シックス・イレブン作戦

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mioazu

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 また、夢を見た。もうひとつの世界での私達の夢を。

    ◇  ◆  ◇

 そうこうしてるうちに、先輩から絶え間なく吐き出されるジェット噴流が、かすかに細く長い飛行機雲を発生させはじめた。それをかぶってしまわないよう、私はほんの少しだけ高度を下げる。すると必然的に、先輩の身体を下から見上げるような形になる。たとえば風になびく長くつややかな黒髪とか、ストライカーユニットからチラリと見える真っ白いフトモモとか、そして何よりも野暮ったい軍服の上からでもはっきりとわかる女性らしいシルエットとか──。

 と、その時。

『エニワ02、梓。ちゃんと空中警戒してる?』
「は、はい。すいません、先輩」
『何に気を取られてるか知らないけど、もう少し集中しような』
「了解です。気をつけます」

 全身から冷汗が吹き出し、同時に鳥肌が立つのを感じる。私より前を飛んでるのに、どうして澪先輩のこと見とれてるってわかっちゃうんだろう。ほんと、ベテランのウィッチって凄い──。

    ◇  ◆  ◇

 はあーーーっ。なんかもう、ため息まで白いよ。いっそマフラーでも巻いてきた方がよかったかなぁ。

 朝から11月というより、むしろ12月を思わせる冷たい雨が降り続いていた。おかげで頭の方も今ひとつすっきりしない。こんなに寒くするなんて酷いじゃん、なんて天気にまで八つ当たりしながら、私はのろのろとキャンパスの門をくぐる。

 昨夜は唯先輩や律先輩に『私の誕生パーティー』という名目で、結局明け方近くまで付き合わされてしまった。おかげであんまり寝ていない。しかもなんかヘンな夢を見たような気もするし。ほとんど内容は覚えてないんだけど、なんだか澪先輩といっしょだったような……。

 それはともかく、もし澪先輩が『いい加減にしろっ』って叱ってくれなかったら、間違いなく徹夜させられたんだろうなあ。まったく寮生活ってのも善し悪しだ。大学から近いのだけは助かるんだけど。それと……澪先輩のすぐ側に居られるってことも。

 ──えへ、えへへへ。

 はっ、まずい。ひょっとしてヘンな顔してたかな。誰かに見られてないよね。あわてて表情を引き締め、辺りの様子を伺う。幸い気づいた人はいないみたいだけど、あんな姿みられちゃったら、間違いなく一人でニヤつてるヘンな娘って思われちゃうよ。バツの悪さを心の奥底に仕舞い込み、少しばかり歩みを早めて学生課へと向かう。

 キャンパスに来て真っ先に向かうのは、学生課に設置されている学生向けの掲示板だ。いちおうケータイでも大学からの連絡なんかは見れるようになってるけど、直前の休講の通知は掲示板にしか張られてないこともある。だから必ずチェックしておかないといけない。

 特に金曜の2限目はずいぶんお年寄りの講師の先生が担当のためか、これまでにも当日になって急に休講になっちゃう事が何度かあった。そういう場合、学生課の掲示板にお知らせの紙が張られていても、ケータイの掲示板にはなかなか出ないんだよね。下手すると掲載された頃には、もう講義の時間終わってたりして。おかげで誰もいない教室で『ひょっとしたら場所間違った?』なんて不安な時を過ごしたこともあったっけ。

「おはよ、梓……って、ちょっと大丈夫? なんかげっそりしてるけど」
「ひょっとして、お姉ちゃんやみんなと朝まで……とか?」
「えっ……いや、別にそういうわけじゃないけど」

 掲示板の前でめずらしく憂と純に出くわした。ふたりとも心配そうに私の顔をのぞき込んでくる。うーん、やっぱこの程度のメイクじゃ、目の下のクマまではごまかし切れないか。

「でも珍しいね。確か憂は1限目から授業があるでしょ。それに純だって」
「ぐ……偶然だよ、偶然」
「私はたまたま、学生課に用事があった、から」
「そう、なんだ」

 なんか挙動不審な感じがするのは気のせいだろうか。それが私の顔にも表れていたのか、慌てたように純が再び口を開いた。

「それにしても、なんか久しぶりだよねー。平日の午前中にこうやって会うなんて」
「そうだね。高校の時はいつも三人一緒だったのに」

 懐かしそうに憂がうなずいた。確かに大学で本格的に授業が始まってから、こうしてお昼前に私達三人が顔をそろえるのは、かなり久しぶりの出来事だった。もちろん私達だって入学早々ここの軽音部に入部したから、いちおう放課後には毎日のように会っているわけだが。

 大学の面倒な所のひとつは、朝からびっちり授業があるわけじゃないってこと。もちろんそれは学部や学年によっても違うし、どんな科目を選択するかによっても変わってくるんだけどね。

 高校の時にもいちおう選択科目や単位という考え方はあったけど、授業ひとつで1単位だったからあまり深く考えたことがなかった。だけど大学での授業は履修する講義や演習によって取得できる単位が違ってくる。たとえばこの演習は半年で1単位、あっちの講義は1年間で3単位、みたいな。しかも卒業に必要な単位数は最低124単位以上で、これを入学後通算4年以上8年以内の年限で修得しなければならない、とかなんとか。

 入学直後のオリエンテーリングで分厚い『学生便覧』なる資料を渡され、どんな授業があるかをチェックするだけで一日仕事だった。さらに寮の先輩達からもイロイロとアドバイスされたりして。たとえばこの講師の先生はとっても厳しいとか、こっちの授業は出席するだけで単位が貰えるとか。おかげで1年次の履修計画を立てるだけでも、ずいぶんと悩まされたものだ。

「ところでお疲れのところアレだけど、残念ながら梓の2限目、今日も休講だよ」
「うえ……マジ?」
「う……うん、そうそう、休講」

 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら純がそんなロクでもない事をいう。だけど憂の反応はちょっとおかしかった。明らかに笑顔が引きつっている。どうやらこの目で掲示板を確認した方がよさそうだ。たとえ出席さえすれば取れる授業でも、欠席が続けば単位が危うい。

「ささ、そうと決まったら、部室で時間でもつぶそうか」
「そうだね。しょうがないよね」

 だけど掲示板に近づく前に、両腕を純と憂にガシッと捕まえられてしまった。

「いやでも、いちおう確認を……」
「その必要はない。今日の2限目は休講。たとえ台風が来ようと地震が起きようと休講なのっ」
「いや、台風や地震なら休講だよね、普通?」
「細かいことはどうでもいいんだって。ほら行くよ、部室へゴー!」

 鬼みたいな形相で、有無を言わさぬという調子で純が私の右手を引っ張る。しかたなく左手を掴んでいる憂に助けを求めようと振り返った。ところが彼女は、まるでこれから子牛を市場に連れて行くような表情を浮かべ、小さく左右に首を振ってみせる。

 その仕草でようやく、二人が片耳に妙なモノを装着していることに気づいた。ほらアレだよ、Skypeなんかで使うヘッドセットみたいヤツ。二人とも最近髪をおろすようになったから全然気づかなかった。唯先輩よりちょっと長めという程度の憂はまだしも、ストレートパーマで見事に変身をとげた純に、かつて高校時代にクラスメイトから『鳥の巣』なんて揶揄された面影はカケラも残ってない。

「チトセ、こちらカムイ01。シックス・イレブン作戦の第2目標、エニワ02の確保に成功。これよりベースに帰投する。送レ」

 さらに純が『チトセ』だの『エニワ』だの、なにやらヘッドセット越しに小声で怪しげな事を呟いている。要するにアレだ。どうやら私は嵌められたらしい。飛んで火にいる夏の虫ってヤツ。

「それじゃ、部室に待ちかねてる人がいるんだから。ほら、キリキリ歩くっ」
「わかった。わかったから、そんなに引っ張んないでよ。行けばいいんでしょ、部室」
「うん、いい子いい子。物わかりのいい梓は好きだよ」

 フヒヒ、と怪しい笑みを浮かべながら純がアホな事を言う。だけど他ならぬ憂にあんな顔されたら、イヤだなんて言えるわけないよ。まったくしょうがないなあ。まあ、この二人のことだから、そんなにヒドいことにはならないだろう、おそらく。

 もっとも頭の中で鳴りひびいてたBGMは『ドナドナ』だったんだけどね──。

    ◇  ◆  ◇

 まだ午前中だというのにカーテンを閉め切り、さらには照明のほとんども落とした薄暗い部室には、まるで予想外の人達が待ち受けていた。てっきり待ち受けているのは唯先輩や律先輩だろうと思ったのに。

「チトセ。カムイ01、02は作戦を完遂。全ては予定通りです」
「カムイ01、02。チトセ。ご苦労さまでした。直ちにエニワ02の身柄をトウヤ01、02に委譲してください」

 まさか部外者の曽我部恵先輩、さらには久しぶりに顔を合わせる真鍋和先輩までいるとは。もしこの場にムギ先輩がいなかったら、昔の桜高生徒会の再来かと疑ってしまいそうだ。もっともノートPCのディスプレイに照らし出された曽我部先輩の表情には、不思議と邪な気配は感じられない。だからと言って拉致同然に連れて来られた事に対する怒りまで、完全に収まったわけじゃないけどね。

「カムイ01、了解でありますっ!」

 まるで軍隊の人か何かみたく、曽我部先輩に対して大声で純が返事をする。どうやらここでは曽我部先輩がチトセ、純と憂はそれぞれカムイ01、02と呼ばれているらしい。そしてトウヤ01と02と呼ばれたふたり、要するにムギ先輩と和先輩に今度は両腕を抑え込まれてしまう。どうやらこれは予想以上に大掛かりな計画みたい。なんせ以前は桜高生徒会長であり、現在ではN女子大の自治会長を務める曽我部先輩が絡んでるんだから。

「ほんの2、30分のことだから。悪いけど、もう少しこのまま我慢してね」

 私の右手を掴みながら、ニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべるムギ先輩を見ていると、しだいに怒りも収まってきた。それに代わって、今度はみんなここで何をしているのか、という疑問がムクムクとわき上がってくる。なんなんだよ、この見るからに怪しげな雰囲気。それにさっき純が呟いてた『シックス・イレブン作戦』っていう言葉も気になるし。

 基本的にムギ先輩はいい人なんだけど、でも今回は明らかにこの状況を楽しんでるよね。なんせ唯先輩とは別の意味でノリやすいタイプだからなあ。しかたなく私は、もう一人の先輩に話を振ってみることにした。

「それにしてもムギ先輩はまだしも、どうして和先輩まで?」
「ごめんなさいね、ヘンなことにつき合わせちゃって。でも曽我部先輩にどうしてもって頼みこまれてしまって、仕方なく」
「それってつまり、いわゆる『何とかの弱み』という奴ですかね」
「……お願いだから、それだけは言わないで」

 暗がりでもはっきりわかるほどに頬を染めながら、和先輩が私の左手に絡めた両腕に一段と力を込めた。痛いというほどではないけど、どうやら心底から和先輩が恥ずかしがっているらしいと気づかされる。出会ったころはとても真面目そうなイメージだったけど、こうしてみると和先輩も普通の女の子みたいで、改めて奇妙な親近感を覚えずにはいられなかった。

 それでなくても、他人から見ればほとんど何の接点もなさそうな私と和先輩には、唯一にして重大な共通点がある。上級生の同性の先輩を好きになってしまったという、うかつに他人へ明かせない、秘密の共通点が。すぐそばにムギ先輩がいる状態では、下手にこの話題に深入りするのは危険すぎる。

「ところでこれは。いったい何なんですか、このバカ騒ぎは?」
「もうすぐわかるわ。役者が全員そろえば、イヤでもね。今はこれ以上教えられない」

 それだけ言って、和先輩はそっぽを向いて口をつぐんでしまう。そういえば、確かにおなじみの先輩達がまだ3人ほど足りてない。唯先輩と律先輩、そして……澪先輩が。そこで私の思考は、曽我部先輩の涼やかな声にすっぱりと切り裂かれた。

「ところで一仕事終えたところで悪いのだけど、カムイ01、02は引き続きエリモ隊の支援に当たってください。かなり苦戦してるみたいだから」

 厳しい口調とは裏腹に、柔らかな笑みを浮かべる曽我部先輩に対し、すかさず純が直立不動の姿勢を取る。まるで生まれる前から指揮官と部下だったみたい。というより、そもそも格が違うのだろう。曽我部先輩と私達とでは。

「カムイ01了解。じゃあ行くよ、カムイ02」
「りょ……了解であります、純ちゃん」
「ちょっと憂、それ違う。今は『純ちゃん』じゃなくて『カムイ01』なんだから」
「あ、そだね。了解であります、カムイ01」
「じゃあ急いで。今度の相手は強敵だから、気を引き締めていくよっ!」

 そう叫びながら、純がもの凄い勢いで再び部室を飛び出し、その後をおっとり刀で憂が追いかけていく。まったく純のヤツ、ノリノリだな。

 そのまましばらくの間、矢継ぎ早に指示を飛ばす曽我部先輩の独壇場を眺めているうちに、なんとなく状況が見えてきた。さきほどから通信している相手、エリモ01とエリモ02というのが、どうやら唯先輩と律先輩らしい。顔こそ見えないけど、ノートPCから流れ出している声でわかった。

 となると、純と憂を加えた4人がかりで相手している、エニワ01と呼ばれている目標こそ、ほかならぬ澪先輩に違いない。口にこそ出さないが、なんとなくそう思った。

 それにしてもいったいどんな悪さをしたのやら。さっきからずっと追いかけまわされてる所を見ると、よほどヤバいことに違いない。唯先輩はまだしも、もし律先輩が捕まったらさぞかし酷い目に会わされそうな──。

    ◇  ◆  ◇

 文学部から教育学部、そして芸術学部へと移動しながら延々と続けられていた不毛な鬼ゴッコも、ようやく終わりの時が近づいてきたらしい。さきほどから何度も時間を確認していた和先輩が、ようやく重い口を開いたからだ。

「曾我部先輩、いい加減もうよろしいのでは?」
「そうねえ。みんなもかなり疲れが見えてきたようだし、そろそろ潮時かしら」

 そう言うと曾我部先輩は、ノートPCに繋がれたマイクに向かって各隊任意に撤収、と短く命令を下した。

 やがて4人が思い思いに戻ってきて汗を拭いていると、ようやく本命の澪先輩が憤然と部室のドアを開け放つ。

「や、やっと、見つけた……」

 すっかり汗まみれで、ぼさぼさの髪に手ぐしを通しながら、それでも鋭い目つきで辺りを見回している。しかしさすがに澪先輩も体力の限界だったらしい。崩れるようにドアの前でへたり込んでしまった。

「み、澪先輩。しっかりしてくださいっ!」

 さすがに我慢の限界とばかりに曾我部先輩を睨みつける。彼女が小さくうなずくと、ムギ先輩と和先輩がようやく私を解放してくれた。すぐに澪先輩にかけよると、とりあえず自分のハンカチで滝のような汗をぬぐってあげる。

 ところが、はあはあという澪先輩の荒い息を耳にしながら、さらにむせ返る様な汗の匂いに包まれてるうちに、なんだか私まで身体の芯の辺りが妙な感じになってきた。不覚にも、つい似たようなシチュを連想してしまったから。おそらく私しか知らない、アノ時の澪先輩の姿を。

 ──ったく、そんな場合じゃないってのっ

 心の中で自分自身を厳しく叱りつける。その間に和先輩が大きなタオルを、続いてムギ先輩がミネラルウォーターのペットボトルを持ってきてくれた。ありがとうと言うなり、澪先輩はごくごくと喉を鳴らして500ミリリットルの水をひと息で飲み干す。

「ふあー、生き返った。助かったよ、梓。それに和とムギも」

 肩を貸してソファーのひとつまで連れて座らせた頃には、ようやくひと心地ついたのか、話ができる程度には回復したらしい。それでようやく私も、先ほどからの疑問を口にする気になった。

「ところで澪先輩、どうして唯先輩と律先輩のこと、あんなに必死に追いかけ回してたんですか」
「それは……」

 すると澪先輩は身体を震わせ、視線を下に向けた。そのままぼそぼそと話し始める。

「その、2限目の授業を受けてたら、突然律と唯が飛び込んできて……」

 端正な顔が屈辱に歪む。

「左右から、その……私の胸をわし掴みにして……あーこれじゃ2キロくらい増えてもしかたないよね、いや3キロはいってるよ~、とか大声で……」
「な……っ」

 それはいくらなんでも酷すぎる。それでなくても体重のこと気にしてる澪先輩に、しかも授業の真っ最中に乱入して、そんな晒し者まがいのことをやらかすなんて。あまりの事に、すっかりかける言葉を失ってしまった私の横から、ひょこっと律先輩が顔をのぞかせる。

「でも今回の騒ぎで、余裕で2、3キロくらい減ったんじゃないか?」

 ごすぅっ!!

「律、お前ってヤツは……まったく!」
「なんで殴るんだよ。ここはいい話っぽく感動するとこだろ!」
「それとこれとは話が別だっ!」

 だけどカッとなったのは澪先輩だけじゃない。気がついたら私も怒鳴り声をあげていた。

「もう律先輩も唯先輩もいい加減、そのネタで澪先輩をイジるのやめてくださいっ」
「お、おい梓。もう私、そんなに怒ってないから」

 その場を取りつくろう様に澪先輩が私をなだめにかかる。でもゴメンなさい。澪先輩はさっきの鉄拳制裁で気が済んだかもしれませんが、私の腹の虫はちっとも納まらないんです。

「いいえ、そうはいきません。今日という今日ははっきりさせないとっ」
「ほー、どうハッキリさせようって言うのかな~?」
「私も興味深いわね、とても」

 さきほどまで頭を抱えていたはずの律先輩が、ニヤニヤ笑いを張り付かせている。さらにはおそらく事の張本人であろう曾我部先輩まで。それが私の怒りの炎にさらに油をそそぐ。

「別に私と澪は幼なじみなんだから、こんなの昔っからのスキンシップだぜ」
「それはまあ……昔はそうだったかも知れませんけど……」

 だけど、これはまずい。そんなことくらい頭ではわかってる。この状況をひっくり返すには、私が認めなきゃいけないって事を。両手を握り締めて願う。誰でもいい。私に力を、貸して。

「んー、なんだってー。聞こえないなー。もっとはっきり言ってくれないと」
「いいんだ梓、もうやめろ。それ以上のこと口にしちゃいけない」

 みんなが固唾を呑んでいるのがわかる。
 律先輩が私の言葉を待っている。
 憂が心配そうに見つめてる。
 澪先輩が慌ててる。

 わかってるよ。

 でもごめん。ここまできたらもう、後には引けないんだ。

「先輩は……澪先輩は、もう私のモノなんですから。だから誰も手出ししないでくださあいっ!」

 かあっと頬が熱くなったのは、決して力の限り怒鳴ったのが理由だけじゃない。でもこんなノロケ宣言、澪先輩は絶対に言えないだろうから。だったらいくら恥をさらそうが、私が言うしかないじゃん。

 一瞬、部室がしぃんと静まり返り。

『きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!』

 悲鳴にも似た大歓声があちこちから上がった。ただ一人だけ呆然としてる澪先輩は、今にも湯気が出そうなくらい顔を紅く染めている。

 気がつくと、放課後ティータイムのメンバーはもちろん、どこからともなく他の軽音部の人達も姿をあらわしていた。たとえば恩那組の晶先輩、幸先輩、菖先輩とか、他にもまだ名前もろくに憶えてない人たちとか。

 恩那組の先輩たちは放課後ティータイムと何かにつけてライバル関係にあるし、それなりに交流もあるからまだいい。だけどこの大学の軽音楽部は総勢40人近くもいるんだ。スケジュールが合わなくて、なかなか顔を合わせる機会のない部員たちの顔と名前までなんて、とてもじゃないけど把握し切れない。

 それにしてもこれだけの人数、いったいどこに隠れていたんだろう。というか、さっきの私の宣言。全員に聞かれちゃったんだよね。相変わらずほの暗い部室ではあったけど、恐る恐る辺りの様子を見回す。

 でもざっと見たところでは、あからさまに嫌悪の感情を表してる人はいないみたいだ。多分かなり以前から周到に計画されてたみたいだし、趣旨に賛同できない人はそもそも参加なんかしないだろう。このバカ騒ぎを仕掛けたのが曾我部先輩と和先輩なら、間違ってもそんな手抜かりするはずないか。

「とうとう言っちゃったね、あずにゃんっ!」
「一生澪と幸せになれよ、このヤロー!」
「これで軽音部公認だねー!」

 そんな私の心配とは裏腹に、ひとしきり揉みくちゃにされていた時のことだった。

「さあみんな、もうすぐ時間よ。用意して」

 涼やかだけど凛とした声が響き渡る。いったい何の時間だというのか。不可解な曾我部先輩の言葉に私と澪先輩は小首を傾げる。しかし他の全員はピタリと静まりかえり、無言で部室の時計に目を向けていた。

 LEDで薄ぼんやりと輝く数字をかろうじて読み取る。まもなく時刻は11時11分を回るところか。続いて涼やかな声で厳かなカウントダウンが始まる。

「……3、2、1、ゼロ」

 その瞬間、部室全体を揺るがすような大声で、全員がひとつのセリフを唱和した。

『中野梓ちゃん、お誕生日おめでとうっ!』

 ………………………………………………………………はい?

「あの皆さん、今なんて?」
「呆れた、まだ気づかないの。あの時計を見ても」

 壁にかけられた時計を曽我部先輩が指さす。

「いや、11時11分ですけど……。それが何か?」
「ねえ澪。確か梓ちゃんの誕生日は今日、11月11日で間違いないわよね」
「そうだけど……ああ、そうか。そういうことか」

 脇に立っていた和先輩の質問に答えながら、どうやらひと足先に理解に達したらしい澪先輩が、私に向かってとびきりの笑顔を向けた。

「つまりだ。『2011年11月11日 午前11時11分11秒』に、関係者全員でおめでとうコールする。そういうことだな、和」
「大正解。ちなみに作戦の名称は『シックス・イレブン』っていうのよ。もともと曽我部先輩の発案なんだけど、みんな喜んで協力してくれたわ」
「やれやれ。とんだサプライズだな」

 苦い笑いを浮かべる澪先輩のことをぼんやりと眺めているうちに、ようやく自分の理性も働き始めていた。そうか、そういうことか。

 ──2011年11月11日
 ──午前11時11分11秒

 それは11が6個ならぶ、奇跡みたいな日時。次の機会は100年先まで待たなきゃならない。さすがに私も、それまで生き残るのはむずかしそうだ。

「皆さんのご協力のおかげで『シックス・イレブン作戦』は無事に完遂されました。心より感謝いたします。さて、ここからあとは昼食を兼ねて、中野梓さん誕生記念パーティに移行したいと思います」

 高らかな曾我部先輩の宣言で、一段と歓声が大きくなった。あらかじめ用意してあったらしい、いろんな料理や飲み物が次々と運び込まれてくる。ほとんど外の光を通さないカーテンが開け放たれると、ホワイトボードや壁一面にさまざまなメッセージや飾り付けがほどこされていることに気づいた。

 そうこうしている間に部室は、あたかも魔法をかけられたみたいにパーティ会場へと変貌を遂げてしまう。先ほどまできっちりとカーテンが閉められていたのは、どうやら人間や部屋の飾り付けをカモフラージュするためでもあったらしい。

 その光景をあっけにとられて眺めていた私と澪先輩の前に、大混雑している人達の間をぬうようにして、曽我部先輩が歩み寄ってきた。

「今日はいろいろとごめんなさいね。でも普通に誘ったら、必ず固辞されると思ったから。特に恥ずかしがり屋の秋山さんや、中野さんには」
「まあ……もういいですけど」

 苦笑いを浮かべながら澪先輩が答える。まあ、よかったのかな。結果的には。

「びっくりさせてごめんなさいね。高校卒業するときに開催してくれたコンサートの、ほんのささやかなお返しのつもりだったんだけど」

 殊勝な表情を浮かべながら、曽我部先輩は私達に対して深々と頭を下げた。

「いえ、そんな、とんでもないです」

 突然の事に、逆に私の方が恐縮してしまう。

「頭を上げてください。私もう、怒ってませんから。それに多分、梓も」
「もちろんです。確かにちょっとびっくりはしましたが、今は嬉しいです、とっても」
「ありがとう」

 再び顔をあげた曽我部先輩の顔には、ほっとしたような笑顔が浮かんでいた。ところがそれが一転し、なにやら悪戯を企む子供のような表情に変わる。

「それでお詫びと言っては何だけど……」

 さらに顔を寄せてきて、小声でこんなことを言い始めた。

「今夜は私の部屋を使うといいわ。貴女たちのどちらの部屋にも田井中さん達が押しかけそうでしょ。もしよければ、ぜひ避難場所として二人に利用してほしいなあ」

 自分の部屋のカギを差し出しながら、曽我部先輩はそんな提案を持ちかけてきた。それに対して、困惑気味の澪先輩が答える。

「それは……そのご高配には感謝しますが、しかし曽我部先輩にご迷惑なのではありませんか?」
「その心配はないわ。今夜は和の家に一泊する約束になっているから。もちろん寮監さんの許可は取ってあるし」
「当然です」

 するといつの間にか脇に控えていた和先輩が、それはもう冷たい声でツッコンでくる。

「わざわざ他所の大学まで遠征してまで、こんなバカげた騒ぎに駆り出されたんですから、そのくらいのフォローはしていただかないと」
「ああん、怒っちゃダメよ、和ぁ。ああでも、そのキリっとした表情もス・テ・キ」
「はいはい……」

 なんかもう、いろんな意味ですっかり夫婦デスネ、この二人も。どうやら澪先輩も似たようなコトを考えていたらしい。互いに顔を見合わせると、しばし私達は苦笑いを交わし合ったのだった──。

    ◇  ◆  ◇

 その夜に見た夢のことは、はっきりと覚えてる。

 正体不明の敵に侵略された人類は、絶滅回避のために女子高生まで戦場に投入していた。もちろん私と澪先輩も、クラスメイトたちも、みんな。

 だけどそんな絶望的な状況でも、私は幸せを噛みしめていた。だって他ならぬ澪先輩のエスコートを受けて、私は今日も敵と戦うために大空へと飛び立つのだから。生身の身体にストライカーユニットを穿いて。

 たとえどんな世界に生まれ育ち、果てていくことになったとしても。

 ただ澪先輩の傍に寄り添っていられるのなら。
 他に欲しい物など、何もない
 怖いものなど、何もない。

 幸せ以外に、何もない。

 だから──。

 (おしまい)











 翌朝、寮に戻ってきた曽我部先輩と、玄関前ですれ違った。

「あの……」

 どうしたんですか。そう呼びかけようとした声は喉の途中で引っかかってしまった。それほどまでに曾我部先輩はやつれ切り、それでいてまるで幸せの絶頂にあるかのような恍惚とした光に包まれてたから。

「どうしたんでしょうか、いったい」
「まあそれはきっと、あまり深く追求しちゃいけないんだよ、多分」

 私の疑問に対して、軽く肩をすくめながら澪先輩が答えた。とりあえず寮監さんに曽我部先輩のカギをさっさ預けてしまった、澪先輩の判断は正しかったらしい。もし直に手渡すような状況だったら、さすがにあの異常な状態をスルーするのは難しかっただろう。

 それにしても、昨夜の和先輩の所でいったい何があったのか。聞くまでもないような気もするし、でも聞いてみたい気もするし、かといってもし聞いちゃったらそれはそれで後悔することになりそうだし。

 それでもどうやら、私達は共通の理解に達していたらしい。

「意外にスゴイ人なんですね、和先輩って」
「うん、私もそう思う。敵にだけは回したくないよね、ホント」

 言い方こそ違うけど、要するに私達はこう思っていたんだ。



 真鍋和、恐ろしい子っ!──。



 (ホントにおしまいw)
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