TOWもどきim@s異聞~第一章~ 春香編1


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 見上げていると呼吸が詰まりそうな鈍く重苦しい空模様から、針のように細く鋭い雨が容赦なく地上に降り注いでくる。
あまりの勢いに、窓にガムテープ張りされた社名もペラリと剥がれそうだった。 
ソファへと座った天海春香は、ともすれば猫背になりそうな背筋をピンと伸ばしながら、一台の携帯を親の仇の如く睨みつけ―――

―――ぱか。パタン。ぱか。ぱたん。

液晶に映った人名に目を通し、その度にため息混じりに再び閉じる。
ため息の数だけ幸せが逃げるぞー、などと、オーディションの失敗をちょっとおどけながら励ましてくれた
プロデューサーの言葉が鮮やかに蘇る。
あの時は容赦なく『おじさん臭いですよー』なんて茶化していられたが、実際ため息を繰り返すその都度に、風船から抜ける空気みたいに
エネルギーがどこかへ逃げていくような心地がした。
・・・・・・ため息を止める方法なんてわかっている。問題の原因も自分にある。

「―――だーっ!鬱陶しいからやめなさいっつの!」

怒髪天、という言葉が似つかわしかった。紅茶色の髪の先端が蛇みたいにうねりを見せているような錯覚を覚える程の凄まじい怒気。
水瀬伊織が令嬢らしからぬ大股で歩み寄り、柳眉をつり上がらせてにじり寄ってきていた。
「そういうのは一人の時にやりなさいよ!ただでさえこのクソ重い雨で気分晴れないのに、何なのよさっきから!」
「・・・・・・あ、ごめん伊織。いたんだ」

偽らざる本音をポロッとこぼしてしまった時―――あ、マズイ。と、頭のどこかが警鐘を鳴らした。
「・・・・・・へえぇぇぇ。彼氏からのメール返信待ちみたいな散っ々人を苛つかせるようなパフォーマンスしてるような脳内花畑の乙女には、私のことなんて
ハナから眼中になかった訳ね」
「か、彼氏!?伊織ったら何言ってるのやだなぁ、プロデューサーさんはまだそんなんじゃ」
「誰がいつアイツの話を持ち出したのよそれに『まだ』って何!?・・・・・・って違う。
・・・・・・あんた、これ以上ふざけるようなら」
「―――い、伊織ちゃん!?どーどー!」
給湯室でいそいそとお茶を入れていた音無小鳥が、煮えたぎったマグマにも似たオーラを纏い春香へと迫らんとしていた伊織を
後ろから羽交い締めにして取り押さえる。
「止めないでよ小鳥!この色ボケは多少キツめでも一撃喰らわせてやらないと延々このままになるわよ!」
このまま行けば伊織ちゃんパンチの一発でもお見舞いされるのは確定的に明らかな勢いだった。小鳥に牽制されながらも着実に
こちらに迫りつつある伊織に対し春香は苦し紛れに、
「だだだだからゴメンてば伊織!・・・・・・あーそうだ!今度のオフにやよいと一緒に雑貨屋さん巡りに行く約束してたんだけど、空いてたら一緒にどう!?」
起死回生、という心地で繰り出した切り札は、思いの外効果覿面だったらしい。ピタリ、と面白い位に暴れ出す手前だったそのモーションはストップした。
神様のの様よりもやよい様である。こと伊織に関しては。
「・・・・・・フ、フン。まあいいわ。・・・・・・私抜きで勝手に約束なんてしてたのはちょっといただけないけどね」
このところ事務所で顔を合わせる時間帯が重なっていなかったかもな、と今更ながらに思い出す。
根は寂しがり屋な伊織だ。何だったら一昔前の漫画みたく、当日になったら体調不良の一つでも装って二人きりにしてあげた方がいいかな、などとにべもないことを考える。
「まあそれはさておいて。・・・・・・アイツもそろそろ営業から帰って来るだろうし、メールが遅い位長い目で見てやりなさいよ?」
「へ?・・・・・・ああ」
ついつい苦笑いしてしまう。成る程、事務所メンバーの中で一番『彼』とのメールのやりとりが頻繁なのは自分だ。パカパカ携帯を開いていたら、
自然と『そっち』を連想するのは致し方ないのだろうけど。
「・・・・・・あのね・・・・・・」

『で、俺にどうしろと?』
前方のフロントガラス及び、ハンドルに注意を払ったまま左手が高速とも呼べる動きで液晶に文字を踊らせる。返信。
やれやれと携帯を再び懐に仕舞おうとした矢先に再びブブブ・・・と鈍い震動がした。
『あんた今千早と営業中でしょ?ならそれとなく探りの一つでも入れられない?』
あの十数秒の間でよくもこれだけの文字を打ち込めたものだ。呆れながら感心しつつも、後部座席で座り込んでいる
如月千早の気難しげな顔をバックミラーで確認した。
『伊織が友達想いなのはよくわかったが、俺があれこれクチバシ挟まなくても解決するだろ。だって春香と千早だぞ?』
送信。するとまた殆ど間を置かないハイスピードのレスポンス。
『今の春香見てないからそんな台詞言えんのよ!「今度こそ嫌われたかなー」とか「このままだったらどうしよー」とか。
一旦口にしだしたらもうウザいの何のって。頭の横にリボンじゃなくて
キノコが生えててもおかしくなさそうだったわ!』
間断なく左右に動いているワイパーはともすればその内すっぽ抜けるのではという危惧すら
抱かせるせわしなさで、何処となく携帯の向こうの伊織の様子を連想させる。
元々は深窓の令嬢だったとはいえ、多少業界の波に揉まれて辛抱強さもついてきた(筈)の
彼女をしてここまで言わしめるのだから、恐らく相当な落ち込み様らしかった。
「・・・プロデューサー、さっきからどうしたんですか?頻繁にメールを打ってらっしゃるようですけれど」
「ああ、すまん。うるさかったか?」
「いえ、この雨に比べたら些細なものですけど」
うるさいことは取り立てて否定しないのが千早らしい。
「渋滞してるといっても、あまり気を取られすぎないで下さいね。運転中なんですから・・・」
シートベルトをしっかり装着しつつも、体をだらしなく背もたれに預けることなく、
ピンと背筋を正している凛とした佇まい。

 別段いつもと変わらない。春香がそこまで沈んでいるなら、千早の方ももっとテンションに変化が現れている筈なのだが、と確信に近い形で思っている。
『で、その様子じゃ原因は春香の方にあるっぽいみたいな感じだけど、詳しい話は聞いたのか?』
『知らないわよ。それ以上のことツッコもうとするとますます勝手に沈んでうざったくなるんだもの、追求は諦めたわ』

・・・・・・何か、自分と喧嘩した時とかはそこまで沈まなかったような気がするんだがその事実に微妙な感傷を抱いてしまうのは筋違いだろうか。
しかし、春香本人が「自分に原因がある」と思っているなら問題はない気がする。前は双方譲らない緊迫した膠着状態の末、周りが仲裁に入らねばならなかったということもあったが、
彼女の方から折れれば話は丸く収まるだろう。心底から謝ればそれに応えないほど千早は意固地ではない―――と思う。

(・・・・・・春香の方に軽く発破でもかけてやるか)
嘆息と共に、アドレス帳の一番上にある当の本人宛てに激励メールでも送ろうとした時―――

―――だんっ、だんっ!

「おーい、千早、プロデューサーッ!」
「っんなっ!?」
サイドガラスを勢いよく叩き、響いてくる威勢のいい声には覚えがあった。
ニカッ、とこぼれるような笑顔をたたえ、雨粒に塗れた窓の向こうで一人の少女が声高に存在を主張していた。
「が、我那覇さん?」
面食らいながらも慌てて窓を開ける千早に対し、この雨模様にも関わらず太陽を背負っていそうな程エネルギッシュなその少女―――961プロ擁する
プロジェクトフェアリーの一員、我那覇響がアクアマリンの傘を片手に立っていた。歩道からガードレールへと乗り出して。
「もー、さっきから呼びかけてるのに全然気づいてくれなくて、自分寂しかったぞ?」
「あ、そうだったのかスマ―――って違う!なに考えてんだ、ここ車道だぞ!?」
「ハム蔵を捜してここまで来たんだけど、ここら辺で見てないか?」
「い、いえ。・・・というか、見かける方が大変な気がするんだけど」
何せ掌ほどのサイズしかないハムスターだ。万が一にでも車道に出ていたらただじゃ済まないという危惧もあるが、あれで響のペットらは賢いのでこんな危険な
場所へ飛び出すような愚は犯さない気がする。
「・・・・・・えと、悪い。すまんが今回は捜すのつき合ってやれる時間がないんだが」
「べ、別に手伝ってもらおうとしてた訳じゃないぞー!それじゃ自分、いつもペット達捜す為じゃなきゃ声かけちゃいけないみたいじゃないか!」
「いや、そういう理由じゃなくてだな・・・」
チラチラと窓の外を窺ってみる。しかし、懸念していた『影』は一応気配を見せることはない。思わず胸を撫で下ろした時―――

「うぉいこら!そこの凡骨プロデューサーめ、また私のフェアリーちゃんにちょっかいかけよってからに!」

―――巻き舌気味に因縁をふっかけてくる罵声に、がっくりうなだれフロントガラスに頭をぶつけた。彼女とかち合った時というのは、大
抵『アレ』もおまけというか金魚のフンよろしくついてくるのだから頭が痛い。
後部座席の千早も、あからさまに『面倒くさいのが来た』と言わんばかりの諦めの境地に至った表情で、ズカズカと車へ
近づいてくる人物に軽く会釈する。
「く、黒井社長。奇遇ですね・・・」
「そこから離れなさい響ちゃん!早く避難しないと、この陰湿な凡骨プロデューサーは響ちゃんが素直なのをいいことに挨拶代わりの
πタッチでも仕掛けかねない!」
恐ろしく人聞きの悪い台詞と共にツカツカと歩み寄ってくるのは、件の961プロ社長にしてテラコヤ・・・とにかく黒井崇男だった。
「あ、やっほー社長!いぬ美の方は見つかったのか?」
「ああ、マンションの方の管理人さんに頼んで部屋に送ってもらってって違う!いい加減765のアホ共と馴れ合うなと何度言えば・・・…!」
「あ、そうそう千早!この前借りたCDありがとなー!新しい振り付けの参考に出来そうだぞ!」
「そ、そう?私はダンスについてはまだ真や我那覇さんには及ばないから不安だったけど・・・参考になったなら何よりだわ」
―――頭をかきむしる黒社長を脇に追いやって、和やかに会話を続ける(名目上は)ライバル同士のアイドル二人。
雄叫びを上げながら765(こちら)側への罵詈雑言を繰り出している社長に、忠告ついでに声をかけてやる。
「えーと黒井社長。そこまで大声張り上げると近所迷惑ですよ?ここ、一応公道ですから」
「・・・…はっ。き、貴様に言われる筋合いではないわ!」
ようやくマトモに相手をしてもらえそうな人に声をかけてもらえた嬉しさ故なのだろうか。怒っているような口調ながらも、
ちょっとだけ語尾が跳ね上がっている気がした。
(・・・・・・うん。この人はライバル事務所の社長、ライバル事務所の・・・・・・)
自分の胸に言い聞かせておく。この愉快なやり取りの中では忘れそうになるが、彼はプロジェクトフェアリーのみならず、
つい最近『ジュピター』なる男性アイドルユニットをも発表した歴としたやり手だ。やり手・・・・・・の筈。
もうアイドル達当人にとっては、オーディションの場所以外では宿敵同士だなどという設定は忘れ去られているに等しいようだが。
「あのー、ところで傘もさしてないみたいですけど大丈夫なんですか?風邪引きますよ」
「はっ!それこそ杞憂というもの。水も滴る何とやらというだろう、高木のような半隠居状態の老骨とは違うのだ、
この程度で風邪を引いたりは―――」
「あれ、社長ー?さっき『はっ!いかん降りが酷くなってきたぞこれを使いなさい響ちゃん!昨今の風邪は侮れん!』って
この傘渡してくれたの社長じゃ―――むぐっ」
「いいから帰るぞ響ちゃん!こんな男にいつまでもつき合ってたら、その内何処ぞの崖下へプチ遭難させられ動物番組の
司会を下ろされるという画策に陥れられかねん!」
・・・・・・何だろう、和む気持ちと『あんたが言うな』という気持ちとがせめぎ合っているような気がする。
黒井社長に強引に手を引かれてながらも、挨拶代わりに傘をブンブン振り回していた響が、そこで不意に何かを思い出したかのように、

「あ、そーだ千早ー!そろそろ春香のこと許してやれよー!?どんな頭にされたかは知らないけどさー、随分へこんでたぞー!」

思いがけない一言に、「え」と間抜けな呟きが唇からこぼれた。同時に、反射的に後ろの千早に視線を向けると、自分と似たような感じでその鋭い印象の瞳を見開いている。


・・・・・・とりあえず、あの発言を耳にして尚知らんぷりを決め込むのも不自然だ。一応何も知らないことにして、千早に確認を取ってみる。
「・・・・・・春香と何かあったのか?」
ここで『喧嘩の原因はそれか?』などと尋ねる失敗は犯さない。そもそも伊織の言う『仲違い』の前後の事情がわからないという点では、状況を把握しておく必要があるだろう。

「・・・・・・春香、ひょっとしてまだ気にしてたのかしら?」
おや、と軽く目を瞬かせる。伊織の言ったように怒っているというなら、多少眉をしかめるものかと思っていたが、むしろ千早の反応は思いも寄らないことを聞いた、
と言わんばかりにキョトンとしたものだった。
多少新鮮なその反応に幼さを見出しつつも、とりあえず躊躇いがちに続きを促してみる。
すると彼女は言い渋ることもなく、思い当たるという『心当たり』について語ってくれた。

「その・・・・・・三日前に少しうたた寝している間に少し、髪型をいじられたことがあって、その時少しばかり強い口調で叱責してしまったんです」
「・・・・・・アフロかドレッドにでもされたのか?」
「いえ、そういうものではなく・・・・・・まあ、ヘアカタログの雑誌とかに載ってる流行りもののような感じでしたね」
ふーん、と相づちを打って、その時―――斜め上ほどに視線を馳せて、回想しているようなその仕草にピンと来た。
それはやよいが、通りがかった八百屋で半額セールス品として陳列されたもやしを見たそれにも似た。
「・・・・・・千早個人としては満更でもない感じだったのか?」
「なっ・・・・・・!」
どうやら図星だったらしい。目を見開いてこちらを見やった後、「くっ」といつものように口惜しげに顔を逸らした。
「何だ。額に肉と書かれたんだったらまだしも、それほど悪くない髪型にされたんだったらそんなに怒らなくても良かったんじゃないのか?」
むしろ仕事以外で、『着飾る』ということに対しあまり関心のないようだった千早の、年相応の少女らしい一面が見えて少し安心する。
「・・・・・・目が覚めた時、携帯で写真まで撮られてたんですよ?私がどう思うかというよりも、やはり一言言っておかないと」
「なら、充分反省してるみたいだしそろそろ許してやれば?」
「・・・・・・あの、その話なんですけど」
千早は改まった様子で居住まいを正すと、キッパリとした様子で告げてくる。
「許すも何も、私としては春香に一言言ってもう終わったつもりでいたんですけど」
「・・・・・・は!?」
思わず裏返ったような声で反復する。何の気負いもなく告げた千早の表情はそれこそ「何を今更」といった戸惑いの部分が多く滲んでいて、
少なくとも嘘をついたりしているようには見えなかった。
「いやだって。伊織の話じゃ何か近づき難い雰囲気で声かえても無反応だったって言うからまだ怒ってるのかと―――」
「―――ひょっとしなくても、さっきからのメールってそれですか」
―――あ、しまった。
聞いていた話と大分違うとはいえ、つい言わなくてもいいことまで言ってしまった。
「最初のメールが来てから私の方をチラチラと見てるから、何かと思ったんですけど・・・・・・水瀬さんも人が好いというかお節介ですね」
苦笑混じりに呟く仕草にはとりあえず気分を害した様子はなくて、とりあえず軽くため息をついて改めて問いただしてみる。
「・・・・・・伊織から又聞きした程度のことなんだが、お前がまだ根に持ってるって思って結構参ってるみたいだったぞ?
・・・・・・まあ、連絡貰うまで気づかなかった俺が言っても、説得力はないかも知れないけどな」
「・・・・・・春香には別段普通に接していたつもりです。邪険にしたような覚えはないんですけど・・・・・・あ」
ふと、不自然に言葉を途切れさせた千早に訝しげな視線を送る。
「何だ、やっぱり心当たりがあるのか?」
「心当たりといいますか・・・・・・」
千早にしては珍しく歯切れが悪いというか、少々後ろめたいようなものが滲んだその表情。
「その翌日くらいから、役作りにのめり込んでいたので。ひょっとしたら誤解させてしまったかも知れません」
「・・・・・・へ、役作り?」
何の、と反射的に問い返してみると、千早は軽く目を瞬かせた後、次いで半眼になって回答をくれた。
「『硝子の剣』のことですよ」
「がら・・・・・・あー、そうかそうか!」
硝子の剣。脚本家から直々にオファーを貰い、千早が主役の座を勝ち取った時代劇企画のタイトルだった。
 千早演じるヒロインはさる大身旗本の息女という身分に生まれながらも、謀略により没落に追い込まれ、天涯孤独となった
悲運の娘であり、流浪の末に剣客となった彼女は父を陥れた悪代官への復讐を誓うというそのストーリーだ。
千早は彼女にしては珍しく、わざとらしい唇を尖らせるような仕草を見せてから、
「・・・・・・忘れてたとは呆れますね。この間握り拳で役を取れたことを喜んでくれたのは、演技だったんですか?」
「い、いや違うぞ、断じて!」
脚本家は数々のヒットシリーズを打ち出してきた実力派とはいえ、正直ベッタベタ過ぎて視聴率が平均を切るのか若干不安という点もあるにはある。
が、現時点ではボーカル以外のキャリアが乏しい千早の、またとない飛躍のチャンスだ。喜ばない訳がない。

「まあいいですけど。・・・・・・その、本題なんですけど……『背後に立たれたら即座に抜刀する癖がある』という役柄に則って台本を読み返していたら、
その時たまたま春香が後ろから声をかけてきたので・・・・・・」
ゴルゴ某も真っ青の、江戸時代とはいえちょっと日常生活に支障をきたしそうなそのヒロイン設定を思いだし、
苦い顔をしたのも一瞬で、慌ててあることに思い至って血相を変える。
「ちょっ、まさかバサリとやっちまったのか!?」
「・・・・・・撮影所でもないのにバサリと出来るような凶器を持ってると思ってるんですか?」
『大丈夫なのかこの人』という内心がビシバシと伝わってくる半眼に、
流石にグゥの音も出ずに押し黙る。
「けど、なりきり過ぎて周りが見えていなかったのは否めませんね。
つい必要以上に殺気立って払いのけてしまって・・・・・・」
「・・・・・・ああ、それでまだ怒ってると誤解してるのかも知れないと」
浮き沈みが激しいからな春香は、と内心苦笑する自分とは裏腹に、しかし千早は
どこかしおれた花を思わせるように沈んだ雰囲気を湛えていた。
「・・・・・・やけに暗い顔してるな、どうかしたのか?」
「いえ、その。・・・・・・そんな誤解をさせていたのに今まで気づけなかったのが、
春香に申し訳なく思えてしまって」
ともすれば、雨音の中にかき消えそうな程小さい声音。ハの字になった眉にはどこか、
叱られた子供の見せるしおれたような雰囲気が見える。
一度自分の懐の懐へ招き入れた人間には、誠実な態度を崩さないのが千早だ。そんな様子を身かね、
彼はコホンと一つ咳払いしつつ、
「―――じゃ」
ふと見ると、いかにもそろそろといった緩やかなペースだが、前方の車がまた動き出していた。
軽くアクセルを踏んでから、
「営業が終わったら、千早のチョイスでケーキとか春香に差し入れでもしてやろうか」
弾かれたように顔を上げた千早の顔を、またミラー越しに確認する。運転を再開した今、
流石にそう何回も後ろを振り返る訳にはいかないので無理だけれど、もし叶うなら
頭を軽く撫でてやる位は出来たら、と思った。
「事務所でお茶の時間にそれ振る舞って話でもしてれば、春香ならきっと面白い位の
猛スピードで立ち直ると思うけどな」
「・・・・・・丸っきり子供扱いしてませんか?」
ほんのり。擬音にするならそんな風に綻んだ口元がミラーに映って、振り返れないのが残念だと思った。
「甘い物食べて幸せよとか歌でも言ってるだろ?それでも上手くいかなかったら、千早の方から遊ぶ約束でも
持ちかければ喜ぶんじゃないか?」
疑問形を装いつつも、どうしてもという時はそれで解決するだろうという確信に近い考えがあった。
春香の凹み具合がどの程度のものかはわからないけど、千早からお誘いをかけるなんて滅多にない『ご褒美』を
喜ばない筈はないだろう。何せ年の近い親友同士というよりも、
いっそ出来立てのカップルを思わせるような親密度の二人なのだから。
「・・・・・・春香の好みそうな所とかはお菓子屋さん位しか見当がつきませんが、努力してみます」
―――うん、まあ大丈夫だろう。
ひとまず胸を撫で下ろし、次いで次の信号を左折してから、ふと思い至る。
「けど、いくら主役だからって珍しいよな。千早が演技にそこまでのめり込むなんて」
正直、主役を掴んだことを一応喜びはしたものの、役柄の詳細を聞いた時は少しばかり心配だった。
ヒロインの暗いバックボーンを若干違う形で反映しているように、千早―――というか如月家の現状は決して明るくはない。流石に脚本家がそんなことまで把握している筈も
ないだろうが、それでもこの仕事が今後の千早のテンションを左右しかねないという僅かばかりの危惧はあった。
「・・・・・・役柄のことを気にされてるんでしたら、そんなお気遣いはいりませんよ?手を抜くなんて以ての外ですけど、だからって役に呑まれて自分を見失っては本末転倒ですから」
華奢な立ち姿に見合わないどっしりとした気構えが垣間見える発言に、
「そりゃ頼もしいな。・・・・・・けど、あんまり根を詰めすぎないでくれよ?何かお前の『本気』っていうと、それこそ寝る間も惜しんで
練習三昧みたいなイメージがあるからその内ぶっ倒れそうで怖い気もする」
「大丈夫ですよ、私も自分のペース配分は考えているつもりです」
ならいいんだが、と、一端話をそこで区切ることにして、再び運転に集中する。
何せこの豪雨だ、うっかり前方不注意でスリップ事故など起こしたら目も当てられない。
 不安はまだ拭えないが本当に様にはなっていると思う。運動神経こそ真などには及ばないが、殺陣で見せた鮮やかなアクションは、
指導役も僅かばかり目を向いていた位だ。

まあ、脚本に記してあったかは知らないが、技っぽいものまで叫ぶのはちょっとやり過ぎという
気もしたけど。

(ってか、『まじんけん』ってどういう字当てるんだ?)

……まあ、それこそ事務所のお茶会でいい話の種になるだろう。

そう思いながら、彼は降りしきる豪雨の中で再びハンドルを切った。