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雨は嫌い。
特に春先の冷たい雨はサイアク。
暗くて寒くて、心まで凍えてしまいそうなんだもん。

もしも、こんな日でも『悪くない』なんて言う人がいたとしたら。
間違いなく私は、その人の正気を疑ってしまうと思う。

だけど。

    ◇  ◆  ◇

『まるで冬に逆戻りしたような寒い一日になるでしょう』
そんな朝の天気予報の言うとおりの空模様だった。

まったく。ここ数日はあちこちから春の便りが伝えられていたくらいだというのに。
ここら辺だって、昨日までは春を飛び越して初夏を思わせるほどの陽気だったというのに。それにすっかり慣れ緩んでしまった身体には、同じ気温でも冬よりずっと寒さが身にしみる。

「梓ちゃん、がんばってねー」

そんな憂の声援を背に受けながら、私はゴミ箱を抱えて廊下に出る。
彼女の性格なら『手伝おうか?』とか『代わりに私が……』
などと言い出しかねないところだけど、こと私に対してだけはそれはありえない。
その手の押し付けがましい行為を私が何よりも嫌うことを、
この学校では彼女が一番よく知っているからだ。

もっとも人のいい憂のことだ。私を送り出したあとで
『梓ちゃん、大丈夫かな……』とか
『やっぱり私がいけばよかったかな……』なんてオロオロしてることだろう。
しょうがない。できるだけ早く戻るか。

それにしても、よりにもよってどうしてこんな日に、
ゴミ捨てのために外までいく羽目になってしまったのか。
もちろんこれは新学期に決められた掃除当番のめぐり合わせだ。
だからといってまさかこの私に限って当番をサボる、なんて選択肢があるはずもない。
だからただ独り、ぶつくさと我が身の不運を呪うしかなかった。




屋外に出ると、暗い灰色の空から細かな水滴が途切れることなく降り注ぎ、
身を切られるような強い北風が吹き付けていく。
かさを持ってこなかったことを後悔しかけたが、
でかいゴミ箱を両手で抱えていては無理な相談だと思い直す。

できれば雨と風の神さまには、情けとか容赦とか手抜きとかいう言葉を覚えてほしい。
それとも世界中から勤勉さで知られるこの国では、
その神さまでさえ仕事熱心ということなのだろうか。

さっさとゴミ捨てを終えると急いで校舎に駆け込んだ。
一度ゴミ箱を床に置いて、ハンカチで身体のあちこちをぬぐう。
だからといって全ての水気がふき取るなんて無理な相談だ。
どうしても髪の毛や制服にまとわりついて、離れようとしない。

この寒さで雪にならないのが不思議なくらい。
むしろ雪にでもなってくれたら、まだあきらめもつくのだけれど。
だけどそうなると翌朝困るんだよなあ。
たとえ降り積もらなくても道路が凍りついて大変なことになるから。
ほんと、ローファーって滑りやすいから……。

 ──ああっ、もうっ。
 ──さっきから何やってるんだ。

軽く頭を振る。さっきからすっかりマイナス思考におちいっている自分自身がイヤになる。
身体はもちろん、頭や心まで冷え切ってしまったみたい。

ほんと、雨はサイアクだ。
特に春先の冷たい雨は。




    ◇  ◆  ◇

重たい身体を引きずるようにしながら、私は思い切り息を吸い込むと部室のドアを開けた。

「すいませーん、遅くなりましたー」

あれ、返事がない。誰もいないんだろうか

でも蛍光灯が一列だけ点いているから、きっと誰かはいるのだろう。
もっとも唯先輩や律先輩という線だけはない。
あのおおざっぱな性格の二人に、こういう細やかな心配りなんて期待するだけ無駄だから。
ということはムギ先輩か、あるいは……。

そんなことを考えながら、冷たい蛍光灯の光に照らし出された音楽室の奥に視線を向けると、
誰かがこちらに背を向けるように椅子に座っていることに気づいた。

「先輩……?」

声をかけてみるが、やはり返事が返ってくる気配はない。
考え事でもしているのだろうか。それなら邪魔しちゃ悪いし。

おそるおそる近づいてみると、それは机にもたれかかり、
自身の腕を枕に眠っている澪先輩だった。

「わあ……」

思わず声がもれそうになり、あわてて両手で口を押さえる。
起こしてしまっては可哀想だ。

それにしても、なんて……かわいい寝顔なんだろう。しばらく見入ってしまった。

そういえば澪先輩って、先輩たちの中でひとりだけクラスが違うんだっけ。
私や他の先輩たちが遅いので待ちくたびれてついひと眠り、というところだろうか。




それにしても澪先輩って、一見するとキレイ系の大人の女って感じなのに。
でもこうして改めて寝顔を眺めていると、
意外にもキレイというよりカワイイ感じに見えてくるから不思議だ。
だいたいこの人って、中身は夢見る乙女そのものなんだよなあ。
あの軽音部の曲につけられている詩を読めば誰でもわかるだろうけど。

ケータイで撮ろうと思いかけたがやめた。
こんなに気持ちよさそうに眠っているのに、
もしシャッターの音で起こしてしまったりしては、あまりに申し訳ない。
その代わり自分の眼にしっかり焼き付けておくことにしよう。

さて、どうすればこの寝顔が一番よく見えるかな。
そばに立ってみたり顔をのぞき込んだりいろいろ試してみたが、
結局、隣の席に座って同じ姿勢を取るのが一番よさそうだった。
もっとも澪先輩は顔を右に向けているが、わたしはそのすぐ横で顔を左側に向ける。
その間も先輩は私のよこしまな気配に気づくことなく、
ただひたすらリズミカルに寝息を立てていた。

 ──そうか、これって四拍子なんだ。

いちですーっと吸って、にーっ、さーんっ、しーっでゆっくり吐く。
寝息まできっちりしてるところがとっても澪先輩らしくて、
笑いの発作がこみ上げてくるのを必死に押さえ込まなければならなかった。

 ──ん、リズム……ねえ?

ふと思いついて、先輩のリズムに自分の息を合わせてみることにした。

 いーちっ。にーっ、さーんっ、しーっ。
 いーちっ。にーっ、さーんっ、しーっ。
 いーちっ。にーっ、さーんっ、しーっ。

 ──あれ……なんかこれ、わりと楽しいかも。
 ──まるで先輩とセッションしてるみたいで。

 いーちっ。にーっ、さーんっ、しーっ。
 いーちっ。にーっ、さーんっ、しーっ。
 いーちっ。にーっ、さーんっ、しーっ。

こんなこと誰にも言えない。たとえ澪先輩にだって無理。
これは私の、私だけの、秘密のセッションなのだから。




雨はまだ降り続いている。

たとえば体育会系の部活のかけ声とか、
廊下や階段で繰り広げられる終わりのない会話とか、
いつもなら聞こえてくるはずの放課後のざわめきでさえ、何一つ聞こえてこない。

窓の外は薄暗い。
雨と雲が作り出した薄明のベールで包み込まれている。
私と澪先輩だけが、この学校に取り残されてしまったみたいだ。

そんな。

まるで時の流れが止まってしまったような音楽室の中で。
私たちの息遣いが空気を揺らしていく。
私たちのリズムを刻んでいく。



雨は嫌い。
特に春先の冷たい雨はサイアク。
暗くて寒くて、心まで凍えてしまいそうなんだもん。

だけど。

誰もいない部室で、澪先輩と私。
こんなにも温かいひと時をすごせるのなら。

悪くない。
たまには冷たい雨の放課後も、悪くない。

(おしまい)