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嚢日松岡咲子が帰ろうと靴場で履き替えを足し、外に出ると甚雨が絶え間なく降っていた。
空では叢雲が大手を振り、校庭に咲く花を軽やかに揺らし耽る。
月に叢雲花に風とは、よく言ったものだ。
こんな日は大概憂に依る者が多いが、松岡咲子は別だった。
「こんな雨の日こそ霊が出るかもしれないわっ!」
そう言うと、咲子は、櫛風沐雨無く、再び校舎へと足を戻した。


和船の艫を漕ぐが如く、校舎内を逆送し、咲子はある人物に眼があった。
「あ……」
向こうさんもどうやら気づいたようで短く、感嘆の声を漏らす。
「久保田くんっ!」
咲子は破顔一笑し、駆け寄った。
というのも彼とは自分が死んだと勘違いした時友達になってと言ったまま、関係が拗けたままだったので、咲子としては、それを放っておくのはあまり、気持ちのよいものではない。
「今帰りなの?」
咲子は、無邪気な笑顔で久保田の純情を意も知らず玩ぶ。
「あ、うん……」
ちらちらと、面映ゆそうに顔を横目で盗み見る。
久保田にとって、咲子は意中の相手なのでその反応は当然だろう。
「じゃあさ、ちょっと付き合ってくれない?」
「え……!?」
久保田は困ったように驚いて、咲子の方を向く。
その時に間近で顔を捉えてしまった。
吸い込まれそうな程無垢な瞳に、艶やかな口元、黒髪の色つや、いつも服装を気にかける乙女心、そして何より自分なんかに気さくに話しかけてくれる優しさ。
その可憐さに或る種の狡さも感じた。
「……うん。いいよ。」
だが、結局は頬を緋に染め言いなりになってしまう。男とは難儀なものなのだ。「ほんとっ!?ありがとう!えーっと……」
「あ、久保田です……」
「ありがとう、久保田くん!!」
歓喜の余り、手を固く結ぶ。それだけで、久保田は少し浮かばれた気持ちになったが、青雲紫陌の譏り、すぐに手を引かれ、校舎探索へと赴くのだった。

暫時咲子と久保田は再び靴場に戻っていた。
結局霊らしきものは見つからず、見回りをしていた先生に促され、強制的に下校を余儀無くされた次第である。
「はぁー、今日もいなかったわ。ごめんね、久保田くん。付き合わせちゃって。」
「いや、全然……」
「でも、二人で探したのに見つからないなんて、これじゃただ二人で校舎内をデー……」
咲子の言葉が詰まる。その先に続く言葉の意味を理解し、独りでに恥ずかしくなったからだ。
「どうしたの、ま、松岡さん……?」
訳知らぬ顔で久保田が咲子の顔を覗く。
「ひゃ?!い、いや、なんでもないよっ!?か、帰ろっ!!」
誤魔化すように咲子は立ち上がり、外に出たが、未だ甚雨は遮断するようにカーテンを張り、校内と校外とを隔ててあった。
そこで、咲子はある事に気づく。
「あ、傘……」
雨の日に在るべくはずの物が無い。
「どうしよう……」
咲子は両頬に手を当て考えた。
そこで、すぐに母親に電話をすることを閃く。
しかし、ポケットから携帯を出そうとした時、背後から遠慮がちな声が聞こえた。
「あの、松岡さん……。傘持ってるから、これ使っていいよ」
そう言って取り出していたのは、小さな折り畳み傘だった。
「えっ……」
咲子はその申し出に戸惑う。確かに傘は要するが……。
「でも、久保田くんが濡れちゃうんじゃない?」
当然の疑問を投げかける。
「い、いや、僕は家が近いし。大丈夫だよ」
慣れないことをしているせいか、こそばゆそうに、人差し指を折り曲げ頬を掻く。
しかし、それでも濡れる事に変わりなかった。
考えた末、咲子は再び閃く。
「じゃあ……」

「あ、濡れてるよ、久保田くん。もっとこっち寄ってきなよ」
「う、うん……」
結句、二人は一つの傘で帰ることにした。
久保田と咲子は肩をくっつけるよりも、抱き合うに近い形で足並みを揃えている。
傘を持っていたのは咲子だったので、久保田は萎縮しすぐに離れようと自ら濡れにいった。
「ほら、また濡れてるよっ」
グイッと肩を引き寄せられ、身体が密着する。
その拍子に咲子の柔らかな乳房に肩が触れたので、久保田はその余韻を密かに噛み締め拳々服膺とした。
「雨、止まないね」
咲子が告げる。
「そ、そうだね……」
耳まで緋に染め、せっかくの心地を楽しむ余裕なく久保田は返した。
雨は滞りなく降り続けている。
まるで二人の末を温かく見守るように。

それは、すでに七月も半ばにさしかかった、梅雨の或る日の出来事だった。