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「ひとはちゃん、昨日ぽっぺたに絆創膏貼ってたけど何かあったの?」

担任である矢部が丸井ひとはに唐突に聞いてきた。
何かあったもなにも、虫歯になっていただけだ。
本来なら絆創膏を貼るようなことまでしなくても良かったのだが、単にばれてしまうのが嫌だった。
歯医者に行けと言われるのが怖かっただけ。
しかし、姉のみつばと一悶着あった後、結局は歯医者に行き大穴を空けてもらった。
削られる時はやはり怖かったが、虫歯自体の痛みはもうない。そのため、昨日とは違ういつもの顔で登校していた。
そのことを矢部に聞かれているだけである。が、素直に答えるのも面白くない。

「実は、とあるものと勝負を」
「えぇっ!?勝負で怪我だなんて!ダメだよ、そんなことしちゃあ」
「もう終わったコトですし」
「うーん、そうはいってもひとはちゃんのこと心配だし」
「…相手は強かったです。私が隙を見せていたところ、私の体の一部に穴を開け、激痛に襲われました」
「あ、穴!?そんなの絆創膏程度じゃダメでしょう!?」
「穴はほっぺに開いたわけではありません」
「そ、そっか…」

とりあえず昨日見たほっぺたに穴が開いたわけではないとのことで、少しだけ胸を撫で下ろす矢部。
しかし、どちらにせよ何かあったことには違いない。実際は虫歯での穴だが。

「それじゃ、一体どこに?」
「普段…見えないトコロです」
「うぅ…。ひとはちゃん、その穴どうしたの…?}
「穴は仮の処置としてモノを詰め込んでいます」
「大事じゃないか!それにどうやって勝負相手をどうにかしたのさ!?」
「それは片手にドリルを構えた白装束の人に何とかしてもらいました」
「ドリル!?白装束!?!?」

単に歯医者のことである。
が、事実を知らない矢部は、目の前の少女がどういう繋がりの人に助けられたか全く想像もつかなかった。
あらぬ人間関係を想像してしまう。

「白装束の人のところに行くのは怖かったですが、そうしなければどうにもならなかったんです」
「ご、ごめんねひとはちゃん…。そんな時に力になってあげられなくて」

矢部が軽く混乱しつつ、生徒の力になれなかったことに沈んでいる。
ひとはは歯科に行くのが怖かっただけだ。

「いえ、おかげで私の虫歯は削られ、今は平穏です」
「…え?虫…歯…?」
「そうですよ?」

「体の一部の歯に穴が開き、歯科に行くのは怖かったですが、ドリルで削ってもらって虫歯をなんとかしてもらいました」

一気に脱力する矢部。ひとはに危機が迫っていたと思い込み、緊張していたのだから当然だ。
対してひとはは、例の満足げな顔を浮かべている。よほど楽しかったのだろう。

「うぅ…まぁでもひとはちゃんに大きな怪我があったわけじゃなくて良かったよ」

純粋に心配していただけに大きく安堵する矢部。
できればからかうのは止めて欲しかったが、それもひとはの一部であると分かっているので、半ば諦めている。
それに気がかりなこともできてしまった。

「それにしても、虫歯か……ひとはちゃん、お家で歯は」
「磨いてますよ」
「だよねぇ…うーん」
「先生、どうしたんですか?」
「あ、うん、ちょっとね」
「先生も虫歯に?」
「あはは、それは違うよ」
「そう、ですか」

何かを考え込む矢部。
いぶかしむひとはであったが、本人にとってはこれで終わった話であった。


―――――――――――――――――――
土曜。
学校はお休みで、チクビは矢部の部屋。
そのため、当たり前のことだが

「チクビ、おはよう」

丸井ひとはが矢部の部屋に居る。

「先生は…まだ寝てる、かな」
「ん…おはよう、ひとはちゃん」

自分の部屋で、いつものように物音がする。
矢部は、最初の頃は本当にどうしようかと考えていたものだが、慣れとは恐ろしいもので、今や違和感を感じていない。
勿論目は覚めるが、まぁいいかという心境にまでなっていた。
それに二人でガチレンジャーを見るのも悪くはないのだ。同好の者と語ることは非常に楽しい。
つまるところ矢部は、自分の部屋にひとはが当たり前のように居る事実を受け入れていた。

「おはようございます」

軽く挨拶を返すひとは。
普段と変わらないその日の始まりに流されそうであったが、矢部は自分がしようとしたことを思い出す。

「あ、そうだひとはちゃん。渡すものがあるんだけど。えーっと…どこに置いたっけな…」
「何ですか?先生オススメのエロ本ですか?趣味が悪いからいらないですよ」
「もう!そんなのじゃないよ!っと、あったあった。はい、これ」
「どうしたんですか、これ?」
「ひとはちゃん、うちによく来るし、場合によってはここで何か食べることもあるから、買っておいたんだ」

そういって矢部がひとはに渡したものはハブラシ。
常識的に考えてこんなものを渡すのは、同棲に近い状態の彼女や、頻繁に家に来る女性に、である。
そんなものを小学生のひとはに贈る矢部はやはりどこかネジがずれている。
朴念仁である矢部自身は分からずにやっていることであるが、既にそんな状況であるという事実を無視しているひとはも大概だ。
どちらにせよ、ひとははこういったものを何の前触れもなく渡してくる矢部を驚きを込めて最低だと思った。だから言う。

「先生、意味分かってます?」
「え?あぁこれね、この前ひとはちゃんが虫歯になったって言ってたからね。
ウチでも何か食べることもあるし、その後に磨いたりしなかったからかなーと思って、買っておいたんだ」
「…これ私が使ったあと咥えたり…」
「しないよ!何言ってんの!?」
「……別にいいですけどね。まぁ貰った以上は使ってあげます。
あと、こういうものを渡す時は事前に言っておいてください」
「え?何で?」
「…バカですか」
「ひどっ!?」

そう、だから矢部はバカだと言うのだ。こういった日常品を男性の家に置いておく。
これを女の子に突然渡すことの意味も考えない。だから最低だと罵って、微かに内心を伝えるのだ。

「でも、ありがとうございます」
「あはは、いいよ。僕のほうも気づかなかったことだしね」

別に今朝、歯を磨いていないわけではない。それでもこれは贈り物だ。
使っておきたいという気持ちが膨らむ。こんなときだけ空気を読む矢部は、ひとはに動機を用意する。

「それじゃ僕も起きたことだし、まずは歯でも磨こうかな。…ひとはちゃんも磨く?」
「!はい、先生」

二人の会話が止まり、ただ音だけが響く部屋。

そして無言が過ぎ去り。使い終わったハブラシをコップに立てかける。

磨き終わった部屋で二人の声を、二つのハブラシが寄りかかりながら聞いていた。