どこにでもいるような普通の女子高生なんですよ、私は。
◇ ◆ ◇
「無理ですよ、次の生徒会長だなんて」
現生徒会長、曽我部恵先輩の言葉を、私はあっさりと一蹴した。たった二人しかいない放課後の生徒会室とはいえ、自分の声が予想以上に響いたのが意外だった。それほど緊張していたつもりはなかったのに。
「そうかしら。私はそうは思わないんだけれど」
私の否定をやんわりと退けながら、先輩が言葉を重ねていく。
「むしろ真鍋さん以上にふさわしい人がいたら、ぜひ名前を挙げてほしいわね」
この柔らかな物腰と聡明な頭脳が、多くの生徒や教師たちの信頼を勝ち得てきたことは確かだ。もちろん私もその一人に加えていい。だからこそ、たとえ誰が後を継いだとしても、前の生徒会長のほうがよかったと言われ続けるのは確実だ。
それはもう想像するだけで心が折れてしまいそうな未来予想だった。そんな事態に望んで飛び込む変わり者が、そうそういるとは思えない。少なくとも私は願い下げだ。
「そりゃいますよ。たとえば今の副会長だって二年生じゃないですか。順当にいけば彼女が次期生徒会長に一番近いと思いますけど」
「事実としてはその通りね。状況を知らない人間から見れば、彼女が適任だと考えたとしても無理はないわ」
「事実としてはその通りね。状況を知らない人間から見れば、彼女が適任だと考えたとしても無理はないわ」
うんうん、と大きくうなずきながら曽我部先輩は答える。もちろん、こういう時の先輩は絶対に本心を口にしていない。だてに二年近くも生徒会活動に参加していたわけではないのだ。
「でも残念ながら、そういった意見に私は安易に賛成できないのよ」
「どういうことでしょうか」
「ちょっと面白い作文があるんだけど、目を通してもらえるかしら」
「どういうことでしょうか」
「ちょっと面白い作文があるんだけど、目を通してもらえるかしら」
机の引き出しを開けた先輩は、薄いピンク色のクリアファイルを取り出すと、私の目の前に差し出した。手に取って中身を確認する。A4サイズの白い紙が何枚か。そしてそのすべてが、整然と書き連ねられた文章と、いくつかのグラフでびっしりと埋め尽くされていた。
ここまでくるとある種の美しさすら感じさせる。まるで出来のいい物理の実験レポートか何かのようだ。
「『課外活動予算の効果的再配分に関する一考察』……ですか」
「それを要約するとね、活躍が見込めるいくつかの部活に予算を重点配分し、その他の部は発展的解消の上で統合する、ということ」
「つまり一部の有力な部活以外は全て廃部する、と。いったい何のために?」
「学校のブランド力を高めるため。ありていに言えば、学校の名前を売るため」
「そんな無茶な……」
「それを要約するとね、活躍が見込めるいくつかの部活に予算を重点配分し、その他の部は発展的解消の上で統合する、ということ」
「つまり一部の有力な部活以外は全て廃部する、と。いったい何のために?」
「学校のブランド力を高めるため。ありていに言えば、学校の名前を売るため」
「そんな無茶な……」
軽いめまいを覚える。
もしかするとこのレポートを書いた人は部活、いや高校をコンビニの目玉商品か何かだとでも思っているのだろうか。もう一度、紙に目を落とす。そこからは、人生のもっとも貴重な三年間をすごす人たちに対する配慮など、かけらも感じ取ることはできなかった。
「日本の少子化の流れはもう止めようがない。数少ない生徒を奪い合うとなれば、進学校というのは当然として、他にも少しでも活躍の場を増やし、高校としてのブランドを高めなければ生き残ることはできない。そういうことよ」
「それは学校当局の意向ですね」
「もう少し正確に言えば、理事会の意向かな」
「それは学校当局の意向ですね」
「もう少し正確に言えば、理事会の意向かな」
あいかわらずの微笑をたたえながら会長は応じた。しかし先ほどから、その目に危険な色があらわれ始めているように感じられる。
「もし彼女が会長に就任すれば、間違いなくその意に沿った生徒会の運営方針を取ることになるでしょう」
「この学校の『自由で多様な生き方を尊ぶ』という教育方針と、とても相容れるとは思えませんが」
「その指摘には全面的に同意するわ。その崇高なる精神は、時代を超えて守り伝えられるべきものだと私は思うの。たとえ旧守派と罵倒されようとね」
「この学校の『自由で多様な生き方を尊ぶ』という教育方針と、とても相容れるとは思えませんが」
「その指摘には全面的に同意するわ。その崇高なる精神は、時代を超えて守り伝えられるべきものだと私は思うの。たとえ旧守派と罵倒されようとね」
いつものように軽く自分の髪を撫でながら、わが意を得たりとばかりに、にこやかな笑顔を先輩は浮かべる。はたして何度あの指が自分の身体に触れる場面を想像しただろうか。もういちいち覚えていない。
「でもね、理事会と生徒会が同意見であれば、一般生徒が何を言っても覆すのはとても難しい。そして経営という観点から見れば、この考え方も一面の真理であることは否定できない」
「理想論だけでは食っていけない、現実を見ろ、ですか」
「理想論だけでは食っていけない、現実を見ろ、ですか」
言葉の代わりに軽く肩をすくめてみせることで、先輩は同意を示した。
「でもそういう話であれば、仮に生徒会長一人が反対したところで何ができるとも思えません」
ふぅ、と先輩が軽く息を吐いた。ああ、まずい。また何か企んでるわ、この人。
「確か平沢唯さん、だったかしら」
まるで私の心をのぞき込むように、すうっと先輩の目が細められる。
「学園祭のライブですっかり有名人になっちゃったけど。彼女があなたの幼なじみだっていう話は本当なのかしら」
「まさか会長、あの子を取引材料にしようと言うんじゃ……」
「まさか会長、あの子を取引材料にしようと言うんじゃ……」
背筋に冷たいものが走る。声が硬くなるのを抑えられない。あの子だけは巻き込みたくないのに。
「それは誤解よ。私はただ、彼女たちの活動の場が失われるのが惜しいと言ってるだけ」
やられた、と思う。なるほど、これが先輩の切り札というわけか。
「少し、考えさせてください」
そう答えるのがやっとだった。
こうやっていつも私は、この人の手のひらの上で踊らされてしまうのだ。そう、いつだって。
だけど、そもそも気に入らない人間なら、まともに相手しようなどと考えないだろうから。それが曽我部恵という人なのだ。こうやっておもちゃにされている間は、私には見るべき所があると考えているに違いない。
どうやらこの私は、先輩に少しばかり認められている。
その推測はとてつもなく屈辱的で、それでいて身悶えするくらいにうれしかった。
◇ ◆ ◇
軽音部の部室を訪ねると、そこには二年からクラスメイトになった秋山澪ともう一人、長い髪をふたつにまとめた一年生しかいなかった。学祭ライブで唯が抜けていた間、メインギターを担当していた子だ。私自身はあまり話したことはないが、確か唯が『あずにゃん』と呼んで可愛がっているらしい。
「めずらしいな、わざわざ和がここに来るなんて」
そんな感じで声をかけてきた澪の表情に、ふと暗い影がさす。
「ひょっとしてまた軽音部がらみで何かあった?」
「いえ、そういうわけじゃないんだけど……あ、ありがとう」
「いえ、そういうわけじゃないんだけど……あ、ありがとう」
慣れない手つきで一年生がティーカップをふたつ持ってくると、ひとつを私の前に、もうひとつを澪の前に置いてくれる。
「ムギ先輩の見よう見まねですから、味の方はあんまり期待しないでください」
「そんなことない。こういうのは何より気持ちの問題だから。ええと……中野さん、だった?」
「梓でいいです。先輩たちはみんなそう呼んでますから」
「そう。じゃあ私のことも和と。あなたのような可愛らしい人には、そう呼んでもらえるとうれしい」
「ありがとうございます、和先輩」
「そんなことない。こういうのは何より気持ちの問題だから。ええと……中野さん、だった?」
「梓でいいです。先輩たちはみんなそう呼んでますから」
「そう。じゃあ私のことも和と。あなたのような可愛らしい人には、そう呼んでもらえるとうれしい」
「ありがとうございます、和先輩」
「ところで澪。今日はちょっと意見を聞かせてほしいと思って」
「なんだ、改まって」
「あの、唯のことなんだけど。あの子のギターの実力ってどの程度のものなのかしら」
「そりゃまた答えに困る質問だね」
「じゃあ質問を変えるわ。この軽音部以外のバンドであの子はやっていけるかしら」
「それは無理だな」
「なんだ、改まって」
「あの、唯のことなんだけど。あの子のギターの実力ってどの程度のものなのかしら」
「そりゃまた答えに困る質問だね」
「じゃあ質問を変えるわ。この軽音部以外のバンドであの子はやっていけるかしら」
「それは無理だな」
なるほど、即答ですか。
「少なくとも今の唯の実力じゃあね。だってあの子、未だに楽譜もろくに読めないし、用語だって知らないし。とてもじゃないけど、ねえ」
「ずいぶん苦労をかけてるみたいね」
「まあね。ある種の才能の持ち主だってことは確かなんだけど」
「ずいぶん苦労をかけてるみたいね」
「まあね。ある種の才能の持ち主だってことは確かなんだけど」
苦い笑いを澪が浮かべる。やっぱり唯の居場所はここだけ、というわけね。
……まあ予想はついてたけど、そういうことであれば是非もなしか。仕方ないわねえ。
「ありがと、参考になったわ」
紅茶に口をつけようか迷ったが、結局そのまま帰ることにした。ここに長居すると決意が鈍りそうだ。
「なあ和」
「ん、何?」
「生徒会長選挙、近いんだっけな」
「ん、何?」
「生徒会長選挙、近いんだっけな」
笑顔を消した澪が、探るような質問をぶつけてくる。しかし私が答えようとする前に、別の声が割り込んできた。
「それってもしかして、軽音部が……」
「梓っ」
「梓っ」
わずかに澪が声を荒げる。
「それ以上言うな。和が困るだろ」
「すいません……」
「すいません……」
ふたつの視線がほんのわずか交錯する。もう私の存在など忘却されているらしい。
……ふうん、なるほど。そういうカンケイなんだ、彼女たちって。
「鋭すぎる子は嫌われるわよ」
まるで話をはぐらかしたように聞こえるかもしれない。もちろん澪には充分な答えのはずだけれど。
「そうだな、今度から気をつけるよ」
いろいろと思い当たることがあるのだろう。苦笑いが澪の顔に復活していた。
「また遊びにきてくれ。いつでも歓迎するからさ」
「ええ、必ず来るわ。この軽音部の部室に、ね」
「ええ、必ず来るわ。この軽音部の部室に、ね」
ああ、またもや辛い約束、しちゃったな。
「唯が和を頼りにする気持ち、改めてよくわかったよ」
「損な役回りだと自分ではわかってるんだけどね。もっともそれはお互い様でしょ」
「そうかもね」
「損な役回りだと自分ではわかってるんだけどね。もっともそれはお互い様でしょ」
「そうかもね」
やはり、唯やその他のメンバーのお守りをしているらしい澪とは、どこか気が合うのかもしれない。
◇ ◆ ◇
階段を二、三歩下ってから携帯電話を取り出し、おそらくはまだ生徒会室にいるはずの相手を呼び出す。幸いなことに軽音部の部室は事実上行き止まりだから、ここにいる限り教師に見つかる恐れは限りなく低いはず。
ほんの数回のコールでつながった。いっそ出てくれなければよかったのに。
「先ほどのお話、お受けしようと思います」
『よかった。必ずそう言ってくれると信じてた』
『よかった。必ずそう言ってくれると信じてた』
いつになく朗らかな曽我部先輩の声が、ひどく腹立たしく感じた。それは空気よりも軽いやり取り。それ自体には何の意味もない。これは単なる確認、いや儀式のようなものだから。
「ご期待に沿えるよう、微力を尽くす覚悟です」
この学校の雰囲気が好き。
この学校の自由な校風が好き。
軽音部はまさにその象徴的存在だ。
この学校の自由な校風が好き。
軽音部はまさにその象徴的存在だ。
私は守りたい。
この学校の理念。
この学校の生徒たち。
この学校の理念。
この学校の生徒たち。
私は守りたい。
澪、梓、そして。
先輩が寄せてくれる信頼。
何よりも唯の笑顔と居場所を。
先輩が寄せてくれる信頼。
何よりも唯の笑顔と居場所を。
そのために。
『桜高生徒会をお願いね。私の可愛い和』
「お任せください、恵お姉さま」
「お任せください、恵お姉さま」
私は必ず、権力を握る。
◇ ◆ ◇
どこにでもいるような普通の女子高生なんですよ、私は。
なのにいったいどこで、道をたがえてしまったのでしょうか、先輩。
(おしまい)