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スィー。

私は音もなく歩いていく。

「あぁっ!待ってよ、ひとはちゃ~んっ!」

「近寄らないでください、変態」

謝ってくる矢部先生から逃げるように、歩いていく。

「さっきのはワザとじゃないんだよ!本当に!」

「それで通用すると思ってるんですか?この現代社会に」

「うっ……。確かにガチレンジャーごっこ中の事故とはいえ、その……胸に当たった事は悪かったと思うけど……あいたっ!?」

わざわざ口に出して言うとは……。恥ずかしくなった私は先生の足のスネを少し蹴る。全く。なんて無神経なんだろう。変態だよ。変態教師だよ。

私はまたスィーと歩き、先生と距離を置いた。

「あいたたっ……あっ、ちょっと待ってよ、ひとはちゃーんっ!」

「来ないでください、近寄らないでください、息しないでください」

「ちょっ、最後のヒドくない!?」

先生はショックを受けたらしく、情けない顔をする。しばらく反省するといい。

「お、矢部っちがとうとう小学生に手を出そうとしてるぞ。それも三女さんに」

「やっぱり矢部っちは節操なさすぎるよっ!」

「ちょっと矢部っち!私を差し置いてひとはに手を出すなんてどういうつもりよっ!!」

「長女、ちょっと黙ってような……」

「そうっス!ひとはばっかりズルいっス!!」

「ふたば……お前もちょっと黙ってようか」

「もぉー!なんでそうなるの!?だから違うんだってば!」

先生はからかっている生徒達に必死に弁解し始めた。教育委員会に訴えられるといいよ。

私は、静かに先生の机の下に潜っていった。

夕方。

小学校から帰宅した私は、途中スーパーで買った具材を出していた。

今日のメニューは肉じゃがと、魚の煮つけ。あと、ご飯とお味噌汁……。

プルルル……。

その時、家の電話が鳴ったので、渋々取りに行く。

「も、もしもし……」

電話は苦手だ。というより、話すこと自体苦手なのだが。

『あぁ、ひとは?私よ』

だけど電話口から聞き慣れた声がしたのに、私は胸を撫で下ろした。

「なんだ、雌豚か」

『だれがよ!ふざけんじゃないわよっ!』

「で、何の用?」

『あぁ、そうそう。言い忘れる所だったわ。今日杉崎の家に泊まってくから』

「そうなの?じゃあ、夕飯は?」

『杉崎ん家で食べてくわ。だから、私の分は用意しなくていいわよ』

「そう……うん。わかった。……杉崎さん家を食糧難に追い込まないようにね」

『ちょっとっ!!そこまで食い意』

プツッ。ツーツー……。

途中で受話器を置く。

今日はみっちゃんの分は無しか……。

……まぁ、別に寂しくないよ。うん。寧ろ、良く食べる人がいなくて清々するよ。

プルルル……。

戻ろうとした時、また電話が鳴った。

誰だろう?私は受話器を取る。

「は、はい?」

『あ、ひとはっスか?小生、今日しんちゃん家にとまっていくことになったから!』

「え……?……そう、なんだ」

『うん!だから、小生の分の夕飯は用意しなくていいっスよ!』

「うん……わかった」

『じゃあねっ!』

プツッ。ツーツー……。

「……」

騒がしい姉だ。

溜め息をついて、私は受話器を置いた。その途端。

プルルル……。

……二度あることは三度ある、とは誰が考えた言葉なのだろうか?呪いたい程的確すぎる。

私は嫌になりながらも受話器を取った。

「も、もしも……?」

『おぉ、ひとはか?』

「パパ……」

『すまんな、今日帰れないかもしれないんだ』

「そうなの?仕事忙しいの?」

『あぁ。だから、今日は夕飯は食ってくるから』

「うん……」

『すまんな』

「うん……大丈夫。お仕事頑張ってね」

『あぁ、ありがとう、ひとは。それじゃあな』

「うん」

プツッ。ツーツー……。

私が言い終えると、電話は切れた。

……別に寂しくないよ。寂しくないんだよ。

自分に言い聞かせて、私は一人分だけになった夕飯を作り始めた。


「……作りすぎてしまった」

いつもたくさん作ってるせいか、予想より多くなってしまった。加減したつもりだったのに……。

どうしよう?余らせるのも、もったいない。

………………。

しばらく考えた末、私は矢部先生を呼ぶことにした。昼間のこともあって、少し呼びづらいが、どうせ私がこんな時間に呼べる人と言ったら先生ぐらいしかいないし……。

「……友達、か」

新学期始まってすぐの先生の言葉が、ふと思い出される。

「…………」

……私は、受話器を取って矢部先生の家の番号を押した。


「おっじゃまっしまーすっ♪」

思っていたよりも先生は早く来た。

私は玄関までわざわざ出向き、先生を迎える。

「いらっしゃいませ。じゃあ、どうぞそこに座ってください」

「ここ玄関だよっ!?」

「冗談です。こっちにどうぞ」

むふー。

先生の反応は楽しい。ここまでからかいがいのある人もいないだろう。

「もー、ひとはちゃんっ!でも、楽しみだな~ひとはちゃんの手料理」

「あ、各種解毒剤は揃えておきましたので、当たった場合でも安心してください」

「そうなんだ~……って、何に当たるの!?そして、何を混ぜたの!?」

「ふふふっ。さぁ、どうぞどうぞ」

既に食事が並べられたテーブルに先生を促す。

先生は促されるまま、そこに座った。

「うぅ、何だかあんな事を言われた後だと、素直に喜べないけど……いただきます」

「召し上がれ」

そう言って私は親指を立てた。

「いや、それさっきの台詞と合わせると不安になるから止めて……」

矢部先生はすっかり落ち込んだ顔をしている。面白い。むふぅー。

箸を手に持ち、先生は肉じゃがを一摘み、口に運んだ。

「もぐ、もぐ……」

味わっているようだ。そしてしばらく噛んだ後、先生は呟いた。

「あ、おいしい……」

警戒するように食べていた先生の表情が急激に晴れやかになる。

「美味しいよっ、ひとはちゃん!」

「良かったですね。おかわりもありますよ?」

「うんっ、ありがとう、ひとはちゃん!」

「いえ……」

私は、子供のように食べる矢部先生を見る。

……だらしない。こんな人が良く先生になれたものだ。というか、どうやって生きてきたのだろう?ちゃんと勉強していたのかも怪しすぎる。

「……ひとはちゃん?僕の顔に何か付いてる?」

はっ!

慌てて視線を逸らした。

「何でもありません」

「?そう?」

先生はそう言って箸を動かす。

……危なかった。先生の事を一瞬でも考えてしまうなんて無意味極まりないよ。まったくどうかしてる……。

私は肉じゃがを口に運んだ。

「それにしても、こんな美味しいご飯が毎日食べられるなんて、みつばちゃんもふたばちゃんもお父さんも幸せだなぁ」

「そうですか?」

素っ気なく、私は返答する。

「そうだよ。僕にも毎日作ってほしいくらいだよ」

「……………………………………………………………………………」

私は、言葉がうまく出せなかった。

……本当に、この先生は。

「……えぇと、なに?僕何か悪いこと言った?」

「……先生、」

「?なにひとはちゃん」

「阿呆ですか」

「えぇっ?なにいきなり!?」

はぁ……。

溜め息をつく。

女心というモノがわかってなさすぎるよ。この

「変態教師は」

「ひ、ひどいっ!ひどいよっ、ひとはちゃんっ!」

「すいません、心の声が漏れてしまいました」

「心の中でなんて言ったの!?ていうか、この際だから言っとくけど、僕は教え子には絶対手を出さないよっ!」

ズキッ……。

あれ?

「……っそうですか。安心しました」

なんだろうこれ?

私は胸の辺りを押さえる。

「もうっ、ひとはちゃんは」

矢部先生がブツブツと呟いている。

私は、締め付けられるような胸の痛みを堪え、箸を進めた。


……食事も終わり、私は洗い物をしていた。

その間、先生には居間でテレビを見て待ってもらっている。来てくれたのだから、見送りくらいはしてやろうという私なりの配慮だ。……まぁ洗い物をした後だが。

……。

それにしても、さっきのは何だったのだろうか?

まさか、私は……先生の事が好きなのだろうか?

……いや、そんな事があるわけない。

「あっ……」

洗い終わった皿に泡が残っていたのを見つけた。

どれだけ上の空だったのだろう?そう思いながら泡を洗い流す。

全く。私が先生の事を考えるなんてどうかしてる……。

最後の皿を水で洗い流し、水道をキュッと締めた。

エプロンで手を拭きながら居間の方へ行く。

「先生、洗い物終わっ……」

「ぐーっ」

「……寝てる」

なんてあつかましい先生だろう。お呼ばれした上で寝るなんて……。

「先生、起きてください」

「ぐーっ」


「……」

それでも起きない。

うーん。

だきしめてみようか?

私は溜め息を付いた。

はぁ。

先生に何をしようとしてるんだ。私は馬鹿か。

生きてはいるみたいだけど。

がーがーといびきまでかいてるし。

好きになるわけないよ、こんな先生を。

きになるなんて以ての外だ。

なのに……。

んー、と先生が寝言を呟く。

だらしない顔だよ、まったく。

「先生……風邪引きますよ」

顔を覗き込む。

見慣れた寝顔。でも、それは私よりもずっと大人で……。

先生の生きてきた年数分、私の知らない先生がいると思うと、先生との距離が途端に長くなったように感じられた。

「……」

心臓の音が徐々に速くなるのを感じる。

あれ?私は何をしようとしているんだ?

私は息を呑んで、それから、ゆっくり顔を近づけて行く……。