ジェイ・ケー


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 女子高生は、恋をする生き物だ。
 なんたって身体の7割は恋で出来ている。嘘じゃない。疑うなら、どうぞ私を解剖してみれ
ばいい。メスが私の肌に触れたとたん、そこから恋が日曜の午後の噴水のようにあふれてくる。
心臓のどくんどくんという動きに合わせて、その七色の輝きは雲の上まで突き抜けるのだ。け
れど、その噴水は決して枯れる事はない。あふれればあふれるほど、私の中から新たな恋が生
産されていくのだ。ほら、空を見渡してみよう。あっちこっちに無数の綺麗な恋の虹が見えるでしょう?
 嘘じゃないってば。本当。女子高生はみんな知っている話。

 だから、なんにもお仕事が入っていない休日の午後、事務所のソファでうんうんと唸ってい
る千早ちゃんを見つけたのは、偶然でも何でもない事だ。

 頭のリボンの位置を手早く整えた私は、小さく深呼吸をしてからバスケットをよいしょと抱
え直し、事務所の入り口をゆっくりと開いた。もちろん悪い事をしている訳ではないのだけど、
本来来るべき日ではないのに出社している事になにか罪悪感めいた事を少し感じてしまう。事
務所はとても静かで、いつもの喧噪が嘘のようだった。たぶん、色々な人のオフが集中していたんだろう。
 私は真っ先に彼の机を確認したが、残念な事にちょうど席を外しているようだった。2人で
食べようと思って焼いてきたクッキーの入った、下心満載のバスケットがどすんと重くなった
気がした。目論見が外れて肩を落としつつも、待つ事も恋愛の楽しみの一つだ、という恋愛小
説の一節を思い出し、そしてそれを実感しながら事務所の中をふらふらと歩いて回った。
 そうして千早ちゃんを見つけたのは応接室兼会議室兼休憩所だった。多少古くはあるけれど
も、がっしりとした作りのソファの上、こちらに背を向けて私のデュオの相方が座っていた。
彼女は背を丸めて熱心に何かと格闘している。私がいる事に全く気づいていないらしい。
 にやり、と自分の口角がつり上がるのが分かった。ゆっくり、ゆっくり忍び足で後ろから千
早ちゃんに近づく。そして。
「ちーはーやーちゃーん」
「きゃあっ!」
 ソファ越しに彼女にがばっと抱きついた。彼女の長く腰まで伸びた黒髪がはためき、石けん
の良い匂いが広がる。うりうり、と頬を頬へあてる。千早ちゃんは自分のあまり肉つきが良く
ない身体がコンプレックスらしいけど、肌はさらさらだし、弾力もあるし、触ってて本当に気
持ちが良い。彼女にしては珍しくフローラル系の香水が香る。うっすら化粧もしているようだ。
「ちょっと、なに? やめ、えっだれ?」
 こんなに慌てる千早ちゃんは珍しくて、私は楽しくなってしまってもっと続けてしまう。
「うりうりうり~」
「やめてー!」

「春香だったの……。てっきり亜美か真美かと……」
「あはは、ごめんごめん。なんかこう、急に飛びつきたくなっちゃって」
 なにそれ、と千早ちゃんは小さくため息をついた。私はごめんごめんと言いながら、机を挟
んで千早ちゃんの対面に腰をおろす。
「何してたの? メール?」
「え、えぇ。まぁ」
 千早ちゃんはバツが悪そうに携帯電話をぱちんと折りたたんだ。なにか悪戯が見つかった幼
稚園児のようだ。
「は、春香は何しに来たの? オフなのに」
「千早ちゃんこそ、オフなのに」
「私は別に――」
 恥ずかしそうに視線を落とし、携帯を弄びながら呟く。
「別に、オフだろうとなんだろうと、独りで歌と接している事には変わりないから。それなら
ここに来ても同じだから」
「またまた」
 最近の千早ちゃんは随分と人当たりが良くなって、学校の友達とも時々遊んでいるらしい事
は聞いている。彼女はその話をすると迷惑そうな素振りをするけど、その口元は随分と穏やか
なのだ。ほら、今みたいに。
 しばらく心地よい無言の時間が続く。心から信頼できる友人との間にだけ生まれるこの空気
が、私は大好きだ。だから、千早ちゃんの次の言葉に、私はすっかり油断してしまっていた。
「春香は」
「うん」
「その、好きな人、って……いる?」
 あまりにあまりな突然な話題に、私は思考が停止してしまった。えっ? なんだって?
「ごっごめんなさい! 忘れて! なんでもないの!」
 千早ちゃんが顔を真っ赤に染めて首をぷるぷると横に振る。自分でも突拍子過ぎた事がわか
って、よっぽど恥ずかしいのだろう。そんな彼女を見て、逆に私の方が冷静になる。恋バナ、
か。千早ちゃんが恋バナ、か。そんな女子高生の当たり前の話題が、とても嬉しかった。だか
ら私はテキトーには流したくなくて、しっかりとした答えを口にする。
「本当に何でもないから――」
「いるよ」
「え?」
「いる。私、好きな人、いるよ」
 アイドルとしてどうかと自分でも思うけどね、仕方ないよね、とぐっと握り拳を固める。
 ……言ってしまった。アイドルの癖に、好きな人がいるだなんて。流石に彼の事を、とは言
えなかったけど。でも、こういう事を言い合える仲というのは、すごくすごく素敵な事だと思
うのだ。私はなにか不思議な満足感に包まれるのを感じた。

 そんな私の笑顔を見て、千早ちゃんは、そ、そう、と言ってまた俯いてしまった。もじもじ
として次の言葉をなかなか言い出さない。彼女はこんなに可愛らしくて色っぽい表情が出来るのか。
 その、えっと、と何度も躊躇して、ようやくぽつりと呟いた。
「聞きたい事が、あるのだけど」
「うんうんなんでも聞いて」
 大きく身を乗り出して、千早ちゃんに顔を寄せた。一言も聞き漏らすまいとして。
 そして千早ちゃんは、ゆっくりと口を開いた。

「もし、もしもの話だけど。好きな人にメールを送るとして、あからさまな好意は気づかれた
くなくて、でもそれとなく会いたいっていう事を告げるには、どうしたらいいと思う?」

 ――あぁ、なるほど。
 これ以上ないくらい顔を真っ赤にした彼女を見て、私はわかってしまった。
 オフの日にわざわざ事務所に来ている目的や、仕事以外ではあまり使わない香水や化粧をし
ている理由や、彼女がメールを送ろうとしている相手が誰か、なんて事を。
 すとん、と理解してしまった。
 ショックは全然ない。先ほどの満足感は萎むことなく、むしろ輪にかけて私をいっそう充足
させてくれるのだった。
 だから最終的に私が思ったのは、私は千早ちゃんの親友で良かったな、という当たり前の話だった。
「そういうのはね」
「えぇ」
「自分で考えた方が、素敵だと思う」
「そう……よね、やっぱり」
「うん、千早ちゃんだけの思いを込めた方が、いいよ」
「こ、これはもしもの話よ」
「うん、もしもね」
 千早ちゃんは大きく息を1回はいてから、ぱんぱんと両手で自分の頬を叩いた。
「ごめんなさい、なんか変な話をしちゃって。らしくないわね」
 そんな事ないよ、と私は大まじめに首を振った。
「私、応援するよ」
「な、なんの話よ」
「他でもない千早ちゃんの事だもの。私、応援するから」
 千早ちゃんは再び顔を赤くした後、照れくさそうに笑いながら、ありがと、と小さく口を動かした。

 早く話題を切り替えたかった千早ちゃんが、そういえばと口を開く。
「それで春香はなんでここに?」
「あぁ、えっとね」
 私はずっと手元に抱えていたバスケットを、どすんと机の上においた。
「クッキーを焼いてきたの」
「さっきから良い匂いがするな、とは思ってたけど」
「でしょでしょ。よく出来たと思うよ」
「まさか、電車の中でもずっと垂れ流してたの?」
「え、えへへへ」
 はぁ、と千早ちゃんはおでこに手をあてた。
「とにかく、今日はこれをね」
 ちくりとした胸の痛みを感じなかった事にして、私は今日一番の笑顔を咲かせた。
「‘みんな’で、食べたいなって思って」


 勘違いしないで欲しい。
 千早ちゃんに譲ったとか、勝てなさそうだったから、とか、そういう理由では断じてない。
どういう事かといえば、つまり最初に言ったとおりだ。

 女子高生は、恋をする生き物だ
 なんたって女子高生の7割は恋で出来ている。
 だけども、残りの3割は、もっともっと素敵なもので出来ているのだ。