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一定の発展を遂げた街における駅前と言うのは、開発されているのが常である。
冬真っ盛りの2月のある日。駅前通りと称されるその場所は、水曜日の真昼間にも関わらず熱気に包まれていた。
その日は大安で、そして休日である。建国記念日と称されるその日、駅前通りを行く世の女性たちの眼は、その約半数が血走っていた。
彼女らにとって建国云々など大層どうだって良い話で、その血走った視線の先に待つのは大手のデパートであったり、洋菓子店であったり、様々であった。
それが製菓会社の陰謀であることなど、彼女らには最早周知の事実である。だが、それがどうした。どうしたと言うのだ。

2月中旬の祝日。それは学生のような、決戦前日に時間の取れる人間にはただの祝日でしかなかった。
しかしながら20代中盤から30代前半に掛けて、お勤めを果たしている方々、つまるところOLなどと呼ばれる人種にとっては、そうはいかない。
彼女らには、この日しかなかった。この日は本番前に許された、最後の戦場なのである。ここでの戦果で、今後の戦況が大きく変化するに違いないのだ。

そんな訳で、バレンタイン間近なのである。音無小鳥は、やはりそこに居た。



バレンタインデー当日の朝。友引である。
出勤と同時にロッカールームへと駆け込み、遭遇した事態に焦りを覚えていた。
玄関を開けた途端に遭遇したのは、ターゲットであるプロデューサーさんへと群がる3人の少女。
高脅威目標は現在彼がプロデュースしている千早ちゃんだけだと踏んでいたのだが、甘かった。これまで彼が受け持ってきた子達までも、彼へのアプローチを仕掛けていたのである。
とにかく、落ち着こう。深呼吸を行い、制服に袖を通し、ブツは取り合えずロッカーへとしまっておく事とする。
このタイミングでのアタックは非常にまずい。数あるうちの一つと処理されるのは問題なのだ。
事務所へと通じるドアノブへと手をかけ、何でもない風を装ってデスクへと近づいていく。あの子達は、どうやら渡し終えているようだった。

「おはようございます、プロデューサーさん」
「あ、おはようございます。小鳥さん」

彼のにこやかな笑顔にいつも通りキュンとさせられ、その手元にある4つの包みに一抹の不安を感じた。
      • あれ?・・・よっつ?

「あの、プロデューサーさん。そのチョコレート・・・」
ちょっと待って。さっき居たのはやよいちゃんと、春香ちゃんと、千早ちゃんと・・・
「ああ、春香と千早と、やよいと・・・あと、あずささんが」
「あずッ・・・」

変な声が出た。何ででしょうねー、なんて能天気に言う彼を見て思う。何だこのタラシは、と。
しかし、あずささんの登場はまずい。非常にまずい。主に、スタイルとか。あと、年齢的にも。
「へ、へぇ・・・モテモテですね、プロデューサーさん」
平常心、平常心と胸中で繰り返すが、その胸中は穏やかではなかった。
「はは。でも確かに、担当アイドルに受け入れてもらえるのは嬉しいですね」
そう言う彼の顔は本当に嬉しそうなもので、なんと言うか、ただの事務員がこの人にチョコレートなんて渡すのは惨めな気がしてくる。
少なくともこのタイミングで渡すことはどうにも難しそうなので、そうですか、とだけ答えて仕事に取り掛かった。仕事の内容なんて、全く入ってこなかったが。




「何だか元気無いですね、プロデューサー」
オーディション会場へ向かう途中、千早の一言でようやく現実に復帰した。ぼうっとしていたようだ。
いや、大丈夫だよと声を掛け、ペットボトルのお茶を呷る。
「小鳥さんからチョコレートを貰えなかったのが、そんなにショックなんですか?」
むせた。全力で。咳き込みながら、千早の姿を捉える。笑っていた。
「図星ですか」
「・・・大人をからかうんじゃない」
まあ、図星なわけだが。

「チョコレートを渡した身としては、複雑ですね」
拗ねた表情をされ、言葉に詰まる。すまん、とだけ答えるが、ここでの「すまん」はまずいんじゃなかろうかと考える。
悶々としているうちに、また笑顔で「冗談です」なんて言われるので、何ともはや、女の子は怖い。

「大丈夫ですよ。小鳥さんがくれない筈がないじゃないですか」
「いや、でも、どうも事務所を出る前に怒らせちゃったみたいでなぁ」
朝の出来事である。いつも通りに挨拶し、チョコレートの話を少ししたらそっぽを向かれてしまった。そういえば、あずっ、とか、てづっ、とか言っていたのは、何だったのだろうか。
何かあったんですか?と尋ねられた。まあ、こんな話題でオーディション前の緊張が解れてくれるなら安いもんだ。大体のことを掻い摘んで話す。
決してアドバイスを貰おうとか、そういう魂胆ではない。決して。

「それはプロデューサー、小鳥さんも渡せないですよ・・・」
「そうなのか?」
話によると、貰ったチョコレートの事を嬉々として話していたのがいけないらしい。

「でも、やっぱりお前達から貰えるのは嬉しいからなぁ。プロデューサーとして」
「そう言って下さると渡した甲斐がありますが、時と場合をですね・・・というか、私達も空気を読まないといけなかったんですね」
千早が後悔するような表情になる。
「いや、さっきも言ったけど、お前から貰えるのはやっぱり嬉しいからさ。来年も、よろしく頼む」
「・・・そういうのがいけないんだと思います、プロデューサー」
何がだ?と尋ねたが、もう知りませんと拗ねられたので後のことは聞けずじまいだった。
彼が千早ちゃんを引き連れて事務所へ戻ってきてから15分が経ち、しかし未だにブツは渡しそびれている。
目前のコーヒーメーカーはクツクツと音を立てながらのんびりと真っ黒の液体を吐き出していて、その間にも刻一刻と定時が近づいてきていた。
「小鳥さん」
はぁ、と溜め息を吐く。どうせ彼に渡したところで、大した結果はもう望めそうに無い。いつもは滅多にしないネガティブ思考が頭を駆け巡る。
「・・・小鳥さん?」
いっその事、無かったことにしてしまおうか。そうだ。惨めな気分になるくらいなら、自分で食べてしまえば
「小鳥さん!」
「は、はい!?」
驚いて振り向くと、彼の姿があった。いつの間に。大丈夫ですかと心配されたので、何でもないですと答えておく。
気付けば彼がそこに居たので、驚き以外での心臓の高鳴りが凄かった。

「あの、朝のことなんですけど・・・」
そう言う彼は、何か言い難そうにえっと、とか、その、とか言っていた。
「その・・・すいませんでした!」
「はぇ?」

今日3度目の変な声が出た。何を謝られているのかわからなかったが、彼は美しい角度で謝罪の体勢を披露していた。

「え、えっと、な、何がですか?」
訳がわからずそう問うと、彼は顔を上げて説明し始める。朝、他の女の子から貰ったチョコレートのことを、嬉々として私に話したことへの謝罪だそうだ。
「いや、俺もこんなこと謝るのも変だな、と思うんですが・・・」
そう言う彼はそっぽを向き、さっきと同じようにえっと、とか、その、とか言っていた。
「それが原因で小鳥さんが怒ってしまったのなら、やっぱり謝っておこう、と」
「は、はぁ・・・」
別に怒ってはいないが。色々複雑なだけで。
「それで、その・・・」
何か言い難そうにあー、えー、と彼が繰り返し、私はそんな彼から目が離せないでいる。

「も、もし小鳥さんからチョコレートを貰えるなら、凄く嬉しいな、なんて・・・」
コーヒーメーカーの、くつくつという音が聞こえてきた。
呆然として、目を見開いた。数秒の間を置いて顔が真っ赤になったのが、自分でもわかった。
次の瞬間には、給湯室を飛び出していた。向かうは、ロッカールーム。白の紙袋を取り出して、勢いよく自分のロッカーを閉める。
給湯室に戻ると、ぽかんとしている彼がそこにいる。恥ずかしくて、それ以上顔は見られなかった。

「ど、どうぞ!」
真っ赤であろう顔を伏せたまま、彼に紙袋を突き出した。まさか、こんなにも乙女ちっくな渡し方をする羽目になるとは。それもこれも、全部この人のせいだ。
「あ、ありがとうございます」

両手から、紙袋の重さが離れていく。
その途端に、事務所から拍手が沸き起こった。おめでとうございますー、とか、そんな類の声も聞こえてくる。
なんだなんだと真っ赤な顔で辺りを見回すと、事務所の方々はなぜかスタンディングオベーションの真っ最中だった。
よくよく考えれば、そんなには大きくない、しかし定時前でアイドルを含め十数名の人達がひしめく事務所から給湯室は丸見えで、
同じく静かな事務所内に、そこそこ大きな声は筒抜けであった。
その後の記憶は定かではないが、あまりの気恥ずかしさに卒倒したことだけは鮮明に記憶している。

「まったくもう、全部プロデューサーさんのせいですからね!」
数時間前の出来事を思い出して、その出来事の全てをこの人の責任だと決め付けた。
ようやく落ち着きを取り戻した頃には19時をまわっており、丁度仕事を終えた彼と帰宅することになった。
あはは、と悪びれる様子の無い彼の右手には、いくつかの紙袋が握られている。白の紙袋も、その中のひとつ。
彼は、とても嬉しそうな表情をしていた。

「・・・たくさん貰えたチョコレート、やっぱり嬉しいですか?」

少しだけだが、悲しくなった。やっぱりこうして目にすると、いくつもある内のひとつでしかないように思えてしまう。
そう見えますか?と尋ねられたので、ハイと答えておく。

「そうですね。たくさんのアイドル達に受け入れてもらえるのは嬉しいですよ。プロデューサーとしては」
でも、と彼が続けるので言葉を待つ。

「俺個人としては、小鳥さんからチョコレートを貰えたことが、一番嬉しいんですよね」
そう言う彼の顔には眩しすぎる笑顔があって、そう言う恥ずかしいセリフをさらりと言い切れる彼は卑怯だ。
せっかく火照りの冷めていた顔が、再び真っ赤になっていくのがわかる。

「も、もう!これ以上は何も出ませんからね!」
ずんずんと、彼を追い越して歩みを進める。顔は、綻んでいた。
彼のその一言は、音無小鳥の歩んできた人生の中でかなりの高ランクに位置付けられる、大変に嬉しい言葉だったのである。