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 沈みかけた太陽が、走り抜ける人影を数メートルに伸ばそうとしていた、秋晴れの日。
 砂場、ブランコ、滑り台。赤く染まった遊具で遊んでいた子供たちも、
母親の声と、カラスの鳴き声を聞いて、手を振りながら家へと帰っていく。

「かえろーぜ。またあしたな」
「おう。じゃあな、エースストライカー」
 サッカーをしていた二人の男の子も、泥まみれのボールを持ち、家路へ。
 残っているのは、近所では有名な、三つ子の幼稚園児の女の子と、もう一人――。

「ふー、“ひと”がどこに行ったか、しらない?」
 ブランコから飛び降りた女の子が、滑り台の階段を昇ろうとしていた女の子の
スカートの裾を引っ張って、そう言った。

「しらないよ。ふーが気づいたときには、いなかった」
「どうしよう、どこいっちゃったんだろう」
 二人は、草むらをかきわけ、トイレのドアを開けたりして、“ひと”と呼ばれた子を、
しばらく捜し回る。でも、見つからない。
 いるのは、ベンチに座って、一枚の紙切れを見つめたまま、動かない少年が一人だけ。
 どうして見つからないのだろう。腕を組んで首を傾げる二人。タイミングはピッタリだ。

「パパをよんでこよう。きっとすぐに見つけてくれるよ」
「そうだね、そうしよう」
 とてちてと、公園から出て、道路の果てに消えていく二人を背に。再び公園内を見やると。

「進路希望なんて、無意味だし、不必要だよな……」
 そこには、先ほどからベンチに座ったままの少年が一人。
 手に持っていた紙を、地面に置いたままのバッグにねじ込み、ため息を吐いた。
 歳は、十五 、六くらいだろうか。しわだらけのブレザーに、所々が擦り切れている長ズボン。
 夕陽を受け続けているせいか、額からは、一滴の汗。
 しばらくの沈黙……落ち着いてきたのだろうか。ふと、少年が足下を見やると。

「むいみだし、ふひつようだよ」
 ベンチの下から、人の気配。慌てて仰け反って、落ちかけた少年をよそに、ほふく前進のまま、
這い出てきたのは……女の子だった。黒髪が、夕陽の橙を照り返している。

「ビックリしたなあ。どうしたの、こんな所で」
 少年が、問い掛ける。
「おかまいなく。ここがおちつくだけですから」
 再び身体をベンチの下に引っ込める女の子。

 戻るんかいっ。
 心の中で突っ込みを入れながら、少年は女の子に、身体が汚れるから出てくる様に説得する。
「早く出よう」
「でない」
「出ないの?」
「でたくない」
 問答すること五分。
 お母さん達が心配するよ。と、少年に諭されて、ようやく這い出てきた女の子。
 しかし、立ち上がった女の子の目は、潤んでいた。

「ママは、いない。パパは、お家でお仕事してる」
 振り絞る様に声を出す女の子を見て、少年は後悔した。触れてはいけない話だったのだと。
「ごめんね、全然知らなくて。その代わり、何でも言う事聞いてあげるから」
「なんでも?」
「そう、何でも」

 女の子が、腕を組み、首を傾げて何やら考え始めた。
 似たような仕草を、どこかで見たような気がする。
「じゃあ、かくれんぼしたい」
「それは今までやってたんじゃないかな」
「おにごっこ」
「すぐに勝負がついちゃうと思うけど……」
「おままごと」
「それならいいか。いいよ、お兄さんとでよければ」
 よっぽど嬉しかったのか。初めて笑顔を見せた女の子が、深く息を吸ったかと思うと。

「むふぅ~」鼻から、一気に空気を吐き出した。

 夜のとばりが降りていく中。早速、二人はおままごとの準備を始めた。
 木の枝を使って、まずは地面に線を引いていく。あっという間に、
二畳程のスペースの長方形が出来上がった。
 その中に、大小さまざまな石を置いて、家具の代わりにする。
 大きい石は冷蔵庫。平たい石はテーブルのつもり。
 あれこれと動いて、セッティングが終わると、いよいよ本番開始だ。

「ただいま、今帰ったよ」
 風が頬を撫でる中。夫役の少年が、透明なドアをノックする。
 それに気がついて、ドアを開けるフリをする、奥さま役の女の子。
「おかえりなさい。せびろは、げんかんにかけておきますね」
 見えない上着を渡してから、少年は地べたに座り込む。
 テーブルには、食事のつもりだろうか。泥団子や、タンポポの花が添えられている。
「さあ、めしあがれ」
「ははは……じゃあ、いただくね」

 右手をチョキの形にして、お箸の代わりにする。
 食べたフリをするのも大変だ。アゴガ痛くなってしまう。
「このあとはどうしますか。オフロにする? それとも……」
 歳不相応の色気のある声に、少年の手元の泥団子が四方に飛び散った。

「どこから覚えてくるの、そんな言葉」
「きのう、マンガでみた。お姉ちゃんにかりて、なんどもみてる」
 最近の子どもは……それとも、自分が無知なだけなのか。あっけにとられている少年をよそに、
大事な物が足りていないことに、女の子が気づいた。
 手を伸ばしたのは、ベンチの下に設けられた仮設の荷物置場。

「けっこんゆびわ、はめてないよ」
 取り出して、少年に手渡したのは、クローバーで作られた即席の指輪だった。
 葉っぱが、一枚だけくっついている指輪が二つ。
 弱い力で編まれているせいか、今にもほつれそうだ。
 おままごとだからしょうがないかと、少年がお互いの薬指に指輪を嵌める。

「じゃあつぎは、おやすみのキスだね」
 間髪入れず、女の子が、目を輝かせる。少年の目は点になっていた。
 どうやらマンガの内容の続きらしい。
 さすがに犯罪ではないだろうか。相手は幼稚園児にしか見えないし。悩む少年。

「どうしたの」構う事なく、女の子が迫ってくる。
「……できないの?」
 誘惑に、少年は屈した。目を閉じたまま、二人の唇の距離が縮まっていく。
 五十センチ、三十センチ、十センチ。そろそろ、重なってもいいころだ。
 ファーストキス……しかし、少年の唇に伝わってきた感触は、大福餅の様なやわらかさではなく、
踏みしめられた砂の固さと、冷たさだった。

「貴様……娘に何をしているんだ?」
 同時に、ドスの効いた声が、天上から振り下ろされる。嫌な予感。
 顔を上げると、二十代後半くらいの細身の青年と二人の女の子が、
黒髪の女の子を、がっちりと三方からガードしていた。

「もう大丈夫だぞ、パパが来たからな。二人が知らせてくれたおかけだ」
「ふー、すごくしんぱいしたんだよ」
「みっちゃんだって、しんぱいしてたんだからっ」
 三人とも、安堵と焦りと怒りが入り混じった表情で、女の子の頭を撫でている。
 当の本人は、状況が理解出来ていないようだが。

「さて、娘が世話になったようだな」
 パパと名乗った青年の指の関節が、パキポキと鳴らされる。

「安心しろ。俺も暴力を振るうつもりはない、娘たちの前だからな。
 黙ってここから去ってくれれば、見逃してやろう」
「あ、いや……ですから、それは誤解で」
「二度は言わないぞ、どうなんだ」
 青年の拳から、熱気がたちこめる。

「すっ、すいませんでしたー!」
 バッグを引きずり、公園から全力で逃げ出す少年。
 走りぬいて、自宅にある自分の部屋に着いた時には。周囲は完全に暗くなっていた。
 電気をつけて、バッグを机の上に置き、椅子に座り込む。
 どれだけ恐怖に怯えているのだろう、と思いきや。

「あの女の子……楽しそうだったなあ。こんなに取り柄のない、僕といたのに」
 薬指にまかれた指輪を見つめながら、少年の顔は……自信に満ちあふれていた。
 こんな僕でも、あの子を笑顔にしてあげられたんだ。もっと、多くの子どもたちの笑顔が見たい。
 それが、僕が将来やりたいと思っていたことなんだと、信じてみたい。

「よ~し、頑張るぞー!」
 バッグから、紙きれを取り出し、机の上に目一杯に広げる。線で囲まれた枠の中。
 少年はペンを握りしめ、希望職業と書かれた欄に『教師』と、迷いなく書き綴った。

 八年後。少年は教師になり、夢を叶えた。鴨橋小学校、六年三組の担任の先生。
 問題児だらけのこのクラスに着任して、慌ただしい日々を送っている。
 そんな、ある日の朝の教室。

「先生、おはようございます」
「おはよう、ひとはちゃん。僕の足下から出てくるのは、もういつものことだね」
 机の下から挨拶する、ひとはと呼ばれた、黒いお団子頭の少女。
 ちょっと不思議な雰囲気の、小学六年生だ。
「先生……そのお守りは?」
 ふと、ひとはが、先生のズボンのポケットから、お守りの頭がはみ出しているのを見つけた。

「ああ、これはね。僕が学生の頃から使っている物なんだ。合格祈願のね」
 先生が、取り出したお守りを、這い出してきたひとはが見えやすい様に教卓の上に置いた。
「それと、お守りの中にもう一つ。大切な物が入ってるんだ」
「大切な物?」
「僕が先生を目指すきっかけになった子がくれたんだ。正確には、
 どさくさ紛れに持ってきちゃったんだけどね」

 照れ臭そうに、先生が笑う。と、チャイムの音が、教室内に響く。
「さあて、休み時間は終わりだよ。ひとはちゃんも席に戻って」
「わかりました」
 席に戻ったひとはが、教科書……ではなく、自前のカバーがかかった本を、
パラパラとめくる。本の中身は。

 離ればなれになっていた男女が、八年振りに再会。
 苦難や世間の目を乗り越え、最終的に二人は結ばれる。
 ひとはが昔から読んでいる漫画のワイド版使用の中の一文だ。

 いきなり結婚指輪を渡したり、キスしようだなんて、ベタな展開すぎて非常にくだらない。
 でも、不思議と繰り返し見てしまう。
(昔から使っている、この栞のせいだろうか)
 ひとはが、本に挟まれていた栞を取り出す。
 この漫画を読む時だけ使用している、一つ葉のクローバーを使った栞。
 昔、この栞は別の何かで、しかも二つあったような気がする。そして、誰かに渡したような。

 身近にいる誰かだったら、面白いんだろうなあ。そっと、栞を本に戻す。
 もう一つのクローバーが、先生のお守りの中にあることを、ひとはが知るのは。また別のお話。