お茶会のあと、そして

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mioazu

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怖い話は苦手。
痛い話なんて聞きたくない。

でも一生に一度くらいは、立ち向かわなくちゃいけないことだってあるんだ。

    ◇  ◆  ◇

ようやく地獄のような時間が終わった。

『秋山澪ファンクラブお茶会』は、なんとか無事に幕を閉じた。
いろいろグダグダだったけど、最後の新曲のお披露目と写真撮影には会員の人たちも大満足だったみたい。

そして終わってしまった宴のあとで、いつもの軽音部のメンバーに和
──なんと二代目ファンクラブ会長なんだよ、コイツ──
を加えて、簡単な打ち上げをやっている。
とはいっても私は、もっぱら盛り上がるみんなを横で眺めているだけだ。

「いやーしかし、会員の子たちの反応が初々しくてよかったよなー」
「澪ちゃんの『板垣退助』めっちゃ受けてたし」
「そうそう。あ、それと、やっぱり澪ちゃんへ百の質問とか、」

断片的に聞こえてくる言葉のひとつが耳に残った。

百の質問とかいってたけど、あれはもう拷問のレベル。だいたいなんだよ。
「これまで聞いたなかで一番怖かった話は」とか「二番目に怖かった話は」とか。
なんて質問するんだよ。ありえんだろ常識的に考えて。
それにケーキ入刀なんて、正直わけわからん。
無理やり梓にもつき合わせちゃって、なんか悪いことしちゃったな。

あれ。そういえば梓がいない。

あたりを見回すと、少し離れた場所でひとりだけお皿を持って立っている梓の姿が目に入った。
どうやら例のムギの持ち込んだ超巨大ケーキに対して、終わりのない戦いを挑んでいる最中らしい。
しかしこういうのって、普通は入刀する部分以外は作り物だって聞いたんだけどな。

そんなことを思いながら私は立ち上がると、そっと梓のそばに歩み寄った。

「さっきは悪かったな」
「何がですか」
 きょとんとした表情を浮かべながら、梓が振り返る。頬にホイップクリームをくっつけているのがとても可愛らしい。
「ほらあれ。あのケーキ入刀のことさ」
「ああ、『初めての共同作業』ですか。別にいいですよ。澪先輩のせいじゃないですし」
 苦い笑顔を浮かべながら、梓はそばの机にお皿とフォークを置いた。

「このケーキの大きさにも驚いたけど、まさか唯があそこで梓に振るとは思わなかったよ」
「私もです。まさか先輩とケーキ入刀することになるなんて夢にも……」
 そこで梓の台詞が途切れる。
「いえ、夢くらいなら……」

 え……? あれ、なんか梓が落ち込んでる。まずい、なんか地雷踏んだか。ええと、話題話題。

「そ、それにしても、梓はいいよな。手、小さくて」
「そうですか? どちらかというと不便なんですけどね。ギターだってネックの細いの、選ばなくちゃならないし」
 笑顔が戻った。よし、その調子で。
「まあ、そういうのはあるけどな。でもやっぱり、小さい方がカワイくていいよ」
「そう……ですかね」
 ほんのりと頬を紅くしてモジモジしている。ああもうっ、可愛いなあ。




「ホントだよ。梓といっしょにケーキカットするヤツは、きっと世界一の幸せ者に違いないって」

……あ。

自分の口を押さえたけど、もう手遅れ。一度飛び出した言葉が引っ込むわけじゃない。

「澪先輩」
どうした、と言いかけた私の台詞が喉の奥でつっかえた。あまりにも梓の浮かべていた表情が真剣、いや切迫したものだったから。
「私、この世にひとりだけ、いっしょにウエディングケーキを切ってほしい人がいるんです」
「へ……え、そうなんだ。もしかして、私の知ってる人だったりして?」
なんとか笑い話にしようと軽いトーンで返事する。だけど梓はそれに乗ってこようとはしなかった。
「それは……」
さらに言いよどむ。視線をそらす。胸の前で両手がグーの形に強く握りしめられている。紙のように白くなるくらい、強く。

そしてもう一度私に顔を向けて。

どういうわけか、彼女の可愛らしい桜色の唇に、私の目が釘付けになった。

 ──とくん。

あ、あれ。なんだ。これ。

「それは、せ……」
そこでやっぱり言いよどんでしまう。でも私には、梓が何を口走るつもりなのか、もうわかってしまった。

耳まで真紅に染められた顔や、私のことを見つめる潤んだ瞳が。
恋する乙女そのものだったから。

 ──とくんとくん。

あ、暴れるなよ私の心臓。なんでこっちまでトキめいてるっ、みたいな反応してるんだよ。

 ──とくんとくんとくん。

もし梓が言ってしまったら、私はなんて答えよう。そしてもし……答えてしまったら。

どうなってしまうんだろう。
私と梓は。

 ──とくとくとくとくとくとく。

いやいやいやいや。待て。落ち着け。
小さく頭を振る。

この子にそんなこと言わせちゃだめだ。その前に、なんとか、なんとかしないと。早くなんとかしないと。コイツがテンパってる間に、なんとか話題をそらさないと。

「ああああ、あず、梓。その、ええと……」

そうこうしているうちに、みるみる彼女のテンションが急降下していくのがわかった。

「もう、いいです」




    ◇  ◆  ◇

ずいぶん遅い時間になっても、なかなか眠れなかった。

最悪だ。梓を悲しませてしまうなんて、最悪だ。

ケーキ入刀のときに触れた、梓のほっそりとした指の感触が思い起こされてしまう。きつく目を閉じても、さっきの梓の泣き出しそうな顔がちらついてしまう。

あの時、梓は私になんて言おうとしたんだろう。いや違うな。あの子の言いたいことなんてわかってる。わからないのは私のほう。

なんて答えればいいんだろう、梓に。

私は先輩、あの子は可愛い後輩。それだけだ。……いや、それはウソだけど。

でも、もし答えてしまったら。たとえそれがイエスでもノーでも。きっと今までみたいにはいかなくなる。もうただの先輩と後輩ではいられなくなる。

それが私には、どうしようもなく怖かった。大切だから。この世界で一番大切な人だから。だからこそ。どうしようもなく怖かった。

だけど。宴の終わりが。いずれ卒業の時がやってくる。その時までには、必ず答えを出すから。お願いだから、もう少しこのままでいさせて。

暗闇に浮かび上がる梓の泣き顔のまぼろしに両手を伸ばす。届かないとわかっていても。

机の上で、ぶるっ、と携帯が震えた。ベッドから跳ね起きる。

梓──?

 ──
 差出人:あずさLove
 件名:ごめんなさい
 本文:
  昨日はごめんなさいです
  先輩を困らせるつもりじゃなかったんです

  ご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい

 ──

思わず携帯を抱きしめる。
温かなしずくが後から後から自分の頬を伝わっていく。

違うよ。迷惑だなんて、これっぽっちも思ってないから。

ごめん、梓。
意気地なしの先輩でごめん。

ずっと律の背中に隠れていた。
できるだけ目立たないように生きてきた。

怖い話は苦手。
痛い話なんて聞きたくない。

でも……。




再び暗闇に梓のまぼろしが浮かび上がる。今度ははじけるような笑顔で。

ねえ梓。ずいぶんといろんなことがあったよな。

入部初日。梓の演奏を目の当たりにした日。忘れられない衝撃だった。世の中広いって思い知らされたよ。

それからだって。

尊敬のまなざしで見つめられたり。

 ──梓が言うことも一理あるよ。
 ──私たちももっとやる気出していかないと。わかりましたねっ!!

困ったような笑顔を浮かべていたり。

 ──大丈夫? 軽音部、やっていけそう?
 ──あ、えっと、こののんびりした空気がちょっとあれですけど、まあ。

時には悩んでいたり。

 ──澪先輩は、外でバンド組んだりしないんですか?

泣いていたり。

 ──どうして新歓ライブの演奏にあんなに感動したのか。
 ──しばらくいっしょにいてみれば、きっとわかると思ってやってきたけど。
 ──けどやっぱりわからなくって。

気がついたら手を差し伸べてた。

 ──この前、なんで私が外バン組まないか聞いたよね。
 ──やっぱり、私はこのメンバーとバンドするのが楽しいんだと思う。
 ──きっとみんなもそうで、だからいい演奏になるんだと思う。

なんとかして軽音部を梓の居場所にしようと、少しでもふさわしい場所にしようと頑張ってきた。みんなの不平不満も無理矢理に抑え込んで。
あの子と会えなくなるなんて、想像するのもイヤだったから。

まあ最近は逆パターンもあるけど。

 ──ちょっと! みなさんもっと真面目に心配してあげてください。
 ──ストーカーに狙われてるかもしれないんですよっ。

それどころか、私のほうが気合を入れられたこともあったよな。

 ──唯先輩が戻ってくるまでの間、私が力の限り支えて見せますから。
 ──だから、澪先輩もがんばってください。




もしここで逃げてしまったら。
きちんと梓に返事をしなかったら。
私は最低最悪のひきょう者じゃないかっ。

恥ずかしがり屋といじられたってかまわない。
ドジをふんで笑いものになったってガマンできる。

だけど。

ひきょう者とののしられることだけは。
私のせいで梓が悲しむことだけは。
絶対にイヤ。

嫌いならまだいい。もしその気がないのなら、まだ許されるのかもしれない。

でも、そうじゃないから。
そうじゃないから──!

怖れや迷いを押しのける。
震える手で携帯をあやつる。
返事は簡単。たったの二文字。
カチカチカチカチ。
メールの送信ボタンに指を合わせて。

そして、願った。

 ──さあ、電子の妖精たち。
 ──つどえ、私の元に。
 ──届けて、梓のところへ。

 ──ありったけの勇気を込めた、
 ──たった二文字の私の応えを。

画面に『送信しました』と表示がでる。それを確認してから窓に目をやると、うっすらと外が明るくなりはじめていた。
もうすぐ朝がやって来る。誰も知らない、見たこともない未来をつれて。

再び手の中で、ぶるっ、と携帯が震えた。

    ◇  ◆  ◇

怖い話は苦手。
だってそれが、とても怖いことだから。
変わってしまうことが、とても怖いことだから。

立ち止まってしまうこともあるかも知れない。
倒れてしまうこともあるかも知れない。

でも、また歩きはじめるから。
必ず、また立ち上がるから。

梓といっしょなら。
梓のためなら。
何度でも。
絶対に。

(おしまい)
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