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うん。知ってる。分かってるさ。
嬉しいよ、本当に。俺なんかにはもったいないくらいだ。
でも、
金曜日の朝。一週間の終わり。今日が終われば楽しい週末が待ってる。
なんだけど。
「あ~、最悪だ」
あの日。初めてふたばとケンカをした朝から、もう二日も経った。その間ひと言も会話していない。
あいつとこんなに長い時間口を聞かなかったのって、初めてじゃないか?
お互い、旅行とか部活の遠征のときとかでも必ず電話でやりとりしてたし。
「とにかく、今日こそ絶対謝らないとな…」
冷静になれば子供でも分かる。全面的に俺が悪い。
いや、今の俺は子供以下だ。何だあのつまらない嫉妬は。しかも、ふたばに当り散らして…泣かせた。
「くそっ!!」
俺は本当にバカだ!最悪だ!!ミジンコだ!!!
何やってんだよ俺は!ふたばにはいつもふたばらしく笑っていて欲しいって!そう想って!それで頑張ってきたんだろう!!?
なのに自分で泣かせてどうすんだよ!!!
「あ~、格好悪い。気が重い」
あまりにも格好悪い自分が恥ずかしくて。会わせる顔も無くて。
かと言って、電話でなんて女々しい真似するわけにもいかないし。それこそ恥の上塗りだ。
大事な事なんだ。勇気を出して、面と向かって謝らなきゃいけない。
……。
長女や三女に電話向こうで聞かれでもしたら、後でどんなからかいを受けるか分かったもんじゃないし。
ふたばの奴、もったいないから、って携帯を持たないんだよな。いいじゃん、別に。取材料とか結構もらってんだろ?
まぁ、それはさておき。
だから昨日の朝も丸井家までは行ったんだけど、インターフォンがどうしても鳴らせず、ふたばの後をつけるしか出来なかった。
電車ではあんなに時間が有ったのに、話し掛けるのが遅かったせいであいつが寝ちゃうし。
それからは『学校までに心の準備をしよう!』と、寝顔を見ながら突っ立って。
そのくせ、あいつを起こしたら言葉が全部飛んじゃって、何も言えずに逃げ出した。
…って、
「アホか俺は!それじゃまるで変態じゃねーか!!」
頭を抱えて叫ぶ俺。を、ジョギング中のおっさんがドン引きして過ぎ去って行った。
…おほんっ。
と、とにかく、だ。さっきも言ったが、絶対に今日、この登校時に謝らなくてはいけない。これが最後のチャンスなんだ。
学校に着いてしまうと邪魔者が多いし、ふたばは夕方から日曜の夜まで東京の大学の合宿に合流する予定になってる。
つまり、今を逃すと合わせて5日間、ふたばと会話出来ない状況となってしまうわけだ。
…やばい。そんなのマジで耐えられない。
「いよっし!」気合を入れろ!俺!
・
・
・
と、気合を入れたくせに足取りは重く、明らかにいつもより時間を掛けて丸井家に近づいて行く。
やべっ、電車が。謝る時間も考えると余計に。というか、ふたばはもう出ちゃってるかも…。
あぁ~、でも足が言うことを聞いてくれないし…。
「~~が!ーーを~~~しろっ!!」
何だ?丸井家の方が騒がしいな。おじさんの…怒鳴り声?
またストーカーもどきか何かか!?
ふたばっ!
ダッ
今度こそ足は意思に従い、身体を急加速させてくれる。
俺だって敏捷性と機動力についちゃ一目置かれてんだよ!
「ふたば!んなっ!?」
丸井家の前には人垣…10人足らずの男女。
カメラマンとレポーター?が、入り口でおじさんと押し合ってる。
「貴様らいい加減にしろっ!娘たちが怖がってるんだよっ!!こんな朝っぱらから常識が無いのか!!」
「いや、丸井さん。ちょっとお嬢さんにお話を聞かせていただくだけですから。
それに昨日の夜、電話で取材の依頼をさせていただいたじゃないですか」
「断っただろうが!いい加減にしないと警察を呼ぶぞっ!!」
「そんなに興奮しないで下さいよ。別に私たちは違法な事をしているわけじゃありませんし。
ちょっとだけ、丸井ふたばさんに『サーズデー』の件…、富士見選手との交際についてお聞きしたいだけなんですよ」
こ、交際!!?ふたばが富士見選手と!?
それに『サーズデー』って、ゴシップ週刊誌…ひょっとして本当にこないだの事が!?くそっ、芸能記者ってのは油断も隙もない…っ!
いや、今はとにかくこいつらを何とかしないと!
「お「やめて下さい!!」
俺がTVスタッフの背中から怒鳴り声を上げようとしたところに、別の声が響いた。
澄んだ、でも迫力を伴うテノール。その声に込められた『力』に、その場にいた全員が動きを止める。
声の主は…、
「あなたたちっ、昨日の今日でまさかと思って来てみれば、こんな…っ!」
富士見選手…!何でこんなところに!?いや、この間ふたばを送ったわけだから、初めてじゃないんだろうけど…。
でも、自分の日常に突然こんな『特別』な人間が現れると、急速に現実感が揺らいで混乱してしまう。
「丸井さんのご家庭に迷惑を掛けるのはやめて下さい」
「い、いや…。私たちは、その、正式に…」
静かな声に込められた明確な感情。TVや雑誌に映る穏やかな画からは想像できない、激しい怒り。
さっきまであれだけ騒がしかったTVスタッフが、完全に気圧され色を失っている。
すごい。一流の…『力』の有る人間ってのは、これ程のポテンシャルを内包してるってのか。
「『正式』?この状況を見て、どうやってその言葉を信じろって言うんですか!?」
「あ、ああ…いや。
で、でも富士見選手っ。貴方がここに来られたということは、やっぱり二人の交際は間違いないものだったんですね!?」
「貴方がたは…っ!…いや、僕の迂闊さが招いた事、か」
ザッ
!!?
富士見選手が土下座を!?
「お願いします。丸井さん御一家に迷惑を掛けるのはやめて下さい。
僕と丸井ふたばさんの間には、本当に何もありません。
あの週刊誌の写真は、別件で彼女に迷惑を掛けた事について謝罪に伺ったときのものです。
何より、彼女には正式に交際している男性が別にいます。
このような騒ぎを起こされると、彼女と、彼女の周りにいる全ての人の日常に多大な迷惑が掛かります。
お願いです。やめて下さい」
沈黙が、場を満たす。
そのうち、TVスタッフは一人、二人と、謝罪の言葉を残して帰り始め、やがて全員がいなくなった。
・
・
・
「申し訳ありませんでした、丸井さん」
富士見選手が立ち上がり、今度はおじさんに向かって頭を下げる。
「いや、謝ってもらう必要はないさ。こちらこそ助けられたよ。ありがとう」
「いえ。そもそも、僕が迂闊にふたばさんに近づいた事が原因ですから。
僕の思慮の足りませんでした。本当に、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「そんなに自分を卑下するものじゃあない。先日だって、ふたばのためを思って送ってくれたんだろう?
そしてその事についても、私は感謝しているよ。娘たちもだ。だから、顔を上げてくれ。
……有名人というのは、大変なものなんだな?」
「自分で自分の環境をコントロール出来ていない。お恥ずかしい限りです」
「いや、その若さで大したものだよ。何もかもに責任を感じないでくれ。
……ああ、佐藤君。おはよう。ふたばを迎えに来てくれたのかい?すまないな、朝から大騒ぎで」
「佐藤くん?」
突然俺に声が掛かる。あわわ。
「あ、お、おは、おはようございます、おじさん。
それに、えっと、富士見明人選手。あの、初めまして、って言っちゃっていいんですか、ね?
佐藤信也って言います。いつも試合見てます」
焦って滅茶苦茶な挨拶になる。
うぁ…っ。最悪だ。富士見選手のはきはきした受け答えに比べて、このグダグダ。
「信也…ああ、やっぱり君が『しんちゃん』か。うん、もちろんだよ。こちらこそ、初めまして。
君の事はふたばちゃんから聞いているよ。TV局でも車でも君の話ばっかりだった。
おかげで君の誕生日から好きな食べ物まで覚えちゃったよ。
僕の方は君の事、もう随分身近に感じてる。だから気軽に接してくれると嬉しいな」
富士見選手が笑顔で手を差し出してくる。
か、格好いい…!
相手は同性のはずなのに、思わず心臓が高鳴ってしまうほどの爽やかな笑顔。
それに、血筋のせいなのかな?見上げた髪は光が透けて、蒼い不思議な色合いに輝いている。
俺は呆けた顔で、手を握り返す。でも、
「きょ、恐縮です。あの、『ふたばちゃん』って…?」
「ああ、ごめん。彼氏の前で気安い呼び方をしちゃったな。
一応、友達だからって、彼女の許可は得ているんだけどまずかったかな?」
友達。
でも多分、それだけじゃないんだろう。
『ふたばちゃん』の言葉に込められた響き。想い。さっきの本気の怒り。
この人は、ふたばの事を…。
「い、いえ、そんな事ありません。それに俺は彼氏ってわけじゃ「しんちゃん!!」
状況が落ち着いたからだろう。ふたばが表に出て来た。
三女も起きて様子を把握しているんだろうが、あいつは人見知りだ。
騒ぎの余韻でまだ心中穏やかじゃないだろうし、知らない男(富士見選手)の前に進んで姿を現す気にはならないだろう。
長女は間違いなく寝てるな。
「しんちゃん…。ごめんね。全部しんちゃんが心配してくれた通りだった…。やっぱり、小生がバカだったっス」
「い、いや。いいんだよ、ふたば。もう気にしてないって」
違うだろ、佐藤信也。
「今日だって何とかなったんだし。まぁ、今後はもうちょっと気をつけような」
「しんちゃん…。本当にごめんね」
俺は何にもしてないだろうが。そもそも悪いのは俺だろ。謝らなきゃいけないのは俺の方だろ。何で謝らない?
そんなに、
「いや、彼女に落ち度は無いよ。謝るのは僕の方だ。君にも迷惑を掛けた。申し訳ない」
「マホウさんが謝る事は無いっス。悪いのは小生なんス。しんちゃん、本当に申し訳ないっス」
そんなに、自分の優位をこいつに見せ付けたいのか?
ふたばが、俺に従順だって事を。
「やめて下さい、富士見選手。
ふたばももうやめろって。本当に俺はもう気にしてないよ。ほらっ、そんな顔するなって。
それよりさ、早く学校行かないと遅刻しちゃうぜ?」
「あっ、本当だ!どうしよう…。もう電車に間に合わないし…。しんちゃん…、本当にごめん」
「だからそんな顔すんなって!ちょっとくらい遅刻したって、どうって事ないよ」
「でも、小生のせいで、まためーわく掛けちゃうっス…」
「ああ~、また。ったくもう、気にすんなって。しょうがねぇな~」
ふたばが本当に申し訳なさそうな、悲しそうな表情になる。
普段なら心が痛む。笑わせてやれない自分の不甲斐無さに腹が立つ、だろう。
でも、今。俺の心を埋めるのは、優越感。
最悪だ。
「それなら、僕の車で学校近くまで送っていくよ。道は分かっているし、この時間なら空いている。飛ばさなくても十分電車より早く着くよ」
「え?あ…、でも、そこまでしてもらうのは申し訳ないですよ。
東京とは逆方向だし。それに、まださっきの人たちがいるかもしれないですし…」もう俺たちの邪魔はしないでくれよ。
「今日はオフだし、特に予定も無いから気にする必要は無いよ。
TVの事は、君が僕の後ろの後部座席に、ふたばちゃんが君の隣に乗れば、構図的に変な誤解は受けないさ」
「マホウさん、お願いするっス。小生のせいでしんちゃんを遅刻させるわけにはいかないっス。パパ、かまわないよね?」
「あ、ああ。何もかも迷惑を掛けて申し訳ないが、娘もこう言っているし、お願い出来るだろうか?」
「はい。かまいませんよ。佐藤君も、それで良いかな?」
「俺はふたばがそう言うなら」どうだよ、ふたばは俺の事が最優先なんだよ。
最悪だ。
――――――――――
「この辺り、かな?ここなら君たちの学校はそう遠くないし、他の生徒の目にも付かないだろう」
「そう、ですね。それじゃ、ここらでお願いします」
富士見選手の予想通り、道は空いていて、いつもよりむしろ早い時間に学校に着けそうだ。
「それじゃ、今回は本当にごめんね。気を付けて学校に行ってね」
「ありがとうございましたっス」
「ありがとうございました」
バタム ブロロ...
…行った、か。
それにしても…。
「ごめんね、しんちゃん」
「何で謝るんだよ。学校にも遅刻せずに済んだし、こないだの事はもう本当に気にしてないよ」
だから違うだろ!いい加減にしろよ俺!謝らなきゃいけないのは俺の方だろうが!!
それにしても…。
「あ、うん。それもだけど、しんちゃん、マホウさんの事あんまり……。
でも違うんス。小生、本当にしんちゃんの事だけ「いいって。分かってるって。ほら」
もうやめてくれ。これ以上俺を責めないでくれ。
それにしても…。
「ほら、あいつらだって待ってるぜ?」
「「「……オハヨー…。ふたばちゃん…」」」
「あっ、おはよーっス、みんな!今日はちょっとじじょーがあって、車で送ってもらったんス。
わざわざこんなところまで、ありがとうっス」
「う、うおおおー!ふたばちゃんがお礼を言ってくれたー!」ダダダッ
それにしてもこいつら、何でここにいるんだろう…?
適当な場所に降ろしてもらった、というか駅とは学校を挟んで反対方向なのに…。
マジで怖ぇよ。ふたばも気づけ。
――――――――――
「ふたばなら東京だよ。TV局で収録。その後は、特別に開かれた強化合宿に参加。
月曜の朝、東京から直接学校に送ってもらうって」
「はぁ!?またいねーのかよ?てか、一週間に二回も取材なんて、今まで無かったじゃねーか」
「今度はトーク番組からお声が掛かったんだって。富士見選手と一緒に」
「んなっ…!」
翌週。土曜日の朝。今日こそふたばに謝ろうと思い、丸井家を訪れたら、返って来たのは不在の報だった。
あれから一週間以上経ったが、ふたばにはまだ謝れていない。どころか、まともに会話も出来ていない。
ふたばが大学の合宿から帰って来た翌日。その月曜日から毎朝、陸上連が手配した車がふたばの送り迎えに来るようになった。
この間みたいな盗撮に会うとまずいからって事だが、さ。
月曜の夕方は、急にスポーツ番組の取材が入って勉強会はお流れ。
そして、今週末の予定。
正直、ここまでやってくれるとは、ね。
陸上連の奴ら、知名度の高い富士見選手とのスキャンダルを利用して、一気にふたばを売り込もうってわけだ。
そりゃ、本当にスキャンダルに発展してイメージダウンになる可能性もある。
だけど、そこまでの関係にはならないという確信もあるんだろう。
あいつら、そういう意味じゃふたばと俺の関係を信用してる。この程度では他の男になびかないって。
ただ、話題の熱が冷めないうちは、俺というつまらない一般人に周囲をうろちょろされたく無いから管理体制を厳しくしたんだ。
何が有るってわけじゃない。けど、売り込み期間中はイレギュラーの芽を摘んでおきたいんだろうよ。
くそっ。本当にタイミングが悪い。
ふたばからは何度か電話が掛かって来たが、ケンカ以降の件で気まずくて、話は全部空回りになっちまったし。
学校の連中といい、どいつもこいつも邪魔しやがって。ちょっとは二人きりの時間をくれよ!
「陸上連の人たちも露骨な戦略を執るね。送り迎えの件も、かなり強く押し付けてきたし。
ふたば、最近元気なかったから…。
ああ、しんちゃんも気付いてたと思うけど、先週の中ごろから元気無かったでしょ?
富士見さんが教えてくれたんだけど、『サーズデー』の前にもスポーツ新聞に盗撮写真が載ってたらしいんだ。
多分、それにショックを受けてまいってたんだと思う。
その上に、先週末の大騒ぎだったからね。
だから余計、陸上連の申し出を断れなくて……。
本当、世の中には心無い人がいるね」
ぐぁっ痛ぅ!!
「そ、そウか。うん、俺も先週の水曜から元気無いなって思ってたんだヨ。そうだったのか~。
あ~、でも、三女も連中が一気に売り込みに出たのには気づいてたんだ」
「…?
あんなの誰でも気づくよ。監督さんも怒ってた」
「監督って、女子陸上部の?」
「そうだよ。『ご家族の皆さんにもご迷惑をお掛けして申し訳ありません』って、家にも謝罪に来られたよ」
意外だ。あの人が手を引いていると思っていたのに。
「でも、陸上連にはウチも色々な面でお世話になってるから無下には出来ないし、そもそもふたばは自分の意思で収録に行ったからね」
「へ?そうなのか?」
「うん。中学の終わり頃からかな?ふたばはTVに出る事に、急に積極的になったんだよね。
それでもこれまでみたいなスポーツ関連ならまだ分かるけど、バラエティまで出たがるなんてふたばらしくないよ。
そりゃ出演料なんかはありがたいけど、ウチはそこまで困ってるわけじゃないし、ほとんど貯金に回してるくらい。
何か目的があるんだとは思うけど、パパが聞いてもはぐらかして教えてくれないんだ。
しんちゃんは何か聞いてない?」
「いや、俺もそれは気になってたんだ。何度か聞いてみたけど教えてくれなかった。
でも、おじさんにも理由を言ってないなんて思ってなかったよ」
おじさんも三女も知らないとなると、長女…は無駄だな。そもそも、ふたばの変化に気づいているかどうかも怪しい。
「そっか……。
それにしても、今回の件はウチもまいってるよ…。芸能記者って、想像してた以上に迷惑な人たちだね」
「あれ?富士見選手のおかげで、この間みたいな奴らは来なくなったんじゃなかったのか?」
「確かにああいう正面から来る人たちは、ね。
でも今度は個人的にというか、一人で待ち構えてる記者がちょこちょこ現れるんだよ…。
盗撮を狙ってるらしき視線を感じるときもあるし…。」
「えぇっ!?大丈夫なのか?」
そりゃ大変だ!
実際、人見知りの三女は相当まいってるんだろう。
感情に従い、キラキラオーラが消えかかってる。声の透明度も下がってるし。
……しかし、それについては不幸中の幸いと言えるかもしれない。
もしキラキラ全開だったら、アイドルのスカウトがどかどか来て話が余計にややこしくなっていただろうな。
…『清純派小動物系毒舌アイドル』……。
いや…、意外に斬…新……か、も…?……やっぱ無理だな。どの方向狙ってんだよ。
って、いかん。今はそんなバカな事を考えてるときじゃなかった。
「うん…。
家の周りは、一度パパが派手に追い払ってくれたし、お巡りさんも協力してくれて大丈夫になったけど、
今度は私やみっちゃんの通学路とかバイト先に現れるようになって…。
ふたばのガードが固くなった分、私たちから情報を引き出そうって考えてるみたい。そんなもの何にも無いのに。
何人かは上手く警察に放り込んだけど、全然減った気がしないよ。ゴキブリみたいな連中だね」
「そ、そうか」
さすが。さらっと恐ろしい事を言うな。
しかし、最近の(一部の人間以外には)優しい三女にしては珍しく、全く容赦が無いな。何だろ?
「………どこに潜んでいるか分からないから、先生に会いに行けない…。最近、なんでか上手く人を撒けないし…。
下手なところを撮られたりしたら、先生に迷惑が掛かっちゃう…」
ああ、なるほど。キラキラが消えかかってるのもそっちが主原因か。
………。
三女も、辛いんだな。
難しいよな。人を好きになるって。
「三女、俺なんかが言っても「もう一週間も先生と会ってない…」ガリガリ
せめてもの慰めの言葉を掛けようとしたら、三女が爪を噛み、オーラの性質が急速に反転し始めた。
こ、これは久しぶりの、呪いの…!
「せっかく『遠出すれば近所の目を気にしなくても大丈夫ですよ』って、お出かけの説得も進んでたのに…。
服も化粧品も新しいのを準備してたのに…っ。絶対に許さない。末代まで祟る…」ヲオォォォ...
「お、おい、三女…?」
怖っ!久しぶりどころか過去最高濃度の漆黒のオーラが!
なんか周囲の景色が歪んでるし!
てか、花!プランターの花がしおれていく!気のせいっ、気のせいだよなっ!?
「大体、しんちゃんがヘタレなのが悪いんだよ…。
いつまでもグダグダとして、陸上連にはっきりと言わないからこんな事になったんだよ…。
分かってるの…?」ギヌロ
「ひっ、ひぃぃっ!
いやっ、ごめん!俺も一生懸命頑張ってるんだけど!!」
いたっ!痛い!向かって来たオーラがグサグサ刺さる!これも気のせいなの!?本当に痛いよ!!?
「………ごめん、しんちゃん」
「ひぃっ、許して…へ?」
俺を責め苛んでいたオーラが突然消えた。
三女の雰囲気は元に戻り、その目は悲しげに伏せられ、心底自責の念に駆られている事を伺わせる。
「本当にごめん。しんちゃんはいつもふたばのために頑張ってくれてる。今回の事だって、しんちゃんは何も悪くないよ。
違うの。こんな事言うつもりじゃなかったんだよ。
本当は、丸井家としては断然しんちゃんを応援してるから元気出して、って言いたかったんだ。
非道い事言ってごめん。
本当に私、どうしてこんなに非道い事言っちゃったんだろう」
「三女…」
「しんちゃんが元気じゃないと、誰もふたばを元気に出来ないよ。
陸上部の部長さんやふたばの友達からも、最近ふたばの元気がなくて心配だ、って電話があったんだ。
みんな『しんちゃん』に『頑張って』って伝えて欲しいって。
だからみんながしんちゃんを応援してるよ。私からも『頑張って』」
「あ、ありがとう。
…部長さんは知ってるけど、友達…って、女子の?」
「そうだよ。
ふたばは女の子にも…特に上級生に大人気なんだから」
そっか。
心配してくれる『友達』が沢山いるんだ。良かった。
そうだよ。もう俺が一緒じゃなくても、あいつは自分で自分の世界を広げられるんだ。
当たり前だ。もう高2なんだ。なのに俺は、あいつを小さな子供みたいに……。
「しんちゃん?どうしたの?」
「え?あ、いや。何でもないよ。
応援してくれて本当にありがとう。うん。元気出たよ。
でも、そもそもはお前の言った通りだ。俺が不甲斐無いばっかりに、悪いな。
みんなのためにも、お前と矢部先生のためにも、もっと頑張るよ」
「…先生……速やかに決着をつけてね」ギヌロ
「は、はいぃぃっ!」
とは言え、どうしたもんかね…。
いや、まずはあいつに謝らなきゃ、な。
――――――――――
今日の日練は久々の練習試合。相手は格下とは言え、最近頭角を現して来た武将頭高だ。
ここで活躍しておけば次の練習試合でもスタメン張れるし、冬のレギュラー選定にも有利に働く!
ザッ
よし!良い位置にセンタリングが上がった!
ゴールを狙える角度。しかし相手のDFはかなりの長身。
どうする!?
よぎるデジャヴ。一瞬のためらい。地を蹴るのが遅れる。
くそっ!
ドカッ
「うぐっ!」
ダメだ。今度はボールに届きすらしなかった…。
ちくしょうっ!!!
・
・
・
結局俺はあの後も点に絡めず、後半は下げられてしまった。
あのとき、ためらっていなければ…。
いや、俺は足がウリなんだから、もっと位置取りを意識した方が良いのか?
……それともこれが俺の限界なのか?ウチのレギュラーにすら届かないっていうのか…?
頭がグルグルする。ダメだ。今日はとっとと帰って、ゆっくり休もう。
プァプァー!
突然、背後からクラクションが鳴った。なんだよ?俺は歩道を通ってるぜ?
振り向くと、見た事のある白い車。あれは確か…。
「や、佐藤君」
「富士見選手…!?どうしたんです?また俺たちの学校になんて」
「うん。ちょっとね。今日はもう帰るだけだろ?送るよ」
「……はい」
・
・
・
「さっきの試合、見てたよ。いいセンスをしてる」
「…皮肉、ですか?さっきの試合、酷かった。いや、そもそも俺、ただの中堅高の準レギュラーですよ」
「いや、本音だよ。空中戦はセンスがモノを言う。あと足りないのは思い切りだね。
あのとき迷わず飛んでいれば、届いていたよ」
「…恐縮です」
「うん。それにプレイしているときの空気。君が本当にサッカー好きなんだって想いが伝わってきたよ。
そういう奴は強くなる。大丈夫。心配しなくても君はすぐレギュラーになれる」
「……ありがとうございます。
でも、今日はそんな事を言いに来てくれたわけじゃないでしょう?」
ここは、東京から気軽に来れる距離じゃない。
「うーん…。そうだね。僕もこういう回りくどいのは苦手だし、単刀直入に言うよ。
昨日、ふたばちゃんに正式にお付き合いをお願いした」
「で、断られたんでしょ?」
「いやー、厳しいなぁ。
…うん。ご名答、だ。
自分には世界一大好きな男の子がいる。絶対にその子のお嫁さんになると決めている。だから僕の気持ちには答えられない、って」
ぶぅ!
お、お嫁さんって…あの約束を…。いや、まさかそんな都合のいい事…。でもまさか…。
「それでね?未練がましくも、最後にその男の子の姿をもう一度確かめたくなった、ってわけさ。
…君たちは幼馴染なんだってね。どれくらいの付き合いなんだい?」
「多分、12、3年…もうちょっと、かな?気づいたときには一緒にいたって感じですから、正確にはわかりません」
「そうか。沢山のものを積み重ねてきたんだろうね。
僕は途中からこの国に移った人間だから、そういうのが希薄でね。本当に、うらやましいな。
………。
彼女は、君に全幅の信頼を寄せているよ。まるで親鳥を慕う雛のように」
「………」
しばし、無言の時間が過ぎて行く。
「無理言って、合宿にも着いて行かせてもらってね。彼女の走り、見せてもらったよ」
「……そう、ですか」
「彼女は、全力を出して走っていない」
「なっ!?」
一流ってのは、ちょっと見ただけでそんな事まで分かっちまうのか!?
ふたばの公式戦の成績は華々しい。
中学。2年生の冬から陸上を始めて、一年足らずで中体連優勝。
高校。1年生にしてインハイ記録大幅更新。
すげぇよ。凡人の俺から見れば、よだれが出るほどうらやましい成績だ。
でも‘あの’ふたばから考えれば、『その程度』でしかない。
確かに、中学では実力を出せない理由が有った。顧問が体面を気にする奴で、シューズを履かされていたんだ。
そう。あいつは靴を履くと実力を出せない。鴨小の奴なら誰でも知ってる。
それなりに高価な陸上用シューズなら、普通のスニーカーより多少はマシだろう。でも、そこまでだ。
なら高校では?高校からあいつが履いているのは、最新のスポーツ科学が作った、足を縛り付けない、あいつだけのためのシューズ。
俺は何度か見た。裸足よりも機敏に駆け回るあいつの姿を。
なら何故、『その程度』の結果しか出せない?何故、全力を出さない?
常に全力なのが『ふたば』のはずなのに。
一つの仮説。誰かが着いて来れる速さで走ってる。誰かとずっと一緒に居たいから。自分の在り様すら曲げて。
『まさかそんな都合のいい事』。そう笑い飛ばせれば、どんなに楽か。
「彼女の才能は本物だ。僕でも計り知れないほどに。間違いなく世界に…いや、歴史に名を残すアスリートになる」
!!?富士見選手にすら、そこまで言わせるほどなのか!?
…なんだよ。本当に俺なんかじゃ、どんなに……。
「君は、君には、どこまでの覚悟がある?」
「っ!?」
心を見透かされた気がして、露骨に動揺してしまう。
「さっき言ったね、君にはセンスがあるって。それは嘘じゃない。
このまま今の高校でレギュラーを取り、上手くいけば全国でベスト16まで行く事も出来るだろう。
でも、そこまでだ。
残酷な事を言うけれど、君からはその程度以上のモノを感じない。」
「…マジで残酷な事、言ってくれますね。さっきのお返しですか?」
声が震えてる。
何だよこれ?これで皮肉のつもりかよ、俺?
「もちろん、能力が釣り合わないから彼女に相応しくない、なんて言うつもりは無い。
でもやっぱり上のステージに行くとき、刺激し、高め合える人間がパートナーであったほうが良いのは間違いない」
「そりゃ、『釣り合わないから身を引け。自分こそが相応しい』って言ってるのと変わりませんよ」
「嫌わないでくれよ…っていうのは無理か。
でも、もう少し聞いてくれ。
君には彼女を刺激するだけのモノが無い。悪いけれど、それは事実だ。
その上で君は、それでも彼女の隣に居続ける覚悟があるのか?彼女のために何かを成す覚悟があるのか?それを聞きたい」
はっ!何だそんな事か!?そんな問いかけ、何年も前から自分にしてる!とっくに答えは出てる!!
「そりゃ!もちろん!!そんなの決まってる!!ずっと前から決まってて!その…!俺は…、あの……」
声が、出ない。
何だよ、俺。とっくに答えは出てるはずだろ?
それをこいつに言ってやるだけだ。簡単だろ?なあ!?
「……今すぐ答えを出してくれとは言わない。
けれど、なるべく早く出して欲しい。別れは、後になるほど辛くなる。
彼女の才能は底無しだけど、心は驚くほど澄んでいる。大きすぎる痛みには耐えられないかも知れない。
君の選択次第では最悪、世界中に感動を与えるほどの輝きを、
いや、もっと純粋に君にとって何より大切な『彼女』を壊してしまうかも知れない。
それだけは、覚えておいてくれ」
声が、出ない。
「彼女は君の人形じゃない。彼女の才能を浪費させる事は、決して許されない」
・
・
・
・
・
・
その後の事は、よく覚えていない。
母さんが、帰って来た俺の顔を見て、驚いていたような気は、する。
――――――――――
「いってきまーす…」
あー、くそっ。昨日はあいつの言葉が気になってほとんど眠れなかった。
月曜の朝がいっそう憂鬱になる。最悪だ。
だってのに、今日もバカみたいに良い天気。俺の方は十日以上曇ったままだよ!
ちくしょう!何もかもイライラする!!
「くそっ!!」
「うひゃうっ!?」
…へ?その声は…、
「ふたば!?」
「うん。おはよう、しんちゃん」
ふたばの笑顔。久しぶりに、俺を照らしてくれる。
「お、お前、何で?今日は東京のホテルから、直接…」
「昨日の夜に帰って来たんス。それに、車はもう要りませんって言って来たっス。
だから、今日からまた一緒に学校に行けるよ!」
「ほ、本当に…?」
「うん!!
りくじょうれんの人たちは怖かったけど、しんちゃんの姿を思い出したら勇気がわいてきて、はっきり言えたんだよ!!」
輝きが増す。俺は、泣きそうになる。
あぁ、なっさけねぇの。単純な男だよ、本当に。
「な、何だよ。それならそうと、早く教えろよ」
涙が零れそうなのが恥ずかしくて、ごまかすために憎まれ口をたたいてしまう。
ダメだ。伝えたい想いの万分の一も形に出来ていない。情けない。
「あ…、うん。
昨日、帰る前にしんちゃん家に電話したんスけど…。おばちゃんが、しんちゃんは調子が悪くて電話に出られない、って…。
しんちゃん、やっぱりまだ怒ってるっスか…?」
あ、あれ?そんな事、母さんに言ったっけ?
「いや、違うんだ。昨日はさ、練習試合とか色々あって疲れてたんだよ。もう何にも気にしてないって!」
「ほんと?」
「ほんと、ほんと!」
「良かった!!
ねぇ、しんちゃん。小生、しんちゃんに伝えたい事がい~~っぱいあるんだ!
だからね、今日は駅までの道も、電車に乗ってからも、たっくさんお話しよう!!」
ふたばが手を差し出してくれる。
あぁ、これでやっと毎日の光景に戻れる。
そうさ。俺たちはずっと一緒なんだ。俺もお前に伝えたい事がいっぱいあるよ。今日からまた、たくさん話をしていこう。
「ああ!行こう!」手を、
『君には、どこまでの覚悟がある?』
手が、空を掴む。
「?しんちゃん?」
「あ、ああ…。うん…。ほら、行こうぜ…」
そのままふたばを追い抜き、駅へ向かう。
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「しんちゃん!小生、分かっ――だ!やっ――しんちゃんは特別な――子だって!!だってそ――よ、しんちゃん――部をくれた!」
『特別』な女の子。可愛くて、純真で。そして、誰よりも強い。その輝きに誰もが心奪われる。
「だか――生、は――り言えるよ!しんちゃんが世界で一番す――って!!世――一番格――いって!!――で一番大――って!!!」
『一番』の女の子。世界中を探しても二人といない。空にたった一つであるように。その輝きを誰もが求める。
「小――けじゃ―い。みん――う言――?しんちゃんはす――。誰――――にあんなに頑張れ―――子は他―いない―――!」
なら俺は?何もかも中途半端。どこにでもいる。いや、でも頑張ってきたよ。いつもこいつに笑っていて欲しい、って。
「しんちゃん。ずっと――と――――う。――も隣に居て―――、あり――う。しんちゃんが一―――ら、小生、まっ――――――られる」
それだけ?大した理由も無い想い。そんな事、誰にでも出来る。俺は運良く幼馴染になっただけ。それだけで、いつまでも隣に居座る。
「ごめ――、しんちゃん…。こ――でめーわ――っかり――て。で―、――ら今―――生が頑張――い。頑張ってしんちゃん――――い」
頑張ってきた?それがどうした?もうただの足手まといだろ。今日だって練習を…せっかくの機会を無駄にさせ、怖い思いをさせた。
「………しんちゃん。学校、着いたよ…」
笑っていて欲しい?どの口がそれを言う?俺は、俺が泣かせたじゃないか。ほら、今もこんなに悲しそう。
結局何も成せていない。本当に、中途半端な男。
「……しんちゃん…。やっぱり、小生の伝え方じゃダメなの?小生の想い、伝わらないの?」
「え…?いや そんな事 無い って」お前の想いはよく分かってるさ。
でも、
だからこんなに苦しくて、痛いんだ―――
最終更新:2011年02月26日 07:52