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 『すとぱん!』

 ~妖精占い~

────

 スオムス。そこは広大な森と無数の湖、そして妖精たちの王国。

    ◇  ◆  ◇

「そういやムギって、占いとか得意なんだってな」

 不意に律先輩の大声が耳に飛び込んできた。MP3プレーヤーのノイズキャンセラーを最大にしていたはずなのに、それでも律先輩の突然の前振りまでは消去し切れないらしい。それとも『占い』というステキワードに反応してしまった私の方の問題だろうか。こっそりプレーヤーの音量を下げながら、それまで閉じていた目をゆっくりと開け、そっと辺りの様子をうかがう。

「得意というほどよく当たるわけじゃないけど、好きなことは確かよ」

 柔らかなトーンの声でムギ先輩が答えている。もっとも、この人が声を荒げる場面なんて、あんまり想像できないけど。

 こうやって私たちがゴロゴロしてる士官休憩室は、学校の未使用教室を改造して作られたものだ。基本的には準待機任務中にだけ使用を許されている。即応を要求される待機任務中はグラウンド脇に設置された、それはもう狭苦しい戦闘待機所から一歩も出られないので、この準待機任務は心身を休められる貴重な時間だった。

 今のところ休憩室には私の他に律先輩とムギ先輩、そして唯先輩の3人だけがそれぞれ思い思いの格好で椅子に座り込んでいた。澪先輩は先日の作戦で負傷したため、現在は軍病院に入院中。折をみてなるべく様子を見に行ってるけど、1日30分しか面会は許可されないので、残念ながらずっと側にいるという訳にもいかない。

「じゃあ試しに、何か占ってみてよー」

 すっかり上ずった声で、唯先輩がムギ先輩におねだりしてる。内心でやれやれとため息をつく。何かって言われても困るだろうに。

 ところでここは、どうやら元は音楽室というものだったらしく、かなりの防音効果がある。実際この部屋の中にいると、たとえ外で訓練中のウィッチがいても、飛行脚の爆音すらほとんど聞こえない。誰の思いつきか知らないが、いつの間にかここを『部室』と呼ぶのが、私たちのお約束になっていた。

「それじゃあ、唯ちゃんが今一番気になってることは?」

 ところがムギ先輩は、そんな唯先輩の無茶ぶりに対しても笑みを絶やさない。もっともほんのわずかだけ眉根が寄っているとことを見ると、やはり内心では困惑してるのだろう。

「うーんとねえ、それじゃあ、今日の晩御飯のデザートは?」
「あのなあ、そんなの士官食堂の献立表をチェックすれば、わかるだろ」
「あ、それもそうかー」

 スルドイ律先輩の突っ込みに、今度は唯先輩が困り顔を浮かべる。一番気になってる事と聞かれてデザートが出てくるのが、いかにもあの人らしいけど。

 なお、念のためにつけ加えておくと、一般的な現役士官の時間区分は作戦中、待機中、準待機中の3種類しか存在しない。負傷や休暇といったレアケースを除けば、基本的に24時間戦い漬けというわけだ。特別な才能を要求されるウィッチ、なかでも空中機動歩兵は常に慢性的な人員不足であり、交代要員なんて贅沢は思いもよらない。

「他に何かないかしら。自分自身のことでなくてもいいわよ。たとえば身近な人のこととか」

 まるで西洋人形のような印象を受ける軽くウエーブのかかった長いブロンド。常に人懐っこい笑みを絶やさない柔らかな物腰。だがこの生ける妖精みたいなムギ先輩が、何を隠そうこの桜ヶ丘基地でも屈指のスーパーエースだと聞かされて、驚かない人は少ないだろう。人は見かけによらないという言葉は、きっとムギ先輩みたいな人を言い表すために作られたに違いない。

 はるばる北欧の小国スオムスから、軍事交流の一環として派遣されてきた、地上最強の戦闘妖精。それがこの人のもう一つの素顔なのだった。

「どうかしら、唯ちゃん?」

 わずかに小首を傾げながらムギ先輩が問いかける。その外見にはおよそ爆音や硝煙の香りは似合わない。だけど先輩の母方は、戦争が始まる前からスオムスの魔女の家系で、ひいお婆さまの代からかぞえて4代目のウィッチなのだそうだ。スオムス戦線からのトータルスコアは軽く70機を超えるとか。

「それじゃあねえ……、憂のコト占って。怪我しないかなーとか」
「ああ、憂ちゃんって、確か唯ちゃんの妹さんね」

 スオムスは、哀れなほどやせ衰えてしまった人類における、数少ない抵抗拠点の一つだ。隣の大国オラーシャのど真ん中にネウロイの巣があるのに、国境沿いの防衛線──当時の大統領の名前を取って、通称マンネルヘイムラインと呼ばれている──で今もなお粘り強い抵抗を続けている。

 その理由のひとつは、古くから優秀な魔女をたくさん抱えていたことだろう。中でもムギ先輩の母方の家系は、それらの中でもとびきりだ。すでに引退した人たちを含めると、これまでの対ネウロイ戦にウィッチとして参加した親族は、優に両手の指を超えると聞いた。

「そうそう。すっごく可愛くて、しかもよく気が利くんだー」
「なーんか姉のいいところを全部吸い取られたって感じだよな」
「あう……りっちゃん、それはヒドイ。自分でも気にしてたのにー」

 がっくりと唯先輩が頭を垂れている。悪いけどその意見にだけは、私も全面的に同意するしかない。もっとも憂の場合は特別だろうけど。あの何かにつけて聡い少女が相手では、大抵の人間は分が悪いだろう。

 それはさておき。

 たとえこの第615統合戦闘航空団のムギ先輩──琴吹紬中尉──の名前を知らなくても、それほど驚くには値しない。だがもし、第501統合戦闘航空団、通称「ストライクウィッチーズ」のエイラ・イルマタル・ユーティライネン中尉を知らないウィッチがいたとしたら、それはもう常識知らずにもほどがあるというものだ。

「そ、それじゃ、さっそく占ってみましょう。タロットカードでいいわよね?」

 そして何を隠そう、ムギ先輩のひいお婆さまこそ、そのエイラさんなのである。「ダイヤのエース」、「無傷の撃墜王」など数々のニックネームを持ち、第一次ネウロイ戦争の主戦場になったカールスラントのウィッチたちを除けば、彼女の撃墜数は世界でもぶっちぎりのトップ。ここだけの話、この私もエイラさんのブロマイドを自分の私物として、この基地に持ち込んでたりする。

 そしてその尊敬するエイラさんのひ孫にあたるムギ先輩が、今の私の臨時のバディだった。先日の作戦で澪先輩が受けた、身体と飛行脚の傷が癒えるまで。

 一緒に飛んでみて実感したことは、同じ強さにもいろんなパターンがあるのだなってこと。状況に合わせて自在に戦法を使い分け、常に相手の機動の何歩も先を読み、まったく付け入る隙を与えない。教科書通りに戦う扶桑やリベリオンのウィッチとはひと味もふた味も違う。たとえば澪先輩の強さが真っ向から叩き切る鋼鉄の刀とすれば、さしずめムギ先輩のそれは蛇みたく上下左右から変幻自在に攻撃するムチというところだろうか。

「それでは──」

 慣れた手つきでムギ先輩が、机の一角にタロットカードを並べていく。少なくともムギ先輩の占いは、そのあたりのテレビで毎朝やってる星座占いみたいなのとはレベルが違う。それについては揺るぎのない確信がある。何よりこの私自身が、この目で見たのだから。

「それ、その『たろっとかあど』って、当たるの?」
「それはもう。カードのそれぞれに妖精さんが宿っていて、いろいろなコトを教えてくれるんです」

 戦闘中の彼女は防御魔方陣をまったく使わない。もちろん光の速さでシャワーのように降り注いでくるネウロイのビーム攻撃を、人間の肉眼だけで見切るなんて絶対に無理。それを紙一重でかわしながら、鼻歌交じりで敵に近接格闘戦を挑むなんて。そんなの不可能だと、ただの噂話だと思ってたのに。

 間違いない。確かにムギ先輩には、未来を視る力が、あるんだ。

「やっぱり唯ちゃんは、類まれな才能の持ち主ね」

 それを聞いて「え、マジで?」とはしゃぐ唯先輩のそばで「そーか?」と律先輩が首を傾げている。ちなみに律先輩のスタイルが敵を力任せにぶん殴るハンマーなら、唯先輩のそれは水か風。わかりにくいかも知れないけど、いつの間にか敵を撃ち落としていて、どうやら本人にもその理由をうまく説明できないらしい。

 ──ブーンといって、ガーッとやっちゃえばイイんだよっ。

 出会った頃、戦い方について質問しても、帰ってくる答えはそんな感じのモノばっか。最近ではそういうものなのだと諦めている。

「妹さんはとっても優しくて、唯ちゃんのことが大好きで、いつも気にかけてくれている。お料理も上手で、時々スイーツを差し入れしてくれる……みたいな?」
「そうそう、その通りっ!」

 そんな感じで唯先輩が胸を張る。妹の憂──私とは同期だ──が褒められたことが、よほど嬉しいらしい。まあ傍から見てる分には微笑ましい光景だ。

「妹さん、憂ちゃんのためにも、頑張らないとね」
「そうだよね。もし敵さんがこの国にまで攻めてきたら、憂もケガしちゃうかも知れないし」

 一転してしゅんとなってしまう唯先輩に、それどころじゃないでしょ、と内心で突っ込む。もしそんなことになったら……間違いなくこの国は終わりだ。だから私たちに敗北は許されないんだ、絶対に。痛いほどに自分の唇をかみ締める。



「さて、今度はりっちゃんの番ね」
「な、なんか緊張するな。それじゃ私の性格とか、何か悪いことが起きないか、くらいで」
「それでは、まずは性格からかしら」

 軽く相づちを打ちながら、ムギ先輩はさきほどのタロットカードを一度まとめ、それから再び一枚ずつ机の上に並べていく。

「表には出さないけど、実は陰でわりと努力するタイプ。普段はゆるゆるだけど、ちゃんと周りを見ていて、いざというときはしっかり要所を締めてくれる、かなり理想的なリーダーね」
「そうか、へえ、やっぱり私ってけっこースゴイ? みたいな」

 気色満面で律先輩が上機嫌な声を上げる。しかしそれとは裏腹に、わずかにムギ先輩の顔が曇った。

「最近、無二のご親友がお怪我をされましたね?」

 ぎょっとしたように律先輩の表情が固まる。それから一呼吸ほどして、再び口を開いた。

「澪がさ、小学校の頃からの幼なじみなんだ」
「そうだったのですか。それはお気の毒に」
「それで、澪のケガの具合はどうなんだ。医者は大したことないって言ってたけど」

 瞳に深い憂いの色をたたえ、律先輩が質問する。だが、もう一枚カードをめくったムギ先輩の顔に、再び屈託のない笑みが浮かんだ。

「大丈夫です。ほどなく傷は癒えるでしょう。跡形も残さずに」
「そっか……そりゃよかった」

 心底から安心したという風に律先輩が安堵の息を吐いた。そして同時に私もまた、ムギ先輩の言葉にほっとした想いをいだく。万が一、あの珠のような白い肌に傷跡でも残ったら、あまりにも申し訳ない。それこそ一生かけてでも責任取らなきゃ。

 え……いやその、別にヘンな意味じゃなくて……。

 それにしても律先輩って、普段はいい加減に見えても、ちゃんと澪先輩のコト心配してるんだな。そんな関係もちょっとだけうらやましい、と思ったりして。ところが、だ。

「さーて、それでは──」

 ニタリ、とイヤな笑顔を浮かべた律先輩が、くるりと私の方に振り返った。まるでヘビににらまれたカエルみたいに、私の心臓が縮み上がる。

「──次は当然、梓の番だよな」
「わ、私は別に、そんなの興味ないです、から」
「だってさっきから、ずーっとこっちの方見てたじゃん」
「うぐっ」

 図星を指されて返す言葉が思いつかない。うー、やっぱりベテランのウィッチって凄い。澪先輩もそうだけど、ひょっとして律先輩の背中にも目がついてるんじゃないだろうか。



「それでは梓ちゃん、あなたは何を占ってほしいですか?」

 そうムギ先輩に問われて脳裏に浮かんだのは、まっ白な病院のベッドに身体を横たえる、包帯だらけの澪先輩の姿だった。



 私のせい。
 私がふがいないせい。
 私を守ろうとしてくれたせい。

 私の身代わりになってくれたから。
 私の盾になってくれたから。
 私の護衛役だったから。

 後悔。疼き。辛さ。それらが無数の針となって私の心に突き刺さる。

 会いたいな、先輩。
 心配してないかな、先輩。
 寂しがってないかな、先輩。

 ──もしもお前に万一のことがあったら……私はどうすれば、いいんだ……

 いったい何度、夜中にあの時の澪先輩の泣き顔を思い出し、飛び起きたことだろうか。

 ──先輩のいない世界で、私だけがおめおめと生きていたくなんかありませんっ!

 いったい何度、あの時の自分の台詞を思い出し、胸を熱くしたことだろうか。



 でもさっきの律先輩の時の占いで、ムギ先輩ははっきりと言ってくれたから。ほどなく傷は癒えるでしょうって。だから澪先輩の怪我のことは聞かなくても大丈夫だよね。

「では、私の未来について……。えと、特に何かいいことあるでしょうか」

 うーん、やっぱ漠然としすぎかな。でも澪先輩のこと以外で気になる事と言われても、とっさに思いつかないし。

 でもそんなあやふやな私の問いに対しても、やはりムギ先輩はイヤな顔ひとつせずに応じてくれた。

「いいわよ。それでは梓ちゃんの未来について……っと」

 白く細いムギ先輩の指が、机の上にタロットカードを一枚ずつ並べていく。それを私と律先輩、唯先輩の三人が無言で見守る。はたして結果は吉か、それとも凶か。



「唯ちゃんとは別の意味で才能があるわね。特にウィッチとしての才能が」

 やがてカードを並べ終えたムギ先輩が、端からその意味を解説していく。

「確か、あずにゃんのお母さんもウィッチなんだよね?」
「20年くらい前ですけど。第11陸戦師団」

 私は小さく首を縦に振り、唯先輩の問いを肯定する。

「それってもしかして通称『士魂』師団のことかしらね」
「そういえば、そんな名前もついてた気がします」

 『11』を漢字で書くと『十一』となる。それを縦に書くと『士』に見えることから、いつの間にかそんなニックネームがつけられたとか。

「20年前というと、サイゴンの撤退戦にも参加されたの?」
「何度か話は聞かされたことがあります」

 そんなやり取りをムギ先輩と交わしながら、少しウソかなと思う。サイゴン撤退戦の凄惨な話を何度もせがんだのは私の方だったから。母の口調はどこまでも淡々としたものだったけど、それでも私は幼心にも震えあがったものだった。それでも、何日かするとまた聞きたくなって、ついお願いしてしまうのだ。

 真っ黒になるくらい空をおおうネウロイの大編隊。それに対して扶桑刀一本で立ち向かう味方の空中機動歩兵たち。着の身着のままで避難船に殺到する数えきれないほどの民間人。そして最後の船に一人でも多く収容するために、母の所属する陸戦隊は誰ひとり迷うことなく、自らの装甲脚を次々と海中に投棄したという。もちろんそれは重大な軍規違反だったはずだけど、故郷に帰還したのちでも、その事をとがめられることはなかったらしい。

 そんな昔話を懐かしく思い出していた時のことだった。不意打ちのようなムギ先輩の発言が飛び出したのは。

「恋人さんがいらっしゃいますね?」

 言葉こそ疑問系だけど、私の心を射抜くようなムギ先輩の視線は、それが確信に満ちていることを告げていた。いごこちの悪い何かが、ざわりと身体の中でうごめく。

「「マジかーっ!」」
「いや、いませんから、そんなの」

 当然というか予想の範囲というか、唯先輩と律先輩が勝手に盛り上がってる。もちろん私はあっさり否定するけど。だってホントに恋人なんていないんだもん。……今のところは。

「では、もうすぐできますよ、必ず」

 そんな私のもやもやを吹き飛ばすように、ムギ先輩はきっぱりとした口調で言い放った。

「「おおおおおっ!」」

 ますます唯先輩と律先輩が盛り上がってる。内心げんなりとする。何で他人の恋バナでそこまで盛り上がれるんだろう。中学生じゃあるまいし。

「なあムギ、梓の恋人ってどんな奴?」
「そうですね……」

 当の本人を半ば置き去りにした状態で、占いはどんどん進んでいく。

「真面目で、それでいてかなり細やかな配慮のできる方」

 カードの一枚を眺めながら、相変わらずの柔らかな笑顔でムギ先輩がそんなことを言う。

「しかもかなり、目鼻立ちの整った方でいらっしゃいますね」
「「おおおおおー、イケメンキター!」」

 もう唯先輩と律先輩は大興奮だ。それを横目で見る私がすっかり冷めてしまっていることにも、どうやら気づく気配はなさそう。それをいいことに私はそっと小さなため息を吐く。

 イケメン。バカバカしい。それがどうしたんですか。私には関係ないですよ。まったくこれっぽっちも。

「そこんとこ、もちょーっと詳しくっ!」

 そんなことを唯先輩がせがんでいる。やれやれ。まるで自分の恋人か何かみたく思ってるのだろうか。

「それでは、こちらでもう少し、具体的に見てみましょうか」

 セカンドバッグからムギ先輩が、何やら高級そうな布に包まれたものを取り出す。中から出てきたのは、ちょうど片手にすっぽり収まるくらいの丸いガラスの玉。いや、占いに使うのなら、もしかして水晶球かもしれない。なんか、いよいよそれっぽくなってきた。

 その玉を机の上にそっと置き、眉間にしわを寄せながら、ムギ先輩がじっと凝視し始めた。さらにその姿を横でかたずを飲んで見守る唯先輩と律先輩。それらを一歩引いた状態で眺める私という構図である。

「見えてきました……」

 ものの1分もしないうちに、ムギ先輩がひとり言のようにつぶやいた。

「ど……どんな感じ?」

 興味津々という感じで唯先輩が質問する。しかしムギ先輩はそれに答えようとせず、なおも食い入るように玉の中をのぞき込んでいる。

 ──あれ、心なしかムギ先輩、頬が上気しているような……。

 私がそんなことを感じた時だった。誰もが予想もしない事態が発生したのは。

 ぶはあっ!

 いきなり紅いモノが辺り一面に飛び散った。鮮烈の紅。血だ。それも大量の。机も椅子も床も、ものすごい勢いで血に染まっていく。

「おいムギ、大丈夫かっ!」

 あわてて律先輩がムギ先輩の肩に手をかけて揺さぶる。だけどムギ先輩は両手で半ば顔をおおったまま、なおも真ん丸に見開いた目を玉から離そうとしない。その間もなおも紅い液体がダバダバとしたたり続ける。見る間に足元に紅い水たまり、いや血だまりが広がっていく。むっとする鉄の匂いが鼻を突く。それはもう、あまりにも異様な光景だった。

「何が見えるの、ねえ、ムギちゃんってばっ!」

 半泣き状態の唯先輩の叫びに答えるように、ようやくムギ先輩が顔を上げ、半ば魂が抜けかけたような目を私たちに──いや、私に、向けた。

「む……無理です。と、とても、言えません。そんな生々しいコト……!!」

 悲鳴のような声。めったなことで表情を崩さないムギ先輩がここまで動揺するなんて。それにいったい何なんなんですか、この……おびただしい鼻血は?

「ええと……私、ちょっと失礼しますっ!」

 そう言い放つと、そのままものすごい勢いで休憩室を飛び出していってしまう。私たちは呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。

「ナマナマ、シイ……?」

 呆けたような表情を浮かべながら、唯先輩がムギ先輩の台詞をゆっくりと棒読みで反すうする。それを聞いた律先輩がこちらを振り返るなり、異様な光を眼に浮かべながら私の傍らに歩み寄ってきて、ポンと私の肩に軽く手を置いた。

「さては梓、澪とヤッたな」

 ………………………………………………………………はい?

「ふおおおおっ! ヤッたって? ナニをですか、りっちゃん隊員っ!」
「そりゃ、たとえばチューしたり、おっぱい揉んだり、それから……って、何言わせんだよ!」

 ちょっと……ナニ言ってるんですか、この人たちは。

「し、してませんよ、そんなこと!! だいたい私と澪先輩は恋人でもなんでもないんですから」
「なーに言ってんの、今さら」

 今度は一転して、きょとんとするふたり。え、何ですか、そのリアクション。ひょっとして私、何かオカシナこと言ったのかな。

「だってお前、この間の戦闘の直後、澪に告白してたじゃん」
「そうそう。『先輩のいない世界で、私だけがおめおめと生きていたくなんかありませんっ!』って」
「な、何で知ってるんですかっ!!」

 動揺を隠しきれず、墓穴を掘るようなコトを口走ってしまう。まさか、澪先輩が喋ったとか?

「いやだって……全軍共用周波で力いっぱい叫んでたぞ、お前」
「へ……?」

 頭の中で思いもよらぬ律先輩の台詞がリフレインする。全軍共用周波、全軍共用周波って、その……つまり。

「きっと動転して、インカムのスイッチにでも触ってたんだよ、きっと」
「だからぁ、あの時のあずにゃんの告白って、扶桑皇国の全部隊が聞いてたんだよ?」

 にゃははは、と笑いながら、唯先輩が私の最悪の予想を肯定した。……って、マジですかー。思わず頭を抱えしまう。恥ずかしいにもほどがある。よりによって、みんなに聞かれてたの、アレを。アレを!

 じゃあするとなんですか。知らないのは私たちだけで、周り中はみんな、私と澪先輩をそういう目で見てたって……コト?

 うそぉ……。め、めまいが……。天井がぐるぐる回る。いやいや、それどころじゃない。とにかく否定しておかないと。これ以上誤解されちゃたまんない。

「た……確かに、勢いでそんなコト叫んだかもしれませんけど。でも私たちはそんなんじゃありませんからっ」
「ほーお、言うに事欠いてワタシタチ、ですか」
「すっかりラブラブですなあ。ぐへへ」

 だけどその否定の言葉にはちっとも耳を貸そうとせず、イヤらしい笑いを浮かべながら、ふたりはさらに私に迫ってくる。

「いやだから、恋人とかそんなのナイですから。ただの先輩と後輩ってだけですからっ!」

 必死になって私は反論する。脳の血管がブチブチとキレそう。たとえ実戦でも、ここまで頭に血が上ったこと、ないんじゃないだろうか。

「じゃあまだ恋人未満としておいて、もしあずにゃんが澪ちゃんと恋人になったら?」
「そりゃまあ……って、そんな仮定の質問にはお答えできませんからっ」
「だから、そこをなんとか! お願いします、師匠っ!!」
「いやそんなこと言われても、なんともなりませんって! それに師匠ってなんですかっ」

 結局、そのままムギ先輩は帰ってこないし。ようやく異様な気配に気づいて飛んできてくれた和先輩──最先任士官の真鍋和大尉──が止めにはいってくれるまで、延々と唯先輩と律先輩のふたりの質問責めが続けられたのだった。

 まったくもう……勘弁してくださいよ、みなさーん。

    ◇  ◆  ◇

 病室に顔を出すと、窓の外に広がったどこまでも澄みわたる蒼空を、澪先輩は静かに眺めているところだった。

「おはようございます、先輩」
「ああ、おはよう」

 こちらに振り返った澪先輩の顔に、小さな笑みが浮かぶ。やっぱり寂しんだろうな。飛べないのって。こんな時こそ私が支えなきゃ。あくまでバディとして、だけど。

 そりゃもちろん、あの日以来、もっと澪先輩と親密な仲になりたいという想いはある。むしろ日に日に膨れ上がってるくらい。油断しているとパチンとはち切れて、余計なことを口走ってしまいそうだ。

 だけど今は自分のコトより、澪先輩の回復を心から願おう。なんせ私を守ろうとして懸命に敵に立ち向かってくれたのだから。それに身体や心が弱ってる時に告白なんて、なんだか弱みにつけこんでるみたいで気が引けるし、ね。

 だから今はぐっと我慢する。やがてすっかり傷が癒え、退院の時がやってくる、その日まで。そしたら……。

 きっとムギ先輩の占いは、現実のものとなるのだろう。
 おそらくは、そう遠くない、未来に。

 だってそれはスオムスの魔女、他ならぬムギ先輩の妖精占いで、約束されているのだから。

 (おしまい)