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──三月二十日日曜日──

「……と……」
先生……。
「……とは」
先生、先生っ……。
「ひとは!」
「わっ」
突然の叫び声に私は目が覚めたように顔を上げる。
「卵焼き焦げてるよ?」
「……あぁ」
ぼんやり返事をしながら、フライパンの卵焼きをひっくり返した。
……これはもうダメだな。真っ黒だ。
失敗した卵焼きはあとから、焦げを外して食べるとして、もう一個新たに焼き始める。
「ひと、大丈夫?」
ふたばが心配そうに訪ねてきた。
「大丈夫だよ。いいから席に座ってて」
「でも……」
うるさいなぁ。いいから、ほっといてよ。
「大丈夫だから……」
ふたばは、心配そうに私を見ながら居間に戻っていく。
……ふたばは心配してくれてる。
それは、私にも分かっていた。だけど……。
「……」


私は、チクビ用のお弁当を作って矢部先生の家に向かっていた。
何をしているんだろう?もう……言われたのに。
こみ上げてきた涙を拭く。
……そうだよ。私はチクビに会いに来たんだよ。矢部先生に会いに来たわけじゃない。
自分に言い聞かせると、少し気持ちが楽になった。
チクビに餌をやりに行って、驚いている矢部先生の家に上がり込んで……。
大丈夫。きっと矢部先生だったら、入れてくれる。そしたら……、少しずつ話そう。たくさん、話をしよう。
そうだ、またエロ本を片付けてあげよう。たまには、ご飯とか作ってあげて……
その時は、一緒に買い物に行ったりして、何が好きかとか、私が得意な料理とか……。
涙がポロポロと溢れてくる。
あぁ、やっぱりまだ……私はこんなにも矢部先生の事が好きなんだ……っ。
両手に持ったお弁当箱に、涙が染み込む。
「うっ……ひっく……」
嗚咽混じりに声を押し殺して、泣いた。

「ひとは……」
名前を呼ばれ、私はゆっくり顔を上げる。
聞き慣れた声……それは。
「みっ……ちゃん……」
なんでこんなところに……?
「……帰るわよ」
歩み寄ってきたみっちゃんは、私の手を掴み引っ張っていく。訳も分からず、涙も拭わないまま、私は引っ張られるままに連れて行かれる。
「みっちゃん、待って、話して。私はチクビに……」
「フラレたんでしょ」
その言葉が私の胸に突き刺さる。
「な、何言って……」
だけど、尚も私は惚けた。そんな私にみっちゃんは現実を突きつける。
「ひとは……あの童貞に何言われたか知らないけど、あんたは、フラレたのよ。わかるでしょ。」
「ちがっ……」
「違わない」
みっちゃんは、冷たく言い切った。
(やめて……もう、やめて……っ)
「私は……私は……」
「でもそれは、あんたに問題があるわけじゃないでしょ」
私を引っ張っているみっちゃんは、少し泣いてる気がした。
「子どもだからとか……、そんな事言うのは私も嫌いだけど……」
だけどみっちゃんは、強く、言葉を、強く、私に伝える。
「今は歩くしかないけど……待つしかないけど……泣くしかないけど……強く、生きるわよ、ひとは」
「みっちゃん……」
そう言うみっちゃんは本当に辛そうで……、私は返事をする代わりに手を握り返す。
(今は……そうだ、今は……)
私は涙を拭う。一回では拭き取りきれず、何度も拭った……。
桜が咲き始めた、春先の出来事だった。




──数年後──
頭にお団子を結わえた少女は立っていた。
数年ぶりのインターホンをなれた手つきで押そうと指を伸ばす。
ガチャ。
それより早く扉は開いた。
「いらっしゃい」
中から、矢部がにこやかに迎える。
少女は……、大きくなった少女は、涙を浮かべ、その名を呼んだ。
「先生……」
「待たせたね、ごめんね」
その顔に笑顔を携え、少女は恋い焦がれた担任の名を何度も呼ぶ。
その一つ一つに、数年分の愛をこめて……。

「先生、大好きっ」

~Fin~