『祓魔の聖戦<Evildream crusaders>』


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「雪歩の様子が変なのよ」
 テーブルの向こう側で、伊織は腕組みをして言った。
「萩原雪歩の様子が変?はて」
 こちら側で小首を傾げてみせるのは貴音である。
「なにか病にでも?」
「まー病気って言えば病気よね。貴音、あんたはなにか気づかなかった?」
「そうですね、特には」
 昼下がりの応接室には、彼女たちしかいない。961プロに所属している四条貴音が
765プロに来ているのは、先ほどまで一緒だったスタジオから水瀬伊織が彼女を
事務所に連れ込んだからである。
 収録が終わった後、萩原雪歩のことで相談があると持ちかけた伊織は、なにやら
不可思議な表情をしていた。雪歩になにか心配事でもと心を捕らえられ伊織に
ついて来たのであるが、ソファに座ってオレンジジュースを勧められるが早いかの
質問であった。
「あの子がおかしくなったの、あんたとの共演が続いた頃からなのよね。ほら、
吸血鬼ドラマとinfernoの」
「ああ、あの時……なるほど、それならば」
 心当たりがないではない、と貴音は応じた。ドラマの最終日に送っていったこと、
翌日の歌番組でひと騒ぎあったこと、動揺していたらしい彼女を貴音が叱咤激励
したこと。
「少し不安定になっていたようなので、些か強い言葉を用いました」
「強い言葉?」
「そうですね……彼女に奮起するよう促すと言うより……わたくしのために力を振るえと
命ずる調子で」
 貴音が言うことは伊織にも察しがついたようだ。あくまで時と場合によるが、人には
優しいなだめ言葉より威圧をもっての命令の方が効果的なことがある。
「どんな感じで話したか教えてもらえるかしら」
「そうですね……『汝は我に導かれし者。萩原雪歩、我とともに来よ』、このような
言い回しでした」
「あはは、さすがの貫禄ね。私までゾクゾク来ちゃいそう」
 面白そうに笑い、伊織は身を乗り出した。
「たぶんそれだわ。貴音、あんたドラマでは吸血鬼の親玉だったわよね」
「ええ。そして萩原雪歩はわたくしに血を吸われた犠牲者」
「その親玉から、ドラマ現場以外の場所でも『私はあなたのマスター』とか言われたら、
あの子はどうなっちゃうかしら?」
「どう、と言われても。普通は以前の仕事に絡めた冗談口くらいに思うのでは?」
「普通、ならね」
「萩原雪歩が普通ではないと?」
「あんたから見りゃ大概の人は普通の範囲内でしょうよね、そりゃ」
 伊織は貴音を見つめたまま、何事か思案しているようだ。悲しみや不安感のような
雰囲気はほとんど感じなかった。むしろこのやりとりを面白がっている様子であり、
相談事というのも悪い内容ではなさそうなのが救いと言えば救いだが、貴音にして
みれば雪歩の事情が掴めずもどかしい。
「水瀬伊織。勿体をつけるものではありません。萩原雪歩になにがあったというの
ですか?」
「もったいぶってるんじゃなくて、あんたにどう説明すればいいか悩んでるのよ」
「かように重大な?」
「人によってはね。貴音、あんたは『中二病』って聞いたこと、ある?」
 チュウニビョウ。その言葉とここまでの会話からすると、それが雪歩に関係のある
病名なのだろう。だが貴音にはそれがどのようなものか見当がつかない。しばし首を
捻り、やがて最近その単語を聞いたことがあると思い出した。
「詳しくは存じませんが……いつだったか仕事帰りの車中で、ラジオ番組の司会者が
そんな話題を」
「内容は憶えてる?」
「待ってください、確か……そう、番組にメールを送った方のご友人が、野球のボールが
頭に当たって以来」

「ふんふん」
「クラスメートの中に数名、宇宙人が紛れ込んでいるのが見分けられるようになったとか」
「それを聞いて、貴音はどう感じたかしら?」
「珍しい経験をする方もいるものだと」
「はあぁ」
 伊織の表情がみるみる渋くなる。
「あのね貴音、それが中二病よ」
「……宇宙人を見抜くようになる病気なのですか?」
「だからあんたに説明するのがホネなのよ」
 伊織の説明によると、中二病とは『自分が荒唐無稽な作り話の主人公だと思いこんで
しまう病気』なのだという。悪霊や妖怪など実在しないとされているものが見える、魔法や
科学で説明できない能力を持っていると思い込む、おとぎ話や空想の世界、歴史上の
人物の生まれ変わりを信じる、などなど。
「手に負えないのはその大部分に自覚があるってことよね。ようは『普通じゃない自分』に
陶酔してるのよ」
「自覚があるのならかまわないのでは?」
「TPOを自分に都合よく解釈するから面倒なの、当人じゃなくって主に周りが!」
「はあ」
 伊織はソファに腰掛け直し、ため息をついた。
「うちのクラスにも一人いるのよね、ワイシャツで隠れてるけど左腕に包帯ぐるぐる巻きに
してるヤツ」
「なにかお怪我でも?」
「独り言を聞いたわ。『暗黒龍の逆鱗』っていうのを使役してるらしいの」
「それは難儀なことです」
 聞くだに禍々しい存在である。貴音はそのクラスメートに同情した。しかし、伊織からは
方向違いの制止を受けただけであった。
「……今から全部説明するから、終わるまでちょっとだけ口を挟まないでちょうだい。
いいわね?」
 かくして、その後30分。
 伊織の講義を受けてようやく、貴音にも合点が行った。萩原雪歩は、少々厄介な
思い込みを背負ってしまったのだ。彼女は自分が貴音に血を吸われ、吸血鬼・貴音の
支配下に置かれていると考えているのだ。
「それでわたくしをマスターと」
「ドラマでもそうだったわね。雪歩は最後まで抵抗していたけど、あんたに血を吸われた
登場人物はあんたをマスターと呼んでいた」
「たしかに」
「もう少ししたら雪歩が帰ってくるわよ。試しに『三遍回ってワンと言え』って命令して
みたら?」
「冗談を。本人もある程度わきまえていると言ったではありませんか」
「まあ、これは冗談。でも、あんたの言うことなら大概は聞いちゃうわ、きっと」
 貴音は少し考えてみた。深く推量すれば、雪歩は誰かに指図されることを無意識下に
望んでいたということになるのだろう。ただ、一人ひとりが目的を持って活動している
芸能界で、それは種々の困りごとを生み出すに違いない。
「……少々懸念を感じます。わたくしはこれから、萩原雪歩と同じ仕事をする際には
世間話ができなくなりそうではありませんか」
「そうね、『お手柔らかに』なんて言ったら雪歩は収録で手を抜くに違いないわ。『あの
共演者が苦手で』とかいう話になったらあの子、その人を妨害にかかるかも。意識的で
はないかも知れないけどね」
「わたくしの言葉を彼女に都合よく受け取るのですね?」
「番組でもオーディションでも、特定の相手に手心を加えるタレントは芸能界的には
長生きできないわね」
「それは困ります!」
 貴音は立ち上がった。

「せっかく知り合えて、互いに尊敬できる部分を見つけ、正々堂々と戦おうと思えた
相手です。萩原雪歩にそのような道を歩ませるわけにはまいりません」
「そうね。同じ事務所だけど、私も雪歩にはそう思ってるのよ」
 伊織は貴音に着席を促し、にこりと笑った。
「意見が合ってよかったわ。私はあの子の目を覚ましてあげたいんだけど、あんたは
どうかしら?」
「是非もありません。わたくしになにか落ち度があったというなら、一肌でも二肌でも
脱ぎましょう」
「その言葉を待ってたのよ。あんたにして欲しいことがあったから。あのね──」
 伊織が身を乗り出したときである。事務所のドアが開く音が聞こえた。
「お疲れさまでしたぁ」
「──あら。貴音、あとはメールでね」
 聞こえてきたのは雪歩の声であった。眉を軽く上げ、声をひそめて伊織が告げる
その直後、入室してきた雪歩は応接ブースの二人に気づいたようである。
「あれ、誰かいらして……えっ、マス、し、四条さんっ?」
「あーあ、邪魔が入っちゃったわね!」
 貴音が雪歩に挨拶しようとするのを遮って、伊織が大声を上げた。立ち上がった
貴音の首元に人差し指を突き付けて言い放つ。
「水瀬伊織?」
「貴音、今日のところは見逃してあげる。だけど次はないわよ、肝に命じておくことね」
「い、伊織ちゃん?」
「お疲れさま雪歩。悪いんだけど四条さんがお帰りだそうだから、お見送りしておいてね」
 そのまま席を立つと応接室を出ていこうとする。
「お待ちなさい、水瀬──」
「来週」
「──?」
「来週、あんたと共演があるのよね。そこで決着をつけてあげる。首を洗って待って
いることね、あははは」
 言うだけ言って、伊織は事務室を出て行ってしまった。残されたのは貴音と雪歩
だけである。
「……四条さん」
「水瀬伊織。何を……」
 貴音はここまでの伊織の言動を斟酌してみた。雪歩が入室してきたときの彼女の
表情を思い返してみた。
「四条さん?伊織ちゃん、なにかあったんですか?」
「……いえ」
 雪歩が問いかける頃には、自分なりの方針を決めた。伊織の策略に乗ることにしよう。
「邪魔をしました、萩原雪歩」
「あ、いえ。あの四条さん、わたしそこまでお見送りを……」
「必要ありません」
 なにしろ、あの顔だ。雪歩の死角で自分に見せた伊織の表情は。
「まだ宵闇には程遠い。我らが群れて歩くには些か日が高すぎましょう」
「あ……はい」
 とっさに、先のドラマのセリフを引用した。雪歩が従うのを、なるほどこれかと得心
する。
 一人で765プロダクションを出て、自分の所属事務所へ向かう。よもやと思ったが
充分な距離を取って、胸元から紙片を取り出した。先ほど伊織に指を突きつけ
られた際に、密かに差し入れられていたものだ。
「これは……メールアドレス、ですね」
 伊織もあの時、そんなことを言っていた。おそらく雪歩に知られぬように打ち合わせ
を目論んででもいるのだろう。

 なにしろ、別れ際の伊織の表情は、これからとても楽しいことをするのだとでも
言いたげに、期待と高揚に照り輝いていたのである。

****

 『決着』を約した収録までは瞬く間に時が過ぎてしまった。貴音とて暇を持て余して
いるわけではなく、それは伊織の事情も同様だったろう。彼女の指示通り、着信も
送信もその都度削除するという手間のかかったメールでの相談も結局数回しか
機会がなく、わかったことといえば「とにかく都度指示を出すのでそのとおりに動け」と
言われたことぐらいである。貴音なりにも考えてみたがそれが何を示すかわからず、
最後に見た伊織の笑顔が貴音をかつぐつもりではなかったという予感を信じるばかり
であった。
 かくしてその番組収録は特段の異変もないままに終演を迎え、歌のゲストで
呼ばれた貴音、コーナーゲストの伊織は収録現場では顔を合わせることなく
ディレクターがクランクアップを告げた。
「水瀬伊織」
「あら貴音、お疲れ様」
 先に着替えた貴音が控え室から出てくる伊織を呼び止めたのは、それからほどなく
してのことである。
「見事な手並みでした。これならよい番組になるでしょう」
「そちらこそ。あんたんとこはずいぶん慌てて新曲を出すのね、うちの倍のペース
じゃない?」
「わたくしには呑気に芸能活動をおこなうつもりもいとまもないのです。王たる者、
下々とは格が違うということです」
「粗製濫造を事務所の腕力で売りさばく王様ね」
「負け惜しみとは地に落ちたものですね」
「正攻法でやってるだけよ、あんたんとこと違って」
「961プロが邪道を行なっていると?」
「そうは言ってないわよ」
 伊織は貴音を睨みつけた。
「ファンの首筋に歯形をつけるのが邪道じゃないと言うなら、ね?」
「……お主」
 貴音は低い声で言い、動きを止めた。……恐らく近くで固唾を飲んでいる雪歩に、
自分が怒っていると悟らせるために。
 貴音の控え室、化粧ポーチの裏蓋に貼ってあったメッセージには伊織の筆跡で『私の
部屋に来て私とケンカなさい』とだけ書いてあった。例の収録以来、人が変わったように
頻繁にメールをやりとりするようになった雪歩からは彼女が今日はオフであることを
聞いており、今回の『計画』の流れから言っても主賓の彼女を輪に入れねば意味が
ない。先週の事務所での諍い以来、雪歩は貴音と伊織との間に何らかの確執を
感じているはずであるし、恐らく伊織は本日この場に、彼女が来ているのを承知
しているのだろう。
 自分と喧嘩をしろ、というのが伊織の注文だったが、それは今ここで取っ組み合いを
しろという意味ではあり得ない。なにか、彼女なりの舞台を用意しているはずだ。
 そこで、こう訊ねた。
「何を知っている?」
「あんたが知らないで欲しいと思ってることを」
 打てば響くように切り返した表情は得意げで、それは伊織の満足のしるしであろう。
「そうか。では、忘れてもらおうか?」
「まあ待ちなさい。場所が悪いでしょ?」
 以前演じた吸血鬼はここまで性急ではなかったが、及第点は取れているようだ。
「あと30分で、D7スタジオの撤収が終わるわ。あそこは明日も朝から続きを撮影する
からほとんどそのままになってるし、防音もしっかりしててお誂え向きよね。そこで
待ってる」
 D7スタジオは子供向けのヒーローものを専門に撮影するスタジオだ。ドラマ部分では
なく屋内の戦闘シーンを撮影するため、巨大な倉庫様の造りになっており、本番の
際には弾着や爆発でたいそう賑わう現場である。子供番組というものはファン層拡大
には非常に効率的で、貴音もデビュー間もない頃そのスタジオでゲストを務めていた。

 返事も待たずきびすを返す伊織の背中を睨みつけてみせつつ、貴音はようやく全貌が
見えてきた今回の『プロジェクト』に、一種言い知れぬ高揚感を芽生えさせていた。

****

 萩原雪歩は、当然ではあるが忍び歩きに慣れていない。D7スタジオへの通路を
移動する間に、貴音は彼女が物陰に潜みながら後をついてくるのを確認した。
「萩原雪歩」
「はっ、はいっ」
 立ち止まり、振り向きもせず呼びかければあっさりと姿を見せる。あるいは、
呼ばれるのを待っていたのかも知れない。
「本日はオフのはずのあなたが、なぜここにいるのです?」
「す、すみません。わたし、なにか胸騒ぎがして」
「……水瀬伊織のことですね」
「はい……この間、四条さんと伊織ちゃんのやり取りを聞いてしまって。メールでは
教えていただけませんでしたし、わたしなんだか不安で」
 雪歩とやりとりしていたメールの中で、彼女は貴音と伊織の仲をそれとなく気に
していた。はっきりと訊ねられれば違ったかもしれないが、その内情を探られるのは
不都合だったため、あえてその話題をすりかえて会話していた。
「心配には及びません。もとより水瀬伊織とわたくしは敵同士」
「それはそうですけど」
「765プロダクションと961プロダクションは昔から因縁浅からぬ関係であると聞いて
います。何度か共演や競争を経て、わたくし自身も水瀬伊織に対しては思うところが
あります」
 これは、今回の件とは無関係に貴音自身が感じていることだった。
 デビュー時期が違っていたことや年齢差、彼女の立ち居振る舞いなどを遠目で
見ているうちは、本心を言えば水瀬伊織を見下していた。現在までの間にいくつかの
オーディションでひやりとさせられ、番組収録後に会話の機会を得て、彼女への
認識を改めたのはごく最近のことである。
 もともと『765プロダクションは最低最悪の事務所だ』と主張していた黒井社長の
言葉を否定する材料も持ち合わせていなかったため、大会社を率いる人物が
ああまで感情的になる種を心に植え付けた事務所や社長にも非はあるのだろうと
うっすらと考えていた。
 貴音がその考えを変えるきっかけとなった人物が水瀬伊織であり、そしていま
目の前に立っている萩原雪歩なのだ。
「わたくしも彼女とは腰を据えて話をしたいと思っていたのです。今日はその考えを
質す好機、心ゆくまで語り合うとしましょう」
「はわわ、それって言葉での語り合いのような気がしないですぅ!」
 雪歩にしてみれば『マスター』への精一杯の反駁なのだろう。自身の言葉が思惑
通りに伝わったことに、貴音は密かに満足を覚えた。
 ゆっくりと彼女に歩み寄り、さらにゆっくりと顔を近づける。
「雪歩、可愛いしもべ」
「……あ」
「汝は心配せずともよい。遠き時代より交わりし互いの縁を、いま一度見定める
だけです」
「は、はい」
 その頬に右手を滑らせ、微笑みを浮かべてみせる。妖艶と言われるような表情に
なっているか不安だったが、雪歩の顔に陶酔の兆しを認めて満足した。
 このまま強引に唇を奪っても雪歩は貴音を受け入れそうだが、筋を外れてしまう。
ほんの少し残念に思いながら、こう告げた。
「共に参りましょう。ただし手出しは無用です」
「……はいっ」
 おぼろげに見えてきた伊織の計画とは、少々違った行動になりそうだと思った。

 だが、水瀬伊織ならこの程度の路線変更は対処できようし、そうでなければ……貴音が
認めた甲斐がないというものだ。

****

「遅かったわね、貴音」
「失敬。連れの者がおりました故」
「……雪歩」
 巨大倉庫の中心に立ち、大仰な態度で話し始めた伊織の顔色が、貴音の背後から
姿を現した雪歩を見て変化する。その表情から貴音が読み取ったのは焦りより
感心であり、伊織の用意したシナリオに貴音が朱を入れるであろうことは案の定、
予測済みであったようだと知れた。
「い、伊織ちゃん」
 自分の出番とわかったのだろう、雪歩が声を張り上げた。
「これ、いったい何なの?伊織ちゃんと四条さんの間に、なにかあったの?」
「雪歩、危ないわ、ちょっとどいていて」
「伊織ちゃん、こんなスタジオ危ないよ?なにかお話があるなら、どこか別の場所で」
 貴音としては、雪歩がスタジオまで隠れてついてきてしまうと伊織が会話のしどころを
失うのではないかと考えてのことだった。雪歩を同じ『舞台』へ上げることはこの先に
支障なかろうし、これで彼女は正式に観覧者の地位を得たことになる。
 貴音は声をかけた。
「萩原雪歩」
「四条さん」
「心配は無用です。お下がりなさい」
「でもっ」
「雪歩」
「……はい」
 ほんの少し語気を強めると、しぶしぶながら従う。次は伊織の手番の筈だ。
「水瀬伊織。先ほどの続きです。お主はわたくしの何を知っているのだ」
「あーら、言葉が乱れておいでよ?四条貴音さん」
「相手の程度に合わせているだけです」
「それはわざわざ手間かけさせたわね」
「はぐらかすならそれでもよかろう。お主の口を今宵限り閉じさせればよいだけのこと」
「へえ、どうやって?私の血は安くないわよ!」
 来た、と貴音は思った。まなじりを上げ、対峙する相手を睨みつける。
「なに?」
「昼間はトップランクの人気アイドル、見た目の美しさと独特な雰囲気で見る者を
惑わす。でもその実態は夜の闇に紛れてなにも知らない人間の生き血をすすり、
従順な下僕と化しておのが欲望のままに跳梁跋扈する吸血鬼。それがあんたの
正体よ!」
「ふん」
 予想の範囲内で助かった、と不敵な笑みの裏側で貴音は思った。きっかけが
貴音の吸血鬼なら、その幕引きもそうなるはずだ。これは、雪歩の中二病を
治療するための大掛かりなセレモニーなのだから。
 伊織と別れてからの一週間、貴音も彼女なりに研究をし、理解できたことがある。
中二病は、『治る』ものではなく、『卒業する』ものなのだ。
「そこまで知っていながら、なぜ我らの邪魔をする?所詮人の身ではかなわぬと
解ろうものを」
「忘れたの?その人の力で永いこと寝てたくせに」
 伊織の口上は、要するに芝居のト書きだった。筋立ての詳細を知らない貴音に、
大仰なセリフ回しで互いの役回りを解説するためのものだ。
「下らぬ。お主等の世話に少し飽いただけだというのに」
「一休みに300年もかけてたから、あんたの大事なしもべは空腹で死んじゃった
じゃない」
 貴音演じる吸血鬼はつまり、300年前に人間と戦い、最近まで雌伏していたようだ。
なにかがきっかけになって目を覚まし、この時代の人間を意のままに操るべく夜な夜な
血を吸って歩いているのだ。
「かまわぬのだ。人はいつの時代にもたんとおるのでな」
「そして人のいるところには、必ず私たちがいる」

 じり、と伊織が身構えたのがわかった。これは以前出演した特撮番組の殺陣の
きっかけと同じで、つまりはこういうことだ。
 ……アクションシーンの始まり。
「お主等はいつもそう言う」
 言いながら、貴音も腰を落として右手の──固唾を呑んで見守る雪歩から死角に
なった方の──ポケットに手を入れる。この中に『スタート用』と書かれたスイッチを
説明書と共に発見したのはさっきのことだ。
「今も、300年前も、その前も。いちいち我等を煩わせる、お主等は何者なのだ」
「あら?興味ないんじゃなかったの?」
「我ではなく、我が同胞が欲しておるのだ。お主等を未来永劫……」
 空いた左手で真っ直ぐ伊織を指差し、ポケットのスイッチを準備して……叫んだ。
「晒し者にするためになあッ!」
 押すと同時に、爆発音。
「きゃあああっ!」
 貴音の視界の端で、雪歩が叫び声をあげた。
 飛び散る地面ともうもうたる土煙。爆煙は褐色の竜巻となって、伊織の立っていた
場所を天井まで覆い尽くした。
 小さな電子機器はその瞬間、伊織の足元に仕掛けられていた火薬を破裂させた
らしい。その規模の大きさに貴音は、一瞬『敵』の安否を気遣ったほどである。
 ただ、貴音の予想している筋書きでは当然これでおしまいの筈はない。当たり前だ、
相手は『正義の味方』なのだから。
 耳鳴りがおさまる頃を見計らって、強めの声音でつぶやく。
「ふ、他愛もない」
「それはどうかしら?」
「なに?」
 案の定答えがあった。声の主が見あたらず、とりあえず上だろうと視線を天井
あたりに流す。
「『闇を照らすは気高き光』」
「どこだ!」
「『魔を征するは聖なる刃』」
「し……四条さんっ」
 雪歩が声を上げるのと同時、貴音も見つけた。積み上がったコンテナ様のセットの
屋上に人影がある。
「そこか」
「『闇より這い出る魔の眷族を、光の刃で清めて祓う』」
 人影はさらに一歩、セットから身を乗り出した。ちょうどそこはスタジオ内のスポット
ライトが集束しており、変身──衣装の早変わり──を終えた伊織をひときわ
鮮やかに浮かび上がらせた。
「『太陽の女神の戦巫女!スウィート・エンジェリオン、ここに参上っ!』」
「……おのれ」
 口上の終わりしなに漏れたのは、台詞ではない。貴音の心からの一言だった。
 あの服装は以前、雪歩からデザインを見せてもらったことがある。765プロダクションの、
来シーズン用の未発表の衣装をベースとしたものだ。
 真っ白な上下セパレーツにコーラルピンクの縁取り。ノースリーブの羽根のような
肩口から伸びる腕は健康的な白さを際立たせ、ひらりと広がるスカートから覗く
膝小僧もそれは同様だ。胸元には大きなラップキャンディ型のリボン、背中に負って
いるのはクリスマスを思わせるスティックキャンディをかたどったアクセサリーで、
これからの立ち回りを思えば打撃武器にもお誂えである。
 その衣装をまとった伊織の姿は確かに美しく、可憐で、それでいて力強さを合わせ
持ったまさに太陽の天使と呼ぶに相応しい見目であり、彼女の登場を目の当たりに
した貴音はつい言葉を失ってしまったのである。
 アイドルとしてはクールビューティーを前面に押し出してはいるが貴音とて一人の
乙女、かわいらしいものにはつい惹かれてしまう。自分に似合うかどうかではなく、
あのようなキュートな衣装を着ている伊織を……貴音が本心から羨んでの嘆息だった。
 それが伝わったのかも知れない。満足げに微笑む伊織の表情はいかにも生き生きと
して、まさに主役の佇まい。翻ればこちらは……悪役とはいえあのような、はしたない。

 よろしい、と貴音は思った。この上は憎まれ役を、見事に引き受けて見せましょう。
「エンジェリオン、か」
「違うわ、スウィート・エンジェリオンよ」
 きっと自分で考えたのだろう。伊織はこの魔法少女の名が気に入っているようだ。
「些細なことだ、墓碑に刻む文字数を省いてやろうと言うのに」
「要らないお世話ね。そのお墓に名前を刻まれるのは……」
 伊織が両手を上げた。今度は向こうの攻撃だ。……しかし、貴音はどこにいれば
よいのだ?おそらく足元のどこかに火薬が仕掛けてあり、先ほどの伊織と同じように
身を隠せばよい筈だ。
 そして伊織は、背中の巨大キャンディを取り上げて体の前に構えた。……飛び道具
だったのか?
「あんたの方なんだから!」
「くっ!」
 持ち手だと思っていたキャンディの棒の部分は、なんと銃身であった。マズル
フラッシュとともに貴音からかなり遠い地面に土煙が舞い始め、点々と跡をつけながら
段々近づいてくる。弾着のルートは大きく弧を描きながら迫って来ており、貴音は
これで走る方向を把握した。偶然だろうが雪歩と分断される方向、貴音は右奥に
逃げねば銃撃に捉まってしまう。
「このっ、ちょこまかとーっ」
 伊織はますます意気揚々とマシンガンを振り回す。貴音に逃げる隙を与えるためでは
あろうが、構図だけ見るとどちらが悪役かわからない。
 濛々たる砂埃が雪歩を視界から消した。これはつまり、貴音の姿も雪歩から見えない
ということだ。そのまま弾着を避けて走り続けると、進行方向の壁がドアのように開いた。
了解して勢いをつけ、飛び込むと同時に誰かがドアを閉めるのがわかった。
 その直後、ドアの向こうで聞こえた爆発はおそらく、先ほどの伊織のように貴音の
姿を消し去るための煙幕だろう。逃げ込んだ小部屋で貴音は一息つき、呼吸を整えた。
「四条さん。ご協力に感謝します」
「あなたは」
 ドアを閉めた人物がこちらに向き直り、そう礼を言った。貴音はこの女性を知っている。
「……秋月律子」
「ご無沙汰してます。30秒ばかりありますから、大まかに打ち合わせと行きましょう」
 律子とは直接には幾度か会っただけだが、噂はそれ以上に聞いている。アイドルと
しては決して侮れないレベル、それ以外の部分ではいわゆる参謀タイプの人間である
とのことだ。
「あなたが裏で糸を?」
「残念、発案は伊織です。私は雪歩のため、裏方全般を引き受けたの」
「そうですか。では、筋書きを教えてもらいましょう」
「……なにも聞かずに?」
 律子がいぶかしんだのは、貴音が『自分が陥れられている』可能性に及ばなかった
ことについてだろう。
「そうですね。時間が惜しいので端的に言えば、今あなたが『事務所のため』ではなく
『雪歩のため』と仰ったので、もう少しこの芝居に乗るつもりになりました」
「助かるわ」
「では、教えてください」
 猪突猛進型ではあるが頭も相応に切れる伊織が、相手や自分を怪我させかねない
火遊びを裏づけなしにしているとは考え難かった。消し炭の破片が目に入るだけで
巨額の補償問題に発展しかねないキャスティングなのだ。
 そのこともあったのだろう、伊織が先に攻撃を受けるストーリーにしてあった。これで
彼女が無事なのであれば、詳細を知らされていない貴音もある程度は安心できる。
火薬の量やタイミングなどは演者である伊織には測りかねようし、誰かナビゲーターが
いるだろうというところまでは貴音に想像がついていた。彼女のプロデューサーでは
ないかと予測したところだけが、これまでのところ大きな誤算である。
「あらあら、あんたはまた穴倉に潜っちゃったの?私は300年も待てないわよ?」

 舞台側で伊織の声がする。断続的に爆音が続いているのは、貴音の準備を待って
いるのだろう。
 律子から必要な情報を得て、貴音は準備に入る。そろそろ魔物の本性を現す頃合だ。
服の襟に手をかけた。
 この服は彼女の私服とそっくりだが、似せて作られた衣装である。この下に『本性』の
衣装を着け、上から羽織っているだけのマントのような作りなのだ。
 ドアの影に身構えて、息を吸う。伝声管とメガホンを組み合わせた仕掛けが壁を
這っているという説明を受けており、ここで声を張り上げれば舞台中に大音声が
響き渡る。
「誰が逃げ隠れなどするものか!」
 地声がうまく響いたか、予想以上の大きな音に自分で驚く。壁の向こうの伊織も
同様で、一瞬声の勢いが消えたのがわかった。
「よくも散々虚仮にしてくれた!もうよい、遊びは飽いた。血なども飲みたくもないわ。
今からお主を微塵に切り裂いてくれる!」
 まだ隠れた状態であるので、貴音の姿は後ろに控えている律子にしか見えて
いない。本性の衣装になっていても構わなかった筈だがあえて普段着のままでいた
のは、それをきっかけとするためと自分の気持ちを切り替えるため、そしてもうひとつ。
 襟の手に力を入れ、一気に脱ぎ去る。それを確認した律子が手元のスイッチを操作
すると、ドアの向こうでひときわ大きな音が聞こえた。貴音が逃げ込んだ場所の
隣にある建物が、爆発とともに崩れ落ちた音、の筈だ。
「そこかあっ!」
 伊織の銃声が聞こえ、その方向に歩き出す。『本性を現した吸血鬼』には、スウィート・
エンジェリオンといえども通常の銃弾では傷ひとつ負わせることはできないのだ。
 ドアを超えて砂埃を抜け出すと、正面に銃を構えた伊織、左奥の壁に身動きできずに
いる雪歩が見えた。雪歩がこちらの姿に気づいて一瞬安堵の笑顔を見せ、ついでその
表情を凍らせる。
 衣装をぎりぎりまで脱がなかったもうひとつの理由は……そのコスチュームが
いささかならず恥ずかしかったためだ。
 ベースは先日も着た『ナイトメア・ブラッド』であるが、仔細を大きく違えていた。
背中の羽根と言い手足の爪と言い、鎧としてはより鋭く、禍々しくデザインされている。
色もブラッドレッドではなく、貴音のイメージカラーであるダークワインレッド。そこまでは
いい。しかしその上、ただでさえ露出の多い布地がますます減っていた。ブラもボトムも
ビキニラインは通常よりなお小さく細く、腹や足などほぼ丸出しである。肘からさき、
膝より下こそ堅牢に守られているものの、実際の戦場でこの格好をしようものなら
ものの数分で膾にされてしまうだろう。
 繰り返しになるが、貴音も本来は一人の乙女である。仕事ならともかく、映像にも
残らない余興でここまで肌を曝け出す衣装はどうにも恥ずかしい。いや、映らないと
言ったが、これがカメラに写る仕事なら地位も境遇も省みずキャンセルしたかも
知れない。雪歩のため、と心に決めたからこそこの衣装を身にまとい、こうやって
悪役を演じ続けてはいるが、正直ここまで扇情的な演出が必要だったのか、と
全てが終わったら伊織を問い詰めるつもりである。
 土煙から自らの姿が全て現れた頃、銃撃では効果がないと心得た伊織が武器を
下げた。
「豆鉄砲の出番は終わりか?まだ少し背中が痒いのだがな」
「うるさいわね」
「こちらの台詞だ。我らを小馬鹿にし続けた一族よ」
「なにか言いたいことがあるの?宵闇の住人」
「ない。なぜなら」
 右手を一振りすると、手首の内側から細身の剣が登場する。見た目は鋭利だが、
殺陣で使用する樹脂製である。
「今ここで貴様を滅ぼすからだ!」
 叫び、一気に伊織に駆け寄る。
 上背もあり鷹揚な印象のある貴音だが、職業柄筋力は充分に鍛えてあった。瞬く間に
距離を詰め、大きく振りかぶった一太刀目は例のキャンディで辛うじて受け止められた。
「ぐぅっ!」
「きゃああっ」

 ぎぃん、と樹脂同士にしてはよい音がする。伊織が歯を食いしばり、雪歩が少し離れた
場所で悲鳴をあげ、手で顔を覆った。
 貴音も伊織も子供向けの特撮番組にゲスト出演したことがあるが、その立ち回りに
際してはいくつか基本的な決まりごとがある。先ほど律子から受けたレクチャーでも
その話題が出ていた。
 たとえば、今のような上段からの切り込みは下から受け、力相撲になる。そして受けた方が
必ず競り勝ち、切り込んだ武器を跳ね飛ばすのだ。
「があっ!」
「ぬう?」
 伊織の武器が貴音の剣を押し上げ、体を崩した貴音は数歩引いて姿勢を整える。
その隙を突いて、伊織がキャンディを――ここから先は棍棒扱いらしい――横薙ぎに
振る。
 横からの剣撃には剣撃で合わせ、三度の打ち合わせの後四度目で互いが引く。
 また、武器同士の戦いが続くと子供が飽きるので適宜、互いに避け合いながらの
肉弾戦を一しきり。手足の攻撃は長い武器に比べると動きが小さくなりがちなので、
体全体を使って大きく打ち、大きく受けるようにする。
 右、左、右と切り込むが全て合わせられ、四撃目はタイミングを合わせられて剣を
弾かれる。すんでのところで踏みとどまり、剣を後ろ手にして左フック、右ハイキック、
左後ろ回し蹴り。
 一対一での立ち回りの場合、カメラは横からは撮らない。攻撃が当たっていないのが
見えてしまうからである。必ず写線上に二人が重なり、攻撃がいかにも迫力あるように
撮影する。
 この場合の写線はカメラではなく、唯一の観客である雪歩だ。貴音の視界には
目の前で切り結ぶ伊織と、その先に腰を抜かして固唾を呑む雪歩が見えている。この
位置なら蹴りが実際には当たらなくても、雪歩からは痛烈な攻撃に映る筈だ。
 伊織が下段にガードを固めた。ならばと、右足をまっすぐ振り上げる前蹴りを見舞う。
「かあっ」
「きゃあああっ!」
 両手を合わせた部分に脛が噛み、伊織が後ろ向きに――貴音は自分の方が
驚きそうになるのをあやうくこらえた――十数メートルも吹き飛んだ。地面に深い
引き摺り跡を残し、雪歩の脇を通り過ぎて向こう端の壁に激突する。
 呼吸を整えて足元を見ると、地面に穿たれた跡の中に細い切れ込みがある。ここの
仕掛けはこれだ。どこかのタイミングで腰にでもワイヤーを取り付け、それがレールに
沿って伊織を引き摺って行ったのだ。
「どうした、もう終わりか?」
「……まだよっ」
 ゆっくり歩み寄り、声をかける。ここの壁はもろく作られていたようで、貴音の『魔の
力』で伊織は壁に大穴を空けていた。
「往生際が悪いな。楽に死なせてやろうと言うのだぞ?」
「誰があんたなんかにっ」
 貴音が近づくまでには、伊織は立ち上がっていた。これも仕掛けだろうか、スカートや
上着が大きく破れている。肌が見えるわけではないが、よくできたダメージ表現だ。
「真っ直ぐ立てもせぬひよっ子に何ができ……んむ!」
 小さなモーションで伊織が何かを投げるのを、すんでのところで顔を振ってよける。
小石?いや、服の影に隠し持った武器か。数歩下がって距離をとった。
「まだ何か持っているのか」
「これよ。あんたの大好きな十字架」
 片手に広げてみせたのは小さな、十字架の形をしたナイフだった。顔をしかめて
みせ、さてどのくらいおののいてみせようかと迷う。
「祝福儀礼済みの特製よ、さっきの豆鉄砲よりは効くんじゃない?」
「……小癪な」
 つまり、吸血鬼に効果のある武器である。貴音は小さく歯をむき出し、唸った。
「かように小さな鉄片が我にいかほど傷をつけられる?」
「かように小さな鉄片にずいぶん驚いてたの、見てたわよ」
「ならば我につけてみよ、傷を。できるのならな!」
 再び細剣を構え、伊織に駆け迫った。

『簡単に言うと、あなたの優勢、伊織の優勢、あなたが逆転、伊織が大逆転、です』
『なるほど、簡単に言ってくれますね』

『でも、わかりますよね?』
『ええ、しかと』
 先ほどの、律子との会話の最後がこうだった。スタジオのあちこちに仕掛けを作って
あるから、臨機応変に利用して戦いの優劣を演出するということだった。
 剣と巨大スティックキャンディで奇妙な殺陣を続けながら、貴音はそれを思い出して
いた。伊織は近づけば打撃、距離をとると十字架の短剣を投げてくるので、戦況を
推し量るのも骨だ。
『して、わたくしの最期はどうなるのです?吸血鬼ですから、心臓に杭でも?』
『死んじゃうの、困るんですよね。なにしろあなたはアイドルだから』
『死亡を思わせる演出だと、翌日から雪歩と顔を合わせられませんね、確かに』
『だから、憑き物だけ落とすんです』
 そう言って律子は、貴音にウインクした。

「……どうした」
 先ほど短剣を投げたあと、伊織の動きが止まった。棍棒を青眼に構え、何かの
タイミングを計っている。
「ははあ、例の鉄くれも尽きたのだな。いよいよ進退窮まったと言ったところか、
光の使者よ」
「……」
 順序的には自分の優位になる番だ。この後が『伊織が大逆転』。今後の展開を
見極めながらゆっくりと一歩踏み出す。
「お主はよくやった。褒めて遣わそう」
「うるさいわね」
 背後で固唾をのむ雪歩に、自身の威厳をありったけ表現する。悪役はこういう時、
尊大不遜な振る舞いで正義の味方に接し、最後にはそのことで足元をすくわれる
ものなのだ。
「そうよの、せめてもの慈悲だ。苦しまぬよう一瞬でその細首を切り落としてやろうか。
それとも」
 残心を解き、剣を背後に回す。冷酷な声になっているよう祈りながら、舌なめずりを
した。
「おとなしくしているなら、あらためて我らの下僕としてこき使ってやってもいいが?」
「まっぴらだわ。どんな世界が来ようとも、私はあくまで私だから」
「殊勝よな。そういう顔が快楽にとろけるのを見るのはさぞ楽しかろう」
「ぬぅっ!」
 殺してやると初めに宣言したのを翻し、血を吸ってやると脅してみた。これを
きっかけと捉えたようで、伊織はよろめく体に鞭打ってキャンディの棍棒を振り
かぶった。
「猪口才な!」
 鈍い金属音を最後に、伊織の手から武器が弾け飛ぶ。貴音の後ろ数メートルの
位置にいる雪歩にも、この優劣は明らかであろう。雪歩から見て貴音の向こうに膝を突く
伊織と、伊織の背後に転がる棍棒が一直線に並んでいるはずだ。
「往生際が悪いな。お主のような輩を手駒にするのも面白かろうが、のちのち厄介事の
種にもなりそうだ」
 一度は下げた剣を再び構え、ゆっくりと伊織に近づきながら言った。
「やはりお主には死んでもらおう。我らの栄えある未来のためにな!」
「……あと一歩」
「なに?」
 声が小さかったため、反応が遅れた。しかし、それもどうやら伊織のシナリオ
だったようだ。細剣を上段に振り上げたまま動きを止めた貴音に、疲れの見える
表情で伊織は笑みを浮かべたのだ。
「あんたの立っている場所をよく見ることね、神に見放された者!」

「なんだと!?くぅ?」
 不意に足取りが重くなり、本心から声が出た。同時に低い地鳴りが聞こえてくる。
……これは。
「あんたを縫い止めるのにはずいぶん仕掛けがかかったわ、さすがね。でも」
「こ……これは」
 これは……磁石だ。いつの間にか床が地面ではなく、むき出しの鉄板になっている。
そこに靴底が張り付き、動けなくなっていたのだ。
 衣装のブーツが妙に重いとは感じていたが、床に仕込まれた電磁石に反応するよう
仕掛けが施されていたのだろう。
「でも、この十字架からは逃れられないんだから!」
 地鳴りはさらに大きくなり、あたりを見回すと自分に光が注がれているのに気づいた。
伊織から少し角度をつけて、前後と左右からサーチライトのような光が貴音に放たれて
いるのだ。
「なん……だと……っ」
 これが、『伊織の大逆転』だ。彼女が投げていたナイフはやみくもに放られていた
のではなく、貴音を囲むように巨大な十字架の結界を張るべく設置されていた、という
筋立てなのだ。
 光と地鳴りがひときわ大きくなった。すなわち、『結界が強くなった』のだろう。そろそろ
クライマックスだ。
「ぐおおおおおっ!」
 貴音は大きな声で唸る。巨悪の最期だ、怒り任せの最大の抵抗を見せねば正義の
味方も甲斐がなかろう。
 磁石で縫い止められた足取りがままならないだけでなく、手も体も動かし難い。
布地の少ない衣装だが、この中にもいろいろ仕掛けてあったようだ。それに抗いながら
もう一度剣を振り上げる向こうに、取り落とした棍棒を再び手に取る伊織の姿が見えた。
「劫魔伏滅、エンジェル・ウォーハンマー!」
 必殺技の呪文だろう、棍棒を頭上に掲げて叫ぶと、キャンディの部分が変化した。
自動車用のエアバッグでも仕込んであったのか、破裂音とともに十字架型の両手棍、
すなわち巨大な金槌の姿になったのだ。
「闇より出でし悪しき者よ、神の破槌にて光に還れ!」
「おのれ、スウィート・エンジェリオンンンッ!」
 伊織の祝詞に応ずるように、貴音の怨嗟の絶叫が響く。白く輝く十字架を構えた
伊織が貴音に向かって走り出し……。
 ……その時。
「だめええええっ!」
 悲鳴とともに、二人の間に雪歩が割って入った。
「ばっ、ばかっ」
「雪歩!?」
 驚いた表情の伊織は、しかし走る勢いを緩められない。彼女の頭の中にはこの
ような妨害は想定外だったのに違いない。
 そして貴音は、自分をかばって伊織に立ち塞がる雪歩の足が震えているのに
気がついた。
 本当に雪歩が貴音の『魔力』に囚われているのなら、怯えたりなどしないだろう。
マスターを護るのはサーヴァントの務めなのだから。雪歩が震えている、その理由は。
 体じゅうの力を振り絞り、貴音は雪歩の肩に手をかけた。
「よいしもべだな」
「マス……」
「だが、もうよい」

 とん、と体を突き、伊織の進路から彼女を避けさせた。

「し、四条さんっ?」
「雪歩」
 彼女が怖がっているのは吸血鬼でも神の使いでもなく……。
 大切な友達同士が争っていること、なのだ。

「萩原雪歩、心のままに生きよ。我でなく、自身の、な」
「だあああああああっ!」
 伊織が高く──踏み切り板かトランポリンか──ジャンプし、巨大なハンマーを貴音の
脳天に振り下ろす。数メートル離れてぺたりと座り込んだ雪歩には、まさに吸血鬼を
退治する神の使いが見えたことだろう。
 伊織の着地とともに大きな爆発音と、いちばん当初にあったような砂煙が立った。
たちまち全員の姿が見えなくなる。
 直後、貴音のすぐ脇の地面に穴が開き、中から顔を出したのは……。
「──」
「しっ」
 つい言葉を発しそうになる貴音を制し、現れた秋月律子はさきほど彼女が脱ぎ捨てた
普段着の衣装を取り出した。最後の仕上げというわけだ。


****


 戦いは終わり、やがて周囲を遮っていた塵埃も落ち着いてゆく。少しずつ晴れる
視界の中に雪歩が見たものは、一人うつむき立ち尽くす伊織。
「い……伊織ちゃんっ!」
 いまだ震えの止まらない膝頭に鞭を入れ、どうにか立ち上がって彼女の元へ
駆け寄る。
「伊織ちゃん!いったいこれは──」
「雪歩」
 伊織が視線を定めたままなのに雪歩は気づいた。彼女が見つめていたのは。
「あ……!」
「あの吸血鬼は消える前に、あんたになんと言ったかしら?」
 その先にあるのは、安らかに目を閉じる、元の姿に戻った貴音であった。
「四条さん!」
「……雪、歩」
 地面に膝を突き、手を差し入れて助け起こす。普段着の服を上からかけられている
その下は一糸まとわぬ姿である。あの禍々しい吸血鬼のいでたちは、伊織の一撃で
霧消したという設定なのだろう。
「四条さんごめんなさい、わたし、わたしっ」
「大事ありませんか、雪歩」
「ねえ、雪歩」
 手にしていた武器を投げ捨て、伊織も二人に歩み寄った。
「いくらなんでも気づいてるわよね?これ、お芝居よ」
「うん……。私がおかしなふうになっちゃったから、二人で付き合ってくれたんだよね」
「ま、そういうこと」
 中二病は治るものではなく、卒業するものである。
 自らの内になにか大きな能力や才能が秘められているのでは、と夢見ることは
誰にでもある。だが子供ならともかく、大人と呼ばれる人種はそれに陶酔しない。
 その能力を開花させるのは自分自身であると知っているからだ。それを知ることで、
人はまた一歩成長するからだ。
 人間には無限の可能性がある、それは事実だ。しかし、可能性を現実に変えるのは
神や悪魔や超常現象の力ではなく、その本人の努力そのものであるのだから。
「うん。四条さん、迷惑かけちゃってすみませんでした」
「萩原雪歩。わたくしの言動がもとで、あなたの思い込みが迷走を始めたのだと聞き
及びました。わたくしは、あなたを陥れる気も一人勝ちに浸るつもりもありません。
あなたとは、正々堂々と芸能を競い合いたいと考えているのです」
「はい、肝に銘じます。わたし、これからもっと頑張って、四条さんに認めてもらえる
ようなアイドルを目指しますね」
「その程度では困ります。私にとって脅威に足る存在となってもらわねば」
「ふええ?それは無理ですようっ」

 雪歩が、貴音の手を取った。貴音もそれを受け、ゆっくりと身を起こす。肌が露わに
ならぬよう手早く服を着るそばで伊織が微笑んだ。
「あらあら、とんだサービスショットじゃない」
「……水瀬伊織」
 貴音は立ち上がり、眉間にしわを寄せて伊織に向き直った。
「あなたには質したいことがあるのです」
「え?いったいなんのことかしら?」
「この顛末の脚本についてです!確かにわたくしは雪歩のために付き合うと言い
ましたが、ここまで手の込んだ仕掛けが必要だったのですか?」
 当然のことながら、収録スタジオを無断で使用することはできない。まして弾着や
爆発、倒壊セットまで準備するには資金も時間も少なからず必要である。貴音と雪歩の
スケジュールの空きは事前に調べると仮定しても、それに合わせて伊織や律子の
体を空けておくのも決して簡単なことではないだろう。
「だって、私たちはアイドルでしょ?クラスの友達のために一芝居打つってわけじゃ
あるまいし、相応に説得力のあるバックグラウンドを作らなきゃ出演者たちだって
力が入らないじゃない」
「それにしても、単なる余興に行なう規模では」
「遊びは本気でやらなきゃつまんないでしょ。それに」
 悪びれることもなく伊織が続けた言葉に、貴音は耳を疑った。
「なんなら元が取れるくらいの作品になったしね、にひひっ」
「い……今、なんと?『作品になった』?」
「ああ、もちろん今すぐどうこうとは考えてないのよ、961プロが765プロとの共同制作に
OK出すとは到底思えないし。いつかあんたがフリーになるか移籍でもしたら──」
「撮ったのですか!?い、今の芝居を撮っていたのですか!」
 あまりのことに眩暈がしてくる。楽しそうに語る伊織の解説によれば、スタジオ内の
ありとあらゆる場所に隠しカメラを設置し、コンピュータ制御と律子の操作によって
今の戦闘シーンの全てが撮影されていたという。あとは編集とナレーションだけでも、
起承転結のあるドラマに仕立てることが出来るというのだ。
「言ったでしょ、本気でやらなきゃつまんないって」
「……なんと……なんという」
「貴音もいい芝居してたわよ?アドリブであそこまでできるなんて、さすがトップアイドルは
違うわね」
「世辞などいりません!消去をっ、その映像の消去を求めますっ!」
「え?やーよ、何カットか見たけどけっこうよく撮れてたんだから」
「そんなものが世に出たらわたくしは、わたくしはぁっ!」
 すっかり騒動のおさまったスタジオに、二人の言い争いはしばらく続いていた。


****


 一週間後、貴音はまた765プロダクションを訪れていた。伊織と契約を交わすため
である。
「じゃあ、これでいいわね。例のビデオに関しては、私とあんたの双方の合意なしには
上映・放送・その他、当事者4名以外の他者の目に触れる状態にしない、と」
「よろしいでしょう。本当なら記録原本を今この目の前で焼き捨てて戴きたいくらい
ですが」
「ケチなこと言わないでよ。ほんとにいい出来なんだから」
「どんな出来であろうと、出自を疑われるものを民輩の目に晒すわけには参りません」
 この点に関しては貴音は実に強硬であった。
 何度も言うが貴音も一人の乙女である。題目はいろいろと唱えはしたものの、要するに
過剰に肌の見える衣装を自らの意思で身に付け、自ら進んで大立ち回りに及んだ
ことがあの『映像作品』を見たものに知れてしまうのがあまりに恥ずかしかったのだ。

「ま、いいわ。実際あんたが嫌なら世に出すつもりはなかったし、当初の目的どおり
雪歩の中二病もどうにかなった。私としては満足よ」
「雪歩の件に関してはわたくしもそう存じます。手段の仔細は今さら問いますまい、
伊織、雪歩を思い遣っていただき感謝しています」
 貴音は改めて伊織に頭を下げた。一瞬前まで喧嘩腰だった相手に恭順の態度を
とられ、伊織は頬を赤らめる。
「べ、別にいいのよっ、ほら私だって雪歩があのままじゃ困るわけだしっ」
 慌てる伊織を見て、これまた可愛らしいことだと貴音は思う。これまでの彼女の
立ち居振る舞いを見る度、貴音は軽い羨望を覚えるのだ。
 萩原雪歩に対しては純粋に、互いに技を磨き、競い合いたいという願望がある。
好敵手……そんな言葉が似合いの相手だと感じている。しかし、伊織にはもっと複雑な
感情が貴音の中に生まれていた。
 雪歩のことは真実、心配もしたし彼女の心を強くする手助けもできたと満足している。
ただ、貴音がそれだけで行動を起こしたかというと、そうではなかった。
「雪歩の目を覚まさせるためだけなら、実際には膝詰め談判で説き伏せることもできた
でしょう。しかし伊織、あなたはそうはしなかった」
「だって……」
「お互いスケジュールに追われる身、時間や資金のことを勘定に加えるなら間違っても
『特撮ドラマを1本撮る』という選択肢は生まれ得ません。あえてそうした、その真意は」
 初めて相談を持ちかけられたときのあの表情。即興芝居で活劇を行なうという
考えがたいシチュエーションでの、あの生き生きとした立ち回り。伊織は、おそらく。
「誰かと、思い切り遊びたかったのでしょう?」
「──っ」
 伊織の顔に、みるみる朱が差してゆく。
 彼女もまた忙しい身の上である。気詰まりな仕事も、我慢を強いられる局面もある
だろう。そんな中、仲間が中二病という病気にかかった。この病を治す可能性を調べて
ゆくその中に、たいそう楽しげなものがあった……そんな経緯だろうと思う。
「仕事では荒唐無稽な役柄を演ずることもあるでしょうが、それはあくまで台本あっての
もの。伊織、あなたは自分の好きな状況で、自分の思い描く主人公を演じたかったの
ではありませんか?」
 これを推測する、とても大きな要素があった。

 水瀬伊織は中学二年生……彼女こそが『中二』そのものなのだ。

「……わ、私がなにかいけないことでもしたわけ?」
「いけないことなどなにもありません。ですが伊織、わたくしにくらいはもう少し、素直に
してくれても良かったのにとは思っていますよ」
「なんであんたあんかに素直になんなきゃならないのよっ!」
 ますます赤い顔でまくし立てる伊織に、貴音は涙を拭う振りをする。
「わたくしにあのような恥ずかしい衣装を着せたくせに。自分ばかり目立つ都合の良い
シナリオを考えたくせに。くすんくすん」
「だー、もう。悪かったわよ、だまし討ちみたいにあの衣装着せてごめんなさいってば」
 伊織の態度で自分の推測が裏付けられ、貴音はそれで溜飲を下げることにした。
「まあ、いいでしょう。少々の不満はありますが、総じてはわたくしもおおいに楽しめました」
「そう?なら、よかったわ」
 再び笑顔に戻ってそういうと、ほっとしたような面持ちで伊織は言った。
 この、くるくる変わる表情もうらやましい、と貴音はそっと思うのであった。
「時に、あれも伊織のデザインなのですか?」
「まあね。セクシーだったでしょ?」
「殿方の欲望丸出しという意味では。大したセンスを持っていますね、水瀬伊織」
「人をおっさんみたいに言わないでよね」
「お疲れさまでしたぁ」
 他愛もない話題を続けていると、事務所入口の方から萩原雪歩の声がした。営業から
戻ってきたようだ。

「久しいですね、萩原雪歩」
「あ、四条さんいらっしゃいませ。伊織ちゃん、ただいま」
「おかえり、雪歩。今ちょうど、こないだの話してたのよ」
「この間のって……あっ」
 伊織の手招きに応じてソファに座った雪歩は、何かに思い当たったように声を上げた。
「また、なにか事件があったんですね!」
「……え?」
「は?」
 二人は揃って首をかしげる。事件、とは?
「この間のわたしみたいに、また誰かが中二病を発症したんでしょう?いよいよまた
『中二病ハンター・タカ・アンド・イオ』の出番が来たんですねっ?」
「は、萩原雪歩……あなた、まさか、まだ」
「え?やだな四条さん、わたしは至って正気です!」
 嫌な予感を拭えぬまま問う貴音に、しかし雪歩は元気に反論した。
「あの時、わたしは目が覚めたんです!お二人はわたしみたいな悩める少年少女を
心の暗い呪縛から解き放つ救世主なのだと完璧に理解したんです!」
「きゅ、救世主?」
「ええええっ?」
「わたし、治していただいたご恩は絶対忘れません。お二人のためならなんでも
しますから、今度のターゲットは誰なのか教えてください!まずは内偵ですか?
それとも舞台装置の準備にかかりましょうかっ」
「あ……あー、雪歩、実はこれから計画を練るところなのです。まだ少しかかります
から、まずは荷物を置いてきてはどうですか?」
「あ、そうですね、わたしったら。じゃあちょっと失礼します。伊織ちゃん、わたし
ロッカールームに行ってるね」
「はいはい」
 雪歩の姿が消えたところで、二人は渋面を作って互いを見つめた。
「どういうことです水瀬伊織。治っていないではありませんか」
「おっかしーわね。あの子、今日まであんなこと一言も言わなかったのに」
「ふうむ。わたくしたちが共にいると雪歩の『中二ごころ』がくすぐられるのでしょうか」
「よしてよ縁起でもない」
 伊織は迷惑そうに思案しているが、貴音は今の萩原雪歩なら心配することはない、
と判断していた。以前のようなおかしな妄念とは桁違いに現実寄りであるし、
『中二病ハンター』という単語にも彼女なりの遊び心を感じる。
 雪歩は、この三人が揃っているときだけ、あの時の伊織や貴音の立ち位置で
不思議な設定を楽しんでいるのだろう。おそらく他の者がいればすぐ現実に立ち返る
だろうし、番組やオーディションでまみえれば全力で立ち合ってくれるに違いない。
 それに。
「しかし、これは由々しきことです」
 貴音は真面目な表情になり、腕を組んだ。
「わたくしの『吸血鬼』が消滅してなお、あのような思い込みが残るとなると、これは
むしろ一連のお膳立てを行なった伊織、あなたの方に原因ありやとも懸念されますね」
「はあ?あんたナニ言い出して」
「伊織」
 それに。
 これで、また伊織と遊べるではないか。
「いずれにせよ今度は、あなたが『一肌脱ぐ』番だと考えますが?」
「……えっ」
 貴音は笑いながら、赤い顔のままで黙り込んでしまった伊織をしばし堪能することにした。