無題(99)


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「あら、どうしたのかしら。あの男の子は・・・」
千早が言う方を見てみたところ、5歳くらいの男の子が、大声で泣いていた。
「あ、あの風船は!」
男の子の指差す先、青い風船が空に向かって上がって行く。
「先ほどのイベントで、私が手渡した物でしょうか。」
「そうみたいだな。」
イベントの最後に、握手会をやった際、小さな子供には千早のサイン入りの風船を渡した。
どうやら、その風船を誤って手放してしまったようだ。

「喜んでもらおうと思ってやった事なのに、それが子供に悲しみを与える事になるなんて・・・。」
「ああ・・・皮肉なもんだ。」
「プロデューサー、風船は、もう余ってないんでしょうか?」
「全て配っちゃったからなあ。残念だけど。」
「そうですか・・・」

千早はわずかに逡巡した後、子供の方に駆け寄って行った。
俺は黙って後を追うことにした。

「うわーん、風船ー!」
「ほら、そのくらいで泣かないの。もう、困ったわねえ。」
一緒にいる母親も手を焼いている様子だ。
「すみません。ちょっとよろしいでしょうか。」
「え?あ、先ほどの歌手の方?!」
「はい、先ほどはありがとうございます。坊や、風船を飛ばしてしまったのね。」
「うん・・・ぐすっ」
「風船って、最後にはどうなるか、知っている?」
「えっ?」
男の子は、きょとんとして首を振った。
「最後は、割れてしまうか、ガスが抜けてしぼんで落ちてしまう物なの。」
「そうなんだ・・・」
「でも、あなたの持っていたあの風船は、そうなる前に、空を飛ぶ事が出来たの。あんなに高く。
だから、あの風船は、きっと幸せだったと思うわ。」
「風船が?幸せなの?」
「そう。風船も本当は空を飛びたがっているの。だから空に向かって行こうとしている・・・」
千早は空を見上げた。
「この、広い空へ。自由で孤独な世界へ。」
男の子は、神妙な顔で聞いていた。もうすでに、再び泣き出す気配はなかった。


「千早、見事だったな。」
俺にとっては、意外な一面を見た思いだった。
「いえ・・・うまく伝わらなかったかもしれないのではないかと。」
「いや、充分だったと思うぞ。」
「だといいのですが・・・」
千早はそこで一度言葉を区切って、こう続けた。
「物も人も、全て、いつまでも同じところにはいられないのですよね。」