私たちは古い石段を登っていく。
「早くしてください、先生」
「ちょっ、ちょっと、まって……た、たいむっ」
そう言って、掃除用具を置いて、階段の途中で矢部先生は呼吸を整えはじめた。
急な坂を上って、すぐの階段だ。そんなに長くないとは言え、三十手前の先生には過酷だったのだろうか。
……もう、若くないんだなぁ。
そんな姿に私と矢部先生の間にある年齢の差を痛感する。
「はぁ……。もう、置いていきますよ」
私は、ひょい、ひょい、と軽い足取りで石段を登っていく。
「ま、待ってよ~」
情けない声を出しながら、先生は石段を登りはじめる。
「まったく……早漏で変態な上に体力もないんですか。生きてる意味あるんですか?」
「ひ、ひどいっ!そ、そこ、まで、言わ、なく、たって!」
……息を切らすのか、叫ぶのかはっきりしてほしい。
「冗談ですよ」
「すでに冗談になってないよっ!?ブラックジョークすぎるよ!」
やれやれ。
私は立ち止まり、先生に言う。
「ていうか、早く上がってきてください」
「う、うんっ……わかってるんだけど……僕も、寄る年波には勝てず……ハァハァ」
「あ、そこ、犬のウンチありましたよ?」
「え?もー、ひとはちゃんはまたそうやって人をからか……ってホントだぁぁぁぁ!!?」
足の裏を見て先生が泣き叫ぶ。
確か、あの靴はこの前卸したばかりの靴だ。
気持ちの悪い笑顔を浮かべながら、ガチレッドの履いてる物と同じだと、私に見せびらかしてきていた。
ご愁傷様。
そんな先生を後目に私は一人、階段を登り切っていた。
一面に見えるのは、無数の墓石……。
そこは、所謂“霊園”と呼ばれる場所だった。
――今日、私と矢部先生は“チクビ”のお墓参りに来ていた。
……私が小学校を卒業して、二年くらい経った頃らしい……。
老衰だった、と先生は教えてくれた。
「……」
なんで、側に置いておかなかったんだろう、と今更になって後悔する。
だけど、もう遅い。
チクビは死んだんだ。
それでも……私には、今一つ実感が沸かなかった……。
「はぁっ……、やっと、おい、ついたっ……」
遅れて、先生がやってくる。
「全く、こんな所に、お墓を作るなんてっ……、御先祖様も、どうかしてるよっ」
悪態をつきながら、先生は私の前を歩いていく。
私は、その先生の後に付いて行った。
簡単に掃除を済ませた後、手を合わせて、私は数秒目を閉じる。
『矢部家之墓』
それが、今のチクビの居場所だった。
――最近は、ペットを火葬する場所なんてものがあるらしい。
先生は、そこにチクビをお願いした後……チクビの骨壷をここに納めた……。
……先生は簡単に話していたが、ペットの骨を人間の墓に入れるなんて、嫌がる人も多い……。
それが昔の人なら尚更だ。
きっと、色々揉めたと思う……。
……目を開けて、立ち上がる。
日中汗にまみれて掃除した墓石は、日差しに照らされて綺麗な輝きを放っていた。
「……」
ごめんなさい。
心の中では、ずっと呟いていた。
それは、矢部先生の御先祖様に向けた言葉でもあるし、チクビに向けた言葉でもある。
でも、私がチクビに、本当に言いたいのは――……。
……先生は声をかけてこない。どうやら、この二年でそれぐらいは察するようになったらしい。
「……」
私はその墓を見る。
この墓には、私も入る予定だ。
もう少し……とは言えないけど、待っててね。チクビ。
目を閉じて……私は背を向ける。
「……行きましょうか。先生」
私は突っ立っている先生に声をかけた。
「……もう、いいの?」
先生は聞き返す。
「はい。……いつまでも別れを惜しむほど、子どもでもありませんので」
スィーと歩いていく。
「あっ、待ってよ、ひとはちゃーん」
ガチャガチャと急いで掃除用具を片付ける。
先生は追いかけて、私の横に並んだ。
「……今日は、ご飯でも食べに行――」
そう言いかけた後……私の顔を見るなり、先生の言葉は途切れる。
それは、なぜなら……。
私が……。
泣いていたからだ。
顔をぐしゃぐしゃにして、泣いていたからだ。
「うっ……ひっく……っ」
ごめんね……、ごめんね……。
自分でも止めることが出来ず、涙がポロポロと零れていく。
「ぐすっ……チクビィ……っ」
最後まで遊んであげられなくてごめんね……。
エサをあげられなくてごめんね……。
何度も、私は謝って、
それから……
ありがとう、チクビ……。
チクビに届くように、祈る――。
「……」
先生は、何も言わず隣に居てくれた。
私は、泣き続ける。
ただ、泣き続ける……。
そこは、どんな所何だろうね?チクビ……。
哀しくなるほど晴れた日……。
風は、私の涙をさらっていく……。
どこかで、
“チー”と……
チクビが鳴いたような気がした――……。
最終更新:2011年04月08日 22:30