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 天気予報は当てにならない。

 出かける前に西の空に黒い雲があったのは気になっていたけれど、天気予報では降水確率
ゼロパーセントだったから傘を持たずに出かけたら、道半ばでぽつぽつと降り始め、数分の
うちにたちまち篠つくような雨になった。洗濯物を干さずに出かけてきたのはもっけの幸い
だったけど、私自身はびしょ濡れだ。
 先生のアパートについたとき、私は上から下までぐっしょりと濡れていた。ワンピースは
肌に張り付き、スカートの裾まで水を吸い込んで重い。秋雨は冷たく、急ぎ足で来たせいで
軽く火照っている体を容赦なく冷やしていく。
 こんなことなら大人しく、途中にあったコンビニでビニール傘でも買えばよかった。全身
ずぶ濡れの状態を、先生に見られるわけにはいかないよ。ん。でも、いまから家に引き返し
たんじゃ、間違いなく風邪を引いちゃうし……。
 そうだ、まだ朝早くだから、先生は寝ているはず。鍵を開けて入れば見られることはない
だろうし、お風呂を借りて体を温めれば、風邪を引く心配もない。そうしよう。
 水を吸ってぎゅぽぎゅぽと鳴る靴を踏みならし、私はアパートの階段を上がっていった。
 合い鍵を使って先生の家にはいる。靴を脱ぐと、靴下までびしょ濡れだ。後ろ手に鍵を
閉めてから、玄関先に腰を下ろして靴下も脱ぐ。玄関マットで足を拭き、ペとペとと室内に
はいる。

 ……先生、起きてないよね?

 確認すると、先生は薄暗い部屋の奥、窓際のベッドで寝ていた。
 大丈夫、よく寝てる。
 私は安心して、ユニットバスに潜り込んだ。髪の毛をほどいて服を脱ぎ、ちょっと迷って
から下着も脱いで、ドアの隙間から洗濯機に放り込む。先生の家で裸になるのははじめて
だから、何だかすごくどきどきする。でも、パンツの下までびっしょりなんだから仕方ないよ。

 空のバスタブに足を踏み入れてカーテンを閉じると、私はシャワーのレバーをひねった。
頭上から、最初は冷たい水が降り注いできたけれど、しばらくすると温水が私の冷え切った
体を溶かしてくれる。やっと人心地ついて、私はふと足元を見た。

 ……このバスタブに、先生も入ってるんだよね。

 ふと、私はお湯に浸かっている先生の姿を思い浮かべた。湯船の片側に背中をつけて、
へりに両肘を乗せてお風呂に入るんだろう。
 だとすると、私がはいるとしたら先生の両膝の間かな。先生に背中を向けて、胸にもたれ
かかるようにして──
(ひとはちゃん、ちゃんと肩まで浸からないとだめだよ)
(子供扱いしないでください。私だってその……もう6年生なんですから……!)
(ちょ、ちょっとひとはちゃん、いったい何を)

 ぶんぶんぶんっ!

 なに考えてるんだろう、私は。別に先生と一緒にお風呂なんて入りたくない。まったく、
ここにいると変なことを考えてしまう。何だか体が熱っぽいし、早くお風呂から出て、
着替えないと。
 シャワーを止めて、濡れた髪の毛を軽く搾り、手のひらで肌の水をきる。ええと、タオルは
……ない。カーテンを開けてユニットバスの中を探してみたけど、トイレのタオル以外、
身体を拭くのに使えそうなものはない。

 どうしよう。

 タオルが洗濯機のそばにあるのは知っていた。けど、体を隠すものもなしに、先生が
寝ているのが見える場所を歩くのは恥ずかしい。見られたりしたら目も当てられない。
 でも、他に方法は……えい、考えても仕方ないんだ。ずっと裸でいるわけにも行かないよ。
 ごくり。
 一回唾を飲み込んで、濡れた足で廊下に出る。洗濯機横のタオルを掴み、すぐにユニット
バスに駆け込んだ。ほっ。先生は起きてこなかったみたいだ。

 私は安心して身体を拭き──あることに気付いた。
 そうだ、着替え。私の服はびしょ濡れだし、その間ずっとタオル一枚でいるわけにも
いかない。何とかして、先生の服を借りないと。
 タオルで前を隠しながら、私は再び廊下に出た。先生はいつも、干した洗濯物は適当に
たたんでリビングに積んでおいている。先生の服を借りるなんてちょっと気に入らないけど、
この際そんなことは言っていられない。
 リビングに足を踏み入れ、先生の洗濯物を見る。シャツ。うん、これなら借りても問題は
なさそう。もちろん私にはサイズが大きすぎるけど、ぶかぶかのワンピースだと思えばいい。
 先生のシャツを着ると、やっとちょっと落ち着いた。着ているシャツからはもちろん先生の
匂いがするけれど、それはあまり気にならない。

 ……ふぅ。

 落ち着いたら、何だか眠くなってきたよ。
 どこかに、寝られる場所はないかな。部屋の中は散らかってるし……あ。ちょうどいい
感じに、先生のベッドの上が半分空いてる。気持ちよさそうだし、そこで寝ようっと。
 もそもそ、もそもそ。蒲団に潜り込むと、先生の体温が伝わって、あったかい。うん、
ここならよく眠れそうな気がする。
「むにゃう……ま、……んしぇ……」
 と、先生が急に寝言を言い出した。何を言ってるんだろう。耳をすませて聞いてみれば、
「くりやま、せんしぇー……」
 むっ。やっぱり先生はまだ、保険医のドジメガネに未練があるみたいだ。まったく、もう
栗山っちにはぜんぜん相手にされてないって言うのに、見苦しいなぁ──って、え。
「ちょ、ちょっと先生……!」
 何を寝惚けたのか、先生が急に抱きついてきた。ぎゅっと両肩から背中に腕を回されて、
先生の体がぴったりと密着している。触れあった部分を通じて、先生の鼓動を感じる。

 どきどきどき。
 どきどきどきどき。

 何だか変な気分だ。いつもなら恥ずかしくて恥ずかしくて、思わず先生を蹴飛ばしちゃう
くらいに恥ずかしいことをされてるのに、いまはそんな気分にならない。先生の腕の中で、
凄く幸せな気分。……うん、風邪でも引いたのかも知れない。それはそれで、悪くないけど。
 どうせ抱きついてくれるんなら、私の名前を呼んでくれればよかったのに。きっと先生は、
栗山っちと勘違いして私に抱きついているんだろうな。それはほんのちょっぴり口惜しい。
 でも、このまま寝たらいい夢を見られそう。
 お休みなさい、先生。
 ……………………
 …………

  * * *

「……風邪だね」
「ずっ、ずびーっ……そうみたい、です」
「傘も差さずに濡れてくるから……とりあえず、みつばちゃんには連絡しておいてあげたから。
大人しく寝ていなさい」
「はい。……ずっ」
「具合はどう? 何かして欲しいことがあったら、遠慮なく言ってね」
「いえ、その……ずっ、なら、一つだけ……」
「うん、何かな」

「先生に……私の風邪、移させてください」

  * * *

後日談

「はい、先生。前に先生の借りたシャツのかわりです」
「ありがとう。でも、べつにあのシャツをそのまま返してくれても良かったのに」
「そうは行きません。私が着たシャツを、先生がくんくんしているかと思うと」
「しないって! ボクはそんな趣味ないから!」
「むっ……」


「ん? ひとは、どうしたのよ。そのシャツ」
「新しいパジャマだよ」
「ふぅーん」

          (おしまい)