風船とハイタッチ


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 俺が765プロに籍を置いてもう数ヶ月になる。高木社長に街で声をかけられてから、なんだか
よくわからないままに社員見習い、うかうかしているうちにプロデューサー候補、あれよあれよ
という間に正プロデューサーになって高槻やよいというアイドルを担当し、気付けばまるで
もう長年プロデューサー稼業に就いているかのような振舞いぶりだ。社長の『ピンときた』は
実際俺も知らない才能を探り当てたようで、俺もそれまでのふらふらした生活とはうって
変わった、予定や計画がぎっしりで、体を休めるヒマもない、それでいて心身ともに充実
した日々を過ごしていた。
 やよいはアイドルとしてはまだまだこれからの人材で、デビュー曲が子供番組で当たった
のを足がかりに更なるステップアップを図っている最中である。今日の営業は彼女も得意な
子供相手、遊園地での握手会だ。
「それじゃあみんな、今度はお姉ちゃんといっしょに歌っちゃおう!『おはよう!朝ごはん』っ」
 お馴染みの曲名に、小さなファンたちが沸き立つ。今日のイベントは大成功と言っていい
だろう。三ケタに近い親子連れはそれぞれにイベントを楽しみ、サイン入りの風船を貰い、
満足して帰っていった。最後の方は用意した風船が足りず、予備にと持ってきていた販促
ポスターに目の前でサインを入れる慌ただしさだったが、やよいも子供たちとの触れ合いを
存分に楽しんだようだった。
 さてイベントも終わり、俺たちも帰路についた頃のことである。俺たちの行く手に母の手を
引き、上を見上げてはぐすぐすとぐずっている子供がいるのに気付いた。
「プロデューサー」
 やよいが俺を見上げる。家に弟妹を待たせている彼女だ、そんな年頃の子が泣いている
のを黙っていられないのだろう。
「わたし、行ってきてもいいですか?」
「ああ、かまわないよ」
 プロデューサーとして頭脳を働かせ、かまわないと判断した。おかしな関係の親子には
見えなかったし、彼の視線を追って事態の見当はついていた。嬉しそうに頭を下げ、小走り
に少年に向かう彼女をあとから追う。
「あの、きみ、どうしたのかな?」
「……あ……やよいお姉ちゃん……」
「うん!今日、いっしょにお歌を歌ってくれた子かな?」
「あの……ふうせん……ごめんなさ……ぐすっ」
「ふうせん?」
「飛ばしてしまったんですか」
 鼻をすする音とえずきながらの声でほとんど要領を得ない少年をフォローし、俺は母に
訊ねてみた。先ほど彼の視線の先に、空高く風船が飛んでゆくのを見つけたのだ。うっかり
紐を離しでもしたのだろう。
「あ、ええと?」
「ああ、やよいのプロデューサーです。かわいいお客さんが困っていたようですので、失礼
ながら声をかけさせていただきました」
 母親は一瞬いぶかしんだようだが俺の説明に納得してくれ、そうなんですとうなずいた。
「今日はこの子の誕生日だったんです、ちょうどやよいちゃんのイベントがあるということだった
ので連れてきたんですけれど」
「あ、そっか、えと、……『ゆうたくん』だよね!」
 風船を渡す際にそんな話を聞いたのを思い出した。やよいは名前まで憶えていたようだ。
しかし、彼は彼でそこまで気遣ってくれる大好きなアイドルに申し訳ない気持ちがでいっぱいに
なってしまったらしい。顔をくしゃくしゃにし、目からは涙がとめどなく流れる。
「ふぇ、やよいお姉ちゃんの風船……ごめんなさい、ごめ……っ」
「あああ、あ、あのっ、あのゆうたくん、そんなに泣かないで、ね?ほら、ゆうたくんは悪くないよ、
え、えっとプロデューサー?」
 おろおろと少年をなだめながら、やよいはこちらに問いかけの視線を送ってくる。風船の予備
はないのか、というところだろうが、なにしろファンに配るのも足りなかった状態なのはやよい
自身も承知していた。

「あの、お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません、ゆうたにはよく言って聞かせますので」
「いやいやお母さん、いいんです、いいんです、が」
 母は恐縮してしまい、息子の手を強く引いてこの場を逃げ出そうとしている。なんならシャツに
でもカバンにでもサインくらい入れられる、この子を泣かせたまま別れるのも忍びないと思うが
うまく言葉が出ない。
「あ、そうだ!」
 そこに割り込んできたのは、やよいの明るい声だった。俺も母親も、ゆうたくんも泣くのを
止めて彼女を見つめた。
「そしたらお姉ちゃんが、ゆうたくんにもうひとつ風船をプレゼントしてあげます!」
「……え?ほんと?」
 少年の表情が見る見る明るくなる。母親も戸惑いながらもほっとしたように口元を緩めた。
「でもやよい、風船は」
「プロデューサー、ちょっと待っててくださいねっ」
 そう言ってやよいが向かったのは、店じまいを始めていた売店であった。
 何事を考えたのやら、と思いながらしばらく母子と話していると、片手に何かを握り、走って
帰ってくるのが見えた。
「ゆうたくん、お待たせしましたっ!はいこれ!」
「え……これ、なに?」
 やよいが彼に見せたのは細長い、折りたたまれた紙だ。母親でさえすぐには何か判別つかない
ようで、少年が戸惑うのも無理はない。俺は田舎育ちで祖父母によくしてもらったので、それが
何かは程なく思い当たった。風船は風船でも、こいつは……。
「じゃーん!これも風船なんです!ゆうたくん、見たことなかった?」
「でも……でもこれ、さっきのと違う」
「いい?見ててね」
 持ち歩いているペンを俺から借り、大きくサインを入れる。ついでにハッピーバースデーと
書き加えて、やよいはそれに口を当てた。
 ふう、ふう、ふうと息を吹き込むたびにかさかさと音を立て、平べったい塊がだんだん球状に
変化してゆく。少年と母親の見つめる中、やがて風船は丸く膨らんだ。
「わ、ボールだ!」
「紙風船、っていうんだよ。ほら」
 自分の手で二度三度とトスしてみせ、少年に手で打って飛ばす。目を輝かせた彼はそれに
飛びつき、何度も取り落としながらもこのプレゼントを気に入ったようである。
「やよいお姉ちゃん、ありがと!」
「今度のはゆうたくんから逃げて飛んでいったりしないからね。それに、少しくらい破れても直せる
し、大事にしてあげればずーっとずーっといっしょにいられるよ。仲良くしてあげてね」
「うん!」
「じゃ、お姉ちゃんと約束!ハ~イ――」
「あ!たーっち!」
 少年はお馴染みの挨拶でやよいと右手を打ち鳴らし、そうして母親に連れられて帰っていった。
 閉園時間も近い。俺もやよいと歩き出した。
「でもやよい、えらかったな」
「そうですか?」
 感心して言う俺に、しかしやよいは何を褒められているのかわからないようだ。
「紙風船を渡して『これなら逃げていかない』なんて、なかなか言えないぞ。思いやりのある、いい
説明だった」
「え、そうですか?でも、あの、えー、その」
「……どうした」
「んーと、その、ですね……あのお店、ホントは普通の風船も、売ってたんです」

 もともとは彼のなくしたのと同じ風船を探そうと売店に飛び込んだ彼女だが、遊園地の売店すなわち
売らんかな体質の塊である。ゴムからビニール、アルミ箔、浮き飛ぶものや飛ばぬもの、丸いの
長いの大きいの。およそありとあらゆる風船が取り揃っていて、彼女は思考回路がパンクしたそうだ。
「しかも、どれもこれもあの、け、けっこう……高い……ん、ですよ」
「ああ、そりゃなあ。外じゃ売ってないから独占販売でドン、ここのキャラクターやアニメの絵が入る
だけで単価は更にドドンだ」
「それで、頭ぐるぐるーってなっちゃって、横の棚のところに行ったら、『むかし玩具セット』っていうの
見つけて」
「つまり、一番安かったわけだな?」
「ふにゅうう」
 他にも小さな独楽や折り紙などの入った袋を見せてくれ、ことの経緯を白状した。やよいの名台詞
はむしろ、必要に迫られてのものだったというわけだ。
「そうか、あはは。でもかまわないさ、ゆうたくんも喜んだし、やよいが無理をしたって誰も嬉しくない」
「そう……ですかね。なら、よかったです」
「それにな、俺も――おっと」
「プロデューサーも……なんですか?」
 俺も、やよいに教えられた。
 空を飛んでゆく風船に一瞬、俺は以前の自分を重ねたのだ。自由で、勝手で、どこへでも行ける
浮き草人生。
 この会社に入って、それまでの人生は一変してしまった。起きる時間も仕事をするしないも好きに
決められる日々から、時間に追われ、スケジュールに拘束され、人間関係に悩まされる時間の連続へと。
 大空をたゆたう生活は一見爽快で、自由意志に満ち、気楽だ。だがその先には大きなリスクも
待っている。『自分の好きに行く』ということは『他人と共には歩まない』ことを意味する。
 ――ずーっといっしょにいられるよ。
 やよいの言葉は少年に渡した紙風船ではなく、もっと別のものを俺に伝えてくれたような気がしたのだ。
「俺もな、お前のプロデュースについてビッグアイデアを思いついたんだ」
「え!わたしのお仕事ですか?どんなのですか?」
「まだヒミツ」
「ええ~?」
 ただこれは、プロデューサーとして、大人として、男として、少々シャクだ。だから、やよいには
ごまかす事にした。
 大きな秘密を計画しているかのような口ぶりで彼女を煙に巻く。
「ぷ、プロデューサー、どうして教えてもらえないんですかぁ?」
「お前のこともびっくりさせようかな、って。そらもー、驚いて動けなくなっちゃうような」
「ひえええ?もしかして、こ、怖いのですか?怖いお仕事なんですか?」
「さーてねー」
 なに、どうせじきにバレる。
 紙風船は自分では空を飛ばず、持ち主の掌で弾むのが役割なのだ。
「ところで今の話とはまったく関係ないのだが、お前はバンジージャンプ体験と心霊スポットレポート、
どっちが好きだ?いや、あくまで一般論だぞ」
「ほ、ほんとに関係ない話ですかっ」
「あれ、やよいってパスポート持ってたっけ?」
「あ……アメリカ?アメリカなんですかっ?アメリカに行くんですかあっ?」
「けっこうどこでも眠れるって言ってたよな、これはいろいろ、うんうん」
「どこですかああ?わたし、どこで寝るんですかああ?」
 涙目のやよいをからかいながら、俺は思った。
 つまるところこれからの俺の人生は、やよいのハイタッチで支えられているようなものなのだな、と。





おわり