バトル・オブ・ポッキー

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mioazu

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 大抵の人々は忘却していることだろう。
 ネコが天性の狩人であり、生粋の肉食獣だという事実を。

    ◇  ◆  ◇

 まあ仮にも軽音部のイベントだから、普通に始まって何事もなく終わるとは思ってなかったけど。

「えーそれでは、宴もたけなわとなりましたところでっ!」

 妙に嬉しそうに叫びながら立ち上がった律の姿を見た瞬間、イヤな予感がしたんだよな。

「第1回っ! 中野梓誕生日記念チキチキポッキーゲ~~~~ム!!」
「おおおっーー!!」

 なぜか唯とムギが顔を紅くして、律と一緒に拍手と歓声を上げている。なるほど、梓への誕生プレゼントと称して、そろいもそろってポッキーを買ってきたのはそういうためか。

「なんですか、それ」

 一方の梓は何も知らされていなかったらしく、狐につままれたような表情を浮かべている。多分、私も似たようなものだろう。

「要するにだな、梓VSその他の軽音部員でポッキーゲームしちゃおう、ってことだよん」
「……なんでそうなるんですか。普通にイヤですよ、そんなの」

 律の解説をバッサリ切り捨てながら、一瞬だけ梓が私の方に視線を走らせ、すぐ目をそらしてしまう。なんだろ、この反応。

「まあまあ。梓にも悪くない話だと思うぞ。なんせ1勝するごとに先輩にひとつだけ『命令』できるんだから」
「『命令』ですか。じゃあもし私が負けた場合はどうなるんですか」
「そんときゃなんにもなし。なんせ梓の誕生日なんだし、本人には目いっぱい楽しんでもらわないとな。どうよ?」
「うーん……」

 すると梓は目をつむり、小首を傾げてちょっとだけ考え込んでいたが、やがて目と口をおもむろに開いた。

「いいでしょう、受けて立ちます」

 その返事を聞いた律たちが一段と大きな歓声を上げた。一方、当の梓もなにやらニコニコと楽しげな笑顔を浮かべている。そんな彼女の態度に、どういうわけか私は不穏な空気を感じ取った。

 なあ梓。もし勝ったら、いったい何を命令するつもりなんだ、お前は。

    ◇  ◆  ◇

 公正なジャンケンの結果、梓に挑戦するのは唯、律、ムギ、そして私の順になった。

「唯、頑張れよっ!」
「まっかせなさい。ポッキーゲームの女王と呼ばれたこの私の真の力、今こそ見せてあげよう」
「すっげー、そこまで自信あるのかよ。しかもいつの間にそんな二つ名が」

 必要以上に驚愕する律に対し、自信満々で唯が答える。

「ついさっき、自分で思いついたっ!」
「なんだ、自画自賛かよ……」
「前置きはいいですから、ほら唯先輩、さっさとこれをくわえてください」

 いつにも増して冷ややかな態度で、梓が唯の持ってきたポッキーの箱を開き、中から一本を取り出す。ところで、唯が用意してきたのは『つぶつぶいちごポッキー』である。普通のポッキーとは一味違うイチゴの風味と触感が……いや、そんなことはどうでもいいか。

「その桜貝のような唇は私が貰ったからねっ、あずにゃん!」
「気持ち悪いこと言わないでください。早く始めますよ」
「ほーい」

 ポッキーの両端をくわえた二人がしばし見つめ合う。あくまでクールな梓に対し、かなり興奮気味の唯が鼻ではすはすと息を荒げている。そんな対照的な二人の間に立って、律が右手を大きく振り上げた。

「レディー、ゴー!」
「ふんすっ!!」

 次の瞬間、唯の口元で、つぶつぶいちごポッキーがポキンと折れた。開始1秒とたたずに、まずは梓の1勝。



「んじゃ、次は私の番な。澪、審判頼むわ」
「いいけど」

 壁際でたそがれてる唯を尻目に、私とそんなやり取りをしながら、今度は律が自分の持ってきたポッキーの中から一本を選び出す。ノリだけで生きているように見られがちな律だが、意外にもきちんと準備もするし、ここ一番の集中力にはしばしば私も舌を巻かされる。今回もわざわざ一袋分のポッキー全部をチェックし、その中からこれはというものを選び出したくらいだ。

 ちなみにこいつが持ってきたのは、しごくオーソドックスな『ポッキーミルク』である。常温で食べてもよし、冷蔵庫でキンキンに冷やしてもよし、さらにいろいろ自分でトッピングを加えてオリジナルの逸品に仕上げてもよしという、まさにポッキーならではの醍醐味が……いや、これもどうでもいいか。

「やっぱポッキーと言えばこれっしょ」
「ごたくはいいから、さっさとくわえなさい」

 ちえっ、と不満そうな表情を浮かべながらも、しぶしぶ私の催促にしたがって律が手にしたポッキーの片方を、そして梓が反対側をくわえる。

「レディー、ゴー!」

 さくっ、さくっ、さくっ。二人がテンポよくポッキーの両端をかじっていく。ちゃんと律が梓とタイミングを合わせているところが不気味だが、実はこれがポッキーゲームの基本だったりする。お互いバラバラにポッキーをかじっていると、余計な力が入るためにその分折れやすくなってしまうのだ。

 だけどそれも長くは続かなかった。しだいに律のテンポが速くなっていく。こんな時でも先走りかよ。そう突っ込む暇もなく、またもやポッキーが律の口元でポキリと折れた。これで梓、2勝目。



「次は私の番ね、ふふ」

 柔らかな笑みを浮かべながら、それまで無言でゲームを観戦していたムギが悠然と椅子から立ち上がる。さらにちらりと意味ありげな視線を私へ向かって投げかけてから、ゆっくりと梓の方へと歩み寄っていった。

「ムギちゃーん、頑張ってー」
「俺らの仇を取ってくれ、頼んだぞっ」

 アホ2名の声援を背に受けながら、ムギが自分の持ってきた箱から一本取りだす。そしていつの間にか、なし崩し的に私が審判を務める流れになっていた。

「なあムギ。それもポッキーなのか?」
「ええ、そうなの。欧米では『ポッキー』という言葉によくない意味があるから『MIKADO』っていう名前に変えてるの。この『MIKADO』はフランスのボルドーで作られたものなのよ」
「……そ、そうなのか。ところで『ポッキー』って、欧米ではどんな意味なんだ?」
「そうねえ。ゲームが終わったら教えてあげるわ」

 言葉を濁しながら、それでもムギは天使のような無垢な笑みを絶やさない。実に優雅にポッキーならぬMIKADOの片方をくわえた。そしてもう一方を梓がくわえたのを確認する。

「レディー、ゴー!」

 さくっ、さくっ、さくっ。

「こ、これは……」

 ごくりと律が唾をのみ込む音が背後から聞こえる。なにしろピアノコンクールで賞を取ったこともあるムギと、小学校の頃からギターを習っていた梓。音楽的な英才教育を受けているという点において、この二人は軽音部でも双璧だ。みごとなまでにテンポが合っている。

「いけるね、うんっ!」

 何がいけるんだよっ、と唯に対して心の中で突っ込む。何やら異様なまでに勝利にこだわってる梓はもちろんだが、ムギも一歩もゆずる気配は見られない。もしこのまま最後まで食べきってしまったら……その、二人は……。

 ──トクン。

 意味もなく心臓がはねあがる。胸が苦しい。喉がカラカラに乾いてる。その間も二人は黙々と食べ進んでいく。いや、わずかに梓の瞳に焦りの色が生じたような気もする。しかし依然として勝負を捨てるつもりはないらしい。まさか……まさか、このまま、キスを……?

 ──そんなの、イヤだっ!

 審判役だということも忘れ、耐えきれずに目をそらしそうになった時。

「はい、降参します」

 あと1センチかそこらというところで、満面の笑顔を浮かべたムギが軽く両手を上げ、MIKADOから口を離していた。対する梓も意外なコトのなりゆきに呆然としている。

「とても楽しいゲームだったわ。ドキドキしちゃった。またやりましょうね」
「は、はあ……」

 すっかり短くなってしまったMIKADOをおいしくいただいた梓が、いまひとつ納得いかないという表情を浮かべながらもうなずいた。何はともあれ、これで梓の3勝。

「ごめんね澪ちゃん。ハラハラさせちゃって」
「そ、そんなこと、ないけど……」

 思い切り図星を指されたけど、なんとなく認めたくなかった。自分の想いを他人の口から指摘されるのが悔しかったから。そんな私の動揺っぷりをしばらく無言で眺めていたムギの顔から、すうっと表情が消えた。

「ねえ澪ちゃん。大事なものを他人に取られなくなかったら、ちゃんとしないとダメよ」
「それ……どういう意味?」
「私や他の誰よりも、自分自身が一番よくわかっていると思うのだけれど」

 私の質問に、再び笑顔を浮かべてムギが答えた。やれやれ。こちらの胸の内など全てお見通しというわけか。

「ところでムギ。さっきのポッキーの意味を教えてくれよ」
「そんなに聞きたいの。どうしても」

 ムギの問いかけに全員の「聞きたーい」という返事がハモった。

「あんまり大きな声じゃ言えないんだけど、その……男性の……」

 紅い顔でムギが言いよどむ。男性の、なんだって?

「……せ、性器……」

 その一言で、部室がしんと静まり返った。

「ダンセイノ……セイキ?」

 たどたどしい口調で唯がオウム返しする。するとようやく我に返った律が大声で叫んだ。

「あー、それってつまり、オ○ン○ンってこと──」

 ごすっ!

 あ、ヤバ。反射的に律の頭をブン殴ってしまった。

「ご、ごめん、律」
「……いや、なんつーか、今のは私もちょっと悪かった」
「んもおー、りっちゃんたらエッチなんだからー」
「こら唯、さっきまでたそがれてたくせに、いきなり色気づくんじゃないっ」

 ニタニタといやらしい笑顔を浮かべる唯の突っ込みに、思わず律が気色ばむ。

「いいえ、律先輩はエッチです。あんな単語を大声で叫ぶなんて。少しは慎みって言葉を覚えてください」

 頬を紅らめながら、今度ばかりは梓も唯の側に立つ。

「なんだよ梓まで。お前だってお父さんのアレくらい見たことあんだろっ!」
「そんなのっ……まあ、ないといえばウソになりますけど……」

 というわけで、しばらくの間うれし恥ずかしのアホトークが展開され──。

「……ところで、なーんか大事なこと忘れてないか、私たち」
「ああっ、澪ちゃんとあずにゃんのポッキーゲームっ!」

 ちっ、律と唯のやつ、思い出さなくてもいいことを。



 こうしていよいよ私の番が回ってきた。律のミルクポッキーを一本貰って梓と正対する。ああ、なんてカワイイ……って、そうじゃなくて。軽く首を左右に振り邪念を追い払う。

「なあ梓、ひとつだけ教えてくれないか。負けたみんなには、いったいどんな命令を出すつもりなんだ」
「ああ、それはですね。今度の日曜にでも、部室に集合して一日特訓してもらおうかと」

 それを聞いて「えーっ」という嫌そうな声を上げたのは、もちろん唯と律のふたりだ。ムギはニコニコと笑いながら「それも楽しそうね」などとつぶやいている。まあ梓のことだから無茶な命令は出さないとは思ってたけど、それを聞いてずいぶん気が楽になった。そういう話であれば、適当なところで負けてやればいいか。

 ところが、いざくわえようとしたところで、さっきの台詞が脳裏によみがえった。

 ──ダンセイノ……セイキ?

 さっきのゲームの時とは別の意味で動悸が激しくなる。

 いやいやいやいや。何を意識してんだ私は。これはただのお菓子だから。ただのポッキーゲームだから。別に私と梓でイヤらしいこと始めようってわけじゃないんだから……などと懸命に自分自身に言い聞かせる。

「どうしたんですか、澪先輩」
「え……あ、いや、なんでもない」
「それじゃあ、そろそろ始めましょうか」

 いつにもましてにっこりと、梓が私に向かって微笑みかけた。食い入るように見つめてる唯、さらにはビデオカメラまで持ちだしてきてるムギには悪いけど、このゲームの勝敗はもう決まってる。だって私は途中でゲームを捨てるつもりなのだから。

 ──大事なものを他人に取られなくなかったら、ちゃんとしないとダメよ。

 脳裏に先ほどのムギの言葉がよみがえる。そりゃ梓のコト、誰にも渡したくなんかない。だけど彼女もそう思ってるとは限らないじゃないか。

 あらためて正面の梓の顔に視点を据える。その瞳の中心に、今まで見たことのない妖しい光が灯っていることに気づき、思わず身震いする。なんだ、あれは。

「レディー、ゴー!」

 さくっ、さくっ、さくっ。私たちは無言でポッキーの両端をかじっていく。そのうち梓の顔にまるで挑むような、そしてどこかすがるような色が浮かんだ。

 ──どうしたんだ、梓。何を考えてる。

 さくっ、さくっ、さくっ。その音がまるで好きっ、好きっ、好きっと訴えてるようにも聞こえてきた。まるでポッキーを通して彼女の気持ちが伝わってくるみたいに感じる。しだいに梓の顔が上気し始め、それに釣られるように私の鼓動も跳ね上がった。視界いっぱいに真紅に染まった梓の顔が広がり、しかもだんだん近づいてくる。

 ──そんなに私のことが好き……なのか?

 さくっ、さくっ、さくっ。完璧なテンポでゲームは進み、見る間にポッキーが残り少なくなっていく。なんだか身体がふわふわする。脳裏にしびれるような甘い感覚が走る。心臓が限界までドキドキと脈打っている。

 ──うん、いいよ、梓だったら。

 そして──。





 ……いったいどれほどの時間がたったのだろう。

「──っかりしてください、先輩っ」
「あ、ああ」

 どうやら梓の膝枕で寝かされていたらしい。ふらつく身体を梓に支えてもらいながら半身を起こし、ゆっくりと辺りに目を向ける。

 すると、唯が腰を抜かしたようなポーズで床にへたり込みながら「あわわわ……」と言葉にならない声をあげている姿が目に映った。その脇では律が目を軽く閉じ、右手をオデコにあてて「やっちまったな……」とつぶやいている。さらに少し離れたところでは、巨大な鼻血の海のど真ん中にムギが沈んでいた。それでもしっかりカメラだけ握りしめているのは誉めるところなんだろうか。

 脳裏に『死んでもカメラは離しませんでした』というフレーズが浮かんだ。もしムギが戦場カメラマンだったら、さぞかし美談として語り継がれるだろうに。

 それはさておき、ええと……つまり、だ。

「悪いけど律、何があったか教えてくれないか」
「あー、要するにだ。澪が気絶するまで、梓が好き放題むさぼってた……ってとこかな」
「な、なんで止めてくれなかったんだよー!」

 私が半泣きになって叫ぶと、律はバツの悪そうな表情を浮かべた。

「なんつーか、その、すまん。思わず止めるのも忘れて見とれてました」
「……あのなぁ」
「すいません、私も調子に乗り過ぎました」
「いや、梓だけが悪いんじゃない。途中で負けを認めなかった私にも責任あるしな」

 まあ今さら誰の責任をうんぬんしても仕方がない。コトはもう起きてしまったのだ。当面の問題はいかにケリをつけるか。

「ともかく、さわ子先生に見つかる前に、この部屋とムギをなんとかしないと」
「そだな」
「そうだねー」
「そうですね」

 三人が小さく同意のうなずきを返した。それとムギのカメラは没収だな。おそらくは私の醜態がしっかり収められてるに違いない。そんな恥ずかしい動画データだけは絶対にこの世から抹殺しなければ。

    ◇  ◆  ◇

 ゲームで敗れた唯、律、ムギの三人は、約束通り梓の命令で、次の日曜日に一日学校で強制的に練習させられることになった。もちろん私も自主的に参加する。別にこれといって予定があるわけでもなかったし、私ひとりが仲間外れというのもなんとなくカンにさわるしね。

 問題はその前日の土曜日だった。結果的にキスという形で引き分けてしまった私に対し、梓が再戦を申し込んできたのだ。

「このままじゃ、なんとなく納得いかないんです。お願いします」

 もちろんそれが単なる口実にすぎないことはわかっていた。あの日、あの時。すでに私たちは、もうただの先輩と後輩ではなくなってしまったのだから。

 初めて招かれ訪れた梓の家は、外見こそ普通のたたずまいのようだった。しかし私にはそこが、まるでロールプレイングゲームでラスボスが潜む魔王の城のように思えてならない。

「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、こっちです」

 不気味なほど落ち着き払った梓に導かれ、私は玄関から薄暗い廊下を通りぬけて、彼女の部屋の前へとやってきた。この中でこれから何が行われることになるのか。お互い口にこそしないが、覚悟は決めてきたつもりだった。
 なんせ昨夜はいつもより入念に身体を洗い清めてきたし、今朝だってとっておきの下着を身につけてきたのだ。だが、いざこうしてドアを目の前にすると、しだいに緊張、恐怖、期待、高揚といったいろいろな感情がぐるぐると混じり合い、私の身体を突き破らんばかりにうごめくのを感じる。

 どうなるのだろう。
 どうなってしまうのだろう。

 一瞬だけ目をつむり、ほうっと息を吐いて肩の力を抜く。

 まあいい。いずれにしても、あとほんの数時間かそこらでわかることだ。それがどのような形になるにせよ。

「今ならまだ、引き返せますよ」

 低い声で梓がそんなことを言う。その声音がかすかに震えていることに気づいた。そっか、やっぱり梓もそれなりに緊張してるんだな。

 ──大事なものを他人に取られなくなかったら、ちゃんとしないとダメよ。

 再びムギの忠告が脳裏にこだまする。そうだよな。誰よりも私がちゃんとしないと。この世で一番大切な梓のためにも。

「いいんだ。お邪魔させてもらうよ」

 カラカラに乾いた喉からそんな台詞を絞り出し、そうして私は、初めて梓の部屋へと足を踏み入れる。それは私たちにとって後戻り不可能な一線を超える儀式にほかならなかった。はたしてそれが喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、今は判断がつかない。ただひとつわかっているのは、次にこの部屋を出る時、私たちの関係は永遠に変化しているだろうということだけ。

 さようなら、私の可愛い後輩。
 はじめまして、私の愛しい恋人。

 今日からこの身も心も全て、それこそ髪の毛一本に至るまで、お前のモノだ。
 そしてお前の身も心も全て、それこそ髪の毛一本に至るまで、私のモノだ。

 さあ、始めようか。
 私たちの全てを賭けた、気の遠くなるような長いゲームを──。

(おしまい)
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