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がちゃっ、がちゃがちゃ、がちゃり。
合鍵を使って先生の部屋にはいると、土間には数足の靴が並んでいた。
男物の革靴とスニーカー、ゴム長靴。
そして、女の子用のスニーカー。

女の子用のスニーカー?

サイズは目測22くらいで、私より大きい。泥汚れやすりきれがひどく、かかとのところには小さくS・Mと書かれている。
まさかSM用スニーカーじゃないだろうから(いくらなんでも、女児用スニーカーを着用して出歩くなどというマニアックな
羞恥プレイに手を染めたとは考えたくない)、きっと持ち主のイニシアルだろう。
名字がMで始まる人っていうと……だめだ、とっさに思い出せない。いずれにしても女の子であることは、間違いないだろうけど。

けど……何でこんなものがここにあるんだろう?

悪い想像が、脳裡をよぎる。私は急いで靴を脱ぎ、部屋に上がり込んだ。
入ってすぐに目を引いたのは、廊下の隅に置かれたボストンバッグだった。ブルーに白のラインが入ったバッグには、
白い犬やキノコ、さらにドクロや幽霊を摸したと思われるぬいぐるみが取り付けられている。明らかに女の子の持ち物だ。

一体だれの持ち物だろう?

訝りながら、私は部屋の奥に向かう。
目指すのは、廊下とは扉一枚隔てたリビングだ。悪い予感をおぼえながら、ドアを開いた。

その瞬間、私は凍り付いた。

大窓は遮光カーテンで覆われているが、それでもわずかな隙間から早朝の日差しが差し込んで、部屋全体が薄明に包まれている。

散らかったカップヌードルのプラ容器。
積み上げられたDVDケース。
壁に掛けられたシャツやズボン。
そこだけは綺麗に整理された、ガチレンジャーのフィギュア。
そして──そんな、まさか──窓際に置かれたベッドに横たわる、二つの人影。

一つのベッドの上に身を寄せ合うようにして眠る、先生と女の子。

「…………」

口の中が一瞬で干上がった。何? 何で? 何故? 誰? 疑問符が走馬燈のように頭を巡る。

女の子はベッドの手前側に、私に背を向けるようにして眠っている。背丈は私よりちょっと高いくらいだから、
小学生から中学生くらいだろう。腰から下にはタオルケットを掛けてるから見えないけれど、少なくとも上半身は裸。
ほっそりとした背中に、肩胛骨と脊柱の線が浮かんでいて、私なんかよりずっとエロティックだった。
それだけでもあんまりなのに、女の子は完全に寝入っているのか、先生の胸に顔をうずめてむにゃむにゃ言っている。
そしてその子の肩には、先生の手が優しく載っていて──

二人の寝姿を確認した瞬間、私の胸は発火したように熱くなった。最悪の想像がいよいよ現実味を帯びてきて、思わず声が裏返る。

「な──なんですかこれは、先生っ!!」

手のひらを叩きつけるように灯りをつけると(痛い)、ベッドの二人はのそのそと起きあがってこちらを見た。
まるで密通の現場を押さえられたみたいな仕草だった。

先生は寝惚け眼でこちらを見て、

「ひ、ひとはちゃん、ああ、おはよう」
「おはようございます。無事に童貞を卒業できたようですね。おめでとうございます」
「へ?」

先生はしばらくきょとんとしていたが、すぐに自分の胸元に顔をうずめている少女に気付いて真っ赤になる。
慌てて両手を振り、

「ご、誤解だよっ!! ひとはちゃん、これはその──」
「言い訳はけっこうです。月曜にはクラスでお赤飯を炊いて、お祝いしてあげますよ。楽しみに待っていてください」
「違うからねっ!! これはその、よんどころない事情で……」

「あら、三女さんじゃない」

振り向いた女の子が、こちらもまだ眠そうな顔で言った。
ん? 私のことを知ってる……それにこの顔、どこかで見たことがあるような。

ぱっちりとした黒い瞳、ほっそりとした首と、肩まで伸びた艶やかな黒髪。
上半身は裸で(なんて破廉恥な)、私よりずっと大きな二つの胸の膨らみが挑発的だった。
それだけじゃなくて、胸から下もすらりと細く、均整のとれたプロポーションだ。
下半身にはいちおう最低限の下着、つまりパンツを穿いていることに、ほんのちょっぴり安堵する。
けど一体誰だろう。こんなスタイルのいい女の子、知り合いにいたっけ──あ。

「ひょっとして……松岡さん?」

「そうよ。それより三女さんがどうしてここに?」

 顔がかっと熱くなった。慌てて返す言葉を探り、

「どうしてって……わ、私は単に……」
「天才美少女霊媒師の三女さんがこんな朝早くに矢部っちの部屋に来る理由……判ったわ!!
矢部っちには、やっぱり悪質な怨霊が憑いているのね!! よし、全身経文でお祓いよ!!」
「やめて松岡さんっ!! それ、ゆうべもやったでしょ!! 今朝は勘弁してーっ!!」

 結論。松岡さんはやっぱり松岡さんだ。

私はほっと安堵した。どうやら私が想像した「最悪の展開」には、なっていなかったようだ。
しかし胸の奥には、重石のように不安が残ったままだった。

    *  *  *

数分後、私は散らかったテーブルを挟み、先生と向かい合って正座していた。
松岡さんは廊下のキッチンで、甲斐甲斐しく動いている。朝ご飯を用意しているのだ。
先生のために他の女の子が働いていると思うと、ちょっと落ち着かない。

そんな私のそわそわをどう解釈しているのか、先生は口早に弁明を繰り返す。

「だからー、近所の墓地で女の子が寝泊まりしてるってうちの学校に連絡があって、ボクが様子を見に行くことになったんだよ。
そしたら松岡さんを見つけて、帰りたくないって言うから、結局うちに泊めることになっちゃったわけ。それだけなんだってば」

どうせまた、職員会議で他の先生たちから押しつけられたんだろう。そう思ったが口には出さなかった。かわりに、

「確かに女の子が野宿するのは問題ですけど、独身男性の部屋に泊めるのも同じくらいどうかと思います」

松岡さんにちらりと目をやってから、私は再び先生を睨み付ける。

「しかもあんな……同じのベッドで寝ているだなんて、破廉恥な。教育委員会に通報しますよ」

前半は本心だったが、後半は本気じゃなかった。もしも先生がいなくなってしまったとしたら、
これから半年の学校生活はまた鈍色にくすんでしまう。四月に比べて友達が増え、先生に頼るウエイトはかなり減少してきたけれど、
それでも私にとって先生は、かけがえのない先生だ。

それでもちょっとくらい脅かしてやらないと、気が済まない。案のじょう先生は焦りに焦って、

「それはやめてよ!! ……その、最初は別々の蒲団で寝ていたはずなんだけど」
「怒らないで、三女さん。どうも夜中にトイレに立ったあと、寝惚けて先生のベッドに潜り込んじゃったみたいなの。
全部私のせいなんだし、それになにもされてないから怒らないで」

松岡さんの弁護が、台所から飛んできた。

「なら、なんで裸だったの?」
「パジャマは矢部っちに借りたんだけど、寝てる間に邪魔だったから脱いじゃったみたいなのよね」

だからって、仮にも異性と一緒の蒲団に寝ていながら裸になるのはどうかと思う。
けれど、口を出さなかった。私だって、雨だの風邪だのいろいろと口実をつけて、先生の蒲団に潜り込んだことがあるのだから。

でも、だとすると。松岡さんも、先生のことが好きなんだろうか──?

口が裂けても訊けない質問だったけれど、たぶん違うだろう。
除霊のためなら先生の四年生を見てもびくともしない松岡さんのことだ、たとえ先生と同じベッドで寝ていたとしても、
寝惚けて服を脱ぐくらいは、深い考えもなしにやりかねない。

私は松岡さんを見つめる。台所の彼女はカーペンターズの「SING」を口ずさみながら(うまい)、
おたまに唇をつけて味噌汁を味見しているところだった。

「……ん、いい感じ。矢部っち、テーブルの上、片付けて」
「あ、うん」

エプロン姿の松岡さんの声に応じて、先生と私が机の上にあったエロ本をどける。
私はその間ずっと、松岡さんが口をつけたおたまを見つめていた。もちろん、味見をしたおたまなんていちいち洗ったりなんてしない。

松岡さんが口を付けたおたまは、先生がこれから飲むであろう味噌汁の中へもどされ、
松岡さんが口を付けたおたまが、味噌汁をすくってお椀によそる。

私はその光景を、ブラウン管の中の光景のように見つめて──

「矢部っち、ありがとー。はい、私の得意料理よ」

ぼぅっとしているあいだに、松岡さんが両手に大皿を持ってきて、それをテーブルの真ん中にどんと置いた。
皿の上に載っているウインナいりオムレツが湯気を立て、部屋に美味しそうな匂いが満ちる。

先生はきらきらした眼で鼻をうごめかし、

「凄いね、松岡さん。とってもおいしそう」
「えへっ、料理は得意なんだ。子供の頃から作ってたから。はい、ご飯とおみそ汁。三女さんの分もね」

 とん、と目の前にご飯茶碗と汁椀を置かれた。食べるつもりなんてなかったから、ちょっと焦る。

「わ、私はすぐに帰るから……ここに来たのは、チクビを連れだしに来ただけだし」
「そうなの? でも、せっかくだから食べていって。三人分作ったんだし」
「むぅ」

なんだか先生の奥さんみたいな言動だな、と思うと胸が疼いた。
本当は私も先生のためにご飯を作ってあげようと思っていたのに、思わぬ形で先を越されてしまった。
まぁ、松岡さんならそれ以上に発展することはないだろうから、その点は安心だけど。

「それじゃ、いただきまーす」
「どうぞどうぞ、召し上がれ」
「いただきます。……あ、美味しい」
「ほんと? 良かった、三女さんにそう言ってもらえて!」

正確には、ほんのちょっと私の好みからは外れている。けど、好みによってはこちらのほうが美味しいと感じる人もいるかも知れない。
主婦としては、ちょっぴり対抗意識が芽生える。明日には、私が二人に朝ご飯を作ってあげようかな、なんて思ってみたり。
先生はなんて言うだろう。松岡さんのと比べて、どっちが美味しいって言ってくれるだろう。

けど、

「うん、美味しい!! 何だか懐かしい味がするなぁ」
「ほんと? 良かった」

先生の一言に、対抗意識が一瞬で霧散した。どうやら先生の料理の好みは、松岡さんのそれと一致しているらしい。
お世辞とは思えないほど美味しそうに、ちょっとはしたないくらいの勢いで箸を付けている。
先ほど松岡さんが口をつけたおたまでかき混ぜた味噌汁を、美味しそうに美味しそうに飲んでいる。

松岡さんも嬉しそうに、先生の食べっぷりを見つめている。こうしていると本当に、
(松岡さんの容姿が大人びていることも相俟って)女子高生が憧れの先生に手料理を振る舞っているみたいだ。

胸の奥がざわざわと、不快な蠕動を繰り返した。
先週まで居心地の良かったこの部屋が、今では針のむしろのように私の足を突き刺した。

帰りたい、帰りたい、帰りたい。
いますぐこの場から逃げ出したい。

私はかきこむように食事を終えて立ち上がり、

「それじゃ私は、チクビを持ち帰ります。松岡さん、お皿、洗っておくね」
「あ、いいのよ三女さん。私が無理に出したんだから、置いておいてもらえればそれでいいわ」
「そう?」

なら、お言葉に甘えさせてもらおう。ここにはもう、いたくない。
私は廊下に散らばった荷物(ベッドで寝ている先生と松岡さんを見たとき、びっくりして落としたものだ)をまとめると、
ケージをつかんで玄関に向かい、ドアを開けながら声をかける。

「それじゃ、お邪魔しました。夕方には、チクビを返しに来ますから」
「うん、どうぞどうぞ。ぼくたちはこれから買い物に行ってくるから、もし留守だったら勝手に開けて戻しに来て」
「買い物?」
「うん。松岡さん、しばらくうちに泊まり込むって。やっぱり女の子を泊めるとなると、色々と必要だからね。
いつまでも同じベッドで寝ているわけにも行かないし」
「……そうですか」

どうやら松岡さんは本格的に、この部屋に住み込むつもりらしい。
独身男性の部屋に女子小学生を泊める先生も先生だけど、あっさり泊まる松岡さんも松岡さんだ。
休日に先生の部屋に押しかけている私以上じゃないか。
けど、松岡さんが納得している以上、私が口出しすることではない。改めて玄関のドアを開き、

「お邪魔しました」

先生の家で一緒に観ようと思っていたガチレンジャーを見忘れたけど、それさえももうどうでも良かった。
何か大切なものを置き忘れてきたような気持ちのまま、私は先生の部屋を立ち去った。
                    (続く)