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 とにかく私はムギに鍵を渡して開けてもらい、屋上に机を運び出した。

 デジタル数字の「505」のように机を並べ、丸みをもたせてSOSにした。

 作業を終えて、私は水にぷかぷか浮いて休んだ。

唯「りっちゃん、1階どうだった?」

律「ん……けっこう苦しかったから、余裕持ったほうがいいぞ」

律「まだ頭痛いし……」

梓「それにしても、よく無事でしたね」

律「……そうだな」

 天井を眺めながら私は頷いて、沈んだ。

 膝立ちになってカチューシャを外すと、水を顔にぶつける。

唯「じゃあ私たち、ちょっとだけ行ってみるね」

律「あぁ、すぐ戻ってこいよ」

唯「うん、3分たって戻らなかったら助けに来てね」




律「なにを勝手なこと言ってんだか……」

 膨らんだ袋を片手に潜っていく唯と梓を見送ると、私は立ち上がった。

 3階に続く階段の方にざぶざぶ向かい、ムギを探す。

 階段を上がっても見つからず、また降りてきたら出会うことができた。

律「ムギ」

紬「あ、りっちゃん。どうかした?」

律「いや、ただ姿が見えなかったからさ」

紬「そう? ……澪ちゃんたちは?」

律「澪のやつはもう着替えて、屋上で助けを待つってさ」

律「唯と梓は、1階に遊びに行ったよ」

紬「……大丈夫なの?」

律「3分経って戻らなきゃ助けに来いって言ってたから」

律「あと60数えたら、行こうかと思う」




 私はそばの壁を、1秒ずつタップし始めた。

紬「ねぇ、りっちゃん……訊いてもいいかな」

律「なんだ?」

紬「水浸しになってからしばらくしたときも思ったんだけど」

紬「さっきまた屋上から確認して、やっぱり変だったの」

 ムギも気づいていたのだろうか。

 そう思ったとたん、ムギの表情に不安が浮き彫りになった。

紬「……これだけの大災害があっという間に起こったこともだけれど」

紬「いまだに、1つさえも死体が流れてきてないのは、どうして?」

紬「こんなに時間が経ったのに、取材のヘリさえ飛んでこないのはどうして?」

律「……それ、私が知ってると思う?」

紬「思わないけど、りっちゃんなら一緒に考えてくれると思うから」

紬「……部長だし」




 部長。そうきたか。

律「……唯たちの様子見てから考えるよ」

 タップが60回になった。

 私は袋を広げ、ざぶざぶと階段に急ぐ。

梓「あ、ほんとに来た」

 そこにはすでに唯と梓が、満足した様子で上がってきていた。

 つねるぞ、このやろう。

唯「りっちゃん、下すごかったよ! もう1回行ってきていい?」

律「……いや、やめとけ。もうじき暗くなる」

 私は唯と梓を連れ、部室に戻ることにした。

 ムギも一緒に、さっきの話を続けようと思った。

 髪と体を拭き、澪も戻ってきて、ムギが紅茶を淹れる。

 着なおしたブラウスは、乾いた汗のにおいが残っていた。




律「それでムギ、さっきの話なんだけどさ」

紬「みんなの前でする?」

 ムギは太い眉を下げて、みんなを見回す。

律「……みんなも、うすうす気付いてることだとは思うし」

澪「それって、この状況のことか」

律「あぁ。それぞれ着眼点は違うかもしれないけど、どっかおかしいって思ってるだろ」

澪「……」

唯「あ、あのねりっちゃん。ちょっといいかな」

 唯が珍しくおずおずとした様子で発言した。

唯「私たち、さっき机を運んだけど……」

唯「そのとき、どの机の中にも、ひとつも荷物がなかったんだ」

 なんとなく予想していたことでもある。

 廊下に出ていた机も、そうだった気がする。




唯「それに、あのぐらいの時間に学校にいたのが私たちだけってのもおかしいよ」

唯「音楽室って高い所なのに、だれも、避難してこなかったしさ……」

 やっぱりみんな気付いていたんだな。

 梓や澪の表情をちらりと窺って、そう思う。

律「まだ断定はできないけど……もしかしたら」

 私は落ち着いて息を吸う。

律「ここは……っつーか、この世界には、私たちしかいない可能性がある」

梓「……助けなんて来ないっていうことですか」

律「どうかな……」

 梓の考えている線が有力だと思っているけれど、それは口には出さない。

澪「助けを待つより、このパラレルワールドから脱出する手段を見つけないといけないのか?」

紬「でも、そんなことどうやって……」




律「落ち着け……まずここがパラレルワールドっていう保証もないんだ」

澪「だけど、悠長にしてられるか? ……おなかも減ったし」

唯「水の中けっこう見たけど、魚は見当たらなかったよ」

唯「ここには食べ物なんてないのかもしれないね」

律「うん……どうしたもんかな」

 私はうつむいて呟いた。

 どうしろってのさ。

紬「……ねえ。諦めちゃわない?」

 少しの沈黙のあとムギが言った言葉にも、さして驚かなかった。

紬「わたしも、水の中の学校探検してみたいな」

 みんなで学校と、桜ケ丘とともに沈もう。

 どうせ助かることなんてないのだから、私はみんなと死にたい。

 ムギはそういう意味のことを言った。




梓「……私は、先輩たちと一緒なら」

 梓が言った。

律「……おまえ、軽音部入って3ヶ月だろうに」

梓「一人で死ぬよりは……と思いまして」

 そんなところだろうと思った。

 私だって一人残されては、生きる気力もあったものじゃないだろうけれど。

澪「私もいいよ、ムギ」

 澪はそう答えると思っていた。

 こいつはもともと、生きる意志なんてたいしてない奴なんだ。

唯「……りっちゃんも?」

律「まあ、そうかな」

 訊かれて頷く。

 どうせ無理だろう、と諦観していたのはほとんど最初からだった。




 というかこいつらだって諦めていたからこそ、

 私たちが1階に行くのを強く止めなかったし、

 階段の前で待ち構えたりしていなかったんだと思う。

 ここは異常な場所で、自分たちが生きれるところではない。

 そういうことを深層意識に教えられてからこの世界に連れてこられたんじゃないかと思う。

唯「そっか……じゃ、みんなで行こうか」

 私たちは、手をつないだ。

 死ぬことを決めるのは、非現実的なまでにスムーズだった。

 袋を持たずに、準備室を出て階段を下りる。

律「……あ」

 私たちを待っていたかのように、水位が上がって、踊り場にも水が届いていた。

 2階ももう、天井までひたひただ。




律「……なぁ澪」

澪「……うん」

 私たちは最後にそう会話した。

 ざぶり、ざぶりと沈んでいく。

 冷えた水に髪がほどかれ、溶かされていく感覚。

 廊下まで下りると、私は膝をついた。

律「……」

 目を閉じて、呼吸の我慢がきかなくなるのをじっと待つ。

 ずぐん、ずぐんと苦しそうに突き上げる心臓の音が響く。

 左手から唯が流れていった。

 そろそろ、私も澪の手を握っているのが辛くなってきた。

 なぁ、澪。

 どうして私たちは、水の中で生きれないんだろうな。




 こんなに水の中は気持ちいい。

 澪と手をつないで、苦しいぶんだけ生きているって感覚を強く思う。

 けれど、ヒトは、水の中では生き続けられない。

澪「律」

 澪が私の手を強く握った。

律「……え」

澪「こんなところで本当にあきらめるつもりか?」

 いまさら何言ってるんだよコイツ。

律「……」

 私は水の中で、しゃべれない。

 澪がほほえんで私を見ている。

澪「……しょうがないな」




澪「猶予、だ」

 澪は私をぐっと抱き寄せると、わたしの口に、その口元をあてた。

律「う……」

 呼吸ができる。

 澪が、空気をくれている。

 そうだよ、この感覚だ。

 なんでもできるような、この感覚。

律「……みおっ」

 私は水の中で盛大に泡を吐いた。

澪「バカ、無駄遣いするな!」

 そうだよ、私たちは、こうだったんだ。

律「あびがぼうっ!」




 私は泳ぎだす。

 これは夢だったんだ。

 最初に疑ったとおりだったんだ。

 だから澪をつねったんだけど、それじゃ目が覚めるはずがない。

 この水浸しの街は、私たちにとっては現実にすぎない。

 私と澪はいつも溺れていたんだ。

 部室にいるとき以外は、いつも水底にいたんだ。

 それが私と澪の現実なんだ。

 この夢を見ているのは、さっき逃げて行った、あのバカ。

 あいつの頬をつねらなきゃ、この夢は覚めない。

 腕をかき回し、足をばたつかせ、私はとうとうその腕を掴んだ。

律「唯、起きろおおおぉぉ!!!」




――――

律「ろぁっ」

澪「うわっ、なんだよ」

 反射的に体が起きて、あわてて周りを見渡した。

 いつもの澪の部屋、電気を消したverだ。

律「い、今何時だ?」

澪「何時だろうと遅刻じゃないから安心しろ」

律「……あー」

澪「どうした律? 怖い夢でもみたのか?」

 澪がそっと耳にくちびるを寄せて、頭を撫でてきた。

律「……変な夢だったな」

澪「変な夢か」




澪「どんな夢だったんだ?」

律「澪がナマコになる夢」

澪「怖いだろ、それ!」

律「冗談だよ。……なんか、いつも通りの夢だった」

澪「いつも通りって」

律「いつも通り、平和な日常……かな。練習があってティータイムがあって、澪とエッチして……」

澪「だったら良いんだけど……」

 澪が私に寄り添う。

 背中をさらさらと黒髪が流れる。

律「うん。良かった」

律「澪のこと、好きでよかったー!」

 倒れこむように、澪に抱きついた。

 そのままベッドに折り重なって、くちびるを重ねる。




澪「……やっぱ律、今日ヘンだぞ」

律「いいじゃぁん……」

澪「甘えんぼだし」

律「うるさいっ」

澪「やめろよ痛いから!」

律「あだっ! ……やっぱキクなぁ、んふふ」

澪「な、何笑ってるんだよ気持ち悪い……」

律「幸せだなーって」

澪「……はいはい、ありがとな」

律「澪の澪は私の澪でもあるんだからな」

澪「うんうん、お前それ好きだな」

律「……ん」




律「……みおー」

澪「なんだよ……寝れないだろ」

律「好きだぞ」

澪「知ってる」

律「澪は?」

澪「このまま寝させてくれたら好きになってあげる」

律「なんじゃそりゃ……」

律「……じゃ、もうおやすみ……」

澪「ああ、おやすみ」

澪「……」

澪「……好きだぞ、律」




澪「……」

律「う、うわあああっ!!」

澪「なっ、なんだよ!?」

律「澪がナマコになったあ!」

澪「……」

澪「黙って寝てろっ!」

律「ぐえーへぇっ」

 ああ痛い。

 貝は貝だけど、澪の前ではヤワな身がむきだしで、余計に痛い。

 私はナマコになりたい。

 なりたいぞ、澪。


   おしまい