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「梓と付き合ってるのか?」
 寄りかかっていた澪から離れて、律はそう問いかけた。
問いに肯定を返すように澪の頬が赤く染まったが、
口から否定の言葉が放たれた。
「いや、違」
「違わないですっ。付き合ってます」
 否定の言葉は梓に遮られた。
律は梓の返事を答えとして採用する。
「そっか。やっぱ、二人付き合ってたんだな」
「……よく分かったな」
 澪は観念したように溜息を吐いた。
「最近さ、お前と仲良くする度に梓の鋭い視線を感じて。
さっき寄りかかってた時も、結構キツい感じの目で睨まれたし。
それがあからさまだったからさ、梓が勝手に澪好いてるんじゃなくって、
堂々と嫉妬しても許される関係になってるんじゃないかって思った」
 律は深呼吸した後、意を決したように言葉を続ける。
「本当に付き合ってるなら、もう澪に抱きついたりしないよ。
二人っきりで帰るのも止めにする。
ごめんな、梓」
「あ、いえ。黙ってた私の責でもあるんですから、
律先輩が謝らなくっても」
「いや、ちょっと待てよ。
付き合ってるからって、別に友人関係にまで拘束及ぶワケじゃ無いんだからさ。
律は今まで通りでいいって」
 表情を緩めて柔らかく返答した梓だったが、
澪の言葉を聞いて再び顔に険が走った。
「それじゃ、お前のカノジョが納得しないでしょ?」
「大丈夫だよ。別に律以外にそうそう馴れ馴れしい態度許したりしないしさ。
律だけなら許してくれるんじゃないか?
律とは幼馴染だし、特別な関係だ。
そこは梓も分かってくれる」
 律は大仰な溜息と共に言葉を返す。
「逆だよ、逆。
自分以外の人間を特別扱いするなんて、それこそ許し難いものだろうよ。
それが一人だけなら許されるんじゃない、そいつ一人だけだからこそ許せないんだよ。
それが私なら尚更……澪と特別に親しくて幼馴染な私だから尚更……な」
「いや、梓なら分かってくれるよ。
だって私、こんな事改めて言うの恥ずかしいけど、律居ないと駄目だしさ。
律は私にとって、かけがえの無い存在だし」
 律はそっと梓に視線を走らせる。
梓は俯き加減に唇を噛み締めていた。
涙を堪えているようなその姿勢に、律は澪を一喝しようかと考えた。
だが、口は動かなかった。
律自身、澪から特別に想ってもらえている事は嬉しかった。
ここで下手に咎めて、澪からの好意を失いたくないのだ。
梓への憐憫と澪への恋慕が、律の胸中で激しく鬩ぎあう。
 言葉を返さない律を訝しく思ったのか、
澪は不安そうな声を掛けた。
「どうした?急に黙り込んだりして」
 自分よりも梓の事を気にかけてやれ、
そう言いたいが言えない。
澪に心配されている事が嬉しいが為に言えない。
「いや……何でも……無い」
 そう返した時、律は激しい自己嫌悪に襲われた。
梓の恋路を邪魔する存在としての自分が疎ましかった。
実際、梓の顔は悲痛に歪んでいる。
苦しんでいる自分には気付かない癖に律の些細な変化は見逃さない、
そんな恋人澪への悲嘆がありありと表れている。




 梓の表情を崩したのは、唯だった。
「あーずにゃんっ」
 陽気な声と共に、梓に抱きついたのだ。
梓は悲痛を湛えた表情から一転、怒気を顔に浮かべて抗議の声を発する。
「ちょっ、止めて下さい、唯先輩っ」
「やーだよ。あずにゃん可愛いんだもん」
「嫌っ。私、澪先輩の恋人なんですよっ?
他の人に抱きつかれたくありませんっ」
 露骨に澪へと救いを求めるような視線を放ちながら、梓は言う。
律は言ってやりたかった。
梓を助けてやれ、と。
だがそれを言ってしまえば、澪は律に言われて梓を助けた事になる。
律に従う澪など、梓は見たくないだろう。
澪が自分で気付かなければ意味が無い。
 しかし、澪が気付く気配は無かった。
「えへへー、あずにゃん温かいー」
「止めっ、澪先輩、助けて下さい……」
 何時までも放置している澪に痺れを切らしたのか、
梓の口から嘆願の声が漏れる。
そこまでして漸く、澪は唯に視線を向けた。
「おい、唯。梓が嫌がってるだろ?
放してやれ」
「ねぇ、澪ちゃん。
澪ちゃんはどんな権利で、私にあずにゃんから離れろなんて言ってるのかな?」
 唯は梓を放す事無く、挑発するような調子で澪に問うた。
「部員が困ってたら助けるだろ」
「部員だから?それが理由なんだ?それ”だけ”が理由なんだ?」
 ”だけ”の二音には、強いアクセントが加えられていた。
「いや……。一応私、梓の恋人だからさ。
自分の恋人が他の人間に抱きつかれてるのは、気分良いものじゃないよ」
「一応ってところに澪ちゃんの本音を感じるよね。
そしてその本音は見事に現状を表してるよね。
りっちゃんへの未練持ちながらあずにゃんと付き合ってるんだもん、
本当に一応って感じだよ。あずにゃん可哀想」
 細めた瞳と歪んだ口元が、澪を蔑むように唯の顔に浮かんでいる。
「おい唯。変な絡み方するな」
 澪は苛立たしげに言葉を放つ。
「いや、実際にあずにゃんが可哀想ってのは事実だし。
ねぇ、あずにゃん。
澪ちゃんみたいな冷たい人放っといて、私のになりなよ。
どうせ澪ちゃんはりっちゃんの事しか見てないからさ。
あずにゃんが泣きそうだったのに気付かないし。
嘘っぱちな愛情しかあずにゃんに向けてないよ」
「おい唯。いい加減に」
「いい加減にして下さいっ、唯先輩っ」
 梓の叫喚は澪の言葉を遮って部室に響いた。
その反響が消えるのを待って、梓の次の言葉が放たれる。
「澪先輩が律先輩をどう思っていても……
私が澪先輩一筋なのは変わりません。
唯先輩の元には行きません」
 毅然とした決意が口調に込められている。
「まぁ、あずにゃんが怒る分には構わないんだけどね。
澪ちゃんが怒るのは理解できないな。理解できても許容できないね。
あずにゃんと付き合ってるのかって、
りっちゃんに訊かれた時は否定しかけてたもん」
「いや……公にする事でも無いと一旦は思っただけだ。
それに、私のシャイな性格については唯も知ってるだろう?」




「シャイな性格は勿論知ってる。それだけじゃないよ?
あずにゃんとの交際を否定しようとした原因が、
シャイな性格には無い事まで分かってるよ。
りっちゃんに知られたく無かったんだよね?
それを知られたら、りっちゃんと付き合う可能性が消えちゃうから。
あーあ、キープにされたあずにゃん可哀想」
「勝手な事を言うなっ。
私は梓が好きだ。キープだなんて欠片も思ってない」
 澪の怒声を受けても、唯は嘲弄的な姿勢を崩す事無く抉るように言葉を並べる。
「キープじゃ無いなら保険?滑り止め?セカンド?愛人?ストック?
本命じゃ無い事だけは確かだね。
あずにゃんの本命は悔しい事に澪ちゃんだと思うよ。
私が抱きついても拒絶したし、
きっと澪ちゃん以外の誰が抱きついても拒んだだろうね。
でも澪ちゃんは?りっちゃんを拒めないて無いじゃん。
それどころか、りっちゃんが自ら身を引こうとさえしたのに、
それを引き止めてたよね?
あのさ、りっちゃん好きならそれでいいからさ、
せめてあずにゃん切ってからにしてくれないかな?」
「いい加減にしろ、唯っ。
繰り返すけど私は梓が好きだ。だから付き合ってる」
「なら、どうしてりっちゃんを切らないの?」
「友情と恋情は別物だ。二者択一の関係には無い。
梓への恋情と律への友情は両立可能だ」
「あんな過激なボディタッチまで許しておきながら、
いやいや望んでさえおきながら友情とは笑わせるね。
あずにゃんがどう思ってるか、それを考えたかな?
果たしてあずにゃんの目から見て、それが友情に見えたのかな?
私の目から見てさえ、友情とは到底言い難いね」
「私と律の関係は、お前に決められる事じゃない」
「その通り。じゃ、あずにゃんに訊いてみようか?」
 唯は梓を解放すると、問いかけた。
「この際だからさ、はっきり言っちゃえば?
澪ちゃんのりっちゃんに対する態度を許容してるのかどうか」
 話を振られた梓は俯いて視線を漂わせた。
「梓、どうなんだ?」
 だが、澪に促されると思い切ったように口火を切った。
「許したく……ありません。
私だって、友達関係についてまで口挟む心算はありません。
でも……律先輩に対する態度は、友達って範疇越えてます。
もう少し私の事、見て欲しいです」
 途端、澪は気弱な声を漂わせる。
「あ、梓……誤解だ……。
私はちゃんと梓を見てるし、梓の事は好きだよ?
でも律とは古い馴染みでずっと一緒に歩んできたから……分かってくれ……」
「本当に見てますか?私、ずっと辛かったです……。
澪先輩が律先輩を特別扱いしてる事が苦しくて切なくて……。
なのに澪先輩は私に気付く事無く、
律先輩の関心を繋ぎとめる事に腐心してて……」
 梓の瞳から涙が一粒、二粒と零れ落ちた。
「いや、梓……。違う、律への想いと梓への想いは別のベクトルなんだ。
私、律が居ないと駄目なんだよ。律もきっと私が居ないと駄目だ。
律分が不足すると、不安になって薄ら寒くなって、
身体の節々に痛みを覚える事さえあるんだ。
中毒して律依存症になってるんだよ、私は。
律だって私が目をかけていない所でちゃんとやれるのか不安で……。
分かってくれよ、梓」




「そうやって律先輩を特別扱いしてる事が辛いんですよっ。
律分って何ですかっ。私じゃ駄目なんですかっ?
私じゃ澪先輩の不安や薄ら寒さを消し去る力無いんですか?
恋人なのに……私……私……律先輩に負けたくないです……」
 激情を伴った梓の声は部屋に響き渡り、律の心を揺らす。
心を揺さぶられたのは澪とて同様だったらしい。
「ごめん、梓。私が間違ってた。
律との付き合い方……改めるよ」
 声には不安が篭り頬も青褪めていたが、
澪ははっきりと律との付き合い方を改めると宣した。
満身創痍ながらも激情を迸らせた梓の姿に、澪も心を打たれたのだろう。
「……いいんですか?律分が不足すると、中毒症状が出るんでしょ?
それでも本当に、私を選んでくれるんですか?」
 澪は梓を抱きしめると、優しく語りかけた。
「大丈夫だよ、梓。
梓にはきっと、私の不安や寒さを消し去ってくれる力があるって、
そう信じてるから。
だから、これからはずっと一緒だ」
「澪先輩……」
 梓は暫し澪の胸の内で泣いていたが、
唐突に顔を上げると唯に向き直った。
「ごめんなさい、唯先輩。
私、澪先輩が好きだから唯先輩とは……」
「分かってるよ。だからもう、あずにゃんには抱きつかないよ。
……分かってたよ……」
 唯は寂しそうに繰り返してから、律へと視線を移した。
「いいもんねー、りっちゃん貰っちゃうんだから。
あずにゃん分は澪ちゃんにあげるとして、
私はりっちゃん分貰っちゃうもんねー」
 胸に飛び込んでくる唯を、律は優しく抱きとめた。
その律に対して、梓は口を開く。
「ごめんなさい、律先輩。
律先輩も」
「あー、謝る必要無いっての」
 律は梓の言葉を遮って手を振った。
「私にはほら、唯が居るしさ。
澪の事、よろしく頼むよ」
 澪に対して恋慕の念を抱いていなかったと言えば嘘になる。
だが、澪は梓を選んだのだ。
だから律は、その恋慕の念を祝福の言葉に変えて梓に伝えた。
「幸せになれよ」
「は、はいっ」
 未だ涙が瞳の端に浮かんでいたが、
それでも梓は明朗な返事を寄越してきた。
律は安堵すると、澪に手を振った。
「澪も、幸せになれよ」
「律も、な」
 澪も律に手を振り返すと、梓を伴って歩き出した。
その背に向かって、唯が言葉をかける。
「ごめんね、澪ちゃん。さっき酷い事言っちゃって」
 澪は立ち止まると、振り向いて言葉を返した。
その表情は穏やかだった。
「いや分かってるよ、悪いのは私だったって事。
梓の事、ちゃんと見てやれて無かった。
だから唯は説教したんだよな?
梓の事、もっと大切にしてやれって」




 唯は首を振った。
「私はそんな良い人じゃないよ。
私は……あずにゃんも好きだけど、りっちゃんも悪くないって思ってた。
その二人の心を惹きつけてる澪ちゃんが邪魔だった。
どっちか選んでくれたなら、
私には空いた方を手に入れられる可能性が残る。
私が好きな人を二人も手に入れてる澪ちゃんが恨めしかったから、
どっちか選ばせるついでに虐めようって思っただけ」
 そこまで言ってから、唯は悪戯っぽい笑みを浮かべて言葉を翻した。
「嘘、だよ。本当は澪ちゃんの言う通りだよ」
 律には嘘に見えなかった。
だから、唯を抱きとめ続けた。
「そっか。じゃ、また明日」
「また明日です、律先輩、唯先輩」
 再び背を向けて歩き出す二人を、律も唯も見送った。
二人が部室を出ても暫くの間は沈黙が続いた。
その沈黙を破ったのは、唯だった。
「りっちゃん、泣かないでよ」
「うっせ」
「私が居るでしょ?なのに泣くなんて失礼だよ」
「お前こそ私が居るのに泣いてるじゃねーか」
「そうだね、お相子だね」
「そうかな、お似合だろ」
「えへへ、そうかも」

「はっあっ。痛い……寒い寒い寒い……あず……さぁ……」
 苦しそうに喘ぐ声が聴こえる。
その声の主、澪の下へと梓は駆け寄った。
「あ、梓っ」
 澪は梓に抱きつくと、首筋に鼻を這わせて鼻呼吸を繰り返した。
一つ呼吸する毎に、澪の喘ぎは穏やかになってゆく。
「澪先輩、大丈夫ですか?」
 澪の呼吸が落ち着いた頃を見計らって、梓は話しかけた。
「ああ、梓分で満たしたから大分楽になったよ」
 澪は安堵の表情を浮かべて言った。
「それは良かったです。
……やっぱり、律先輩が居ないと辛いですか?
律分の禁断症状、苦しそうですもん」
 梓の不安げな雰囲気を察したのか、澪は抱擁しながら言葉を返してきた。
「大丈夫だよ。耐えられる、耐えて見せるさ。
いつかは抜けるし。それに、梓分っていうのかな?
それがちゃんと作用して、離脱症状緩めてくれてるよ。
だから、大丈夫だ。梓さえ居れば、私は耐えられる」
 澪が必要としてくれている事が嬉しくて、梓は微笑を漏らした。
「律先輩がヘロインなら、私はメタドンってヤクですかね」
 薬と役、どちらの意味に取ってもらっても構わなかった。
ダブルミーニングによる齟齬など問題にならない。
必要とされる点に違いは生じないのだから。
「そうだな。離脱症状が緩和されてるのを感じるよ。
梓のおかげで、律中毒を克服できそうだ」
 澪の役に立てた事が嬉しくて、また澪の薬になれた事が嬉しくて、
梓は多幸感に舞い上がった。
 だが多幸感は一瞬で終わり、後ろめたさが訪れて梓を不安にさせた。
果たして自分だけ幸せでいいのだろうか、と。
澪は律を失い、唯は梓を失い、律は澪を失った。
自分だけ、何も失わずに澪を手に入れている。
その事が梓の脳裏に引っかかり続けている。




「どうした?何か心配事でもあるのか?」
 梓の不安を敏感に察したのか、澪が問いかけてきた。
以前の律に依存していた澪ならば、見過ごしていただろう。
それを梓は不満に思っていた。
 その不満が無くなった今、梓は悟った。
自分に対して敏感になるという事は、隠し事ができなくなる事だと。
梓は意を決して口を開いた。

「はぁ……」
 酷い憂鬱と虚無感が身体を支配し、行動を億劫にさせる。
今の唯には、立ち上がる事さえ億劫だった。
「唯?って、禁断症状か」
 陰鬱な唯の表情を見て察したのか、律は唯に近寄ってきた。
唯は律を抱きしめると、腋に鼻を当てて息を吸った。
一つ吸うごとに不安が一つ消えて、高揚感が湧き上がってくる。
何度か繰り返して活力を取り戻すと、唯は律を解放した。
「ありがと、りっちゃん」
「あずにゃん分とやらの不足か。
しっかし、私なんかで代わり務まるもんなの?」
「うんっ。澪ちゃんが言ってたけど、りっちゃん分も中々強力だね。
あずにゃん居なくても、りっちゃんが居れば生きていけるよ。
ありがとね、りっちゃん」
 心からの礼を述べた。
梓への抱擁を自制してからの日々は辛かった。
離脱症状に襲われる度、
途方も無い不安と虚無感に苛まれて憂鬱な気分に陥っていた。
だが律を抱き寄せて匂いを嗅ぐと、憂鬱は吹き飛んだ。
「いや……私は何もしてないというか、ただスニッフさせてるだけだから。
ていうか、お前本当に良かったのか?
梓から離れて辛いんじゃないのか?梓に中毒してんだろ?」
「うーん、でも澪ちゃんと付き合ってる以上、
あずにゃん分を補給するワケにはいかないし。
それにさっきも言ったけど、りっちゃんが居れば大丈夫。
ちゃんとあずにゃん断ちできるよ」
「中毒の治療になれば幸いだよ」
「なるなる。あずにゃんがリタリンなら、
りっちゃんはクラックって感じだから」
「ふーん……っておいっ。強力になってんじゃねーか」
 律は苦笑混じりに半畳を入れてきた。
唯はそれに対して、したり顔で返す。
「それでいいんだよ。
りっちゃんの方があずにゃんより強力になってきたって事は、
ちゃんとあずにゃんから離脱できてるって事だからね」
「そっか。そりゃ良かったな」
「うんっ。りっちゃんが私の事、重いって思わないならだけど」
「思わねーよ。寧ろ有難いくらいだよ。必要とされてるってのは」
「えへへ。不束者ですが、これからもお世話になります」
 唯は頭を下げてから、声のトーンを落として問いかける。
「ねぇ、りっちゃん。りっちゃんの方こそ、私で良かったの?」
「唯でいいんじゃなくって、唯がいいんだよ」
 その言葉は唯にとって嬉しいものだったが、
容易には信じられない言葉でもあった。
「嘘。りっちゃん、澪ちゃんの事好きだったもん」
「そう。だった、だよ。過去形だよ。
それに好きって言っても、友情に毛の生えた程度のもんだよ」
 律の寂しげな表情を唯は見逃さなかった。
「りっちゃん……ごめんね、私が余計な事さえしなければ」
「こーら、唯っ」




 唯の言葉は途中で遮られていた。
「お前があの場面で言わなかったら、
中途半端な関係がずっと続いてただけだよ。
それにさ……お前があの場面で言わなかったら、
唯と私が付き合う事も無かったと思うぞ。
だから余計な事とか言うな。謝るな」
 律はそう言うと、唯に頭を預けてきた。
「ま、寂しくないっつったら嘘になるけど。
それでもさ、唯と付き合えた幸せの方が大きいから。
否定すんなよ、自分がした事」
 律の言葉を幾度も胸中で反芻していると、
梓への未練が消えてゆくのを感じた。
代わりに訪れた感情は、律への恋慕だった。
「えへへ、りっちゃん、また私泣かせた。
罰として、もう放さないからね?」
「望むところ。てか、私も放さねーし」
 律と分かち合う幸福の中で、
唯は素直に澪と梓の幸福を祈る自分に気付いた。

「澪先輩……。私だけ幸せみたいで、何か悪いです」
 申し訳無さそうに俯く梓に、澪は問いを重ねた。
「お前だけ?そんな事は無いと思うけど」
「いえ……。
唯先輩は私を好いてくれたのに、その思いを私は無下に断りました。
律先輩も……澪先輩への想いを諦めざるを得なかった。
澪先輩だって、律先輩と距離を置いて禁断症状に苦しんでいます。
でも私は……何も捨てずに澪先輩を得ました。
私だけ幸せなんです。私だけ……図々しいですよね。
罰、当たりますよね」
 梓の不安げな表情の意味を、澪は漸く理解した。
澪は宥めるように優しく語り掛ける。
「大丈夫だよ。そもそも前提が間違ってる。
律は唯を、唯は律を手に入れてるからさ。
二人とも何も得なかったわけじゃない。
唯の良さは梓だって分かっているはずだろう?
私だって、唯を信じてる。きっと律を幸せにしてくれるって。
律も唯の幸せに一役買うよ。あいつはそういう奴だ。
私が担保する。
ていうか、今頃は二人とも幸せになってるんじゃないかな?」
「でもそれは、失った物があって手に入れたんです。
私は何も失わずに」
「梓、そんな事は無いよ」
 澪は梓の言葉を遮った。
「でも……」
「お前は既に傷ついていたんだよ。
……鈍感な私のせいでさ。私は律と梓を両天秤に掛けてた。
それが恋人のお前に酷い苦痛を与えていた。
お前の幸福はその代価だよ。胸を張って受け取ればいい」
「じゃあ、澪先輩は?
澪先輩は律先輩からの離脱症状に苦しんでるじゃないですか。
それで何かを手に入れたんですか?」
 澪は微笑んで、梓を胸に抱き寄せた。
「決まってる。お前だよ」
 そう告げてもなお、梓の顔は晴れない。




「それじゃ駄目です。私はずっと澪先輩の物でしたから。
澪先輩だけ、何も新しいものを手に入れてませんよ?
澪先輩も一緒です、一緒に幸せじゃないと嫌です」
 その強情さが可愛くて、澪は梓を抱く力を強めた。
そして、言う。
「じゃあ、これから手に入れようか?
梓と一緒に作っていく幸せを。
梓が私の幸せを一緒に作ってくれるなら、
私も新しい物を手に入れられるだろ?」
 胸の中の梓の顔が晴れ渡る。
そしてその表情に相応しい明朗な声が、澪の鼓膜に心地好く響いた。
「はいっ。一緒に作らせて下さいっ」


<FIN>