃ、そう思いながらでしたが、彼女の表情は不思議そうです。
「自信がない、と言うのですか?萩原雪歩」
「は、はいぃ」
「CDの時もあなたの歌には感動しましたし、少し趣きは違うでしょうが昨日の芝居にも
感銘を受けました。あれだけの実力を備えるあなたが自信を持てない、というのは
おかしくはありませんか」
「そ、そんなこと言ってもリテイクいっぱいしましたし、ドラマも監督さんに叱られ
どおしでしたし」
「先ほどのリハーサルでも、本日の曲目を歌唱といい踊りといい見事に披露していた
ではありませんか」
「リハーサルと本番は違うんですよう」
 売り言葉に買い言葉、みたいな感じになっているのは気づいていましたが、なにしろ
こうなると止まらないのです。まるで私の頭ではなく、口が勝手にいつものフレーズを
言い始めてしまうのです。
「はうぅ、私、わたしっ、やっぱりダメダメアイドルなんですぅ!せっかく優しくしてくれる
四条さんにまで迷惑かけて、こんなこと言ってるようじゃ収録だってきっと失敗
しちゃうに決まってますぅ!」
 四条さんに近寄られるのを避けていたため、私は部屋の隅に追いやられてしまって
いました。リハーサル前の騒動で壁に立てかけておいたスコップが、指の先に
触れました。
「こんなダメダメな私なんか穴掘って埋まってればいいんですぅ!」
 四条さんに背を向けてスコップを振り上げました。頭の中では『これでいいんだ』と
いう思いと『これでいいのかな』という疑問が渦巻いたまま、私の両手はスコップを
振り下ろそうと勝手に力を入れてゆきます。
 ……と。
「お待ちなさい」
 四条さんの声が──落ち着いた、それでいて厳然とした存在感をもって──響き、
私は動けなくなりました。
「待つのです。萩原雪歩」
 再び振り返ると、四条さんは今しがたの場所に立ったまま、強い視線で私を見つめて
います。
 その姿は今までの四条さんと寸分変わらず、でもそれでいてなにもかもが違う、
そんな雰囲気をまとっていました。
「……四、条、さん」
「萩原雪歩、わたくしの目を見なさい」
 そう告げる彼女の瞳が一瞬、妖しい色に輝きました。私はさっきの一言を最後に、
言葉も出せなくなってしまいます。呼吸をするのもやっとで、目の前で光と闇が明滅
します。
「萩原雪歩。汝は我に導かれし者。我が心のままに振る舞う者」
 四条さんが低い声で話し始めます。聞こえなくはありませんが、魔法の呪文でも
詠み唱えるような小さな声です。
「汝が務めは今宵の舞台。汝のなすはその舞踏、その歌謡」
 冷たくそして熱くもあるまなざしで、四条さんが私に……いえ、主人が従者に告げ
ました。
 そうなのです。私はいま理解しました。
 あの夢はきっと、夢ではなかったのです。ドラマと同じように、彼女は実際に宵闇の
住人で、私を送るときにきっと血の契約を交わしたのだと思います。
 私はそれを、単なる夢だと思い込んでいたのです。
「我とともに来よ、萩原雪歩。我とともに舞い歌い、三千世界の従僕を我等が足下に
集わせよ」
 私は彼女から目を離せません。
 だって、サーヴァントはマスターの命令に忠実であらねばならないのです。
 私は答えました。
「わかりました、マスター」
「……」
 マスターは少し不思議そうな顔をしましたが、ゆっくりと微笑んでくださいました。
「行けるのですね?」
「はい」
 確認、ではないのがわかります。命令なのです。
「ならば、まいりましょう」
「はい」
 マスターがマントを翻し、部屋を出ます。私もすぐ後を付き従いました。これからの
収録に対する不安はもう何ひとつありません。四条さん……マスターと共にであれば、
私はどこへでも征き、どんなことでも為すでしょう。
 そして、この日収録された番組は放送されるや否や視聴者に大評判となり、
音楽番組部門でこの四半期トップの瞬間視聴率を記録することとなったのです。

 翌朝、私はアラームの力を借りず目を覚ましました。日中はあまり得意では
ありませんが、人間の生活に溶け込むためには今までのサイクルを守らない
わけにはいきません。
 今日はマスターとの仕事もなく、通常の授業とレッスンがあるだけです。心に小さな
穴が空いているような気分ですが、仕方ありません。
 ゆっくり体を起こし、ベッドから抜け出しました。
 ふと携帯電話を見ると、着信ランプが点いていました。帰宅後はひどく疲労して
いて、すぐに寝入ってしまったので夜中の着信に気づかなかったようです。
 メールを開いてみると、四条さ……マスターからでした。
『昨夜はお疲れ様でした。本番直前には些か強い口調になってしまい、反省して
います。貴方が気にしていなければよいのですが。渡した薬の説明をし損じていた
ようなのでメールにて補足いたします』
 内容はこんな感じです。あと、この時期の虫刺されはたちが悪いと聞いているので
すぐ治療を、とも。メールを読みながら、昨日別れ際にマスターから頂いた塗り薬を
思い出しました。一見普通のかゆみ止めですが、きっと、これも……。
 とりあえずチューブから指に移し、首筋の跡に塗っておきます。洗面を済ませて、
リビングへ行くと、お母さんが朝食の支度をしていました。
「おはよう、お母さん」
 薬のせいでしょうか、かえってむず痒くなった首筋に指を当てながら、緑茶の用意を
始めようとするお母さんを制しました。
「あのねお母さん、うち、トマトジュースってある?うん、今朝はなんだかそういう気分
なんだ」




赫い契印 ~雪歩が中二病にかかったでござる~





おわり