女王と駒


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「番組降板ってどういう事ですか!?」
俺はテーブルを挟んで向かい合っている番組プロデューサーに問いかけた。
「確か一年契約という約束です。それにこちらに落ち度はないはず……」
番組プロデューサーであるS氏はこっちの切迫した心境を知ってか知らずか
煙草を口に咥えて目を閉じ、煙を吸っている。
「……視聴率が取れないんだよね、彼女が出ると」
彼が鼻から吐いた煙は拡散しながら、この空間に立ち込め、溶け込んでいった。
「特に若年層の女性視聴者からは反発の声も強くてね。見てごらん、これを」
彼は一枚の紙を俺に提示した。見てみると番組放送日と折れ線グラフが記入されている。
山と谷にはその時の番組収録における詳細が記載されていた。
「最近の視聴率をグラフ化したものだが、顕著に下がっている所があるだろう?
 そのほとんどがね、麗奈ちゃんが映ったシーンなんだよね。
 うちは若い女性層をターゲットにしているからさ……
 彼女は目に見えて番組の足引っ張っている訳よ。
 番組出演者たちも我の強い彼女と絡むのに困っているし
 これ以上アイドル・小関麗奈を続投させるメリットはないと判断してもおかしくないよね?」
「し、しかし……っ! 彼女は男性受けはいいですよ!
 これからは若い女性層だけでなく、男性層も視野に入れていくとおっしゃっていたじゃないですか!」
明確な結果を示す統計を見せられても俺はS氏に食い下がった。
現在、麗奈の仕事状況は芳しくない。事務所の同期アイドルたちと比べても大分少ないのだ。
おまけに最近では打ち切りになる出演番組も重なり
このレギュラーを務める番組は彼女の生命線と言っても良かった。
「そうは言ってもねぇ……、ウエの命令なんだよこれ。
 そっちが残念なのは分かるけどさ、スポンサーの意見も考慮しなければいけないし
 俺ではどうにも出来ないな。
 それに……実は秋の改変期に合わせてさ、代わりに伊織ちゃんが入る予定なんだ」
「……水瀬伊織が?」
同事務所所属アイドルの名前を聞いて、俺は目を見開いた。
「そう。確か君、彼女を担当していた時期もあったよね。
 元々この番組は彼女をレギュラーに据えるつもりだったんだよ。
 彼女は女性層の人気はそこそこで、おまけに圧倒的な男性ファン数を抱えているからね。
 しかし相談した当時はスケジュールに空きがないと君の社長に言われてさ。
 代わりとして麗奈ちゃんを紹介してもらったという訳」
社長から回されてきたこの仕事にそういう事情があった事を、俺は初めて聞かされた。
確かにこれまでの番組でも、麗奈は伊織の代替アイドルとして見られる事が多かった。
二人は年も近く、容姿もキャラ立ちも似ている部分が多い。
ギャラが比較的安いため、資金繰りに悩む所がしばしば取引先だったりする。
ただ俺は、今でこそ「安価伊織」という立ち位置に甘んじているものの
いつか麗奈自身の魅力だけで売り出していけたらと思っていた。
「まあ、でも小麦粉アイドルはここまでが限界だよね。
 やっぱりギャラが高いだけあって実力も人気も、本物は違うよ。
 偽物や紛い物じゃあ、まず、勝てない。勝てない……」
麗奈が単なるツナギ役、しかも伊織の偽物扱いされた事に酷く憤慨したが
事を荒立てると業界における麗奈の評判や立場が悪くなると思い、俺はぐっと堪えた。
「本物って……麗奈は、麗奈で……」
「話はこれだけだ。もう帰っていいよ」
「あっ……あの……っ」
俺にはもっと言い分が残っていたが、S氏は要件を終えるとさっさとこの応接間を出て行った。

   #  #  #

「おい、プロデューサー! 最近レイナサマの仕事が少ないぞ!」
事務所に帰ると、他の娘と遊んでいた麗奈が俺に寄ってきて訴えた。
「しっかりしろ! このままじゃ、アタシの世界的なアイドルになる偉大な計画が
 全く進まないじゃないかっ!」
「うん……ごめんな……」
「な、何だよ……その覇気のない返事はっ!」
俺は麗奈に番組降板の事をどう切り出そうかと頭を抱えた。
出演者との折り合いはともかく、彼女はあの番組が好きだったからショックを受けるに違いない。
「プロデューサーさん」
「あっ、小鳥さん……」
「社長がお呼びですよ」
事務員の小鳥さんがそう教えてくれたので、俺は社長室に行った。
しかしそこでも景気のいい話を聞く事はできなかった。

   #  #  #

「……麗奈の、引退!?」
聞き間違いであって欲しかったが、社長は渋い顔をして重々しく首を縦に振った。
「そうだ。君や小関君の勤労ぶりは知っている。
 しかしそれだけでは渡っていけない所が、この業界の厳しい所でね……。
 多少なりとも結果を出せなければ、身内であれ非情な対応を取らざるを得ないのだよ」
俺はがっくりと項垂れて、自分の足を見つめた。
「……俺の、力が足りないばかりに……申し訳ございません」
「いや、君の実力は本物だ。少なくとも私はそう思っている」
社長は続けた。
「事実、君が以前担当していた水瀬君や萩原君は立派に第一線で活躍しているじゃないか。
 彼女たちは今、私が付けた若手プロデューサーを育てるくらいにまでなっている。
 私は君の手腕を買って、『あの』小関君を任せた。
 前担当のいい加減な仕事を君に引き継がせてしまって、済まないと思う。
 だがそれは、君なら彼の尻拭い以上の働きをしてくれるとの期待があっての事だ」
「恐れ入ります……」
「しかし今回ばかりはどうも荷が重過ぎたようだな。
 彼女は頑張っているようだが、現状、同期のアイドルたちの中で
 かなり見劣りのする部分があるからね。
 私としても、才覚ある君をいつまでも低所で燻らせておく事は勿体無いと思うのだ。
 将来有望なアイドル候補生たちはまだ沢山いる。
 君には彼女らをこれから担当してもらいたい」
「社長」
俺は我慢出来ずに社長へ懇願した。
「お言葉を返すようで、申し訳ございません。
 ですが……麗奈を引退させるのは早計だと思うんです。
 確かに麗奈は協調性の面で、やや扱い辛い所があります。
 アイドルとしての能力も、他の娘たちに比べて劣っているかもしれません。
 ですが、彼女は大きな目標を捧げてそれに向かって一生懸命邁進出来る娘なんです。
 俺はそんな彼女の夢をもう少し追わせてあげたい……
 そして出来る限り手助けしてあげたいんです。
 お願いします、どうか俺に時間を下さい。麗奈は伸びしろの多い、素晴らしい娘なんです!」
社長は俺の熱のこもった話にじっと耳を傾けてくれていた。
「ふむ……君がそこまで熱心に彼女の事を考えているのなら……
 私も今後の彼女の身の振りを考え直す必要があるようだ」
「あ、ありがとうございます!」
俺は深く一礼して、社長に感謝の意を伝えた。
首の皮が一枚つながっている状況とはこの事だろう。
「では、このオーディションに目を通したまえ」
社長はそう言って書類の山から一枚を抜き出して、俺の前にを示した。
俺はそれを社長から受け取り、その内容を一読した。
「この、オーディションは……」
「小関君の可能性を見る判断材料として君に見せた。
 このミュージカルの役に合格すれば、彼女のアイドル活動存続を認めよう」
社長の提示したミュージカルの仕事はファンタジーのジャンルで
内容を見る限り、ヒーロー側よりもカリスマ性のある少女の悪役がメインのようだ。
これなら麗奈のキャラと親和性が高いし、彼女も喜ぶに違いない。
しかしコアな人気の脚本家が在籍しており、競争率は一般のものより高く感じられた。
麗奈の実力や知名度を考慮して、合格出来るかどうかは四割がいい所だ。
それより気になったのは、エントリーしたアイドルたちの中に
俺の育てた水瀬伊織の名も存在しているという事だ。
麗奈が嵌る役なら、伊織にだって充分な資格がある。
むしろ客寄せや知名度の点を審査員が考えるとすれば
このオーディションは伊織の一人勝ちでもう決まったようなものだ。
「この役に合格すれば当たり役となり、一気に小関君の評価を覆す事も可能だ。
 そう私は考えている。先に言っておくが、水瀬君をエントリーからはずす事はしない。
 現状、小関君は水瀬君の陰、嫌な言い方になってしまうが
 おこぼれを受ける身に甘んじている。
 だから水瀬君の仕事を実力でもぎ取り、十二分にこなせる事を示さなければ
 彼女はいつまで経っても、水瀬君の補欠扱いだ。
 彼女の実力的に、このレベルのオーディションは厳しいかもしれない。
 だがこれに合格出来なければ、今後の活動には不安が付きまとうのも事実なんだよ」
「……」
「やれるかね? 私としては強制はしないつもりだが……」
「いえ……ありがとうございます……」
俺はその書類を手にして社長室を出た。

   #  #  #

俺はその翌日から麗奈と猛レッスンを開始した。
身の丈以上の困難なオーディションには頭を抱えてしまうが、
ここで諦めたら引退しかないのだから必死だ。

「もぉ、疲れたぁ……」
「麗奈、まだ二セット残っているぞ! ほら立って!」

連日のスパルタレッスンにより、麗奈の体力はゴリゴリと削られていく。
そして床でへばった彼女に対する俺の喝も、自然と怒気を帯びた。
普段の倍のレッスン量を注ぎ込んでいるのだから、へたり込んでしまうのは当然の事だ。
だが、最有力候補の伊織に勝つには、運だけでなく審査員の関心を奪う程の実力が必要になる。
その実力を手に入れるのに、近道などない。
効率良いレッスンを続け、少しでも実力を塗り重ねて挑む他ないのだ。
伊織の実力は彼女を育てた俺が一番良く知っている。
麗奈にはこのオーディションを何としても勝ってもらわなければいけない。

   #  #  #

だがある日、麗奈は事務所に来なかった。
休みの連絡は来ていないし、レッスン場にもいない。家に連絡してみても朝出て行ったという。

(麗奈……)

俺は麗奈を探すために都内中を走り回った。
恐らく彼女は無茶なレッスンスケジュールに音を上げ逃避したのだろう。
生意気な口をきく事が多い彼女だが、レッスンへの遅刻やサボりは全くしなかった。
そんな彼女が逃げたのだから、よほど辛かったのだろう。 

(……)

引退の件を、俺は未だに彼女へ切り出せないでいる。
早く言った方がいいのだが、彼女の一生懸命な表情を見るとどうしても喉から言葉が出ない。
彼女は上昇思考の娘だ。それゆえに、引退の話をしたら酷くショックを受けるに違いない。
そしてオーディションへのプレッシャーが彼女を追いつめて
押し潰してしまうのではないかと危惧していた。
しかし結局、他ならぬ俺自身が彼女を追いつめてしまったのだ。

(麗奈に謝りたい……)

途中から雨がしとしとと降ってきた。それはやがてざあざあと本降りになったが
俺は傘を買う時間を惜しみ、ずぶ濡れになりながらも彼女の捜索を続けた。

   #  #  #

「麗奈」
麗奈は郊外の公園で、雨の当たらない滑り台の下でじっと膝を折って座っていた。
俺の姿を見ると彼女は頭を手で隠して身を竦ませた。 怒られると思ったのだろう。
「……。怒らないから待っていてくれ。傘、買ってくるから……」
安心させるため彼女の頭をそっと撫で、俺は近くのコンビニに足を運び
安いビニール傘を一本買って来た。
既にずぶ濡れである自分の分は不要と思い、それだけ買って麗奈の元に戻る。
傘を差し出すと麗奈は黙ってそれを受け取り、俺の隣にくっついて歩き始めた。
「疲れていたんだな……。気がつかなくて……ごめんな」
「……」
「だから、今日はもう休もう。麗奈が壊れてしまったら、本末転倒だし……
 それで、いいか……?」
「……」
「……。次のオーディションは、麗奈にどうしても勝って欲しいんだ……。
 だから俺も焦っていてな。……明日から無理のないレッスンに切り替えるから、許してくれ」
そんな事を話しながら帰ったが、結局引退の事は大分ぼかしてしまった。
帰りにどこか美味しいものでも食べていこうと提案し
途中の喫茶店で軽食を取ったが、その時も麗奈は黙ったままだった。

   #  #  #

翌日、俺は情けない事に風邪を引いてしまった。
雨の中で走り回ったのが災いしたのだ。
熱が高く、寝床から起き上がるのも辛い。
仕方ないが溜まっていた有給を使って休む事を事務所に伝え、麗奈には休暇と告げた。
彼女にはちょうど良い休みになるかもしれない。
そう思っているとインターホンが鳴った。
NHKの集金人なら居留守を使おうと思ったが、あまりに何度もなるので
俺は仕方なくふらつきながら玄関先に赴き、郵便受けから外を覗いた。
「来てやったぞ」
開けるとすぐ女の子の視線とぶつかった。来客は麗奈だった。
大きなリュックサックを背負った彼女を、とりあえず家の中に招き入れた。
「麗奈……今日は休みだよ。俺はこんなだからレッスン、見れないんだ。
 だから、ゆっくり休んで……」
咳が出てゴホゴホと喉を痛めつける。
「休むのはアンタだ。いいから、大人しく寝ていろ!」
麗奈は俺の体をグイグイ押してベッドに押し倒した。
「コマが役に立たないで、不安にならない女王がいるか!」
彼女はキッチンに赴き、持参の可愛らしいエプロンを羽織ると
カバンから人参やジャガイモ、ピーマン、トマト、キャベツ、もやし、ナス、ニラ
と統一性のない様々な食材を出し始めた。
何か作ってくれるのかと俺は最初期待していた。
しかし、スイッチのひねりが不十分でキッチンをガスで充満させたり
キッチンの戸棚の中にあったものを全部ひっくり返したりして全く目が離せない。
一体何の料理を作ろうとしているのかと聞くと、

「女王は生まれながらにして全ての調理に秀でているのだ」

と虚勢を張っている。しかし鍋敷きを焦がしている所を見ると
料理すらやった事がないのではないかという不安が、段々揺らぎないものとなっていった。

結局大騒ぎしてやっと出来たのは、レトルトのお粥一品だけだった。
ちなみにそのレトルト食品は、俺が数ヶ月前に買い置きしていたものと付け加えておく。
「さあ、存分に食え。レイナサマお手製だから、よく味わえよ」
麗奈はベッドの脇に座ると、その小さな口を窄ませてふうふうと冷ましてから俺の口に運んだ。
気恥ずかしかったが、親鳥から餌をもらうように俺はそれを啄んだ。
「どうだ?」
正直味は全くわからなかったが、麗奈が覗いて聞いてくるので、
「ああ……上手いよ……」
と答えた。
それを聞くと、彼女は満足げに天使のような微笑を漏らした。

   #  #  #

「麗奈……」
「何だよ」
「役立たずの駒で……本当に、ごめんな」
俺はボソっとそう呟いて、首をうなだれた。
「プロデューサー……」
「最初会った時はな、正直言って態度と夢だけ大きい娘だなって思っていた。
 けど……実際は、麗奈は自分の掲げた大きな目標に対して怯まずに頑張っているんだ。
 お前は隠していただろうが、俺は、お前が内緒で時間外のレッスンをしていた事も知っている」
「あ、あれは……!」
俺は彼女を制して続けた。
「俺はな……そんなお前を見て、ああ、この娘をプロデュースしたいと本気で思った。
 この娘は口だけじゃない、自分の実力を見据えた努力の出来る娘だって分かったから……。
 この娘はきっと輝く事が出来るって……信じる事が出来た」
首は決して上がらず、俺は自分の手ばかり見ている。
「お前の頑張りに比べて、俺の方は全く駄目だったよ……。
 満足に良い仕事を持ってくる事が出来なくて……
 せっかく手に入れた仕事も他の娘に取られてな……。
 昨日だって、アイドルのお前を追いつめてしまった。
 本当、プロデューサー……失格だ……」
「……馬鹿野郎」
途中、麗奈の押し殺したような声が気になり、俺は横を向いた。
「役立たずは……アタシだよ……っ!」
彼女は今にも泣き出しそうな顔で俺を見ていた。
麗奈はポツリポツリと前担当の事を話し始めた。
彼女はその男性の事を今まで話したがらず、話そうともしなかった。
俺自身も、彼が彼女の担当をしていて他の会社に移籍したという事実しか知らなかった。
詳細を聞くと、彼女は信じられないくらい粗末な扱いをされていたようだ。
仕事は俺よりも多く取ってきたらしいが
彼は他のアイドルに付きっきりで麗奈の面倒をほとんど見なかった。
レッスンにも不真面目で、彼女はほとんど教えられないまま
一人ほぼ独学で歌やダンスの練習をしていたらしい。
麗奈のプライドや性格から、他のアイドルにレッスンを聞くような事は
しなかっただろうから、本当に孤立していたに違いない。
そのくせ、麗奈がそれで仕事をミスするとクズだのクソだのと散々罵倒したという。
こんな無責任な育て方で、アイドルが好ましい成長を遂げる訳がない。
俺が担当した時、彼女の実力が他の娘よりも低いのはこういう訳だったのだ。

「でも、アンタは違ったんだ……アンタはいつも親身になって
 アタシに基礎からレッスンを教えてくれたし
 頑張ったら頑張った分だけ褒めてくれた……。
 一度は嫌でたまらなかったこの仕事だったけど、アンタとなら何だってやっていける気がした。
 夢だって、アンタとならいつか絶対に掴めるって思った……」
「麗奈……」
「……知ってるんだぞ、アタシ。引退……させられそうなんだろう」
彼女は知っていた。話を聞くと、俺と社長の会話を盗み聞きしていたらしい。
じゃあレッスンの時のプレッシャーも相当だっただろう。
「仕方ないよな……アタシ、……どうしようもない、雑魚だから……っ」
「麗奈、そんな事を言っちゃ駄目だ……!」
俺は慰めようとしたが、既に彼女は大粒の涙滴を次々と頬に垂らしていた。
小さな膝に添えられた拳にギュッと力を入れながら、彼女は言う。
「社長の話を聞いてさ……『ああ、また捨てられるな』って思った……。
 でも、アンタは捨てなかった……!
 さ、最後までアタシと一緒に頑張ると言ってくれた……っ。
 ……どんなに嬉しかったか、上手く言えない!
 けれど……すごく胸が熱くなって……それでっ……ううぅ……っっ!」
嗚咽の混じり始めた彼女の言葉を俺はうなづきながら、耳を傾けていた。
「だからっ……アタシよりも……アタシのために頑張ってきたアンタがっ……
 役立たずなんて、簡単に言うなよ……っっ!!」
「うん……。分かったよ……麗奈……」
「きっ、昨日はぁっ……ううっ……! 逃げて、ごめん……。
 でも、アタシ……怖くてぇっ……合格、出来なければっ……プロデューサーと……
 アンタと一緒に仕事できない……、ひくっ……そ、そう考えるとぉ……っ!
 上手く踊れない……声が、出せない……! ううっ……! 頑張るしかないのに……
 レッスンが上手くいかなくてぇっ……っ、それで……それでぇ……っっ!!」
「うん……大丈夫。大丈夫だから……、また一緒に頑張ってくれるか?」
嗚咽で呂律の回らない彼女に言い聞かすように、俺はしきりにうなづいて見せた。
顔をクシャクシャにして泣きじゃくっている彼女を、俺は何度もあやすように背中を撫でた。

   #  #  #

数週間後、俺は麗奈のオーディション結果を控え室で聞いていた。
発表が終わり、しばらくしてから麗奈は帰ってきた。
彼女は極度の緊張で神経を摩耗しているらしく、いつもと違って至って静かだ。
「おめでとう、麗奈」
俺は込み上げてくるものを抑えてそれだけ言った。
「合格だったな。良く頑張った」
実際、この結果は頑張ったどころの騒ぎではない。
トップアイドルクラスの伊織を差し置いて見事ミュージカルの花形を手にしたのだ。
下馬評では九割方伊織の合格と予想されていた。
だから、奇跡の女神が俺たちに微笑みかけた時には目と耳を疑ったものだ。
「ま、まあなっ! 女王のアタシが本気を出せばこんなもんだっ……!」
麗奈はふんぞり返ってその可愛らしい小胸をぐっと反らせた。
その様は背伸びした園児のように微笑ましかった。

「失礼します」
喜びを分かち合おうとしたその時、控え室のドアをノックしてくる者がいた。
招き入れると、小柄の美少女とスーツ姿の男性だった。
それは俺の育てた水瀬伊織と、彼女を今担当している後輩プロデューサーの二人だった。
「おめでとうございます。いやぁ、やっぱり先輩には適いませんね」
彼は俺と麗奈の健闘を讃えた。入社一年目の彼だが
俺と伊織が一緒に教え込んだノウハウで仕事をしっかりこなす有望な若者だ。
「そんな事ないよ」と言いつつ、俺は心中で自慢したい気持ちと葛藤していた。
「伊織、ほら、何か麗奈ちゃんに言いたい事があるんだろ?」
伊織は麗奈の側に足早に近づいた。
滅多に落ち込まないものの、プライドの高く負ける事が嫌いな伊織が
自分を打ち負かした麗奈に何の用だろうか。

「アンタ」

伊織は麗奈を見据えて言った。
先輩に当たる彼女のオーラに圧倒されたのか、麗奈は顔を引きつらせて半身を後方に引いた。

「……今日の所は勝ちを譲ってあげる。だからこの役、絶対成功させなさいよ!
 これから私の劣化コピー扱いされたら、ただじゃ置かないからねっ!」
「あ、え、……」
「分かったっ!? 返事はっ!」
「は、はいぃっっ!!」

伊織なりの激励に、麗奈は背筋と指先をしゃんと伸ばして答えた。
普段の大きな態度との落差に、俺と伊織Pの口元は緩んだ。
「私が言いたいのはそれだけよ。さ、行きましょう」
「おい! それだけって……」
伊織はさっさと部屋を出ていった。きっと照れくさかったのだろう。
勝ちを譲るという言葉から、彼女が本気で麗奈とぶつかった事が伺えた。
それに元々伊織は相手に手心を加える事をしない性格だ。
以前火花を散らした水谷絵理とのオーディションバトルでもそうだった。
「ははは、ではこれで……」
伊織Pは彼女の跡を追うようにして部屋から出ていった。
俺は立ち上がって荷物を整えながら麗奈に言った。
「じゃあ、事務所に帰ろうか。麗奈……」
「……っ、ちょっと待てっ! プロデューサー!」
麗奈は言うが早いか俺の袖を掴む。
そしてそのまま俺に抱きつき、胸板にその顔をうずめた。
「麗奈……」
見ると彼女の方は小さく震えている。

「うっ……ううっ……! ……うわあああああっっ……!」

堰を切ったような勢いで、麗奈は大声で泣き始めた。
余程嬉しく、そして緊張していたのだろう。
本当は伊織が入ってきた時でも泣きたかったに違いない。

「プロデューサー、アタシやったぞ! アタシ……アタシ……!」
「うん、うん……」
「また一緒に……、一緒に居られるんだあぁっっ!!
 一緒にぃ……! 一緒にぃ……っっ!!」
「ああ。麗奈……。これからも……よろしくな……」
目尻が熱くなっていくのを感じながら、俺は泣き止むまでずっと彼女の体を抱いていた。