ハミングライフ


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 夕方4時。
 俺はいつものように、細く開けてある窓からベランダに出た。
 檻はどうしたって?鳥や犬猫が開けられる程度のもの、俺ができない筈がなかろう?下の段に前足をかけて、歯で持ち上げて下に隙間を作る。隙間にもう一方の前足を差し入れて、広がったら今度は鼻面を突っ込む。そして首の力を頼りに格子を持ち上げれば完成だ。以前に檻が落ちたとき針金がゆがんで、ちょっとしたコツで入口が開けっ放しにできる。俺が檻を出入りできると彼女に知れたらコトなので、彼女が戻るまでには必ず檻の中に帰ることにしているのだ。……え?俺は誰だって?

 俺の名はハム蔵。我那覇ハム蔵、あるじの響に飼われているハムスターだ。

 今日は昼まではいい陽気だったが、さっき突然夕立が始まった。あるじの響は今朝たまっていた洗濯物を一気に干して出て行っており、これは少々残念なことになりそうだ。俺の力ではどうしようもないことであるし、横風でも吹いて洗濯物に雨が当たらないことを祈っておくとしよう。
 窓があけてあるのは俺ではなく、同居している他の連中が散歩に出られるようにとの響の配慮だった。山のような体を持ついぬ美やブタ太はともかく、ねこ吉やへび香は好き勝手に家を出入りしているのだ。もっともヘビ香のほうは先日近所の住人に発見されてちょっとしたパニックになったので、現在は謹慎中である。
 肉食の二匹は妙に気が合うようで『ずっと家の中にいるなんて滅入っちゃう。たまには狩りもしたいわ』『そうだろうとも、狩りはいいよ』『丸々と太ったネズミに牙を立てる瞬間とかね』『ああ、ネズミはいいねえ』などと俺をちらちら見ながら話をするので、こちらは生きた心地がしなかった。普段は友達づきあいのできる気のいい連中だが、欲求不満の時と月の照る晩は理性が吹っ飛ぶので注意が必要なのだ。
 今はへび香はケージの中で昼寝、ねこ吉は朝から出かけていて姿が見えない。今日の猫集会は廃工場の中庭と聞いているので、雨が当たらない場所で俺には理解できない話に花を咲かせているのだろう。いずれにせよこういうときは俺も安心して外の空気を吸うことができる。
 ここにきて、もう1年になる。1年前の今頃、捨てられていた俺を響が拾ってくれたのだ。
『おー、ハムスターだ』
 あの時の響の言葉は、今でも憶えている。
『どうしたんだ、捨て子なのか?そっか、かわいそうになー』
 不心得な前の飼い主が、生まれた子鼠を手に負えないと考えたらしい。箱に入れて河川敷に置いておかれたのだが、突風が吹いて俺以外の兄弟たちは姿が見えなくなってしまった。一匹きりになってどうしようか思案に暮れていたところ、大荷物を抱えた響が駆け寄ってきたのだ。
『きみ一人だけか?まだちっちゃいな。ねえきみ、自分のとこ、くるか?』
 俺を抱き上げてそう訊ねた時には彼女の心は決まっていたのだろう。そもそも子鼠だった俺には拒否権などないし、常識で考えて人間と動物は意思を交わし得ない。響は俺を抱き上げると、そのまま荷物を抱えて歩き始めた。
『自分、我那覇響。ちょうどこっちに越してきたところでさ、きみ一人なら一緒に暮らせるぞ』
 こちらも食い扶持が与えられるのは助かる。ここは温情にすがろうとそのままついてきたのがこの部屋で、一目見た瞬間ここはノアの箱舟かと我が目を疑った。きみ一人なら、という言葉はすなわち、ハムスターの一匹くらい増えたところで大差ないという意味だったようだ。
『ようこそ、ハム蔵。きみにみんなを紹介するぞ』
 家に着く頃にはもう俺に名前がついていた。仲間を紹介され、この娘のネーミングセンスというものが非常にシンプルにできているのがわかった。友達同士だったら捕食者と被捕食者を同居させても大丈夫だ、という思考回路のシンプルさ加減も冷や汗と共に思い知った……幸い、仲間は(少なくとも理性的でいる間は)この能天気な飼い主を悲しませることだけはすまいとおのおの心に決めているようで、ジャングルと大差ない緊迫感はあるものの寝る場所と食い物に困らない、という奇妙な共同生活を、その日から俺は満喫することとなった。
 あるじの響は、アイドル歌手だ。物知りのオウ助が教えてくれたのだが、人間の世界でも相当有名な仕事なのだそうだ。夜になって帰ってきてから時々、部屋のビデオで自分の番組をチェックするのを眺めることがあるが、部屋の中央に座り込むあるじが黒い箱の中で歌い踊っているのはなんとも妙である。
 人間は金がないと生きてゆけず、それは俺たちの餌代にも繋がるもので、響はその金を得るためにあの小さな箱の中でも踊っているのだとオウ助に聞き、少し切なくなったのを覚えている。
 なにしろ響は、俺たちと共に居たいが為に、俺たちから離れて仕事をしていると言うのだ。俺たちを自由にさせてくれるのなら自分の食事くらい調達できるし、大型獣のいぬ美たちなら響の分だって狩って来られるだろうのに……と。
 まあ、そういう問題ではなかったのだということは今では了解していて、とうに無謀な考えは捨てた。この世界の人間が、飼い主と同行していない動物にああも無慈悲だとは知らなかったのだ。
 幸い、響自身も自分が手がけている仕事を楽しんでいるようで、決してつらい思いをしているのではないとも理解した。人間には人間なりのルールがあり、彼らはそれに従って生きている。我々がそれぞれ自然界のルールに属しているのと同じことなのだ。

 響と暮らしているうちに、なんとなく気付いたことがあった。我々ペットの立ち居振る舞いは、あるじに種々の影響を及ぼしているようだと。
 ねこ吉がいぬ美とひどい喧嘩をしたことがあった。響は体全部を使って二匹の諍いを止めたのだが、その直後のオーディションでは仕事を得る機会を失してしまったと後になって聞いた。
 人間は自分の生まれた日を大切にしているのだが、そう教えられたその日にオウ助とヘビ香が協力して野の花をひと抱えも採ってきた時は、オウ助によるたどたどしい人間語での祝辞に涙ぐんで喜んでくれた。
 ブタ太の具合が悪かったときは夜通し看病してくれたし(彼はその食い意地を悔い改めるべきだ)、彼女が郷里に置いてきた鶏に新しい家族が出来たというニュースからしばらくは、毎日のように仕事の朗報を聞かされたし我々の餌も少しだけ豪勢になった。
 世間一般でも愛玩動物とされている犬猫はともかく、家畜や飼育に許可の要る猛獣まで自室に引き入れるあるじの心が時々解らず、俺のような矮小な存在が彼女に何の足しがあるのかと自問したこともある。
 だが、それに気付いてからは、考え方を改めることができた。
 響の思い描く幸せの形とは、俺が考えていたことなどよりもっと単純で、もっと身近な、なんでもないことなのだと解ったからだ。

 その日に打ち込める仕事があって。
 翌日の生活の心配が要らなくて。
 毎日笑って、たまには泣いて。
 仕事場に仲間が、郷里に家族が、そしてここに俺たちがいて、みなでそれぞれの日々をハミングしてゆける生活が、響の考える至福なのだ。

 俺にできることは少ない。だが、そのことで響を癒すことはでき得ると信じている。たまには羽目を外しもするが、俺の生涯は響とともにあると言っていい。
「ただいま、みんなー!いい子にしてたか?」
 檻に戻り、格子戸を下ろすと同時にあるじがドアを開け、元気な声を出した。
「いぬ美、あとで散歩行こうな。へび香はずっと寝てたのか?仕方ないな。おっとオウ助待て騒ぐな、今ごはん用意するからストップ!おーシマ男、今日はクルミもらってきたぞ!モモ次郎はウオーミングアップか?散歩もいいけど人に見つかるなよー。うさ江、ごはんのあとでベッド新しくしてやるぞ。ねこ吉は、あれ?また帰ってないな、まったくもう。……おっ」
 帰宅すると必ず仲間に一言ずつ声をかけるのも、あるじの習慣だ。ターコイズブルーの瞳がこちらを向き、にんまりと細まった。
「ただいま、ハム蔵!」
 人間の言葉が喋れる訳でもなく気の利いた芸の持ち合わせもない俺は、せめて俺が元気であることを伝えるべく、跳ね車を力いっぱい回してみせる。カラカラと小さく軽く小気味良い音が部屋を満たし、彼女の帰着を讃える拍手か音楽のようだ。
「今日も楽しそうだな、ハム蔵!今ごはん用意してやるからな!」
 それに応えるかのように右手を挙げ、玄関先に荷物を置いたままでキッチンへ走り去る後ろ姿を見やり、俺は感慨にふけった。

 どんな言葉より、どんな優しさより、その笑顔にかなうものなどない。
 どんな痛みより、どんな悲しみより、その涙ほど切ないものはない。
 だから俺はこのあるじに体一杯なついてやり、心を尽くして楽しませてやり、生涯をかけて癒やしてやりたいと、そう願ってやまないのだ。

 ……と。
 我々の餌を用意し終え、いつもなら自分の食事を作り始める筈のあるじが、違う動きをしている。じっと見てみると普段の服の上から別の服を当てたり、鏡の前でくるりと回転したりしている。こちらの部屋と服を置いている隣室をパタパタと行き来しながらポーズをとるさまはさながらファッションショーだ。
「……ん?ハム蔵、どう?どっちが似合う?」
 跳ね車が止まっているのに気づいて振り返り、手に持った二着を俺に掲げてみせる。
「明日はプロデューサーとミニライブの現場打ち合わせなんだけど、場所が遊園地なんだ!夕方ちょっと時間あるから、遊んでいってもいいんだって!」
 なるほど、デート気分というわけか。
「うー、でもどうしよ、一応仕事で行くんだしあんまりチャラチャラしたカッコじゃだめだよね、でもせっかく遊べるんだし、ちょっとくらいはかわいい服着たいし……」
 響は、どうも現在の仕事のパートナーを憎からず思っているようだ。次から次へと服を出しては合わせてみ、俺だけでなく他の動物たちにまで意見を聞いているがもちろん的確な回答があるはずもない。もともと考え事をするときの癖であるし、放っておけばよかろう。
 なにしろ響が楽しそうなのだ。
 俺には、それだけで充分なのだから。
「うぎゃー、いっぱい出しすぎてわかんなくなってきたしおなかすいてきたしーっ!」
 一人で熱を上げるあるじを横目に、俺はまた跳ね車に乗り込んだ。
 彼女の楽しみの時間に、珠玉のBGMでも奏でてやろうと思いながら。
「うー、でももう一着だけ出してみようかな、こないだ買ったヤツ!よいしょ」
 ……しかし響よ。
 いくら最短距離だからといって、そんな短いスカートのままで俺の檻をまたいで行くのはよすんだ。

 俺だって、一匹のオスになることもあるんだぜ?





おしまい。