風邪の引き方直し方

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mioazu

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 ──「私が代わってあげられたらいいのになあ。風邪、うつして貰って」
 ──「うつすって……どうやって?」
 ── 思いがけない憂の言葉に、梓は身を乗り出していた。
 ── もしそんな方法があるというのなら、ぜひ教えてもらいたいものだ。

                    (「けいおん!」#12「軽音!」より)

    ◇  ◆  ◇

 たまに窓をたたく雨の音が聞こえてくる。おそらく外は、冬の始まりを感じさせる冷たい雨なのだろう。

 外に出ないですむのは幸運。
 でもその理由が風邪なのは不運。

 初めての学祭ライブは結果的に大成功だった。最初、唯先輩が抜けた時はどうなることかと思ったけど、なんとか残りのメンバーでその穴を埋めてつないで。最後は戻ってきた唯先輩も加えての『ふわふわ時間』で、そりゃもうメチャメチャ盛り上がった。

 だけどいずれ祭りは終わり、退屈な日常が戻ってくる。まるでそのすべてが、ひとときの夢だったかのように。

 ただ私だけが、まるで学祭の忘れものみたいな風邪で、こうしてダウンしてしまっている。自分では大丈夫だと思ってたけど、やはりどこかで無理してたのかも。いやひょっとすると、病み上がりの唯先輩に抱きつかれたのがよくなかったのかも。いやいや……。

 あーあ、ばかばかしい。そんなことを思い出したからって、風邪が治るわけでもないのに。

 気をまぎらわせようとMP3プレーヤーで適当に音楽を聴いてみたけど、なんか頭がガンガンしてきたので結局やめた。

 重いまぶたを無理やりこじ開ける。世界がほのかにピンク色がかっている。見慣れた天井のはずなのに、ひどく遠いように感じる。氷枕を直したいけど、手をあげるのも辛い。

「けほっ、けほけほっ」

 軽く身体が跳ね上がる。ノドはもちろん、胸の奥にまで鈍い痛みが走る。

 セキはなるべく我慢なさいと言われてるけど、とても意志の力でなんとかできるようなレベルじゃない。

 さっきから憂や純に何度かメールを出してみたけど、一通も返事は返ってこない。そのうち気力が尽きてあきらめてしまった。腕も重たいし。

 今の時間は授業中だから仕方がないとわかってるけど。だからといって心の底まで納得してるわけじゃない。理屈なんかじゃないから。

 きっと私はさみしいんだろう。

 我ながら弱気。具合が悪いんだから仕方がない。

 あーあ。誰かお見舞いにでも来てくれないかなぁ。

    ◇  ◆  ◇

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 ふと目を開けると、うっすらと黒髪ロングの女性らしきシルエットが目に映った。

「澪……先輩?」

 言ってしまってから自嘲する。まさか、先輩がくるはずなんかないのに。

「ごめん、起こしちゃったか」

 ああヤバい。なんか幻聴まで聞こえるし。

「どう、調子は」

 額にヒヤリと冷たいものがあたる感覚。ずいぶんとしつこい幻覚だ。私の澪先輩欠乏症は思ってた以上に重篤らしい。

 ……って、いや、まさか、そんなはずは。目を、耳を疑う。でもこの額の感触はホントに本物っ。じゃあこれって。

「え……せ、先輩!?」

 思わず跳ね起きようとしたけど、澪先輩に押しとどめられた。同時に激しいセキの衝動がこみ上げてくる。

「ほらほら、まだ直ったわけじゃないんだから。もう少し安静にしないと……」
「先輩、先輩先輩先輩っ! 先輩っ!!」

 半泣きになりながら先輩の右手に自分の両手を絡める。すると。

「今日の梓はずいぶんと甘えんぼさんだな」

 そう言いながら私の頭を、澪先輩は何度も何度もやさしく撫でてくれたのだった。

 もしもこれが夢なら、もう一生覚めなくてもいいよ、ホント。





「悪かったな、起こしちゃって。ちょっとだけ様子を見たら、すぐに帰ろうと思ってたんだけど」
「別にいいんです。でもよく家の場所わかりましたね」
「憂ちゃんが教えてくれたんだ。お見舞いに行ってほしいって」
「ああ……」

 まったく。お人よしにもほどがあるんだから、憂は。ほんと、また涙腺緩んじゃうよ。

「なんだかさっきより顔が紅い気がするけど」
「また熱が上がってきたみたいです。なんだかぼーっとしちゃって」

 うーん、かなりヤバいな。集中してないと意識が飛びそうだ。先輩の前で気絶するような恥ずかしいマネはしたくないけど、だんだん自信なくなってきた。

「梓」

 その時、いつになく硬い声で、澪先輩が私の名前を呼んだ。

「……はい」
「風邪を治す方法をひとつ知ってるんだけど、試してみてもいいか」
「……はい」
「でも、その……ひょっとしたら……」

 自分で言い出しておいて、なんだか気が進まないらしい。

「……ひょっとしたら梓のこと傷つけることになるかも知れないけど。それでもいいか」

 いやもうこの辛いのが治るんだったら、痛い注射でも苦いお薬でも全然おっけーですから。

「……なんでもいいです。やっちゃってください。先輩のこと、信じてますから」
「わかった。じゃあ力を抜いて、まぶたを閉じて楽にして。すぐに終わるから」
「……はい」

 言われるままに目をつむる。でもそれがいけなかったらしい。あっという間に自分の意識が奈落の底へと吸い込まれていくのを感じた。

 あれ?

 なんか今、とっーても柔らかい何かが、私の唇に押し当てられたような……。

 でもそれを確認する間もないまま、自分の意識は闇に溶け込む影のように溶け消えてしまった──。

    ◇  ◆  ◇

 その翌日には熱は下がっていたけど、まだ足元がふらつくので、念のためにもう一日休んで、今日は久しぶりに学校に向かっている。

 その登校途中の道でのことだ。

「おい梓っ」

 後ろから声をかけられた。振り返るとそこに律先輩が突っ立っていた。それはまあいいんだけど。

「お前なんかに……お前なんかに……澪は渡さないんだからなっ!!」

 私のことを涙目でにらみ付けながら、それだけ叫ぶともの凄い勢いで学校の正門の方へ走り去っていった。もしかしたら百メートル走の世界新記録かもってくらいのスピードで。周りの生徒たちもあっけに取られていた。

 それにしても何を言ってるんだろう、あの人は。相変わらずよくわからない。まあ深く考えたら負けだね、きっと。

 教室の空気もなんとなく微妙な感じだった。辺りの様子をうかがっていると、憂が入ってくるのが目に入った。彼女は私の姿を認めるなり、これまた猛スピードで机の前にやってきて、私の手を取って両手で包むと、ぎゅーと力を込めた。

「あのね梓ちゃん、私は最後まで梓ちゃんの味方だからねっ」
「そう……あ、ありがとう」

 彼女の眼にはこれ以上ないというくらいの真摯な光が宿っていた。この子の言うこともいまひとつよくわからないけど、少なくとも善意からの言葉ってことは確かみたい。

 話をよく聞こうと思ったけど、ちょうど別の子からも憂に声がかかってしまった。

「じゃあ梓ちゃん、ほんと頑張ってねっ。私は最後まで梓ちゃんの味方だよっ」

 そう言って去っていった。うーん。風邪引きのあとだから、元気付けようとしてくれているのだろうか。
 そんなことを考えていると、入れ替わるように純がやってきて、私の耳元で声を潜めた。

「あのさ、憂はあんなこと言ってるけど、私はやっぱ二股はよくないと思うんだ」
「フタ……マタ?」

 またもや意味のわからないことを言い出した。まあ純の自由っぷりも今に始まったことじゃないけど。それとも私がまだ本調子じゃないってことなんだろうか。

「まあ、こういうことは当人同士にしかわかんないことも、イロイロとあるんだろうけどさ」

 こちらもいつになく真剣な面持ちだ。ひょっとするとこんな純を見るのは初めてのことかもしれない。どうやらこれは何かマズイことが起きているのか。とにかく純にもう少し聞いてみないと。
 そう思った瞬間、ホームルームの鐘が教室内に鳴り響いた。あちらこちらでひそひそ話をしていたクラスメイトたちが自分の席へと戻っていく。なかにはあからさまに私に意味ありげな視線を投げかけていく子もいた。

「梓のことだから心配ないとは思うけど、もし不用意に憂のことを傷つけたりしたら、私はあんたのこと、絶対に許さないんだからねっ」

 そう言い残して、純も自分の席にドスンと座った。

 憂と私で二股ってことは、私と憂でオトコの獲り合いでもしてるって思われてるのかな。でも、なんでだろう。うーん、わかんないなあ。

    ◇  ◆  ◇

 あれから授業の合間の休み時間に、なんとかして私は憂から事情を聞きだそうとした。だけどそのたびに純がそれはもう怖い顔で私のことをにらむもんだから、結局詳しい話は聞けずじまい。そのままお昼休みになってしまった。

 今ひとつ微妙な空気の中で、久しぶりに憂と純でお昼ご飯してると、廊下から唯先輩とムギ先輩が私のことを手招きしているのが目に入った。ちょっとごめんと言い残して立ち上がり、そそくさと廊下へ出る。さっそく私に抱きついてくる唯先輩を引きはがそうとしていると、ムギ先輩の口から意外な情報が飛び出した。

「澪先輩が、お休み?」
「昨日からなの。風邪だって聞いたわ」

 心配そうな表情を浮かべながら、ムギ先輩がそんなことを教えてくれた。

「ひょっとして私の風邪がうつちゃったんでしょうか」
「律ちゃん、唯ちゃん、梓ちゃん、澪ちゃんの順だものね。いよいよ次は私かしら。ふふ」

 ……あの、なんだか楽しそうデスネ、ムギ先輩。

「まさか風邪を引くのも夢だった、なんてことはないですよね?」
「さすがにそのくらいは私だって経験あるわよ。ただほら、風邪の引き方にもいろいろあるじゃない」
「いろいろ、ですか」
「当人同士がよければ、私はいいと思うのよ? だから梓ちゃんもあまり気にしないで」

 わずかに頬を染めながらそんなことをおっしゃる。うーん、いまひとつ会話がかみ合っていないような。やっぱり私、まだおかしいのかな。

「あら梓ちゃん、学校出てこれたんだ。もう風邪はいいの?」

 そんな感じで先輩たちと話しているところへ、今度はさわ子先生がニコニコと笑顔を浮かべながらやってきた。

「なんとか熱も下がったので。それにいい加減ベッドで寝てるのも飽きました」
「へええ、そうなんだ」

 あたりを見回して人気のないことを確認すると、さわ子先生は営業スマイルをかなぐりすててニタニタとだらしない笑顔を浮かべてきた。軽音部の部室以外ではまず見せない、さわ子先生のもうひとつの顔だ。できれば一生知りたくなかったけど。

「でもだってー、澪ちゃんとお楽しみだったんじゃないのー?」
「は? なんすか、それ。そりゃ確かに澪先輩はお見舞いに来てくれましたけど、こっちは熱で辛くてそれどころじゃなかったです」
「まあ、そういうことにしておきましょうか。女子高ではよくあることだし。私のころもねぇ……」

 うわあ、信じてない。この人、頭っから信じてないよ。しかも勝手に語り始めるし。

「大丈夫だよ、私はあずにゃんのこと、応援するからねっ」
「唯先輩は喋んないでください。今、大事な話の最中なんですから」
「そ、そんなぁ……」

 よよよ、と唯先輩が泣き崩れている。さすがにちょっと気の毒にも思えたが、今はもっと大事なことがあるのだ。

「もう、なんなんですか、みんなして。言いたいことがあったらはっきり言ってくださいっ」
「そんな、無理よ。当の本人を前にして、そんな、恥ずかしいこと……」

 顔を真紅に染めたムギ先輩が可愛らしく抗議の声を上げる。

「はあっ。もうしょうがないわねえ……」

 髪をかき上げながら、さわ子先生が呆れたようにつぶやいた。笑顔を消すと、私の目を正面から見据える。

「じゃあ先生から人生の先輩として、梓ちゃんにひとつだけ言っておくことがあるわ」
「な、なんでしょうか」

 うわ、先生がマジだ。思わず身構える。どんなことを言われるんだろう。

「平日は学業に差し障るから控えなさい。せいぜい週末の1~2回程度ににしておくの。いいわね」
「……あの、いったい何の話ですか。その、1~2回って何の回数ですか?」
「もちろんそんなの決まってるじゃない。梓ちゃんと澪ちゃんのえっちの回数よ」
「………………………………………………………………はい?」



 ちょっと待って。さらっと真顔で恐ろしいこと言ったぞこの人。

 回数。えっちの回数?

 誰の。私と、澪先輩の?

 え……マジ。

 周りの人たちの顔を順番に見回す。さわ子先生、ムギ先輩、廊下にぺたんと座り込んでいる唯先輩が、うんうんとうなずいている。

「ちょっと待ってくださいよおぉっ。なんでそんな話になるんですかーーっ!!」

 たまらず大声を上げてしまう。なんとなくあたりの注目を一身に浴びているような気もするけど、今はそれどころじゃない。

「だってほら、澪ちゃんが梓ちゃんのお見舞いに行ったときに、その……そういうことになって……」
「それで風邪がうつったんだって、みんな言ってるよ?」
「まあ、女子高ではよくあることだから。でも二人ともまだ高校生なんだし、受験もあるし。だから今は節度ある交際を、ね?」
「いやいやいや、何いい話の流れっぽくまとめようとしてるんですか。私と澪先輩はそんな……」

 あれ……待てよ。

 そういえばあの時。

 私が意識を失いそうになった時に、自分の唇に何かが……。

 まさか。
 いや、そんなはずが。
 でも……え、えええっ。

 全身から血の気が引いていく。

「それで、結婚式はいつがいいと思う? やっぱり受験の時期はまずいわよねぇ」
「やはり披露宴は盛大に。なんなら学校で? そうだわ。そういうことなら講堂の使用許可も取らないと」
「やっぱケーキ入刀とキャンドルサービスははずせないねっ」
「は、はは……」

 勝手に盛り上がってる約三名を見ながら、私は廊下にへなへなと座り込んだ。

 なに。ひょっとして私って、朝からみんなにそーゆー目で見られてたの? 私と澪先輩が、その、ヤバい関係になってたって……。

「あ……ああああ、アホですかーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 もうイヤダヨこんな学校生活──。

    ◇  ◆  ◇

 間違いでよかった。
 カン違いでよかった。

 みんなには何度も説明して、ようやく間違いだってわかってもらえたけど。
 もしも先輩とあんなカンケイになれたとしたら、
 やっぱりあんな風に見られるようになるのだろうか。
 少しだけ怖い。

 間違いでよかった。
 カン違いでよかった。

 でも。
 心のどこかで。

 夢見てしまっている自分がいる。
 期待してしまっている自分がいる。

 それだけは否定することができなかった。

 (おしまい)
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