無題(287)


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俺は焦っていた。
 大学4年の秋、内定が貰えないまま、就職浪人になりそうだった時でも、ココまで焦っていなかっただろう。
 その時のダメ元で受けた零細(って言うとマズイかもしれないが)芸能事務所が内定出してくれなければ、
恐らく視界の隅に映るハロワに並んでいるような就職浪人組になっていただろう。
 そう、これから向かう765(なむこ、と読むらしい)プロダクションには人生の完全敗者になる寸前で拾ってもらった恩があるのだ。
 だからこそ、入社当日に遅刻という大失態は避けなくてはならないのだが……
「ああああああああああああ、この目覚ましがああああああああああ!!!」
 朝礼開始が午前8時、で、今の時間は8時10分前。全力で走れば何とか間に合うだろうが、初出社がギリギリの新入社員、他の社員からの心象は最悪だろう。
 下手すると出社と同時に社長から
『おお、君か、明日からもう来なくて良いぞ』
 とか言われてしまうかもしれない。そうなると明日からあのハロワ通いの……
 ぶんぶんと頭を振って最悪の想像を振り払う、いかんいかん、弱気になると碌な事が無いからな、うん。

 とか何とか考えてるうちに目の前の信号が赤に! いや、大丈夫だ、車側の信号が青になるまでタイムラグが……ってタイムラグ短っ!
 危うく今日の夕刊に載る破目になりそうだったが、ギリギリで踏みとどまった。
 だがしかし、これでほぼ遅刻は確定してしまったような物だ。
「あのー」
 しかしどうした物か、目覚ましの時間を一時間セットし間違えたとかいう遅刻の理由もさることながら、焦り過ぎて携帯を家に置いて来てしまったのだ。
「すみませんー」
 弁解の連絡も何も出来ないじゃないか! こういうところ抜けてるから大学四年まで内定が……
「よろしいでしょうかー?」
「あ、え? 俺ですか?」
 いかん、考え事し過ぎて周りが見えなくなってた。
「良いですよ、急いでますからあんまり長く話せませんけど」
 信号が未だに変わる気配が無いのを確認して応える。
 しかし綺麗な人だな、長い黒髪と優しげなオーラが特徴的だ。ここら辺は芸能事務所多いみたいだし、もしかしてグラビアモデルとかそんな人かな? 
「765プロダクションへはどう行けばいいのでしょうか?」
「え、765プロですか、俺も今から行くところですよ」

 なるほど、見たところ俺と同じで初出勤なのかな。
「まあ! 奇遇ですねえ、では……ああ、もしかして、今日から来る予定の新しいプロデューサーさんですか?」
「あ、そうだと思います……まあ、プロデューサーと言っても最初のうちはマネージャーみたいな物でしょうけど、よろしくお願いします」
 いいなあ、多分俺のほうが年上なんだろうけどこういうお姉さん系の魅力って言うのは年齢を超えた物がある。
「はーい、よろしくお願いしますね、プロデューサーさん」
 いいなあ、大人の魅力。
 しみじみとそう感じて首を縦に振った時、周囲の違和感に気付いた。
「あれ? 周りに人が……ってああっ! 青信号が点滅してる! いそいで渡りましょう! ……えーとお名前は?」
「それにしても運命を感じますねえ、行く場所が同じでお勤め先も同じだなんて……」
「すいませーん! 早く渡らないと赤信号になっちゃいますよー!」
「あらあら、すみません、私ったら名前もお教えしていませんでしたね……私、三浦あずさといいます。よろしくお願いしますね」
「あ、はい、えーと俺の名前は……」
 かみ合わない会話をしている内に視界の隅で信号が赤色になった。