お元気で!


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「あ、雪歩ー。こっちなのこっち」
人でごった返す駅前で、目の前を過ぎていく人の波の中から見覚えのある少女がこちらに手を上げる。
あんまりに無遠慮な声で雪歩はギクリと周囲を見渡すが、こちらを向く人はいなかった。
いくら変装をしているとはいえ、お互いに名の売れた芸能人であることは変わりない。
雪歩は美希の前まで行きその手を取ると、その場を離れようとさっさと歩き出した。

「けっこーゴーインなんだね雪歩って」
もうちょっと自分が強く言えるタイプならなあ、と運ばれてきたカプチーノを口にしながら、雪歩は苦笑する。
今は社長が紹介してくれた、人通りから少し外れた喫茶店でこうして二人でいる。
店内では棚の上のテレビに夢中なおじさんがカウンターに一人立ってるだけで、テレビから聞こえる音とコーヒーの香りが自然と心を落ち着かせてくれた。
そもそもなんでこんなことになったかといえば、と雪歩は何度も繰り返した、数日前のことを思い出す。
ビデオテープなら擦り切れてしまう記憶も、逆に鮮明になっていく記録にまたちょっとだけため息が出た。
「どうしたの雪歩? お腹痛いの?」
当人は暢気なもんだ。雪歩は思い切ってパフェでも頼みたい気分だった。

アイドルだからこそ世事には敏感でなくてはならん、という社長の言に従い、雪歩の朝は新聞を眺めることが日課となっていた。
父のお弟子さんが毎朝、食卓まで持ってくる新聞を受け取り、父が起きてくる前にサッと目を通す。始めこそ眠気で文面を理解するのも億劫であったが、プロデューサーや他のアイドルに褒められたことでなんとか続けられている。
しかし、その日は朝のニュースを流しているテレビに、お弟子さんと一緒に釘付けになっていた。
星井美希、電撃移籍の報。
父がさっさと朝食をとれと怒鳴りに来るまで、雪歩はブラウン管の中で笑う彼女を眺めていた。

事務所に行くと予想通り、重苦しい雰囲気に包まれていた。
応接間から持ってきたソファーの上で塞ぎ込む春香に至っては、普段の明るい彼女を知っているだけにとても見ていられるような状態ではなかったのを強く覚えている。
誰もが軽々しく口を開けない状況の中で、更衣室のドアが開く。
出てきたのは、共に目を真っ赤に腫らした真と伊織だった。
その後ろから、二人に寄り添うように歩くあずさと小鳥。真と伊織はけして目を合わせようとせずただただ俯いているだけで、あずさと小鳥の表情を見ても何が起こったかは雪歩の目から見ても明らかだった。
それでも、気まずいながらも話しかけてくる社員に頭を下げる二人を見てやっと息を吐くことが出来た。
ふと小鳥と目が合うと、流石と言うべきか、静かに微笑む彼女に雪歩は出来る限りの笑みを返した。
常時点いているテレビではこの場にはピッタリな、でも不似合いな歌が流れていた。

 僕らはこんなにも誰かと
 分かり合いたいと思える
 分かれる時になって初めて
 心から気づいたんだ

思い出す時間は流れ、この場へと戻ってくる。
あの日から美希は事務所に顔を出さず、こうしてアイドル一人一人に挨拶をしているそうだ。
自分は何人目だか分からないが、日を追うごとにすっきりした顔を見せる友人達を見ると、どうやらこの別れの挨拶はそれなりに意味はあるものらしい。追加で頼んだパフェに舌鼓を打つ美希に、おかわりしたカプチーノを口にした。
正直、正直言えば雪歩は美希のことを嫌っている。
嫌い、というよりは苦手といった部類で、自分にないものを多く持っている彼女に憧れもしている。
複雑な思いは未だに処理しきれずに曖昧な態度となって出てしまう。
たまに考える、ハッキリと拒絶できたら。或いは仲良く出来たら。どちらも無理だからつかず離れず、ただ柱の影に隠れて彼女を見ている日々。
そんな自分に嫌気を差し、そして、もうちょっと気を使って欲しいという彼女への文句。今もそんなモヤモヤが胸中を漂っていた。
パフェを半分ほど食べたところで美希はやっと口を開く。
端についたクリームに、やっぱり妙なモヤモヤが渦巻く。いやいや、気にし過ぎだとなんとか諌める。
「美希ね、プロデューサーさんについてくことにしたからイセキすることになったの」
それは知ってる。同時に凄まじい剣幕で社長に詰め寄り、相手も顧みずに激論を飛ばした千早を思い出す。
それこそどちらの言い分も理に適ってるからこそ、平行線を辿るしかなかった悲しみ。ようやっと収まりを見せる千早に、「愛されてるんだな、彼も彼女も」と呟いた社長の大きな背中は今も忘れられない。

「だから、これからは雪歩達とライバルだから、よろしくね」
その一言がモヤモヤを吹き飛ばす代わりに怒りの感情を引き出した。
なんであんなに苦しんでいる人がいるのに、当の本人はこんなに気楽でいられるのか。
もっと苦しめとは言わない。だからこそ周囲への配慮を、普段から思っていたことが明確な感情を持つことで雪歩の中で暴れだしている。
雪歩自身もグツグツと湧き上がってくるものを隠さずに顔に出していた。
おそらく自分の顔はとても醜いものなっているだろう。
けれど、ほんの少しでも良い。この感情を伝える為ならば、もうどう思われようとも構わない。
真っ赤になった顔と目で美希を睨みつける雪歩。普段、逃げることしか出来ない彼女の、精一杯の訴え、怒り。それを美希に思い切りぶつける。
口を開けば思いつく限りの罵声と涙で溢れてしまいそうで、黙っている雪歩に美希の方からそんな、一方的な戦いに終わりをつけた。
「雪歩なら、そういう顔をしてくれると思った」
はっ? と思わず間の抜けた声が雪歩から漏れる。思わず頬を伝う涙を慌てて拭うと、もう怒りなどどこかへ行ってしまっていた。

「フツウならミキのやってること、皆からコラーって怒られても仕方ないかなーって思ってたんだけど、皆、すっごく優しいんだもん。あのデコちゃんが頑張れーってさ。ミキ、もうちょっとライバルっぽく別れたかったのに」

あ、嘘だ。
感情の機微に疎い雪歩にもそれは分かった。
おそらく美希自身も背中を押して欲しかったのだろう。それこそ叩くぐらいの力で。
けれど、返ってくるのは抱擁といわんばかりの別れ。惜しくなる、そんな優しさが、だからこそ残酷なほどに彼女を苦しめていた。やっとそれを理解した。理解して、どうしようもないほどに無力な自分に悔しさすら感じる。俯く雪歩に、底抜けに明るく振舞う美希は続ける。
「でも、雪歩とは真クンの取り合いで色々バトルしたから。雪歩なら、さっさと出てけー! って言ってくれるって思ったの」
震えを覚える美希の声に、雪歩はそのまま頷く。何か言えば台無しになる、それだけでなんとか耐えていた。
「それじゃあ、美希、もう行くね。新しい事務所の社長に呼ばれてるの……じゃあね」
椅子から立ち上がり、雪歩の横をツカツカと、早足で遠のいていく彼女のヒールの音。
パフェを頼もう。それで自分は美希の敵になるのだ。
テレビでは、またあの歌が流れていた。

 その時までは
 どうかどうか お元気で